しゃちょを のブログ -5ページ目

絶望を味わったことがあるか?

何だかうまくいかないことが重なって、気持ちが落ちているときの秘策。

教えちゃおうか。もったいないなぁ。笑(ここは聞き流していいよ)

教えちゃおうか。どうせ聞き流す人も多いだろうから教えちゃおうか。



それはね。物理的にね。新しい気持ちになれるようなことをすればいいのさ!



具体的には、お風呂でね、いつもの3倍身体をゴシゴシ洗うんだよ。

いつもの3倍洗顔もゴシゴシするんだよ。それでオッケー。

こんな簡単なことで気持ちが上向きになるんだよー。




それでもダメなときはどうすれば良いかって???


そのときはね、髪を切ろう

それで絶対大丈夫。




さて,本題に入ろう。

あなたは絶望の淵にいるのか。そうか。




でもね,絶望だと言える段階では、まだ絶望ではない。



時間を先に送ってみて、一年後は必ず乗り越えているわけだから、そう考えると絶望は希望にかわるよ




そもそも、絶望なんてものは存在しないよ。自分が勝手に悲劇の主役を気取ってるだけなんだからよ。大丈夫さ。




友達と仲違いしても、必ず新しい友達ができるし、

恋人と大失恋しても、絶対新しい恋をするときが来るし、

仕事などで大きな失敗をしても、大成功することだってそれ以上にあるし。




絶望を楽しもうではないか。

これから視聴率が上がるドラマだよ。

自分自身が主人公のドラマ。


何も起こらない平凡な人生はドラマにならない。視聴率最低。つまらんよ。

だからどん底にいるなら,客観的に自分の視聴者になってみろよ。応援してみろよ。

がんばれ。

新たな挑戦!




今月,新しい校舎が完成し,おかげさまで絶好のスタートを切ることが出来ました!

保護者様や生徒の皆さんの口コミのおかげか,毎日のように新しい問い合わせがあります。(*^_^*)

校舎はすでに生徒であふれ,地域の方からは「とても良い塾だと聞いたんだけど・・・」「ふじみ野にもできたら入れようと思っていた」など,うれしいお言葉を頂きました。

生徒たちも授業がない日まで遊びに来たり,学校帰りによる生徒がいたり,すでにエイメイらしさが出ていると思います。



数ヶ月前には,何もなかった場所が,今は子どもたちの笑顔があふれています!最高の幸せですね。

まだまだ頑張ります!応援よろしくお願い致します!

受験を終えた生徒へ


結果発表

入試の合格発表。ここで一旦,合格不合格という結果が出る。


『合格した人へ』
おめでとう!本当によかった。
今までよくがんばったな。きみが勝ち取った合格だ。
でも,君の合格は君一人のおかげではないのは分かっているはず。
仲間がいたからあの夏期講習,冬期講習,大量の宿題も難なくこなせた。感謝の気持ちを忘れずに。


見事桜咲き,人生最大の笑顔で報告に来てくれる生徒がいる一方,悔し涙を流す生徒がいる。



先生たちは,強がりひきつった表情で不合格を報告に来る生徒たちを見ると,不思議な感情になる。

不謹慎かもしれないが,ここからはい上がった姿が見たいのだ。



不合格を「最終結果の負け」のようなレッテルを貼られると勘違いしてくれるな。

そんなの君たちの長い長い人生のたったひとつの「点」でしかない。

どこに進むかが大事なのではない。進んだ道でどうするかが大事なのだ。


不合格という結果,それは君たちの今までの努力を否定するものではない。

悔しいという気持ちは一生懸命頑張ったから生じる感情だ。それが宝だ。


悔しいという感情は,さらに上を目指す者にしか芽生えない感情だ。それを宝に,次のステップへと突き進め。

今回が最終結果ではない。三年後、今回負けてしまった奴らに、大学受験で勝てばいいだけだろ?


常に、前向きに!

合格した生徒はもちろん,不合格だった生徒も未来は明るい。

立ち止まるな。振り返るな。前だけを見つめて突っ走れ!

人生の景気・不景気

「次にやることを確保し続けることで、人生の景気を保つことができる」茂木健一郎


気分が「不景気」になると、何もやりたくなくなる。

いかに生きるべきか、何をなすべきか、そもそも何ができるのかとうだうだ考えて、それ以上前に進まなくなってしまう。

時には心の「大不況」や「バブル崩壊」も何度か経験した。




私も、あれこれ考えて「心の景気」を保とうと試みた。そんなことをしているうちに、次第に、それほど落ち込まなくなってきた。ずっと、「心の好景気」を保てるようになってきたのである。



「心の好景気」を保つコツは、いくつかある。



まず、落ち込んだときに、「この気分はずっと続くわけではない」と知ること、言い聞かせることである。実際そうなのだから。



人間はすぐに絶望しがちだが、気分はころころ変わる。心の氷河期は、簡単には来ない。




行き詰まったら、即座に気分転換をすること。



人生には、どうせやらなくてはならないことがある。それを、句読点のように入れる。



トイレをしたり、コンビニに行ったり、シャワーを浴びるといったことでも良い。



さっと切り替えて実行することで、それ以上落ち込むことが避けられる。



最悪なのは、どんどん落ち込んで、際限なくいろいろなことを考えて、何もしなくなってしまうこと。



ふしぎなことに、落ちていく喜びというようなものがあって、うだうだ、ぐだぐだの中に人は存在論的感触を得たりしてしまうものだが、その「罠」にはまってしまってはいけない。




「次にやること」をいつも考えていること。




朝起きたときから、夜眠るときまで、「次にやること」を工夫し、連続させて実行させていくこと。



「次にやること」の明るい熱狂の中に、自らを置いて、できれば我を忘れること。



そのような心がけができるようになってからは、「心の景気」が安定し、「心の好景気」が続くようになった。

こういうことを学校で教えるべき。教えると言うよりは,教師が生き様を語るんだよ。それが今の日本の教育現場には欠けている。

親も自分の生き様を堂々と語れない。

それじゃ,子どもがイキイキとしない。

未来がイキイキしない。

若き商人へのブログ

「若き商人へのブログ」ベンジャミン・川上フランクリン・大樹

(1)若き商人、あなたが会社のお金を無駄遣いするような人であれば、それが無意識にせよ。大切な顧客への裏切りになっているということを自覚しなさい。

(2)例えば、品質の変わらない商品を仕入れるときに、長い付き合いがある業者だという理由で割高に仕入れているとしたら、それは顧客の望むことではない。

(3)お客様を大切に、感謝しなさい、などと言っているくせに、節約できるのに高いお金払って、いらないサービスを惰性で続けている経営者が多い。

(4)経営者の権限?違う。そのお金は大切な会社のもの。経営者はその怠慢があれば経営者として会社から任命されなくなる。会社のお金は顧客のもの。

(5)もちろん。あなたの給料としたお金なら、自由に遣うべきだ。車買ってもキャバクラいっても、パチンコやっても、自由だ。

(6)品質の変わらない商品を経営者の個人的な理由(付き合いなどの惰性)で割高で購入するなら、その差額を自らの給料から天引きしなさい。

(7)それを真摯的な行動というのだと思う。付き合いの長い業者を切るのは紳士的ではないかもしれないが真摯的である。経営とは、ドライに合理的にすべきところもたくさんあるもの。

(7.5)見直せるものも見直さず、顧客へ高い費用を負担させるのは、裏切りそのものではないだろうか。(もちろん顧客がそれを望んでいるならいいが)

(8)それができないのなら、株式会社ではいけない。個人商店でいるべきだ。と、トイレの鍵を自分で直しながら思った。

(9)自分の家なら、すぐに業者を呼ぶかもしれない。自分のお金なら。でも、会社のものは、自分の物ではないから、とてもシビアになる。

(最後)多くの飲食店で有線放送USENが流れている。これは、月に5千円?一万円?会社が支払っているなら、紳士的とは言えない。スマホ
でUSENを500円で聴きながら思った。(が、しかし、著作権の問題とか調べるべきだが)


重い責任を負うリーダーへ 吉田松陰

重い責任

「リーダーもみんなと一緒に手を汚してほしい」

「リーダーも現場に細かく指示を出してほしい」

そんな声を耳にすることがあります。

部下たちが汗水を流しているときにリーダーが動かずに,考え事をしていれば,そんな愚痴を吐きたくなる気持ちもわかります。

ですが,リーダーは作業を行うべきじゃありません。

未来を変えるという大きな責任があるからです。

リーダーがやるべきことは,人一倍,周囲に目を配ったり,皆が気持ちよく動けるような規則を考えたり,お互いがお互いを助け合えるような,雰囲気をつくることです。


そしてチームの調子が上向きのときも,悪いときも,とにかく自分の都合は後回しにして,皆のために尽くすことです。


それだけできているのであれば,もうリーダーの役割としては十分じゃないでしょうか。

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 (Sanctuary books)/サンクチュアリ出版
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たまにはお勉強のことを


英語をしっかりと習得すべし

話す言葉の問題は,単に英語ができないと話にならない程度ではなく,「英語」という言語を習得していく段階で,議論する力の基礎となる論理の構成を自然に体得する面もあるのではなかと考えた。


日本語は以心伝心や,主語を言わずとも伝わったり,あいまいな表現があったりする。
(驚くことに東北地方の寒さの厳しい地方では,なんと「あ」「おう」などで伝わることが多いと現地の人に聞いて衝撃を受けたことがある。理由は,寒いから口をなるべく開きたくないからだそうだ。

一方英語などの言語は,しっかりと主語や時制も明確にし,その文法からも(専門家ではないが・・・)自然に論理が組み込まれていると思う。

人は,何かを考えるときに,頭の中では必ず言語(かそれに近いもの)で固めていく。
ということは,英語を学ぶ意味というのは,ただのコミュニケーションのツールではなく,思考に大きな影響を与えると思う。

そんなことを考えました。

鏡で確認する

人は自分の身なりに乱れがないか、鏡を見ないと気付かない。

同様に、心の乱れについて、常に鏡をみるべきだ。

心の鏡とは身近な人や物に現れるからね、よーく観察しよう。


よく不平不満ばかりを言う友達が近くにいるとしたら、それはあなたを映した鏡だろうな。


本当に良い友人に恵まれている。と思う人は、あなた自身が誰かの良い友人でいられている証拠だよ。


無宗教ではあるが、神様って・・・

俺は無宗教だ。

ドバイに行ったとき、平気で聞かれた「宗教はなに?」って。神を信じていないと、「え?こいつ危ないな、神様信じてないの?こわ!何するかわかんねー人間かもな」ってなることもあるみたい。

日本は逆でしょ?「宗教?きも~い。」ってね。


俺は無宗教。だが、世界の八割以上の人は、何らかのの宗教的なものを信仰している。日本人が特殊。


「宗教きも~い」って言いながら、ほとんどの日本人は初詣行くし、クリスマス祝うし、仏壇あったりする。お寺で2回頭下げてパンパンって手を叩いている人みたときはため息が出た。

しかし、日本人は宗教へのイメージが悪いみたいだ。
ま、某オカルト教団が無差別に毒ガスまいたイメージがでかいんだろうな。あれは宗教団体ではない。オカルト教団だよ。


どんな宗教を信じていても構わないけど、盲信するあまり、自分の考えのない信者はダメだと思うよ。

自由だとは思う。でも、宗教対立での殺し合いや戦争は間違っている。


俺、宗教開こうかな。神は信じるな教団。笑 どこに幸せを求めるかは、毎日一生懸命生きること。感謝をすること。人の喜びを自分の喜びとすること。自らの成長がそれを助ける。 おー!宗教できたじゃん!笑

俺は無宗教だけど、毎日神棚に感謝と決意をするようになってから、意識的に生きている。毎月一日と十五日にはすべて整える仕組みも素晴らしいと思う。

毎日を意識的に過ごすと決意しても、なかなか難しい。だからこそ、神棚や仏壇、十字架にお祈りするというルールにして、毎日感謝や決意ができる。世の中よくできてるよね。ルーティンにすることで大きな結果が生まれる。

日本の文化だからね。あるとき、神棚にどんな意味があるのだろう?と調べたら、すげー!意味あることだ!って、論理的な俺にシックリ来たから始めたのだよ。我が家の和室にも神棚をまつってある。

でもね、神様に願いをかけるのは違うと思う。感謝と決意だよ。

神社の社殿に大きな鏡があったり、神棚にも鏡を置いたりする。これには「自分を見つめろ」という意味があるのだと思う。自らの中に神とか宇宙とか自然とか、偉大なものがあるんだよ。


俺は無宗教です。笑 何度も言いますが、神という呼び方でも宇宙でもキリストでもアラーでも、みんな同じことなんだよ。

結局は自分の中にあるんですよ。

ほっこりしている場合じゃない

保護者と子どもが話をしていると

「あ~,○○先生ね,懐かしい。お母さんも教わってたのよ!変わってないわね~」

って,たまにある会話なんだけど,思い出してほっこりしている場合じゃないっつーの!


もう最低な状況なんだよね。


20年以上前と変わらない先生ってどうなの?社会はこんなにも急速に変化しているのに?


いいのですか?本当に,こんな状況で。


教科教育も,人間的な教育も,社会が変わればそれに対応できる教育をしていかなければ意味がないわけでしょ。


なんでみんなおかしいって思わないの?
思っているのかな。だとしたら何で妥協するんだろう。


変えないとダメだよ。