うつけの兵法 第三十九話 噂と実像 其々の恥部 | ショーエイのアタックまんがーワン

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

 

【第三十九話 噂と実像 其々の恥部】

桶狭間へのカウントダウン 残り12年
〔ドラフト版〕

 

信長の失態は、吉乃との恋愛に溺れ、恋敵である土田弥平次を謀計に嵌めて抹殺しようとした事である。

結局、信長は実行に移す前に躊躇し、あえて弥平次と共闘して野盗団を討伐する形に変えるも、事態を予め聞き知っていた野盗団が土田城を事前に襲撃した事で尾張土田氏は滅んでしまう。

この尾張土田氏はいわば信長の母方の実家で、これが元で母・土田御前は筆頭家老林秀貞と共に、信長の廃嫡を信秀に直訴した。

勿論、信秀も状況は把握するところであったが、

あえて直ぐに廃嫡と言う判断には至らなかった。

筆頭家老の林秀貞も土田御前に同調して意見を述べたが、

父として信長を愛する信秀にとっては、

逆に信じられないという状況でもあった。

勿論の事、

信長には弥平次を抹殺する動機があるのは理解するが、

信長の教唆で土田城を野盗団に襲撃させた根拠も無く、

その信長が無責任に土田城を見捨てたという状況でもない。

反対に信秀の情報筋から

信長はこの件で弔い合戦に挑もうとしている話も聞いているのだ。

父として信長を信じたい気持ちから、

信長が弥平次の器量を計る意味で今回の作戦を計画したのではという親バカな期待を過らせたのも事実だ。

言うまでも無く、この事件は織田弾正忠家としてあるまじき恥部にもなる。

いわば弾正忠家嫡男が恋敵を見殺しにして誅殺した様な事件だ。

更にはそれで母方の実家を消滅させてしまった。

傍から見れば良い笑い者である。

それは林秀貞も承知の事。

故に信秀はこの件は口外せぬように固く命じたのだ。

勿論のこと、口止めを命じたとしても直近の噂としては、信秀の正妻の実家が野盗団の襲撃に有った事は広まり、そこに嫡男信長が駆けつけたという美談に近い形で一応は映った。

勿論、吉乃の嫁ぎ先であったとか、吉乃と信長の関係は寧ろ家中の一部の人間しか知りえない事で、噂で広まる前に口止めすればそこは防げるだろう。

信長の廃嫡を考える林秀貞は、その辺は機転を利かせた上で、信長の話が寧ろ美談に映らないように手配した。

いわば口々で信長を「大うつけ」と罵り、「母方の実家の救援を任せられながらも失態を犯して救えなかった。」

という形で。

弾正忠家にとっての恥部となる部分は、「嫡男が恋敵である母方の実家を野盗団に襲わせた」と思われる部分で、いわばそれを隠せば信長の失態をどう表現してもいいという形で秀貞は理解していた。

無論、信秀も廃嫡まで唱える土田御前や秀貞の怒りは理解する所で、信長を罵しりたい気持ちまでは制御できない。

 

さて、この話が美濃の斎藤道三にはどう伝わったのか。

いわば秀貞の言葉が先ずは伝わってきた。

「信長は大うつけで母方の実家への救援に失敗して、それを全滅させた。」

という事だ。

勿論信長は今、弔い合戦に挑もうとしているが、その成否は寧ろどうでもいい。

反対に母親である土田御前まで怒り心頭であるという話。

それらを踏まえて道三の目には、尾張こと織田弾正忠家は家督相続で割れる、という部分だ。

ただ信秀はまだ若く、30代半ば過ぎ故に今すぐという事も考えにくいが、廃嫡という話まで聞こえてくると荒れる要素は十分に考えられるのだ。

道三の目から見れば初陣を終えたばかりの子が救援に失敗しただけで大うつけとはと、思う所だが、それが母方の実家であったなら事は荒れるのも無理はない、という見識で受け取った。

 

弾正忠家の恥を晒さず、信長の悪い噂として流すには、

「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」

とすることだ。

謀計に長けた林秀貞からすれば、流言飛語はお手の物と言える。

道三の見識の通り、初陣を終えたばかりの子にその責を押し付けるのは可愛そうだと考えても可笑しくは無いが…

以外にも噂話をそこまで深く考えてくれる人は、現在でも少数でしかない。

仮に「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」という形で歴史資料に記載があったとしよう。

歴史家たちは既に信長の実績を知っているため、信長を大うつけとする事は無いが、恐らくこの内容でそのまま信長と土田御前が対立した事実として真に受けるだろう。

信長が何故その救援に遅延したのかまでは研究しても、これが誰かの流言飛語いわば噂話を広める策だったという事までは考えないと言える。

仮に林秀貞あたりがこの時分に流した書状だった場合は、その可能性が過るかもしれないが、大方は流言飛語とする方を憶測として扱うだろうと推察できる。

実はニュースの見出しは、この流言飛語と同じ手法で構成されている。

いわば解かりやすく短い文章で、曖昧に伝える。

例えるなら、以前話題に成った自民党と統一教会の関係も、

「自民党に統一教会の影」という見出しにする方が、ニュースの見出しとしてインパクトが有り、読み手も「影」という曖昧な表現に引き込まれて「何か裏が有るように記事を読んでしまう。」

まあ、ニュースだから本当だろうと思ってしまうだろうが、裏の取れていない内容まで「影」という言葉に流されてしまう。

 

また流言飛語はゴシップと同じ要素で機能し、人の妬みに付け込んで信じ込ませるものだ。

ある意味、

「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」

の話は、寧ろ領主の子という特権階級の信長の失態を笑いものにするための内容に成る。

本当かどうかは実際に土田城が襲撃を受けて廃墟化したのを確認するだけで、援軍に遅延したという理由までは寧ろ伝え手の言い分が浸透する。

いわば戦国時代の技術では遅延したかどうかは後日では確認できない事でもある訳だが、「土田城が襲撃を受けた痕跡」、「それが信長の母方の実家」まで確認できれば事実だと認定してしまうのだ。

その上で「遅延して救えなかった」は事実とは異なっても噂の聞き手は確認できないけどその通りなのだろうと考えてしまう。

ゴシップ記事も同じで、芸能人がホテルで合コンを開いていたという事実が確認できれば、あとそこで何が起こったかは確証の無い内容でも信じ込ませられる。

逆に事実なのかどうかは別として、時間の経過した話だと現代科学でも確認できないのも事実なのだ。

仮に性犯罪が有って直ぐに遺伝子捜査でも出来るなら別という話に成ってくる。

証言者が本当は何者なのか…

嘘か真かの区別も実は読み手は解らない。

流言飛語のテクニックは、見える実態を下に、如何に見えない実態を信じ込ませるかに成ってくる。

i一見、現代で言うフェイクニュースを連想するだろうが、実は報道の手法そのものと言っても過言ではない。

良く知られているのがインタビュー記事などで一部だけを抜粋して記事にする方法だ。

いわば印象操作の手法が昔にも流言飛語として用いられていたと考えれば想像しやすいだろう。

 

流言飛語などの噂の怖さは、言葉が独り歩きする事だ。

誰かが噂の根源を聞いて、

「それでは信長さまはまるで母親を見捨てたようなものだな」

と言うと、それを聞いた人は、「信長が母親を見捨てた人」として認識し、それを他で伝える。

自然とそれが「信長は母親見捨てるほどの悪人」の様な形で広まってしまうのだ。

すると今まで信長を慕っていた農村の人たちまで疑いの目で接する心情に発展する。

 

さて、一方の信長だが、その噂の根源の弔い合戦に挑もうとしていた。

勿論通常の戦闘では雑兵は捨て駒扱いで前衛に立たせる。

それは戦闘慣れした後衛に控える部隊が上手く敵の隙をつくためとも言ってよい。

味方の前衛が敵の前衛を押し込んで敵の後衛に迫ればそれだけ戦は有利に成る。

戦国時代前期の戦の構成は明確な資料が乏しくハッキリとは言えないが、恐らく雑兵は槍主体で、木の盾を持参して戦ったと言える。

映画やドラマの戦国時代の戦闘シーンではこの盾をあまり用いていない。

実は盾無しで突っ込む映像は寧ろ無謀で愚かしいと見えるのだ。

先ず先行して弓矢が飛んでくる事は想定できる話で、その弓矢を槍だけで受け流すなんて達人レベルの話で雑兵にそんな戦闘術が備わっているとは思えない。

寧ろ、雑兵でも木の盾なら戦闘前に薪やらの為に集めた木材を自前で加工して持って行く準備は出来るだろう。

一部の資料では槍でも竹やりは自前だったという記録もある。

ある意味、生きて戦争から帰ってくるつもりなら、生きて帰る知恵と準備は当然で、そういう意味では日本でも盾は必需品だったと考えても良い。

この盾の代わりに頭に被る陣笠が用いられたかは別であるが、陣笠に成ると構造がすこし高級で、鉄や革で作られた物となる。

現代で言う建築現場のヘルメットの様なものだが、それらが支給品だったのか各兵士が自前で用意したのかは不明だが、自前で用意した可能性は高いと感じる。

更には一揆相手に正規軍でも苦戦したり、秀吉が後に刀狩りを行ったことまで参考にすると、当時の雑兵の装備は槍や刀も含めて持参した可能性は高いと考えられる。

ある意味鎧や陣笠は使い捨てでは無いので、新兵として参戦する際に領主が支給するという事も考えられる。

そうして陣笠が盾の役目を担っていたとするならば、雑兵の装備は絵巻などで描かれるようなそれ相応の物だったと考えても良さそうである。

 

さて…敵の野盗団こと賊徒たち拠点だが、どの様な物であったのだろう。

清州から西の津島にかけて特に炭鉱や鉱山らしきものが有った形跡は見受けられなかった。

賊徒のアジトといえばこうした鉱山跡地を連想するが、立地から考慮すると深い森の中に母屋がいくつか存在する砦を形成する形が考えられる。

森林に遮られて見つけにくいとはいえ、一度発見されれば場所は特定されやすい形になる。

応仁の乱の頃、賊徒を率いたとされる骨皮道賢という人物が居るが、彼は侍所所司代の被官、いわば役人として盗賊らの監視役にありながらそれらを従えて自らの兵力としていたという。

現代風に言えばマル暴の捜査官が暴力団を従えていたという話に成るだろうが、現代より組織統制がはるかに曖昧だった時代ゆえに、任侠映画に出てくるような話も寧ろ当然の時代だったと考えられる。

そう考えると彼らのアジトが目立たない場所で集落化した形であった事は不思議ではないと言えよう。

そして骨皮道賢の例がもっと一般的だったと考えると、この地域の賊徒は清須の織田大和守側と通じていたとも考えられる。

尾張土田氏の所領に近いとはいえ、元々尾張土田氏は六角氏から斯波氏に外交官として土着した家柄で、所領の周囲は清須主体の地域と成る。そうなると自然、守護代の織田大和守家の管轄と考えるのが当然と言えよう。

そうした大和守家の誰かが彼らを囲って自らの兵力としていたとするならば、この野盗団は戦国時代の一般的な言い方をすれば野武士の集団という形で考えられる。

その集団に弾正忠家の信長が戦いを挑むという形に成るわけだが、

昨今も同じでそれは政治的に扱いにくい部分ともなる。

更にはその賊徒が土田城を襲撃したという話に成れば、清洲側もその野盗団を擁護することは出来ないのが実情と成るだろう。

大和守家の黒幕の誰かが彼らに手を差し伸べられるとするならば、元々の摘発というべきか信長の襲撃に備えて他の野武士集団から援軍を募って宛がうことぐらいに成る。

 

寧ろここで政治的な話で考えるなら、野党団の襲撃を受けてお家断絶状態と成った尾張土田氏の所領を誰が引き継ぐかと言う話に成るのだ。

 

この様に再度状況を整理して考えると、信長の弔い合戦は単ならる弔い合戦に有らず、尾張土田領を巡って大和守家と弾正忠家の駆け引きの場ともなっている事が伺える。

また、この場所は清須城に程なく近い場所である。

いわば信長は知らずしてこうした複雑な問題を一気に引き起こしたことに成るのだ。

 

歴史上で謎めいた部分は、資料が混在し事実確認が不明瞭なものが多い。

信長の母親の実家である土田氏の存在、そして信長の嫡男信忠の母であるとされる生駒の方または吉乃の存在など…

更には生駒家の家系図で何某弥平次と記されるに留めた、吉乃の前夫の存在。

本来、史書の中で何らかの痕跡を明確に残しても可笑しくない部分が、謎として残るには、それだけ当時語られては成らない何かが有ったと推測した方が良い。

いわば天下人にまで上り詰めた信長にとって、どうしても触れられたくない過去に成るのだ。

 

この事件はいわばそれに値する話で、結果として母方の実家を潰したに留まらず母親との因縁に結びついて、後の弟・信行(信勝)との対立にまで発展し結果としてその信行を抹殺する流れにまで成るのだ。

あくまで起因を作ったのは信長である。

そして事件としての正当性で言うなれば、母方の勢力の方にある。

勿論の事…その母方の勢力では天下すら望めなかっただろうが…

信長自身が自分に非ある事ゆえに、母と信行側に首謀各として従った林秀貞や柴田勝家も許し、また一度はその信行も許し、母親である土田御前も咎めなかったと考えるなら、この決着の付け方にも納得が行くのである。

更には家中を纏める権威を維持する上では、恋に溺れて母方の実家を滅ぼしたなどというゴシップは信長の反勢力の格好の餌に成る。

逆に、母方の勢力がそれを用いる事も想定されるが、この当時内外に敵の多い弾正忠家にとって寧ろ信長の失態で生じたお家騒動は大和守家や伊勢守家に付け入る隙を与えかねない流れに成る。

故に信秀存命中は口外させなかった話に成る。

また後に信行側の首謀各と成る林秀貞にとっても、信長付の筆頭家老として自らの謀計で信長の失態を招いた事実は秀貞自身の立場を揺るがす恥部とも成るゆえに、触れられたくない話として一致することに成る。

いわば信長と吉乃の間を割くための謀計を案じたのは秀貞本人であるからだ。

信長にとっても秀貞にとっても恥部となる話ゆえに、双方の誰もが触れてはいけないところで纏まったという流れで良いだろう。

 

では、信長の母親、土田御前の立場としてはどうであろう・・・

信長の行動に怒りを覚えるのとは別に、自身の実家が野盗団の襲撃にあってお家が断絶したとあってはその土田家の風格に関わる話に成る。

いわば戦場で落とした命では無く、盗賊に襲われて失った命に成るからだ。

むしろ土田御前としてはこの事件そのものを隠したいという流れが生じてくるのだ。

仮に史書として土田御前の実家は野盗の襲撃にあってお家が断絶した尾張土田氏という話が残れば、自身の出自に誇れるところがないどころか、寧ろ天下人と成った信長の実母としての風格にも傷がつく。

既に林秀貞が流言飛語として「信長が実母の実家の救援に遅延した」という話で広めているが、後の公式声明で「その土田氏は弾正忠家の奥方とは全く関係が無い」と広めれば、誰もが単なる噂話だったという事で事件そのものを忘れてしまうのだ。

無論、一部関係者の口止めをした上での話だが、これは現代社会より当時の方が遥かに成り立ちやすいのである。

歴史に残る辻褄の部分で言えば、土田御前の出自が曖昧で、様々な説が語られている点を考慮するなら、本人が出自に関して誰にも伝えていない点が明白と言える。

唯一、孫にあたる信勝には「土田政久の娘」である事のみ語られているとされる記述が残ると言う。

ここは寧ろ土田御前が信長の生母である点を裏付ける話として考えるべき部分で、その他の説は恐らく信秀の側室として輿入れした人物を信長の生母では無いかと推察しただけの話として考えるべきである。

いわば信長の生母の出自が公には公表されていなかった事を裏付ける話として考えるべきで、それ故に歴史の中で様々な憶測が考えられ記された結果と見る方が辻褄が合うのである。

 

さてここでは信長の一大事件として描いてはいるが、結局のところ世の中では噂話で曖昧にされた事件で、単に信長が野盗相手に軍事演習していただけの話に終わってしまうのだ。

それ故に史書のどこにも残らない、語られない部分を描くことに成る。

 

神秘的な表現で伝えれば、これらは信長の魂の記憶を辿った話と言おう。

科学的な表現ならば、心理学と行動学、歴史的な事象研究と推理を用いて初陣してから濃姫の輿入れまでの空白の期間を割り出した話としよう。

 

小説として描くなら、大和守家の黒幕が糸を引いて、この事件を利用したとする方が面白みのある内容に成るだろうが、事実はもっと単純なものである。

大和守家の黒幕が考えれる程度は、野盗団が信長らの襲撃計画を察して黒幕に相談したところ、黒幕は他の野武士または野盗団に連絡を取って援軍を募ったという所である。

そこでようやく、

 

「土田城をそのまま襲撃して、土田氏を全滅させれば面白い事になるやもしれんな・・・」

 

と、言った具合に算段が整うのだ。

いわば現状土田氏は弾正忠家との繋がりが強く成った家柄故に、事件が生じてその家が断絶したなら、そこは大和守家の所領にと言う話が通りやすくなる。

襲撃した野盗団を上手く排除した形で治めれば、自身の手柄としてその地を手に入れる事も・・・と考えるのだ。

 

小説であれば黒幕が糸を引いて信長の行動まで算段するような形で描くだろうが、実際の流れはもっと時代劇に近い流れで動くと言っても良い。

 

そして今度は信長の部隊とこの野盗団が戦うと言う状態である。

 

兵力的には野盗団の方が多く、この黒幕は信長を仕留めるまではいかずとも、信長の部隊を蹴散らして撤退させてくれれば、弾正忠家が土田氏の跡地を拝領する主張は通りにくく成ると考えていた。

 

果たして信長はどう戦うのか…次話につづく・・・

 

うつけの兵法…ほぼ半年ぶりに更新かな…

どういう戦いなのか…いろいろ検証中だったこともあって、

中々筆が進みません。

まあ、モチベーションもちょっと下がってる感じなんですが…

 

普通に考えれば、

ワ―って感じで計略ぶち込んでみたいなの想像するでしょうが、

リアルな戦闘はそうじゃ無いんです!!

漫画・アニメのキングダムは好きな作品だけど、

あそこで描かれている戦争は所詮は小説の延長戦でしかないんです。

 

リアルな戦闘と考えると、

先ず騎馬隊が弓矢を避けてどうやって突撃するかなんです。

弓矢が人に当たっても致命傷は避けられるかも知れませんが、

馬に当たったら即落馬です。

馬が居たがって仰け反るのは当然ですから。

相手の弓矢が切れるまで騎馬の突撃はしないとか、

色々な駆け引きも考えられます。

弓だって予備を隠し持つのは当然だろうし・・・

そう考えると騎馬を突撃させると考えた場合、

弓矢も消耗品なので弓が尽きる頃合いまで、

歩兵を突入させつつ後退しながら

様子見してたという戦い方が現実的なのかなと・・・

 

その歩兵も盾も持たずに突入するのは無謀すぎる話で、

最低でも木盾位は持ってたはず。

盾を掲げた前衛同士がぶつかった状態で、

後ろから槍で攻撃するには、

確かに長槍と呼ばれる6メートルから

織田軍の8メートル物まで必要に成ってくる。

アメフトのラインがぶつかり合って

相手のラインを崩すようなせめぎ合い、

恐らくは日本でもこういう感じで前衛がぶつかり合って

歩兵戦が行われたのだと考えれます。

行き成り乱戦状態なんて・・・

まず無策にも程がある話で、

敵中に突っ込んでいくなんて無謀にも程が有る話です。

 

最近になって気付いたのですが・・・

有名な孔明の八陣。

実は真面な資料が残っておらず、

多くの人は陣に八っつの門を構えた形を想像しているみたい。

ほぼ円陣と呼ばれる円形に

八つの門と呼ばれる空間を備えた物みたいですが・・・

どうやら違うみたい。

 

と、言うのも、

Total War:Three Kingdam、

いわばトータルワーというゲームの三国志版で、

リアルタイム戦闘やってて気付いたのですが、

弓とか騎兵とかを上手く動かして、

歩兵で守りつつ陣を形成する場合、

一番いい形が、三角形の上部に空間を作る形だったのです。

それをよく見ると、

漢字の八の形に歩兵を並べてた。

盾兵で防御の固い八の字の上部間っから、

漏れた敵兵、ゲームだと騎兵が突入してきて、

それを八の字の底辺部に配置した弓兵がガンガン狙って

射殺してくれる。

八の字の外側を回って侵入しようとする敵は、

外目に配置した騎兵で対処する。

八の字を盾兵で組んで防御しているので、

敵の弓矢は殆ど騎兵には届かない仕組みです。

そう考えると・・・

八陣のハチって実は

漢字の八の形を意味してるんじゃないの?

 

鶴翼やら魚鱗やら、色んな陣形も有るけど、

基本的な形はVじだったり△だったりと意外と形は単調なのです。

寧ろ大きく部隊を分けて地形に合わせて陣を敷く場合は、

その総隊全体を形どる陣形なんてものは存在しないです。

逆に言えばそんな形に拘っては

地形に合わせた部隊配置は真面に出来ませんよね。

 

反対に部隊の中で効率よく弓、騎馬、歩兵を機能させるには、

複雑な形だと弓が味方に当たるとか、

騎馬の機動性が損なわれるとか、

色々と問題が生じるだけです。

何かあって撤退する際に渋滞と混乱を引き起こすだろうし。

 

と、いう事で八陣の形は、

漢字の八の字をかたどった形で間違いないと断定します。

いやーこれに気づくと意外と便利なもんで…

現状、そのゲームでは重宝してます。