ピーター・ソーン監督のピクサーのアニメーション映画『アーロと少年』。2015年作品。

2D日本語吹替版で鑑賞。



6500万年前に地球に隕石が落下せず、そのまま恐竜たちが絶滅しなかった世界。アパトサウルスのアーロは身体が小さく臆病なため、農業を営む父のヘンリーや兄のバックたちのような働きができない。アーロは父親から石を積み上げた蔵の中に貯めた食料を盗み食いする動物を始末するよう命じられるが、ワナにかかったのは言葉を話さない人間の野生児だった。


同時上映はサンジャイ・パテル監督による短篇『ボクのスーパーチーム』。2015年作品。



インド人の少年がTVでスーパーヒーローの番組を観ていると、父親が部屋の中にある祭壇で神様にお祈りを始める。父親に命じられて一緒に祈るが、退屈で仕方のない少年はよそ事を考えている。するといつの間にか彼は寺院にいて、魔物が彼に襲いかかってくる。彼はインドの3人の神様たちと力を合わせて魔物と戦う。


監督さんはインド系の人で、映画の最初に「ほとんど実話」と字幕が出る。そして映画が終わると監督さんとそのお父さんらしき親子の写真が映しだされる。

自らの経験をアニメーション映画にしたんですね。


ピクサーの短編映画『Sanjay’s Super Team(原題)』には“初の試み”が多数


アニメでインド系の主人公とその家庭が描かれたり、ヒンドゥー教の神様たちが戦うというのが新鮮でした。

ちょっと『サマーウォーズ』の電脳の世界の描写を思いだしたりした。

エスニックな魅力もあるけれど、これからはこうやって多くの白人以外の文化がアニメとして描かれていくのかな、なんて思いましたね。世界がより広く感じられるようで僕は歓迎です。


それでは、『アーロと少年』の感想に入る前にその日本語吹替版について。

吹替版の声の出演は、石川樹(アーロ)、山野井仁(父 ヘンリー)、安田成美(母 イダ)、松重豊(Tレックス ブッチ)、八嶋智人(同 ナッシュ)、片桐はいり(同 ラムジー)、青山穣(ラプトル ブッバ)ほか。

春休み映画だからということなんでしょうが、基本的には吹替版のみの上映で字幕版はやってない模様。

オリジナル版の声のキャストはジェフリー・ライトフランシス・マクドーマンドサム・エリオットスティーヴ・ザーンアンナ・パキンなど(監督のピーター・ソーンはスティラコサウルスの“ペット・コレクター”の声を担当)有名な俳優たちが何人も参加しているけれど、現時点では日本では劇場で観られないんだからどうしようもないですよね。

『インサイド・ヘッド』の感想にも書いたように吹替版自体は丁寧に作られているからそれを観ることに抵抗はないんですが、今回はディズニーの『ベイマックス』の時のようにエンドクレジットに日本の曲が使われている。もちろん日本版のみの仕様。

昔の『ファンタスティック・フォー』のエンドクレジットに「キリキリマイ、キリキリマ~イ♪」という日本語の不快な歌声が入ってたり、『エクスペンダブルズ』に「我慢がならねぇ~♪」とナガブチが流れたみたいな乱暴な選曲と違って、『ベイマックス』のAIの曲今回のKiroroの曲も映画の内容に合わせてあるので「別に違和感ない」という人や、むしろ「日本の曲が入ってる方が好き」というかたもいらっしゃるかもしれません。

ただこれはあくまでも僕個人の意見なんですが、やっぱりオリジナル版をイジって別のものを付け足すことに抵抗があるんですよね。

ディズニーやピクサーのアニメに限らず、実写映画などでオリジナル版が日本独自の編集をされて公開されたり、エンドクレジットの曲が日本のミュージシャンの歌に差し替えられたりするたびに、なんでオリジナル版をそのまま公開しないの?と腹立たしさを覚える。

たとえば、自分のお気に入りの日本映画が海外で公開される時にエンディングの歌がなんかよくわかんない向こうの曲に差し替えられてたらイヤじゃないですか。オリジナル曲をちゃんと流してよ、って思うでしょ。

エンディング曲も含めてその作品なんだからさ。

僕は洋画を観ていて日本の曲が流れてくると(『シュガー・ラッシュ』のようにオリジナル版で使われている場合は別ですが)強制的に日常に連れ戻されたような気分になるんですよ。

アナと雪の女王』みたいにオリジナル曲の日本語ver.というのならともかく、オリジナル版と違う曲、しかも映画のために作られたわけではない既成の曲が流れてくると突然安っぽい印象を覚えてしまって、映画の余韻が台無しになるんですね。

おそらく実情としては、著作権上の問題で歌詞を字幕で出せなくて、しかも『アナ雪』などのように日本語でカヴァーできない歌の場合は日本の観客には歌の内容がわからないから、日本語の別の曲に替えたということでしょう。

あとはもちろん日本のミュージシャンの歌を使うことでその人のファンが映画館に来てくれることを当て込んで、というのもあるだろうし。

映画館に観客を呼ぶためにいろいろと考えてるのはわかるし、より子どもたちに受け入れられ易くするためもあるんだろうけど、だったらせめてオリジナルの曲が流れる字幕版も同時に公開してよ、と。

これがたとえば去年日本で公開されたフランスのアニメーション映画『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』のように上映館がごく限られているのならともかく、『アーロと少年』の方はそこら中のシネコンでやってるんだから。

それに『くまのアーネストおじさん~』は別にエンディング曲を差し替えたりしてなかったし。

選択肢を狭めて一方的に内容を変更したものだけを上映する、というのは納得がいかんのです。

ちなみに、オリジナル版の主題歌はこちら。


Of Monsters And Men - Crystals



日本版と曲の雰囲気が全然違いますね。

『ベイマックス』でもそうだったけど、日本だと「せつない」系のメロディになる傾向が。

あちらの主題歌は明るかったりワクワクするような曲が多い気がします。

国民性の違いなんですかね。

僕はAIさんやKiroroさんの曲は別に嫌いではないですが、オリジナル版では楽しい感じの曲調なのに日本版だとなんか「泣かせ」にくるのがやっぱりね、イヤなんです。

ポスターからして泣かす気マンマンなんだもんなぁ(涙ぐんだアーロとスポットの絵柄は日本版のポスターのみ)。

日本人の「泣きたい病」にはウンザリなんだよ!!

邦画の予告篇なんかもメソメソ泣いたり叫んでるのばっかだし。

確かにピクサーの映画にはしばしば泣かせどころがあって、今回だって別れの場面で僕もウルウルきましたよ。だけど最初から「泣けます」みたいに宣伝するのは違うと思う。

感動したり泣いたりするのは観客が実際に映画を自分の目で観て感じてすればいいんで、最初から「さぁ、泣きましょう」と誘導されると萎えるんですよ。だから映画の作り手の意図した効果以外の余計なことをしないでほしい。

明るい曲を聴いててなんだか涙が出てくることだってあるわけで、最後は明るく勇壮な曲でシメるあちらの映画の見せ方の方が僕は好きです。

そんなわけで、これ以降はストーリーのネタバレを含みますのでまだご覧になっていないかたはご注意ください。



で、ようやく内容についてですが。

行きて帰りし物語

家族とはぐれた恐竜の子どもが人間の少年と出会い、ともに家を目指す。

ストーリーは非常にシンプルで、ほんとにこれだけなんだよね。

たとえば僕が好きな『モンスターズ・ユニバーシティ』のようなモンスターたちの世界をアメリカの大学になぞらえたアイディアやストーリーテリングの面白さ、あるいは前作『インサイド・ヘッド』のような少女の頭の中が舞台、といった凝った設定はなくて、要するにこれは少年がアメリカの大地を旅するロードムーヴィー。

主人公アーロやその家族、登場キャラクターたちは恐竜として描かれているけれど、彼らをそのまま人間に置き換えても物語は成立する。




アーロの家族は農家で、旅の途中で出会うバッファローを飼っているティラノサウルスの一家はカウボーイだし、翼竜ヴェロキラプトルみたいな肉食獣たちは追い剥ぎやバッファロー泥棒。つまり西部劇の世界ですよね。






ティラノサウルスたちが焚き火を囲んで歴戦での古傷を自慢しあうところなんて、いかにもだし。

逆に、アーロと出会って“スポット”という名を付けられる人間の少年は人語を話さず、遠吠えやうなり声しか出さない。そしてほとんどいつも四つんばい。

喋らないから吹き替えもオリジナル版(声:ジャック・ブライト)のままのようで。

監督自身もアーロは人間の少年、スポットは犬のように演出した、と語っている。

ちなみに“スポット”というのはアメリカでは犬の名前としてポピュラーなんだそうです。

面白かったのが、恐竜たちは擬人化されてはいるけれど姿かたちは四つ足のままで、アーロたちはあの姿のままで自分の頭で地面を耕したり、道具を使って食物の種を蒔いたり、口に含んだ水をスプリンクラーのように噴射させて畑に撒いたりしていること。




姿かたちを人間に寄せるのではなくて、恐竜のままで人間みたいな生活をしている。

そういうアニメならではの描写が観ていて楽しかった。

ティラノサウルスたちがあの姿のままバッファローを追う姿が少々奇妙ではあったけれど(襲ってるように見えなくもない)、確かに走り方は馬っぽかったな。

ほとんど狼か山犬みたいな生活をしているスポットや人間の一家が全員しっかり腰ミノつけてるのも可笑しかった。

実写と見紛うばかり、しかし現実にはけっして存在しないCGで描かれた風景(いくつもの場所を合成してあるようで)は見どころの一つで、映画館のスクリーンの大画面でこそその美しさは堪能できるんじゃないでしょうか。それだけでも劇場に足を運ぶ価値はあると思う。






僕は3Dではなく2Dで観ましたが、充分に楽しめました。

自然の厳しさも理屈じゃなくて映像として目に焼き付けられる。恐ろしくて荘厳で圧倒的な自然のダイナミズム。

西部劇って赤土とか岩肌ばっかの風景というイメージが勝手にあったので、これだけ変化に富んださまざまな色合いの風景をバックに繰り広げられる少年たちの旅は、ストーリー自体が単純なだけにそこで描かれる「人の成長」というものをより際立たせる。風景の変化が主人公たちの心の中も同時に表現している。

アーロは兄のバックのように父ヘンリーの巨体や腕力は受け継いでいないが、ヘンリーは他の姉兄同様に彼を愛していて、ともに星を眺めたり蛍のような虫たちを尻尾を使って光らせる方法を教えてくれたりする。

 


それでも強くなければ生き残れない。だからヘンリーは蔵の中に貯めたトウモロコシを勝手に食べてしまう動物をワナで捕まえて殺すようにアーロに命じるが、彼はワナにかかった人間の少年を殺せず逃がしてしまう。

失望の色を隠せないヘンリーだったが、なんとかアーロに強くなってほしい一心で彼を連れ出して逃がした動物を追おうとする。

しかし、運悪く川が氾濫して上流から押し寄せた大量の鉄砲水によってヘンリーはアーロを逃がして水流に飲み込まれてしまう。

貴重な働き手であり一家の長だった父を失った家族は喪失感に打ちひしがれる暇もなく、冬を越すために作物を育てなければならない。

アーロは再び蔵の中に忍び込んでいた人間の子どもを追うが、またしても川の水流に流されてしまう。

アーロはしょっちゅう「あー!!」とか叫んでは水の中に落ちたり途中ちょっと単調じゃないかと思わなくもなかったんだけど、彼のあの叫び声もティラノサウルス一家との共同の戦いでしっかり役立っていたし、自分は弱虫で役立たずなんじゃないかと思っていた彼が自己犠牲の精神も身につけて身体は小さくても一回り大きくなって母親たちの許に帰ってくるラストには、やはりジ~ンときちゃいました。

余計な話がない分、アーロとスポットの言葉や種を越えた友情と絆もストレートに伝わってくる。

それを表現するのが、スポットの絶妙な表情の描写。

アーロの言葉を聞いてても理解してるのかどうかもわからないあの顔つきとか、微妙な目や鼻先の動かし方なんかも、ほんとに可愛くってしょうがないんだけど、スポット=犬なんだと思うと確かにすごくよくわかるというか。

ほんと、あれは犬の表情だよなぁ、って。

それを敢えて人間の少年でやってるとこがなんともユニーク。

 
ほぼ犬


でもアーロが地面に描いた輪っかの意味をちゃんと理解して小枝を使って自分の家族は死んでしまったことを表現したり、明らかに犬以上の知能があることを証明もするんだけど。

最初は「お前のせいでパパが死んだんだ」とスポットのことを目の敵にしていたのにしばらくするといつの間にか距離が縮まっているのも、そもそもアーロはスポットのことを自分と対等の存在じゃなくて責任能力のない“動物”だと思っているからで、なるほど、スポットは犬なんだと思えばアーロがいつまでも彼のことを恨み続けないのも頷ける。

途中で人間の家族を見かけてもスポットを彼らとひき会わせずにそのまま家に連れて帰ろうとするのも、彼のことを犬みたいな存在だと思ってるからなんだよね。

森の前で会ったスティラコサウルスに「けっして手放すな」と言われたから、というのもあるんだろうけど。

スポットはスポットで、彼なりにアーロのことを考えてデカい昆虫やネズミを捕まえてきたりするんだけど、草食恐竜のアーロはそれらを口にしない。

唯一、スポットがとってきた果実を食べて空腹を満たしたアーロは、次第にこの野生児と打ち解けていく。

このあたりをじっくり時間をかけて描いているので、この手のアニメ作品でよくあるような登場人物たちが出会っていきなり仲良くなってしまう不自然さがない。

それにしても恐竜よりも獰猛な人間の少年って面白いなw

ロードムーヴィーなのでアーロたちは常に移動していて、旅の途中で大蛇に襲われたり、自分の頭部にたくさんの動物を住まわせているガチャ目の変人っぽいスティラコサウルスに出会ったり、翼竜たちに追いかけられたり、二人にはさまざまな出来事や困難が待ち受けている。

 






二人揃って知らずに毒物を食べて幻覚を見るヤバめの映像もありw

友情や別れなど、人が成長の過程で経験するものがストレートに描かれているから春休みに家族連れで子どもさんと観るのにはもってこいの映画だと思うし大人が観ても楽しめますが、そのうえで敢えて感じたことを述べると、たとえば登場する恐竜たち、特に翼竜やラプトルなど、アーロたちを危機に陥れる敵のキャラがちょっとありきたりだったかなぁと。

雲からくちばしだけ出して旋廻してくるところとかヴィジュアル的にはかっこよかったけど、恐ろしげな恐竜がそのまんま狡猾で凶暴な悪役というのはヒネりがないし、勧善懲悪で終わらない『モンスターズ・ユニバーシティ』や悪役が一切登場しない『インサイド・ヘッド』を観たあとだとやっぱり従来通りの悪者を倒してめでたしめでたし、の延長線上に見えてしまって。

終盤のスポットに降りかかる絶体絶命の危機も、ちょっと「危機のための危機」に感じられてしまった。

さすがに川が何度も何度も氾濫し過ぎでしょ、とも思ったし。

もちろん、あそこはこれまで命を救われてきたアーロが勇気を振り絞って今度は自分以外の大切な者のために奮闘する、重要な場面ですが。

恐竜ってそもそも怖い存在なんだから、そのことをちゃんと描いているのはよかった。

アメリカではこの映画は昨年公開されているので、『ジュラシック・ワールド』との相乗効果も計算していたんだろうし。そこは巧いなと。

強面のティラノサウルスたちが実は気のいいカウボーイでアーロたちに生きていくための知恵(「怖さを感じなければ生き残れない」)を授けてくれるところなど工夫はしてあるんだけど、まぁTレックスはもともと人気者だし。

今の動物でいうなら、ライオンは「いい者」でハイエナとかジャッカルは「悪者」にされがち、みたいな感じかな。

翼竜やラプトルだって生活のために狩りをしてるんだから、そこはティラノサウルスと変わらないと思うんですけどね。

特に幼い子どもたちにはどのキャラが「いい者」で誰が「悪者」なのかハッキリしてた方が理解し易いというのもわかるんだけど、翼竜やラプトルたちの事情もちゃんと描いていたら、さらに物語に深みが増したんじゃないだろうか。

ピクサーアニメって、主人公たちが悪者を倒しておしまい、というだけでは終わらないところに作り手の成熟した視点があって、そここそが子どもたちだけでなく大人たちからも支持される理由の一つだと思うので。

でも、とにかく心が洗われるような映画でしたよ。雄大な景色の中を気の優しい恐竜と犬っころみたいな少年が駆け巡る姿は純粋に目に心地良かった。

なので皆さん、どうぞ劇場へ。

そして、これからピクサーは字幕版の方もぜひ上映してください。






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