監督:ピーター・ソーン、声の出演:リーア・ルイス(エンバー)、ママドゥ・ワティエ(ウェイド)、ロニー・デル・カルメン(エンバーの父・バーニー)、シーラ・オンミ(エンバーの母・シンダー)、ウェンディ・マクレンドン=コーヴィ(風のエレメント・ゲイル)、キャサリン・オハラ(ウェイドの母・ブルック)、メイソン・ヴェルトハイマー(土のエレメントの子ども・クロッド)ほかピクサーのアニメーション映画『マイ・エレメント』。

 

火、水、土、風のエレメントたちが暮らすエレメント・シティ。家族のために火の街<ファイアタウン>から出ることなく父の雑貨店「ファイアプレイス」を継ぐ夢に向かって頑張っていた火の女の子エンバーは、ある日偶然、自分とは正反対で自由な心を持つ水の青年ウェイドと出会う。ウェイドと過ごすなかで初めて世界の広さに触れたエンバーは、自分の新たな可能性、本当にやりたいことについて考え始める。(映画.comのあらすじに一部加筆)

 

去年公開された『バズ・ライトイヤー』以来、1年ぶりのピクサーの最新作。

 

劇場で流れていた予告篇を最初に目にした時から気になっていて、ぜひ観たいと思っていました。

 

夏休み期間中ということもあるでしょうが、どこも吹替版ばかりで、まぁ、ミュージカルじゃないんだし、吹き替えでも特に問題はないのだろうけれど、僕が住んでるところではわずか1館だけ、しかも一日たった1回の上映で字幕版がやっていたのでそちらに行ってきました。

 

夜の回だから子どもはいなくて、20代以上っぽいおとなばかりの客層でした。

 

監督のピーター・ソーンは日本では2016年に公開された『アーロと少年』の監督でもあって、他にもこれまでにいくつものピクサー作品の脚本にかかわっていたり、声優を務めたりもしているそうで。『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009) (監督はピート・ドクター)の劇中でカールじいさんと一緒に空の旅に出るアジア系の少年・ラッセルはソーン監督がモデルなのだとか。

 

また、今回はその「カールじいさん」の新作短篇が併映。先日、金曜ロードショーで『カールじいさん』が放送されていたけど、そういう理由だったんですね。ピクサーの劇場長篇アニメ映画で短篇が同時上映されるのは2019年の『インクレディブル・ファミリー』の時以来。もうそんなに経つんだ。

 

で、まずはその短篇から。

 

監督:ボブ・ピーターソン、声の出演:エドワード・アズナー(カール)、ボブ・ピーターソン(ダグ)の『カールじいさんのデート』。上映時間7分。

 

 

カールじいさんは友人女性とデートに行くことを渋々承知したが、最近のデート事情がまったく分からず緊張気味に。そんなカールじいさんに、特別な首輪のおかげで人と話すことができる犬のダグがデートの前の緊張をほぐし、犬でも仲良くなれる“友達の作り方”のコツを伝授するが──。(映画.comより転載)

 

カールの声を担当した声優のエドワード・アズナーさん、そして日本語吹替版の飯塚昭三さんはお二人ともすでに亡くなられてますが、本作品の声の収録は終えていたため、これが最後のカール役になりました。

 

あらためてお二人のご冥福をお祈りいたします。

 

 

もともとDisney+の短篇シリーズの最終話として配信される予定だったのが劇場公開されることになったらしくて、だからほんとにささやかな内容なんですが、もう10年以上前に公開された映画の続篇がこうやって短篇として作られている、というのがいいですね。大切にされてる、って感じがする。

 

内容は、デートすることになったカールじいさんが、しかし愛する今はなき妻のエリーに気兼ねしたり、飼い犬のダグにデートの方法を相談したり、相手との会話の予行練習をしたりする様子をユーモラスに描く。

 

 

 

 

ダグは「お尻のニオイを嗅ぐんだ」とか「しっぽを振ればいい」など、役に立たないアドヴァイスばかり。カールはカールでプレゼント用に大量のチョコレートを買ってきたりと二人のやりとりは噛み合わないが、それでも最後はダグも一緒についていくことでなんとか出発。写真立ての中のエリーには「遅くても10時…いや11時には必ず帰る」と約束して。

 

デートの様子も描かれるのかと思ったら、出かけていく二人の後ろ姿を映して映画はおしまい。

 

このなんでもないような日常の一コマがいいんですよね。

 

ひと頃のように若い男女がくっつく話じゃなくて、短篇もいろんなパターンで作られるようになって面白くなりましたね。

 

そして、『マイ・エレメント』。

 

ピーター・ソーン監督の自伝的な物語で、韓国系移民の子としてニューヨークで生まれ育った彼と移民一世であるその両親をモデルにしたキャラクターたちを登場させて、舞台をファンタスティックな世界に置き換えて描き出している。

 

ちょっと『ズートピア』を思わせる舞台設定だけど、あちらが事件の謎を解く警官モノでもあったのに比べて、こちらはちょうど『ズートピア』の主人公・ジュディの両親が経営しているお店の方のエピソードだけで1本の映画にしたような感じで、より日常的な内容なんですね。

 

異なるルーツを持ち、生まれ育った環境も性格も異なるふたりが惹かれ合うが、それゆえに乗り越えなければならないことがいくつもあって…という、生きた俳優がそのままライヴアクションで演じられちゃうような、身近で小さな規模のお話。

 

終盤に自分の両親が住む地域が大水に襲われて…というような展開はありますが、世界を救うために悪人と闘うとか、ことさらSF的だったりおとぎ話的な要素は取り入れられていない。

 

監督の実人生をもとにしてるんだから、当然なんだけど。

 

最初のうちは、こういう地味なお話で最後までもつんだろうか、とも思ったんだけど、でもどんどん惹き込まれていったし、途中でエンバーとウェイドが大都会エレメント・シティで楽しそうに過ごしている場面では思わず涙ぐんでしまった。

 

 

 

まぁ、マリオのアニメでも涙ぐんでるぐらいなので、僕の涙はあまりあてにはならないかもしれませんが(笑)

 

劇中でのウェイドほどに涙が溢れて…とまではいかなくても、とても胸に沁みました。

 

予告篇観た時から思ってたけど、ツンと鼻先が上を向いたエンバーがほんとにキュートで。

 

「キュート」といってもそれは媚びた可愛らしさではなくて、毎日一所懸命に生活している誰もがふと見せる魅力からくるような可愛さなんですよね。

 

エンバーの顔のデザインは一見すると2Dアニメっぽくてそのシンプルな線で描かれた(常に炎のように揺らめいてる彼女の画自体はアニメーション的には複雑なのだろうけれど)顔とリーア・ルイスのハスキーで“スモーキー”な声にちょっとギャップもあって、エンバーという主人公に、可愛くて凛々しい──つまりは現実の世の中にいる女性たちのようなリアリティを持たせている。

 

絵柄はシンプルで、内面は複雑。顔を隠したり自分を抑制するために時々かぶるフードさえもが可愛い。

 

 

 

 

 

両親の店の相続という自らが背負う責任だったり、その店で起こったトラブルが原因で出会ったウェイドとの関係が進展していくうちに彼女が抱えることになる問題など、等身大の悩みを解決するために奮闘する姿、怒ったり笑ったり、普段、簡単には泣かないエンバーが流したひとすじの涙など、その表情の一つ一つがなんとも言えずにいい。

 

ソーン監督はさまざまな実写映画からインスピレーションを得たそうだけど、その中の1本が『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』(2017年作品。日本公開18年)で、なるほど、非白人と白人のカップルの話で、主人公と両親との関係が民族的な価値観によって左右されるところなど共通点は多い。

 

アジア系とか、あるいは『ビッグ・シック』ならパキスタンだったし、インドや中東など、いろいろ欧米とは異なる歴史、文化、宗教を持つ国にはその国なりのルールがあって、そこから世代間の軋轢が生まれたりするというのは、僕たち日本人にとってもけっして無関係なことじゃないですよね。

 

雑貨屋を営む両親と同じ火のエレメントたちが多く住む比較的新しい移民の子であるエンバーと、エレメント・シティの中心地のマンション住まいで建築やアート関係の仕事をしている家族とともに裕福な生活をしてきた水のエレメントのウェイド。

 

あまりに違う彼らの生活環境、そしてエンバーの父・バーニーが一人娘のエンバーに店を譲るつもりでいることと、移民してきた頃から差別や意地悪されてきたのでバーニーはウェイドのような水のエレメントたちのことを快く思っていないために、エンバーたちの恋路や彼女の将来について問題が生じてくる。

 

エンバーは毎日父の名前を冠したお店で働いているんだけど、とても真面目で優秀にもかかわらずしばしば癇癪を起こして、ついにそれが原因で店の営業許可を取り消されそうになる。

 

でも、やがてその自分でも抑えられない“癇癪”は、彼女が本当は心の底では父の店を継ぎたくないと思っているのが原因だということに気づいていく。

 

 

 

バーニーが先祖から受け継いできた青い炎の“ブルーファイア”というのは、「伝統」のことなんでしょうね。それをまた子々孫々に伝える、というものだったんだろうけど、でも結局、エンバーは自分の意志で店を継がないことにしたのだから、あのブルーファイアはバーニーの店を継ぐことにした常連客たちに渡されたんだろうか。

 

「伝統」の形も時代の移り変わりとともに変化していく、ということでしょうかね。

 

エンバーの母・シンダーは店で恋占いをやっていて、彼女の“鼻”はよく利くし占いもよく当たるようだから、昔ながらの伝統だとか言い伝え、呪術的なものが完全に否定的に描かれているわけでもない。

 

変わっていくものもあれば、変わらないものもある。バーニーとエンバー親子が交わす、あの座礼のように。

 

バーニーは、自分たちが苦労して守ってきた店を愛して受け継いでくれる者であれば、それが実の娘でなくても受け入れたし、一方、エンバーは「両親への恩返し」という重圧から解放されて、自分が望む生き方を選ぶことができた。

 

そんなエンバーを好きになって彼女のために奮戦するウェイドの、気がよくてちょっとのほほんとしてるところとか、『カールじいさん』のラッセルを思わせる。

 

エンバーのモデルはピーター・ソーン監督だけど、もしかしたら涙もろくてエンバーに熱烈アタックしたウェイドもまた監督の分身なのかもしれませんね。

 

スポーツの試合を一緒に観戦したり映画を観たり、あのへんも監督夫妻の想い出が込められていそうだし、エンバーがずっと見たかった水中に咲く花“ヴィヴィステリア”にまつわる重要なエピソードも監督の実体験をもとにしたんじゃないかと思うほど実感がこもっていましたよね。

 

 

 

エンバーは幼い頃、父とともに訪れたヴィヴィステリアの展示会場で、彼女たちが「火のエレメント」であることを理由に入場を拒否された苦い経験があって、それがバーニーが水のエレメントを嫌う原因にもなっていたし、エンバーにも自分たちと異なるエレメントたちと付き合うことを躊躇させていた。

 

ソーン監督も、お父さんとそのような差別をされた経験があるのかもしれませんね。

 

日本にずっと住んでいると、日本人の多くは自分のルーツを理由に差別される実感って湧かないだろうけど(僕自身もそうですが)、でも逆の立場、マイノリティからすれば差別はしょっちゅうだから、別に僕たちに関係ない話じゃない。誰の立場でものを見るかで、感じ方も変わってくる。

 

火と水、付き合うこともふれあうことすらできないと思っていた両者が手を合わせて抱き合った時、それまで経験したことがなかった新しい感覚に襲われる。恋とはそういうことなのだろうし、異なる者同士が一体となる快感はけっして忘れられないものだろう。…残念ながら私にはそんな経験がないので想像で言ってますが。

 

 

 

エンバーとウェイドのふたりのあのキスシーンは、ここ最近観た映画の中でも本当に美しく印象的でした。

 

そのあとでまだちょっといろいろあるのだけれど、彼らはあのひとときを絶対に忘れることはないだろうし、困難に見舞われた時ほど強く思い出すんじゃないだろうか。

 

少し前に観た映画『リバー 流れないでよ』の感想で僕は劇中の主人公たちを“バカップル”呼ばわりして「どーでもいい」とコキ下ろしてしまったんですが、この『マイ・エレメント』のエンバーとウェイドの恋には入り込めたし、大好きな映画になりました。

 

それはきっと彼らの心情が丁寧に描かれていたからだと思います。

 

クライマックスで、ウェイドの涙もろさが伏線だったことがわかって、あぁ巧いなぁ、と。

 

泣きながら復活していくウェイドの姿に(ちょっと『ターミネーター2』のT-1000っぽかったけどw)またしても涙ぐんじゃった。

 

僕はこの映画、名作だと思うなぁ。もう一回ぐらい観たい。今度は吹き替えで。

 

『アーロと少年』は結構辛めの評価をしてしまったんですが、ピーター・ソーン監督が自らの経験をもとに作ったこの物語は、きっとこれからピクサーの代表作の1本になっていくと思います。

 

鑑賞後に観客の若い男女のカップルが会話してて、ディズニーやピクサーのアニメをほとんど観たことがないっぽい彼氏が「久しぶりにいい映画を観た気がする」と言うと、それに彼女の方が「ディズニーもだいたいこんな感じだよ。『アナ雪』もよかったし」と答えていた。

 

お幸せに♪(^o^)

 

 

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