スティーヴン・スピルバーグ監督、レイチェル・ゼグラー、アンセル・エルゴート、アリアナ・デボーズ、デヴィッド・アルヴァレス、マイク・ファイスト、リタ・モレノ、ジョシュ・アンドレス・リヴェラ、コリー・ストール、アイリス・メナス、パロマ・ガルシア・リー、ブライアン・ダーシー・ジェームズほか出演の『ウエスト・サイド・ストーリー』。2021年作品。
1950年代のニューヨーク、ウェストサイド・マンハッタン。ポーランド系の若者たちのギャング団「ジェッツ」とプエルトリコ系の「シャークス」が縄張りをめぐって対立していた。ジェッツのリーダーのリフ(マイク・ファイスト)は親友で元ジェッツのトニー(アンセル・エルゴート)にシャークスとの決闘での加勢を頼むが、1年の刑期を終えて今は真面目に働くトニーはつれない。それでもリフの誘いでダンスパーティを訪れたトニーは、シャークスのリーダー、ベルナルド(デヴィッド・アルヴァレス)の妹マリア(レイチェル・ゼグラー)と出会って互いに一目惚れする。妹との交際を認めないベルナルドをトニーはなんとか説き伏せようとするが…。
1961年公開の『ウエスト・サイド物語』の再映画化作品。
第94回アカデミー賞作品賞、助演女優賞(アリアナ・デボーズ)ノミネート。
以降は『ウエスト・サイド物語』と『ウエスト・サイド・ストーリー』のネタバレがありますので、これから鑑賞されるかたはご注意ください。
『ウエスト・サイド物語』は2年ほど前に「午前十時の映画祭」で上映されたのを観ていて、その時にはすでにスピルバーグがリメイクする、という情報はあったので、僕は感想の中で「リメイクする必要はないんじゃないか」というようなことを書いたんですが、それはオリジナル版がすでに名作なんだから新しく作り直さなくたって61年版を映画館で観てればいいじゃないか、と思ったからでした。
ただ、その後、『イン・ザ・ハイツ』を観て考えが変わったんですよね。
『ウエスト・サイド物語』ではプエルトリコ系という設定にもかかわらず、“シャークス”側の主要キャストのほとんどはプエルトリコ系ではなく、ベルナルド役のジョージ・チャキリスはギリシャ系だったしマリア役のナタリー・ウッドはロシア系だった(それぞれ顔を濃いめの色に塗っていた。プエルトリコ系であるリタ・モレノも本人の実際の肌の色は映画の中の彼女よりも薄い)。
『イン・ザ・ハイツ』ではラテンアメリカをルーツに持つ役柄はそれぞれが実際にその国の出身者やそこの人たちの血を引く俳優が演じている。スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』でもベルナルドやマリア、アニータなど、シャークス側の出演者たちはラティンクスで占められている(ただし、後述するように厳密には全員がプエルトリコ系ではない)。女性たちがオリジナル版に比べてより自己主張する存在として描かれてもいる。
人々の意識は変わっていくのだし、今だからできる表現というものもある。時代とともに古びていく価値観や表現は「映画」でも更新していくことができる。名作でも新しく生まれ変わる余地があるんだ、と。
だから、オリジナル版から何が受け継がれて何が変わったのか、見届けたいと思った。
この映画の前に観た『チック、チック…ブーン!』(監督は『イン・ザ・ハイツ』の原作・作曲などを手がけたリン=マニュエル・ミランダ)には『ウエスト・サイド物語』の劇中歌の作詞をしたスティーヴン・ソンドハイムが登場していたし、中南米系の人々を描いた『イン・ザ・ハイツ』自体が現代の「ウエスト・サイド物語」といえる作品なので、これらの作品たちが互いに有機的に結びついているように感じられて、1本のミュージカル映画を観る以上の興味深さがあった。
もちろん、『イン・ザ・ハイツ』や『チック、チック…ブーン!』を観ていなくてもこの『ウエスト・サイド・ストーリー』は充分楽しめますが、61年のオリジナル版『ウエスト・サイド物語』をまだ観たことがないかたは、できればこの映画を観る前か観たあとにご覧になることをお勧めします。
60年という年月とその重み。そこには恋人たちの愛という時代を越える“希望”もあれば、肌の色の違いだったり言葉や文化の違いからくる差別といさかい、弱者同士の憎しみ合いという不毛で根深い問題がいまだに払拭されない“絶望”もある。
1950年代を舞台にした物語は、まだ過去のものになっていない。
『ウエスト・サイド物語』のアニータ役でプエルトリコ系として、またヒスパニック系として初めてアカデミー賞助演女優賞を受賞したリタ・モレノが、今回『ウエスト・サイド・ストーリー』では新たに作られた“ヴァレンティナ”という役で出演しています。彼女はエグゼクティヴ・プロデューサーも兼任。
『ウエスト・サイド物語』でアニータを演じるリタ・モレノ。マリア役はナタリー・ウッド
『ウエスト・サイド物語』で「ドクのドラッグストア」でトニーの雇い主だったドクが『ウエスト・サイド・ストーリー』ではすでに亡くなっている設定で、ヴァレンティナは白人のドクと結婚したプエルトリコ系の女性。未亡人のヴァレンティナはポーランド系の白人のジェッツの若者たちを彼らが幼い頃から見守ってきた人で、今は亡き夫の店を切り盛りしながらトニーの面倒を見ている。
『ウエスト・サイド物語』でトニーとマリアによって唄われた「Somewhere」は、今回はヴァレンティナによって唄われる。互いに受け入れ合って手を取り合える世の中がくることを願って。
いろんな評価があるでしょうが、僕は『ウエスト・サイド物語』と『ウエスト・サイド・ストーリー』のどちらが勝っていてどちらが劣っている、といったような比較はあまり意味がないと思っていて、どちらも見応えがあって素晴らしいと思うし、先ほども述べたように両作品を続けて観ると本当にいろんな想いが去来する。オリジナル版があったからこそリメイク版が存在できているのだし、そこに「今」だから可能になった要素が加わることでいろいろと強化される。でも、その成果はオリジナル版を観てこそわかるものだ。この60年間で獲得されてきたものを意識させてくれる。
『ウエスト・サイド物語』(もとは舞台版だが)がこれまでなかったタイプのミュージカルを形にしたことで、その後のミュージカルのあり方が変わったのだし、ジョナサン・ラーソンの「レント」やリン=マニュエル・ミランダの「イン・ザ・ハイツ」も生まれた。そして、ラーソンやミランダの作品がさらにこれからのミュージカルを進化させていく。
ミュージカルに詳しくもないくせに知ったかぶったようなこと書いてますが^_^; こんな僕なんかでもそういうミュージカル映画の流れに感動できるということです。
もっとも、オリジナル版同様にリメイク版の『ウエスト・サイド・ストーリー』にも批判はあって、以前に比べてプエルトリコ系の俳優が大勢起用されるようになったとはいえ、今回のベルナルド役のデヴィッド・アルヴァレスはキューバ系だし、マリア役のレイチェル・ゼグラーはコロンビア系。同じスペイン語圏だし文化的に似ている部分はあるものの、それぞれ異なる歴史と文化を持ったれっきとした別の国で、「ラテン系」でひとくくりにしちゃってることでは「ルーツ」について徹底しているとは言いがたい。
また、ジェッツの男たちにくっついて「俺は男だ」とまるで「うる星やつら」の竜之介みたいなことを言っている、おそらくトランスジェンダー男性である“エニバディズ”役をノンバイナリー(自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みを当てはめようとしないセクシュアリティ)の俳優、アイリス・メナスが演じているんだけど、ノンバイナリーとトランスジェンダーは異なるので、このあたりもLGBTQ+をごっちゃにしている雑さがある。
「ウエスト・サイド物語」って「男らしさ」にこだわる若者たちを描いたものだから、その「男らしさ」という価値観そのものに疑問を投げかけるためにあえて意図的にノンバイナリーの俳優を使った、というふうにもとれなくはないですが。
トニーとマリアのふたりは互いに一目惚れで、それが「永遠の愛」のように描かれること自体があまりにも古臭過ぎやしないか、という意見もあるけど、そもそもが「ロミオとジュリエット」をもとにしているのだから男女の恋愛描写が古臭いのはしょうがないっちゃしょうがなくもある。一目惚れは時代にかかわらず、いつでもどこででもあるでしょうし。
肌の色も出自も関係なく惹かれ合うトニーとマリアというのは、彼らがそれぞれ属するポーランド系とプエルトリコ系の二つのコミュニティを象徴したキャラクターで、そのふたりが争いに巻き込まれることで引き裂かれる、というのは古典的な悲劇の形をとった普遍的な教訓でもあるのだから、単純に「古臭い」と切り捨ててしまうのはもったいない気はする。
ポーランド系とプエルトリコ系を別の人種に置き換えることだって可能だと思うし、ここでの少年たちの抗争には、アメリカで、そしてそれ以外の国でも今もなくならない数々の紛争を重ねることができる。
リタ・モレノが唄う「Somewhere(どこかへ)」は、そんな憎しみ合う世界にむけた祈りの歌に聴こえる。「どこか」は自分たちで作り上げていくしかない。
だから、この映画が「今」作られたことには大きな意味があると思うのです。
『イン・ザ・ハイツ』はマイノリティ同士の争いとは別の表現で恋の悩みや格差、差別などの問題を採り上げていて、先ほど述べたようにまさしく「現代のウエスト・サイド物語」だったけれど、その本家本元の『ウエスト・サイド物語』のストーリーをかなり忠実に踏襲したこのリメイク版で引き続き描かれたギャングたちの争いも、けっして「今」とは無関係ではない。
差別も争いもなくなってはいないのだから。
ベルナルド役のデヴィッド・アルヴァレスは、優男風だったジョージ・チャキリスと比べると獰猛そうな顔つきで(ちょっとラッセル・クロウ似)いかにも家父長風を吹かせて妹に指図する男っぽいんだけど、踊りだすと一気にその魅力が爆発する。
ボクサーという設定なのに殴り合いでトニーにあっさり負けちゃうのは納得いかなかったが。
アニータ役のアリアナ・デボーズの見事なダンスもそうだけど、やっぱりミュージカルにはダンスが付きものだよなぁ、って思います。ダンスが感情を表現する。身体の動きの説得力は言葉を軽々と超える。
ダンスしている最高に輝いている時のアニータと、ベルナルドが殺されたあとの憔悴しきった彼女の落差が凄い。さすが、オスカーにノミネートされただけのことはある演技でした。
アニータがジェッツの男たちに寄ってたかってレイプされそうになる場面は観ていて不快でつらいけれど、そこでは新旧ふたりのアニータ役の女優たちの共演が実現している。なんだかグッとくるものがあった。
かつてはジェッツの男たちにレイプされそうになるアニータを演じたリタ・モレノが発する「恥を知りなさい」という言葉は本当に重い。
マリア役のレイチェル・ゼグラーは実写版『白雪姫』の主演も決まっていて期待の新星ですが、正直なところ、マリアは「等身大の女性」と感じられるほど人物が描き込まれているわけじゃなくて、わりと型通りのヒロインなので、ただ美しいだけというんじゃなくてちょっとユーモラスなところもあるのがよかったですね。
これは『ウエスト・サイド物語』の時から疑問ではあったんですが、兄を殺した男をそれでも憎みきれなくて一緒に逃亡しようとする彼女の心情が理解できなくて、一目惚れした相手をそこまで求めるというのにどうも共感しづらいんですよね。
いや、そういう突っ走る恋もあるんだ、と言われるとどうしようもないんだけど。
兄ベルナルドが象徴する、女性のことをとことん束縛して意のままに操ろうとするような世界から逃れたい、という願望が彼女にあのような行動をとらせたのかもしれないが。
トニーにマリアの方からキスするのは、本当は彼女は自らの意志で行動したい女性であることを示していたんでしょうか。トニーと一緒にいたマリアを咎めるベルナルドに「ただ一瞬ダンスしただけ」と答えているし。誰を愛するかは自分が決める。当たり前なんだけど、それが抑えつけられてしまうことがある。
一見「古臭い」と思えるような物語の中から、「今」に通じるさまざまな要素を見出せる。
ベルナルドとリフが死んだあとにマリアが仕事しながら唄う場面があるんだけど、二人の死のことがあるので楽しげな歌が全然頭に入ってこない。ここは決闘の場面と順序が逆でも不自然ではないんじゃないかと思ったんだけど、そこはあえて彼らの死のあとに持ってきたんだろうか。
トニー役のアンセル・エルゴートは彼が主演した『ベイビー・ドライバー』もちょっとミュージカルっぽいところもあったので、その彼がこういう作品で思いっきりミュージカルをやるのは面白いと思ったし、レイチェル・ゼグラー同様になかなか歌も上手だったけど、長身でリフから喧嘩で頼られる男のわりにはトッポく見えてるところはある。
まぁ、それは『ウエスト・サイド物語』のトニー役のリチャード・ベイマーもそうだったんだけど。
トニーは「ロミオとジュリエット」のロミオの役回りだから、トッポいのはしかたないのかも。
しかし、これは指摘している人が結構いるように、アンセル・エルゴートは私生活で性暴力を働いたとして女性から告発されているので、ずっとモヤモヤが残る結果に。
無実ならば潔白をちゃんと証明してほしいし、そうでないなら償いをして相応の報いを受けなければならない。リタ・モレノから「恥を知りなさい」と言われるべきなのがトニーを演じた俳優だったとしたら、こんな裏切りはない。「純愛」とは程遠いよな。
そういえば、レイチェル・ゼグラーは実生活ではチノ役のジョシュ・アンドレス・リヴェラとお付き合いしているのだそうで。チノは劇中でトニーを撃ち殺す青年。マリアの「中の人」は男性を見る目があったってことですな。
僕は今やスピルバーグ作品ではおなじみの撮影監督ヤヌス・カミンスキーのザラついた映像処理はあまり好きじゃないので、冒頭の色褪せた映像を見て「またか」と思ったんだけど、鮮やかな色がたくさん出てくるダンスの場面ではとても美しい画面だったから(それに実は映画の内容だって明るく唄って踊って楽しいだけのものではないし)、なかなか効果的だったかな。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の50年代みたいな映像でも観てみたかったけど。
スピルバーグは子どもの頃から61年版『ウエスト・サイド物語』のサントラを愛聴していたそうで、このリメイク版は彼の父に捧げられている。映画や音楽にまつわるお父さんとの忘れがたい想い出があるんでしょうね。
この『ウエスト・サイド・ストーリー』は、『リンカーン』や『ブリッジ・オブ・スパイ』、『ペンタゴン・ペーパーズ』など、ここ何年かの間スピルバーグが撮り続けてきた「アメリカ」についての映画の1本で、そこでは世界中から来た人々が住む“アメリカ”が「世界」を象徴してもいる。
ここで描かれていることは世界のさまざまな場所で起こっていることでもある。
スピルバーグの作品で、それからミュージカル映画で、また好きな1本が生まれました♪
やはりスピルバーグは素晴らしい! リメイク版『ウエスト・サイド』の絶妙さ
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2022/02/post-98040.php
※第94回アカデミー賞助演女優賞(アリアナ・デボーズ)受賞。
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