~ 或る阿呆の話 ~ turbo Ver1.03 -4ページ目

~ 或る阿呆の涙 ~

昔から顔に似合わず涙もろい性質だが、ここ最近はその傾向がますます強くなった。
何かにつけてすぐに泣いてしまう。
みっともないったらありゃしない。ナンなんだこの涙腺のゆるさは。

高校球児の潔いスポーツマンシップに胸が熱くなり、

ある時は、甥っ子を抱きあげ、その乳臭い匂いを嗅いではほろりとする。
昨夜なんか、余り知らない歌手の歌をおふざけで口ずさんだだけなのに、

いつの間にか涙で口の動きが鈍っていたし。。

 おまけに、最近は胃腸が甚だ弱っているので、朝の歯磨きの度に胃液がこみ上げ、その苦しさでまたしても涙しているわけで、そう考えるとかなり高い頻度で僕はいつも泣いていることになる。


こんだけ頻繁に泣いているとちょっぴり阿呆らしい気分にもなる。
おいおい、一体自分は涙によって何を主張しようとしているのか?、と。

けれど、実際、気分は実に晴れ晴れとしている。
さながら魂を頻繁に洗浄している感じだ。

悪くはない、そう一人ニヤリとする。

 東北の夏はもう終わったとばかり思っていたのに、一転今日のこの残暑(!?)、
サンダルを引っかけて、隣町の花火でも観に行こうか。
そしてまた完全にはきちがえた男泣きで涙を流そう、っと。
昨夜、父の飲み会に迎えに行くはずが、携帯握りしめいつの間にか眠ってしまっていた、

もうすぐ三十路男は今日も堂々巡り。。

嗚呼、あつっ。


歯医者で飯を三杯食う。

25歳を過ぎたあたりからちょっとばかり早すぎるとは思うのだが、体中のあちこちにガタがきはじめている。
元来”質実剛健”の気風を尊ぶ(嘘だけど)心を常に持ち、それゆえ肉体は健康そのものだっただけに、ちょっとしたショックでもある。
けれど、反対に自分がオヤジのプロトタイプと化していく(所謂、何かにつけた病気自慢!)ことが可笑しくもある。
病気ネタでまず一杯。


そんなわけで、病み上がりの木曜日、中学生の時以来となる歯医者へと行ってきた。
体調の異常を錯覚だと思い込む節のある僕も、歯磨きの度に決まって見る、己の汚らしい血液にはさすがにもううんざりしていた。

一人待合室で、この時ばかりにと週刊誌を手に取ると、以前制作会社勤務時代に何度か一緒に仕事をしたことのある殿方が、なんと目線入りで女子アナとフライデイされているではないかっ!
歌手になると言った知人の歌を場末のブックオフの有線放送で聞いた時以来の軽い衝撃が走った。
と、ここで2杯目。


 歯医者での身の振りようが分からなくて、あからさまに動揺している僕を担当してくれたのは、僕と同年代の花王の石鹸の匂いのする女医さんだった。
彼女の前で僕は阿呆のように口を開けたまま、正しい歯の磨き方を教わった。会社帰りに。
歯科医院ではこれが普通のことなのかもしれないが、彼女が幼児に接するかのような言葉遣いでもって、手取り足取り歯の磨き方を教えてくれるので、途中で冷静になった僕は、
「これは何のプレイなんだろう?」と思い、危うく噴出してしまいそうになった。
結局、噴出しはしなかったものの、終始表情筋が緩んでしまい、マイナスの印象を与えてしまったことは否めない(別にいいけど。)。


 世は久しく癒しのブーム。
足つぼマッサージに整体・アカスリ、エステと様々なことがリラクゼーションに用いられているのだから、人に歯磨きをしてもらうというサービスがあってもいいのではないかと半分本気で考えた。

(それから耳掃除もついでに思ったけど)。
そう、これが三杯目。


帰り際に女医さんが一言。
「ご飯は30分は控えて下さいね♪」と。
8時をとうに過ぎているというのに。

嗚呼、なんというオチ・・・。
みなさま おやすみなさい・・・。

・・微熱談義・・

引き続き体調は悪いが、人生は余りにも短いから、無理をしてまだ起きている。
かと言って、何をするわけでもないが。
安めぐみの透明感の恩恵で、若干体調が回復したような錯覚を覚える。

日本各地・世界各地に遍く点在する旧友達の何人かに思い立って連絡をとる。
うちの家族の50%は無職なんですよ、実はスーツを三着しか持ってないんですよとまたしてもどうでもよいことばかりが口を突いて出る。

” 無駄 ”の意義についてふと考えてみる。
酷な言い方かもしれないが、うちの老犬もゼンマイ仕掛けのような祖父も無駄と言えば無駄である。
何一つとして生産的な営みをせず、日がな一日飲み食いし、不満ばかりを並べ、糞便を撒き散らしている。誰一人として何の得もしない。不快の念だけが日に日に募る。
けれど、これはこれでしようがないことのようにも思う。

彼らはもう疲れきっているのだ。

意味を求める、そういう若々しい魂ととうの昔に決別してしまったのだ。

そういう彼らに無駄だの何だのという、彼らにはもはや何の関係もなくなってしまった異世界の論理を強制的に押し付けるのは、どこぞの国の正義とやらと少しも変わりはしない。

迷惑千万、余計なお世話もいいところだ。

人畜無害な静かな住民に暖かい眼差しを向けたいとは思うけれど、そこまで僕は立派ではないので、今日も暴言の一言二言浴びせかけ、家の急な階段をスタスタのぼる。

ドロップ アップ ↑

1度人生の盤上から降りて再度僕はここに戻ってきた。
その思いをこの”ドロップ アップ”という造語に込めてみた。
ずっと弱者だったからこそ、人の痛みもわかると思っていた。
ぐるりと一周したからこそ、平穏な日々の真の意義がわかるはずだと思っていた。
けれど、そんなことは少しもなかった。
平穏な日々の皮を一枚剥ぐと、そこには複雑怪奇な異形の百鬼どもが跳梁跋扈しているのだった。

僕は病んでなどいないが、そんなことは何も意味しなかった。魂はここでも安らぐことはないというのか。


夏風邪を引き高熱で眩暈を覚えている。
盆になると先祖が必ず枕元に立つというのは僕の実体験であり口癖だ。
友達よ、君たちは今そこで何を思っているのか?


高熱から機知は生じない。

狂った人々

ごくごくありふれた生活を送ることが出来たならば、それに越した事はないし、それこそが至上の生活だと僕は思う。
退廃的な生活や刹那的な生活を経験し、僕が得たモノはと言えばただこれだけだとも思う。
けれど、穏やかな生活というものはそうそう長くは続かないという僕のこの現実。
あまりにも狂気が現代には溢れすぎている。僕の周りも決して例外ではない。
狂った人々のなんと多いこと。
彼らは一体何を求めているのだろう。何を得ることが出来なかったのだろう。
彼らの考えていることはまったく見当がつかない。
平凡な生活を脅かす狂気という脅威。

この脅威に屈せず再びブログを更新してみる。

ドン・ファン 願望

今ではすっかり若年寄りのような単調な生活が板についたが、
何を隠そう、以前は女猟家ドン・ファンに憧憬の念を抱いていた。
一度に何人もの女性をも愛せるそのバイタリティ。
生命の横溢。歓喜の日々。大挙して止まない快楽。

そんな安直なイメージを頭蓋に描きつつ、また、「ドン・ファンは誰も愛さなかった」という後世譚を心の片隅に配し、僕なりに善戦したことがある。
 が、結果は惨残たるもので、第一に体力と金が続かない。意志も途中でねじ折れた。
それに時間も限られていた。これは言い訳のほかの何ものでもないが。
 反対に、得られたものは、「ドン・ファンは誰をも愛していなかった」という再認識,
それと彼の驚嘆すべき集中力と器用さを改めて思い知らされた。

嗚呼、なんという自惚れだ。

僕は羞恥の念に駆られ、いてもたってもいられなくなり旅に出た。
自戒という大義名分の下の遁走というのが事実だが。

嘘のようなほんとの話。

続きはまた後日に。

合同コンパと倦怠

 何をどう間違ったのか、今週末合同コンパにこの僕が参加することになった。

昨年の秋以来だから随分と久しぶりではある。
けれど、率直に言えばだるい。だるすぎる。このだるさはけっして僕の肥満によるものではないだろう。

「太陽のせいだ」とアノ小説の主人公のように無駄に格好をつけてみる。

勘違いも甚だしいが。

 

 困ったことが一つ。

見知らぬ女性と共有する話題など全く持ち合わせてはいないということ。

会社の女子社員とさえまともな会話ができない僕である。

何時からこんな風になってしまったのかは自分でもよくわからないが。


そのうえさらに追い討ちをかけるように、バンガローに泊まり、みんなでワイワイ楽しくバーベキューをする予定なのだという。

誰彼の色恋劇の一幕をニヤケながら遠目でみていよう。
盛りの季節も遠に過ぎた、恐ろしくモチベーションの低い僕が、借りてきた猫よろしその場に居合わせていいものか、とは思う。OLの皆様にも大変失礼であろう。

けれど、行くだけ行ってはみよう。せっかく友人が誘ってくれたわけだし。

行けば行ったでなにかしらきっとあるだろうから。

かといって、淡い期待などは皆無だ。

ただビールが飲めたそれでいい。独りで飲むよりかは幾分うまいだろう。懐かしき ”ミギー”


ビール片手に『寄生獣』の話題でもしたら受けるのだろうか?

今もって皆目見当がつかない。


今日の文章のようなひどいことにならなければいいが。

六畳間の黄昏 /  カフカ気取りの水曜日

降り様雨が叩きつける中、意気揚々と一人定時に会社を出る。
小さな小さな軽自動車に揺られ、脳みそもおまけに揺られてその挙句、初めて連日でブログをアップしてみる。

愚にもつかないようなことを書こうとして、モニターを漫然と眺めていると、一丁前に表題のようなカフカ的な気分に支配される。
毎日黙々と退屈な役所勤めをこなしつつ、あの面白い文章が書けたカフカと僕とのこの果てしなく遠い距離よ。
雨上りの夕暮れに、虫に刺された足の甲を掻き毟りながら、あれこれと思いを巡らす。

けれど、どれもこれもしまいにはどうでもよく思える。

・吉田兼好もモンテスキューも引き篭もりだったという今更ながらの発見。
・「働かざるもの食うべからず」という労働第一主義を無効化しようと試みる労働者の僕。


 何も分かっちゃいない僕は今日も万年床に不貞寝する。
東北の夏は余りにも短いので。

戯れに・・・。

齢 三十路前にして、久方ぶりに世間様に顔向けできる真っ当な暮らしをしている昨今の僕だけれど、だからといって、心理的な変化などは露ほども無い。
もっとも、心理的な変化など無いのが当然ではある。
どんな暮らしをしようとも、またいかなる人々にとっても日々は常に戯れであることには違いがないのだから。
 このどうにもしようがない厳然たる事実は僕を唯々唯々沈黙させる。
いたずらにお喋りに興じようとする、或る種のつけあがった気持ちは忽ちにへし折られてしまう。
 
戯れはおちゃらけてはいるが、しばしば無表情で逆立ちし、僕を監視する。僕はビールを一口啜っては彼から目線をそらすばかりである。
 

 っと、八月にそぐわないなんとも陰鬱で生意気な思い込みを抱いてしまう僕は戯れついでに時々プールへと行く。単純に泳ぐのは気持ちがよい。時間をかけて長い距離を泳いでいる時のアノ水との一体感、魚というよりも水の流れそのものになってしまったようなアノ気持ち、そして運動のあとの煙草のまずさ・・・

。あの煙草のまずさは自分がまだ十代の頃、背伸びをしてタバコを吸った時のことを僕に思い出させる。

一瞬、気持ちだけが若返る。

そして今日も僕は駄文を書き散らす。眠気で更に小さくなった眼をしばたかせながら。。。

老いたる飼犬の悲哀。

 何が悲しいかって、僕の額が緩慢なスピードで拡大しているのも確かにそうなのだが、全てのモノが老い行き、そして終いには消えてどっかに逝ってしまう、というこのどうしようもない事実、この事に尽きる。そうは思いませんか?
 今更ながらの感はあるが、そのことを想う時のこのミットモない胸の内に広がる寂寥感。
独り六畳間で焼酎を啜りながら思わず涙がこぼれてきそうになる。
そして、その時の哀れな僕の背中よ!
どこぞのどなたかはわかりませんが、そんな” みっともない ”という形容詞を絵に描いたような僕を見かけましたら、どうか暖かい気持ちで完全に黙殺してくださいまし。(噴飯っ!)

で、遅い夕食の前に、最近失礼にも僕に欲情しやがる、うちの老犬と連れ立って、散歩に行ってきた。

世の常かもしれないが、貰われてきた赤ん坊だった頃は、頼んでいなくとも家族のみんなから始終愛でられ、もてはやされていたのだが、年老いて、毛並みも悪くなり、常に己の生殖器を愛撫してばかりいるこの無垢で阿呆な老犬は、今では散歩の催促の哀愁たっぷりの鳴き声を発しようとも、もう誰にも見向きもされない。これを哀れといわず何をかいわんや、である。
 もっとも、うちの家族の皆は老犬以上に老け込んで、祖父など出来損ないのゼンマイ仕掛けの玩具のようにしか歩けなくなってしまったのだから、しようがないところはあるのだが。(悲しさ2倍増)

 昨日雨がどしゃぶって、その時の雨の匂いとワン公の小便の臭いが入り混じったモノ、あれは悲しみ以外の何ものでもなかった。

僕はそのにおいを嗅ぎ決心した、「コイツと最後まで連れ添おう」と。

毎日散歩して、うまいご飯作ってあげるから、どうか僕に欲情するのだけはやめてくれよ、

これ以上悲しくなんかなりたくないんだ。