こだのクソ

こだのクソ

死後評価される

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日本が誇る人間不信

こだです。
 
もう年末ですね。
こうした何かの区切りを迎えると、それまでを振り返りたくなるのは
人間の悪い性であると感じつつ、僕もこう見えて人間とアレのハーフなので、
そういった物思いについ耽ってしまいます。
で、こう書くと多くの方は僕の1年を大体予想出来る事とは思いますが、
ご想像の通り、今年も何もありませんでしたね。
 
「何もなかった」の定義は難しい所ですが、僕の場合は今後の人生において、
人生の目標に結びつく出来事が何も起きなかった時にこの言葉を用います。
僕は幸せになりたいだけなんですけどね。
 
「何もしなければそりゃ何も起こらないでしょ」と
僕を知ったような口で語られない為に予め申し上げますが、
かつて僕も「何もなかった」を回避するため、行動を起こしたこともあったのです。
しかし行動にはメリットとデメリットが必ず存在していて、不思議な事に、
起こした行動のデメリットばかりが強調されて結果が返ってくる人生を送り続けた僕にとって、
いつの日か行動する事は、何かを失う事と同義となったのです。
 
そうして遂には部屋の隅で弱弱しいブログを書くことしかできない、生きる屍になった訳ですね。
そんなわけで、今回もよろしくお願いします。
 
 
さてさて、前回のブログは覚えていますでしょうか。
そもそも読んでいない方もいらっしゃると思いますので内容を説明しますと、
前回は僕のマスクに対する熱い思いを約2000字に渡って語らせていただきました。
要約すると「10年後も20年後もマスク付け続けるのは嫌だ!!!」とゴネる内容です。
 
で、そのブログを投稿してから数週間経ったわけですが、
そんな僕が先日目にしたのがとあるアンケートでした。
 
「コロナウイルスの新規感染者数が一ヵ月以上0人になったとして、マスクを外す?」
外す          29%
外さない        65%
周りを見て考える  6%
 
いやマジでふざけるんじゃねえぞカス共と
 
当然、このアンケートに参加した人は僕のブログなんて知らない訳ですが、
そんなことはどうでも良いのです。僕はこのブログを社会に対して発信しており、
それに対する社会の回答がこれであるならもう黙ってはいられません。
 
日本のありとあらゆるマスク工場を爆破して回っても良いのですが、
僕は平和主義者なので、とりあえず地元のを一つ爆破させて正気に戻りました。
 
それと同時に、マスクを日本人が外すように扇動を行うには、
お前らがバカすぎて普通に言っても伝わらねえから
もう少し違った角度から攻めるしかないなと考えたわけです。
 
現在の日本におけるマスクを強要される社会が今後10年20年と続けていった場合、
何が起こるだろうと自分なりに想像した結果、
海外から日本を取り扱ったドキュメンタリーが作られるんじゃないかなと思いました。
 
10年後の海外では、コロナは流石に収まっているでしょう。
恐らく終息から5年以上は経っていると思われます。
海の向こうでは早々にマスクを付けるという文化は忘れ去られ、
コロナという病気すらも、徐々に人々の記憶から薄れて消えていくでしょう。
 
 
「マスク大国JAPAN大特集」
取材班はすでにコロナが終息して数年以上経っているのに、
マスク、消毒、ソーシャルディスタンスを未だに叫び続ける国を見つけた。
 
その名はJAPAN(以下、日本)、ユーラシア大陸の東縁に位置しており、島国だ。
かつては地理的な不都合で発展が遅いとされたこともあったが、
果たして今回はどうだろうか?
 
取材班が日本に降り立つと、まず2週間の隔離が求められた。
コロナウイルス全盛期では多くの国が行っていた施策であったが、終息以後は数を減らしていき、
今ではもはや世界中で日本しか行っておらず、一周まわって名物とされている。
観光ガイドブックでも、暇つぶしとして隔離中に観光のルートを決めることが推奨されている。
 
そんな隔離の期間を終え、日本の街へと歩を進めた取材班が目にしたのは、
誰かに脅されているかのようにマスクを付けている日本国民の姿であった。
 
一方で、その眼は自らの行いに疑問を訴えることはなく、口を覆う薄っぺらな布1枚で、
本当にあらゆる外敵からの安全が保障されるのだと信じ切っている、純粋さを持っていた。
 
取材班はマスクを所持しておらず、
現地で調達する運びとなっていたため、まずはマスクの購入を行った。
5年前に日本で発足したマスク街へと向かうと、
そこには多種多様なマスクを取り扱った、マスク専門店が大量に立ち並んでいた。
 
種類はピンキリで、安いものは50枚セットで300円程のものから、
高いものは1枚10万円という一見法外な値段で売られているマスクも存在していた。
しかしこれには深い意味が……店員に聞いてみると、
「高いマスクを着けていると箔が付くということでお客様結構買われていきますね~~。」
 
我々が使用している時計でマウントを取り合うように、
日本では着用しているマスクでマウントを取り合う文化があるのだ。
日本のファッションを取り扱った雑誌ではマスクもコーディネートの一貫として、
最低でも1枚5000円のものを使用することがマナーとされている。
 
取材を行いながらマスク街を歩いていた取材班は、
自らに奇異の目が向けられていることに気が付いた。
 
「やだあの人たちマスク付けてないわよ…」
「ママーあの人たちなんでマスクつけてないの~?」「見ちゃいけません!」
「今時マスクも付けてないとか相当な世間知らずだな」「外人は遅れているからね、仕方ない」
 
こんな心無い声が向けられていたが、
こういったマスクの着用を絶対とした価値観がカメラに映る姿は滑稽で、
取材班はどこかいたたまれない気持ちになるのであった。
 
取材班は急いで1枚500円のマスクを人数分購入し、逃げるようにマスク街を後にした。
思えば、マスク街は日本でも屈指の意識高い系、通称マスカーの聖地とされており、
マスクに対して違う価値観を持つ我々が気軽に立ち入る場所ではなかったのかもしれない。
 
続いて取材班は住宅街の方へと向かった。
驚くことに、ここでも住民はみなマスクを付けて各々の生活を送っていた。
ここでとある市民にインタビューを行った。
 
どうして日本人はみなマスクを付けるのですか?
「どうしてなんでしょう、
気が付いたらマスクを付けてて当たり前、といった価値観が浸透していた気がします。
ごめんなさいちょっと消毒しますね。」
 
自宅にいるときもマスクを?
「それはもちろん、着けてないと不安になるんですよね、
ごめんなさいちょっと消毒しますね。」
 
そうなんですね、マスクを付けていない人をどう思いますか?
「最低限のマナー位守れよって思っちゃいます(笑)
ごめんなさいちょっと消毒しますね。」
 
そのマスクはどれくらいの値段で?
「1枚1万円です、周りと比べるとちょっと安物なんですけどね。
ごめんなさいちょっと消毒しますね。」
 
ありがとうございました。
「いえいえ、マスクについて調べているならここから北に車で3時間位進むと小屋があって、
そこに変な奴が住んでるから良いかもしれないですね。
ごめんなさいちょっと消毒しますね。」
 
その市民は親切で、普遍的な雰囲気を纏っていたが、
やはりマスクに対する価値観やその行動はどこか歪んでおり、
日本国民の価値観が既に独自の進化を遂げたことを裏付けるようであった。
 
取材班は、市民の言葉通りに北に進むことにした。
道中、マスクを付けていない人間は見当たらず、
町の広告もマスクを焦点を立てたものが多かった。
10年前に世界中で大流行したコロナウイルス、
その際の風習が形骸化し、生活と深く根付いてしまった日本、
彼らの向かう先はどこなのだろうか。
 
3時間程経った頃、目線の先に小屋が現れた。
外見はボロボロで、人が住んでいるようには見えないが、あれであってるのだろうか。
取材班は小屋の門を叩いた。
 
中から出てきたのは以外にも普通の男であった。
年は30を少し過ぎたあたりだろうか、しかし、何よりも取材班が驚いたことは、
その男(以下、K)がマスクを付けていなかったことである。
 
取材班の意図を伝えると、Kはつまらなさそうな顔をした後に取材に応じる事を認めた。
 
マスク、着けてないんですね。
「あれ息苦しんだよね。」
 
他の人からの目とかは大丈夫なんですか?
「大丈夫なわけないでしょ、だからここに住んでんの。」
 
そこまで嫌なら海外に移住とか考えなかったのですか?
「英語の基本5文系すら良く分かってないから無理だった。」
 
ご家族はいるんですか?
「結婚はしてないよ、出来ないでしょ。」
 
Kは息苦しさからマスクの着用を拒否し、英語が分からないために海外移住も出来ず、
今日までこの狭い小屋で生活を送っていたのである。
そんな彼は基本的にインターネット活動で生計を立てており、
必要なものも通販を使う事で人との関わりを極力避ける、
そんな生きる屍の様な生活をしていた。
 
こんな所に住んでて何か印象的な事って起こるんですか?
「今年も何もなかったね。幸せにはなれそうもないよ。」
 
何もしなければそりゃ何も起こらないのでは…?
「ハアア~~~????うるせえ!
知ったような口聞いてんじゃねえぞ!オイ!」
 
Kは突如激昂し、取材班に掴みかかろうとした。
彼の執念は凄まじく、その場を立ち去ろうとした取材班を4時間以上追い回した。
 
追いかけてくるKの姿も見えなくなり、
すっかり精魂疲れ果てた取材班は、撮影を切り上げ、帰国するのであった。
帰りの飛行機で考えることはKの事であった。
Kはマスクファーストと呼ばれる日本において、マスクを嫌悪し、孤独な生活を送っていたが、
だからと言って牧歌的な生き方をしていたとはとても言えなかった。
 
あの激昂具合を見るに、方向性は違えどKもまたマスクに思考を破壊されており、
他の市民同様に、歪んだ価値観を持って社会を生きる一成員に過ぎなかったのである。
もはや日本において、マスクに囚われない生き方をしている人間は居らず、
これらは切っても切れない関係となってしまったのかもしれない…。
 
次回は「ゲームは一日一時間!独立国香川特集」です、ぜひご覧ください……
 
 
な?
どうですか、10年後日本を題材にこんな特集が組まれたら嫌じゃないですか?
このままだとこうなる可能性も十分にあるって話です。
さあさあ、みなさんマスクは外しましょうね。
 
 
それはそうと、今年ももう終わりですね。
クリスマスを目標にもう一本ブログを書く予定ですが、
そういって書けた試しがないので多分これが今年最後になります。
 
今年の上半期はほとんどブログを書かず、
下半期も月一とは言えない更新頻度でしたが、お付き合いありがとうございました。
来年も細々とやったりやらなかったりすると思うので、今後もKをよろしくお願いします。
来年こそユーチューバーになりたいと思います。
 
お疲れ様でした、よいお年を。

「いえーい」

とでも言うと思ったか、こだです。
 
前回の終わり方的に、一週間後には続きが更新されるだろうと思った
読者諸兄姉も少なくはなかったでしょう、僕もそう思っていたのですが、
不思議な事に一か月以上経っていますね。
 
 
内定出てました。
先月就活のブログを更新して程なく内定通知が送られてきまして、
めでたく来年のビジョンが見えたといったところでしょうか。
就活に費やした時間も半月で済みましたしね。
 
いや、めでたくはないんですよ。
何度も言っていますが、この時期まで採用を行っており、
オマケに僕の様な得体の知れない男を採用する会社が真っ当なわけありません。
僕は就職浪人という最悪のパターンを回避したに過ぎず、
僕の真の就職活動はこれから始まると言っていいでしょう。
 
自分で言ってて嫌になってきましたね。
取り敢えず得体の知れない会社で働きながらより良い働き先を探していきたいと思います。
 
 
そして、めでたくない理由はもう一つあります。
というより、めでたいと思ってはいけない理由ですね。
めでたいと思って満足してしまうと成長を辞めてしまうからですね。
 
面白かった浪人生が大学に受かると急につまらなくなる現象、偶にあるじゃないですか。
アレが就活を終えた僕の身に起こる可能性があり、
「こだは無職だったころが一番面白かったよね~~~~」みたいなことを、
陰で言われると思うと喉元を切って死にたくなるので(参考:「こころ」より、K)、
野心を忘れず、社会に牙を向け続けたいと思う次第です。
 
恐らく僕の次の課題は転職と結婚になるわけですが、考えるだけで嫌になるので
これについてはまた今度、その時が来たら向き合いましょう。
 
そういえばTwitterで内定の報告をしたところ、本当に一件も祝いのコメントは来ませんでした。
これは前回のブログで言っていたので良いのですが、ご飯の誘いも同様に一件もなかったんですよ。
つまりはそういうことですね。誰も信じられない、僕は社会が憎い。
 
 
さて、前回のブログに一区切りつけたところで、秋もどこかに立ち消え、もうじき冬ですね。
正直コロナ禍で大学生をやっていると家に籠っている事がほとんどなので
季節云々を意識する事はあまりないのですが、
そんな感じで先週まで半袖でバイトしていたら、それはもうチョー面倒で有名な店長に、
「え?半袖で寒くないの?」と絡まれ、絶妙に不快な思いをしたので、
そんな風に話しかけられない為に、もう少し季節感を意識した方が良いと思ったのが最近の話です。
 
 
そうして季節を意識すると頭に浮かぶのが、コロナ禍が始まってから過ぎた年月です。
始めに確認されたのは2019年12月、当時はここまで大事になるとは考えもせず、
僕も朝起きて昼寝を繰り返していたら夜になっていた、そんな生活を送っていたと思います。
 
そんな生活に変化が訪れたのは2020年の3月に差し掛かったころでしょうか、
日本でも感染者が確認され始め、世界的にも大きな問題として取り上げられるようになりました。
大学なんかも対面で行うのではなく、Zoomを用いたオンラインでの講義を取り入れることを発表し、
これくらいの時期から多くの人の生活が一変した事と思います。
かく言う僕も、朝起きて昼寝を繰り返していたら夜になっていた、そんな生活を送るようになりました。
 
そして時は2021年11月、確認された時期からもう2年経とうとしているんですね。
先日緊急事態宣言が解除され、都内での感染者が10人を切る、そんな日も珍しくなくなってきました。
多くの国民がワクチンを接種したことが大きいのでしょう。
このまま行けば、いわゆる「コロナ禍」の終息も近いのかもしれません。
僕の生活も、元の朝起きて昼寝を繰り返していたら夜になっていた、そんな生活に戻りつつあります。
そんな今だからこそ、僕には提起しておきたいことがあるのです。
 
 
一体いつまで僕はマスクを付け続けなければいけないのでしょうか。
これは僕が将来偉業を達成し、歴史に残る偉人となった場合、制作されるであろう伝記に
絶対に書いておいて欲しい事なのですが、僕、マスク大嫌いなんですよね。
 
何故嫌いかとか、そういう理由は別にありません。
そもそも顔に何か被せるのが正気の沙汰ではないですよ。全くよく呼吸できますよね。
息苦しさから来る多大な不快感、あんなものを付けて生活するなんて拷問にも等しい事です。
 
コロナ禍で少しでも感染を抑える為に、効果があるんだかないんだかわからないマスクを、
エチケットとして1年半以上強要されてきた僕の気持ちがわかる方はいらっしゃるでしょうか。
是非名乗り出てください、僕と「アンチマスクの会」を立ち上げましょう(年会費2万)。
 
別にマスクという概念が存在しているのは許せるんですよ。
人の趣味嗜好を否定する権利は僕には当然無いですし、
マスクを付けるのが好きな人が存在している事は良く知っています。
 
ただそれを僕に強要することをもう勘弁してほしい、そう思っているだけなのです。
誰に強要された、そういう訳ではないですが(強いて言うならバイト先)、
マスクを付けずに街を歩くにはあまりに敷居の高い世の中になったことは間違いありません。
 
まあ今までは、コロナが流行っている、そんな理由が存在していましたから、
ギリ納得出来るのですが、そろそろいいんじゃないですか?
もちろん付けたい人は付け続ければ良いと思います。
 
10年後も20年後も、毎日どんな時もマスクを付けた生活、日中も寝る時もマスク、
飯はマスクをちょっとだけ開けて食し、風呂に入る時もマスク、
歯科医にはマスク越しの検診を希望して断られ、あまりの拘り故に
葬式の際にはマスクを付けていない写真がなく、仕方がないから
マスク姿が遺影になり、マスクを付けたまま火葬される。
 
別にその生き方を否定するつもりはないんです。
ないんですけど、僕はマスクを外して生活したいんですよね。
 
駅に行けば、全員がマスクを付けています。
もう感染者も少ないのに全員がマスクを付けている現状に違和感を感じないのしょうか。
これが馴れというものなのか、1人も疑問そうな顔をせず、死んだ顔でスマホを眺めているのです。
そんな彼らを、僕はいつも疑問そうな顔で眺めるのです。
お陰で駅のホームでは誰も近くに寄ってきません。
 
海外なんかだともうマスクを付けずに生活をしていた、
かつての形に戻っている所も珍しくないみたいじゃないですか。
日本もすんなりそうなってくれれば良いのですが、国民性的に、
何かしらの転機が訪れなければ、自然にそうはならない気がしてならないのです。
 
一番怖いのは「日本人にはマスクを付けて生活する習慣」があるみたいな感じに、
文化として根付いてしまう事です。僕の気持ちも知らないで、
なあなあで「マスク位付けてて当然だよね」みたいな価値観がまかり通る国、
そうなってしまった際には、僕が日本から逃げ出す日も遠くないでしょう。
やや極端な可能性にも思えるのですが、
この仮説を強く否定する材料が手元にないのも事実なのです。
 
 
僕は、このままだと、何年経ってもマスクを強要される社会が続きそうなのが不安でならない。
そこで、岸田総理、見てますか。
僕のブログを初回からきっと読んでくれているであろうあなたにお願いがあります。
今すぐにだと少し早い気がするので、年が明けた位でしょうか、それくらいでいいので
情勢が悪くなければ岸田総理にはマスクを付けずに公務に臨んで欲しいのです。
誰かしら影響力のある人間が率先してマスクがいらない社会になった事をアピールすることで、
社会も徐々に、マスクを一部の好き者だけが付けていた頃の形へと戻っていくでしょう。
 
もういっそ服とかもいいんじゃないですかね。
長い目で見れば服もそのうち余計になりそうですので、
この機会に国会には全裸で参加して服を着る習慣もなくしちゃいましょう。
 
あと最近中国でゲーム規制の話が上がっていますね。
このままだと、その流れが日本にも及ぶ可能性がありますので、
ゲームを守るために、公務中にはゲームをしてその価値をアポールしましょう。
大丈夫、スマブラなら僕が付き合ってあげますよ。
 
それからーーーーーーーーー
 
 
 
これが今の日本には必要です。任せたぞ、岸田。
今後の日本の平穏はお前の手に掛かっている。
別に岸田じゃなくてもいいや、有名な人、頼んだぞ。
ただ坂上とか、宮根は辞めてください。あんま効果なさそうなので。
 
 
ふう、よし、これだけ書けば僕の思いも伝わるでしょう。
元々季節感の話をしていたのに、とんだ脱線をしてしまった気がします。
季節感と言えば、昨日長袖に切り替えてバイトに行ったら、それはもうチョー面倒で有名な店長に、
「あ、長袖に切り替えたんだ」と絡まれ、絶妙に不快な思いをしたので、
面倒な事を考えずに、店長をパワハラで訴えた方が良いのかもしれません。
 
 
大丈夫ですかね?僕の主張、なんか致命的にずれてたりしないですよね?
なんかこういうシビアな内容に触れるときはいつも不安になります。
お疲れ様でした。

ベットの上で胡坐をかきながら就活に挑んだ男の記録

こだです。
今回も自分語りのブログです。
 
あれは8月の末のことでした。
僕はいつも通りYoutubeで変な動画を漁っていたのですが、
そこで表示された広告に違和感を覚えたのです。
 
「23卒の皆さん!就活を始めるなら今!!!!」
 
やべえ!!!いよいよ22卒向けの広告が表示されなくなった!!
 
ふとメールボックスを見てみると、登録だけして一切触らず、
最早パスワードすら忘れてしまったリクナビのメールも、
「ESを提出してお小遣いを稼ごう!」みたいな終活の案内に切り替わっていたのです。
 
遂に「限界」が来たか…
僕は今まで就活をしないことをアイデンティティとして生活をしていましたが、
物事には終わりがあるものです。
流石の僕もこんな形でニートにはなりたくはありません。
 
僕にやる気スイッチはありませんが(やるきがないため)、
緊急事態スイッチはあります(危機感があるため)。
突然横から殴られたような衝撃を受けて緊急事態スイッチを押された僕は、
爆速で就活を終わらせることを決意したのでした。
 
 
ここで注釈になります。まあ、まさかそんな人はいないとは思いますが、
将来こだのクソがヒカキン並みの子供も見るようなビッグコンテンツに
成長した事を想定して言いますが、絶対に真似しないでくださいね。
ロクなことになりませんよ。
 
 
さて、就活を始めようと決意したは良いものの、何から始めれば良いでしょうか。
嘘をつく練習とか必要なのかなとか考えながらネットを見ていると、
就活エージェントという存在が目に留まりました。
就活エージェントとは、就活生の就職をキャリーしてくれる存在ですね。優しい。
 
皆さんご存じの通り、本来就職エージェントを利用することのデメリットは大きく、
ようわからんブラック企業を推薦されることはもちろんの事、
最悪の場合は道徳を失ったり背中からキノコが生えてきたりするので、
真っ当な判断力を持つ人間なら利用を避けるのですが、
僕は真っ当な判断力がないせいで今まで就活を行っていないので、
備考欄に「就活を今まで一切やってないです」
とだけ記入して利用してみることにしてみました。
 
 
さて、三日後位になりますかね、
面談の予定日を迎え、女性のエージェントと話すことになりました。
女性と話すのが久しぶりだったので緊張しましたね。
で、何故かやりたいこととか、大学とか、僕の事めちゃくちゃ聞いてくるんですよ。
僕の事好きなのかな。
 
次に就活の流れについて説明されましたね。
恐らくエージェントにはテンプレートがあって、それに沿って説明を行うのだと思いますが、
9月から就活を始めるチャートがなかったんでしょうね。
6月が一番内定出てるよって話をされました。ウケる。
 
で、一通り就活の事を話し終えた後に会社の紹介をされました。
僕は道徳がないのでもらった資料の中で、休日の部分にしか目が行きませんでしたが、
色々説明してもらい、どこか興味ある会社はありますかーって一応聞かれたんですよ。
 
ただ、もう時期も時期で選択肢もないのに、
会社を生意気にも選ぶとかやってられないだろと思い、
取り敢えず紹介された3社全ての説明会に参加する事にしました。
(以下、A社、B社、C社とします)
 
ちなみに後で調べたら全部やばそうでした。諸行無常。
 
 
ここで僕の就活のスタンスについて一回整理しておきましょうか。
僕は極力この不毛な戦いをすぐに終わらせたいので、最初に内定の出た会社に入ります。
こんな時期まで採用をしていて、就活エージェントとパイプのある企業なんて
きっとロクなものではないと思いますが、そのうち転職すれば良いですからね。
高校の担任も30まではフラフラして良いと言っていました。
 
取り敢えず、僕は今まで浪人も留年もしていないという唯一のアドバンテージを、
尻を掻いていたら就職浪人(何かのキャッチコピーにありそう)
という形で失いたくないのです。
 
 
で、まずA社の企業説明会です。
まず参加するにあたってスーツってものを用意する必要がありました。
みなさんスーツって知ってますか?黒い服の事を指すんですけど、
一説によると近年人口の増え続ける人間をゴキブリに揶揄して制作された服らしいですよ。
 
スーツなんて久しぶりに着ましたね。成人式後の同窓会以来です。
そういえば僕成人式に参加しなかったんですよね。
今思えばもったいないことをしました。来年のには参加しようかな。
 
と、そんなことを考えていたら説明会はいつのまにか終わっており、
内容は何も覚えていなかったのですが、取り敢えずエントリーしました。
A社は一次面接と二次面接の二回で採用が決まります。やばそうですね。
 
 
一次面接の前日に就活エージェントが面接対策の予定を組んでくれました。やさしい。
そこでは、僕が会社説明会で受けた印象も基にした志望理由や、
学生時代に力を入れたこと、自己PRなどを中心に対策を行いました。
 
9月に就活を始めると、本当にまったく期待されていないのが
ひしひしと感じられて気持ち良いですね。
対策を行うと言っても、僕が思う所を言うと向こうが全部カンペを作ってくれました。
これくらい雑な方が僕も気が楽です。
 
 
そうして一次面接を迎えました。
面接官は良い具合に優しい感じの方でしたね。
面接官によっては圧迫面接とか言って、画面いっぱいに顔を写してくる人もいるようですが、
幸いにもそういったことはなく、平和に終えられたと思います。
僕はこう見えて人とコミュニケーションを行うことは出来るので、
初めての面接とは思えないほど落ち着いて話せたかなとは思います。
以下、ハイライトです。
 
面「何か体調を管理する為に気を付けていることはありますか?」
僕「そうですね、コロナを意識しすぎて他の病気になるのは行けないと思うので、
特に季節の移り変わり目ですし、喉に気を使って
水分を欠かさず飲むようにゲホッゲホッ!!ゲェェェッ!!(喘息)」
面「…」
僕「…以上です。」
 
僕の素晴らしい応対により一次面接は合格しました。
二次面接に合格すれば晴れて内定、長かった僕の就活も終わりを告げます。
 
 
二次面接は一週間後、その間に、B社とC社の説明会も受けました。
暇だったので、他の参加者の顔を見て時間を潰したのですが、
熱心に聞く人から、なるべくしてこの時期まで就活を行ってそうな人まで、色々な人がいましたね。
その中でも僕は説明している人の話を深く頷きながら聞くことを徹底していたので、
結構好印象だったのではないでしょうか。
端から見たらヘドバンしているように見えたかもしれません。
 
エージェントの方には、どこの志望度が高いですかとか聞かれましたが、
僕としてはマジで受かったところで良いので、マジで受かったところ良いですと答えました。
 
 
そうして迎えた二次面接、一次面接は面接官と一対一のシングルバトルでしたが、
二次面接は面接官二人、就活生二人のダブルバトルでした、
聞かれた内容はほぼ一次面接と一緒だったので、今度は咳が漏れないように慎重に答えました。
しかし、二人で面接すると、反応の違いが気になって嫌ですね。
もう一人の就活生の話は深堀されて、自分のはノータッチとかされると幼児退行したくなります。
僕落とされるのかな。ばぶばぶおぎゃあ
 
面接の終わり際には、結果が届くのを楽しみにしておいてくださいとか言われましたが、
これで落ちていたらもはや詐欺ですよね。楽しみな結果って内定しかねえんだわ。
いや別に内定も楽しくねえよ。
 
 
そうこうしていたらB社の一次面接が近日に近づいてきました。
B社はどうしたら採用なんですかね?
説明会をあまりちゃんと聞いていなかったので誰か教えてください。
取り敢えず面接はあるみたいですね。
 
こちらには事前に提出する書類がありましたね。
エントリーシートと、成績証明書、卒業見込証明書の三つですね。
当然後二つは用意が出来ておらず、やり方も知らないのでもう「詰んで」いるのですが、
問題はエントリーシートですよ。
 
あーあったな、こんなんと。
開くと志望動機を200字以内とか、将来像を300字以内とか
好きなハリウッド映画を3000字以内とか色々書かされるんですよね。
こういうのが嫌で就活やってなかったんだよなあと思い出しましたよ。
 
 
そもそも僕は内定が出てるかもしれないんですよ?
そうしたら僕の就活は終わり、B社C社に入ることはない訳です。
その場合はこの時間が全部無駄、出会い系サイトをやった方がまだ有意義です。
 
C社なんて一次面接はグループワークと学力テストですって、
もうやめてくれ、フリートークとスマブラとかにしてくれって思いますよね。
グループワークって勝利条件なんだよ。
 
ひしひしと就活の面倒臭さを思い出し、
僕の緊急事態のスイッチが緩み始めているのを感じます。
集中して物事に取り組めるのが最大半月ってマジで終わってますね。
マジでA社受かっていてくれ、多分もう持たない、背中からキノコ生えてきた。
 
 
たた勘違いしてはいけないのは仮にA社に内定が出ても、
ニートという最悪の結末を回避したに過ぎず、
別に僕の人生はさほど好転してないという事ですね。
 
恵まれた職場ではなく、僕は今だに彼女がいませんし、大学に友人も出来ないままです。
家に居場所はありませんし、バイト先では今日も店長がキレています。
-5がー3になる位の違いなんですよね。
なので全くめでたいことではないんです。
わかりますか?そんな僕がかわいそうだとは思いませんか?
 
いやかわいそうとか思ってんじゃねえぞ足元見やがってクソ
 
 
そういった経緯で今日は筆を執らせていただきました。
なのでまだ僕の就活は終わっていません。
中間報告ってやつですね。
そんなこともあり、いつもより浮足立った内容だったかもしれません。
 
もしもA社が落ちていたら次回のタイトルは「底辺就活物語:2話」になりますし、
A社の内定が出ていたら「いえーい」になります。
ただみじめな気持ちになるので祝わないでください。
そっとご飯とかに誘ってください。
 
果たして僕の行く末はどうなるのか、温かい目でご覧ください。
お疲れさまでした。

仕事万歳

こだです。
 
ここの所以前よりも人間関係が薄まっていくのを感じます。
この年になってくると自主的に動かない限り人脈も新しく広がっていかないですしね。
 
 
最近父が仕事を辞めましてね。本来自営業で細々働いていたのを、
大学の知り合いがそこそこの大企業の社長になるのを機に、
その手伝いの為という特殊な経過を経て雇われていたので、
別に僕としては好きな時に辞めてもらっても構わなかったのですが、問題なのはその経緯でした。
 
大学の知り合いが新社長になったは良いものの、経営方針が相当ブラックだった様なんですよね。
直接的な表現は避けますが、社員が鬱になって次々辞めていくなど、
スレスレというかアウトな事を繰り返していたみたいです。
 
父は役員という本来であれば恵まれた立場を社内で得ていたのですが、
環境が変わればそれも意味合いが変化するというもの、社長に近い立場であるという事は
ブラックな方針の煽りをもろに受けるという事になります。
社長就任から年月が経つに連れ、周囲の他の役員が続々と辞めていき、
父にそれらの比重がどんどん重くのしかかって行きました。
 
で、他にも色々な要因を経てこの度めでたく仕事を辞めようと、そういう事になったのですが、
辞めるにあたっても問題が起きたんですね。
周囲からの引き留めが起こるのは安易に想像に着くかと思われますが、一例をあげると
社長からこのまま辞めれると思うなと強迫めいた連絡が来たり、自宅に来て張り紙を貼られるなど、
社会を知って間もない僕でさえ「いやそれは…」と
思われるようなキショい手段をもって、それは行われました。
 
まあそれらを振り切り、めでたく仕事を辞めた後に、
社長から「家族になにがあっても知らんぞ」的な連絡がきたらしいんですけどね。
これ以上僕から何を奪えるのかと思いましたけども。
そんなことを考えながら、バイトに向かったらなんと驚くことに、
 
 
 
 
 
来シフトが一日削られていましたね。
恐ろしい事です、皆さん人からの恨みは買わないようにしましょう。
これが3週間程前の話になります。
 
 
この度このような話をしたのはこれから社会に出る方の多い、
こだのクソ読者への注意喚起の意味を含みますが、今後の布石としての意味も大きいです。
ざっと事情を説明しましたが、会社からの報復が来る可能性は決してゼロではないじゃないですか。
万が一不利益が生じた際にそれに対するカウンターを放ちやすいように筆を執った運びになります。
 
母からは口外を避けるようにと、
我が家に箝口令が敷かれましたが、僕に話したのが運の尽きでしたね。
父の今後が穏やかな道のりになる事を祈ってます。
 
 
いや~、ちゃんと恐ろしい話でしたね。皆さんも気を付けてください。
と、重い話をしましたので、ここからは僕の話をしましょうかね。
僕が話に関わると途端にしょうもなくなりますから。
 
皆さんご存じの通り、僕も仕事を半年前に辞めまして、今転職活動に勤しんでいる所になります。
辞めた当時は軽い報告に留め、詳しい説明は省かせていただきましたが、
そこそこ期間が経ちましたので、冷静になった今、当時を振り返りつつ反省点を見つけ、
今後の僕と、社会に出る/出たての皆さんへのアドバイスになればなと思います。
 
 
まず大きな反省点として挙げられるのが社内に友人が出来なかったことでしょう。
同期、先輩、2年目以降なら後輩、誰でも良かったのですが、
辞めるまで1人も友人が出来ませんでした。
それどころか軽く話せるような関係の人物も最後まで出来ませんでした。
 
どれくらいぼっちを極めていたかと言いますと、
勤めていた会社には着替え用の個人ロッカーがありまして、使用上の注意が貼られていたんですよ。
そこには「自己管理です。(自己責任)」という一文がありました。
これ言っている内容が被っていて、滅茶苦茶キショいじゃないですか。
 
それこそ「頭痛が痛い」に当てはめると、「頭痛がする(痛い)」って書いてあるようなものなんですよ。
で、僕はロッカーの前に立つたび、この一文が目に入り、
(キッショwwキッショww)と心の中でほくそ笑んでいたのですが、
誰にも「この一文めっちゃキショくないですか?」と話しかける事が出来ず、
この感情を終ぞ社内のだれにも共有することが出来なかったんですよね。
それくらいぼっちでした。
 
やっぱり入社してすぐが大切です、多少の無理は必要経費として割り切り、
人脈を素早く形成し、今後の活動を楽にしておくべきでしたね。
歓迎の飲み会で一発芸を振られた位であれば思い切ってやりましょう。
 
 
次の反省点として、コロナ禍での行動に問題がありましたね。
入社して3年が経とうという頃、コロナがやってきました。
僕の会社も例にもれず、オンラインでの業務に移る…かと思いきや、
業務内容的にオンラインに活動を移すのが難しかったんですよね。
 
仕方がないので、コロナへ警戒を行いつつ、引き続き対面で業務を行うことになりました。
その警戒の一環として、マスクをしようという雰囲気が社内に流れました。
誤解のないよう予め申し上げますが、当時はまだ流行り始めでしたから、
今のようにマスクが必須という訳ではなかったのです。
 
それでもエチケットとしてマスクを着けようね、という空気間であったのですが、
皆さんご存じの通り、僕マスクはもちろん、エチケットが嫌いなんですよ。
 
守っても守らなくてもいいけど、基本みんな守ってるよね?
という同調圧力にも似た雰囲気が嫌なんですよね。
それならもうルールとしてちゃんと定めろよ!と思い、昼しか眠れない時期もあった程です。
なので当時マスクを着けずに出社する日も珍しくありませんでした。
 
いやあこれは完全に僕が悪いですよね。業務内容も、丸いお菓子の真ん中に、
穴を開けてドーナツにするという衛生面に気を使わないといけない内容だったのですから、
例え嫌だったとしてもマスクはつけるべきでした。元々社内で浮き気味だった僕は、
この時期をきっかけにしてなお一層窓際族的扱いを受けることになりました。
皆さんも長い物には巻かれておきましょう。
 
 
で、もう一つ反省点を挙げるならば、
僕がそもそもあまりドーナツを好きじゃなかったことですかね。
大学に行くか就職するかという選択を迫られた時、なんとなく就職を選び、
誰でも出来そうなこの仕事を選んだわけですが、もう少し慎重になるべきでしたね。
 
毎日毎日物体に穴を開けて、
好きでもないものを延々と生み出し続けるのは苦痛を超えた虚無でした。
せめて違う職に就いたり、好きな物を生み出しているというモチベーションさえあれば、
最後あのように仕事が投げやりになっていくことはなかったんじゃないかなと思います。
 
 
結局はドーナツの穴の半径を、既定の1cmではなく4cmで開けていたのが会社にバレて、
辞めざるを得なくなったわけなんですが、正直仕事自体は楽でしたので、
様々な点に目を瞑り、真面目に働き続けていれば見えていた景色もあったのかなと、
今ならではの後悔もあります。
 
 
後悔というば一番大きいのは大学に行かなかったことですけどね。
会社勤めがこんなに味気ないもの(作っていたのはドーナツなのに)になり、
結局は辞めてバイトをしながら転職活動を行う事になるのを知っていたなら、
就職か進学か、という選択を迫られた際、間違いなく進学を選んでいました。
 
大学に行っていれば、多くの友人や大切な彼女を作り、
満たされた状態で今の時期にはもう就職活動も終えて、
夏休みを謳歌していたのかなと思うと涙が止まりません。
 
いや、でも用意された未来に正解がない可能性も全然ありますしね。
案外クソみたいな大学生活を送って就職にも苦労している可能性があります。
結局は今を大切にしてマシな未来を形作っていくしかないということでしょうか。
 
 
と言う訳で、今僕は転職先を探していますので誰か良い仕事を紹介してください。
今回はこの辺で、お疲れさまでした。

おい、聞いてんのか?

こだです。
 
気が付けばもう夏です。
何も変わらない日々が続いていく中、時間だけが確実に経っている事に焦りを感じます。
今大学4年生ですよ?順当に行けば来年の春には卒業し、社会に出るべき立場となるのです。
 
ちなみに先日こちらが大学に提出した就活状況です。
真っ白ですね。
 
エイプリルフールにも誕生日にもブログを書かずに、
僕は一体何をやっているのでしょうか。
週3でバイトに出向き、週1で大学の授業に出席、残りの3日は自宅で惰眠を貪る。
こんな中身のない生活ですら一杯一杯に感じるというのに、
何か新しく行動を起こす気にはとてもなれません。
これも全部コロナのせいです。僕は悪くないです。
 
そういえば久しぶりに会った友人が随分とイメチェンしていて、
向こうから声を掛けられたのですが、しばらくは声を聞いても一瞬誰だか分かりませんでした。
その後近況報告をしたのですが、そんな中で言われた、
「全然変わってなくてぇぇぇぇ安心したぁぁぁ~」という言葉が今日に至るまで渦巻いています。
 
本当に僕はブリッジをしたまま高校の廊下を這っていたあの頃と変わっていないのでしょうか。
今回はそんな話、夏らしくエモい感じに書けたらなと思います。
なお、内容のキレはジジイの小便と変わらないと思っておいてください。
 
 
かつて僕は古い友人にこのように形容された事がありました。
「こだってぇ~~優しい事が取り柄だよねぇぇぇぇ~~~~~」
その時はそうなのか、と軽く受け止めていましたが、
今となっては馬鹿にされていたのだと思います。
ですが一方で、その頃の僕は確かに優しかったと感じるのです。
殴るって漢字で書くことが出来ませんでしたからね。
相当優しい心の持ち主であったと思います。
 
では今の僕は厳しいのか、少なくとも現在の堕落した生活を見る限り、
自分に甘い事は間違いないのですが、厳しくなったわけではありません。
僕が思うのは、自らを優しいと形容するには捻くれ過ぎてしまったという事です。
僕に掛けられる言葉が全部馬鹿にしているように感じますからね。
例:「えぇ~~~やっぱりぃぃぃ、チュッパチャップスかなぁぁぁ??」
 
僕を優しいと形容した人はこうも言っていました。
「こだからぁぁ~優しいを取ったら何も残らないよおぉぉ~~~」
 
この言葉が真実なら、優しいと言えなくなった今の僕に、
取り柄は何もない事になってしまいます。これは由々しき問題です。
 
このブログをご覧になっている皆様の中には、僕に取り柄があろうがなかろうが、
他人にとってはどうでもいい、興味ないと感じる方もいらっしゃるかと思います。
その感覚は正しく、問題はあくまでも主観的な部分になりますので
今後は芸能人のYouTubeチャンネルでも見ていてください。
 
 
取り柄があると無いでは、精神的な防御力が全く変わってくるのです。
 
生きてて嫌な事ってありますよね。
その種類は多種多様で、突然冤罪をかけられたり、フラれたり、
何故か財布からお金がなくなったりなど、明文化が簡単な分かりやすく嫌な事だったり、
その時には形容するまでもない小さな感情を生むに過ぎなかった出来事が、
重なる事でボディーブローのようにじわじわと効いてくる場合もあります。
 
統計的に右利きよりも、左利きの平均寿命の方が9年も短いとされています。
科学的根拠はありませんが、一説によると、
それは社会全体が右利きに向けて構成されていることによって生まれる微細なストレス、
それらが積もり積もって寿命を縮めていると言われるのです。
 
嫌な事によって生まれるストレス、それは寿命も幾年も縮めてしまう効果があるのです。
そこで、心の支え(転じて取り柄)があることにとってそのストレスを軽減する事が出来ると
ハーバード大学に通う誰かの誰かが研究で明らかにしていた気がします。
 
これって嚙み砕けば心の支えがあれば長生きしやすくなるってことじゃないですか。
嫌な事があっても、「でも僕には○○があるし…」って踏ん張れるイメージで。
 
では僕はどうでしょうか?
そもそも恋人など、分かりやすい心の支えがあれば良かったんですけどね。
そんなものがない人間によっての最後の砦が取り柄だったのです。
 
これらの話を纏めた上で今の僕の状況に当てはめると、
以前はは車に水をはねられても「でも僕優しいし…」とタオルを取り出せていたものが、
現在の僕はその拠り所を失い、
はねられた瞬間その場に崩れ落ちてしまうメンタルになってしまったという事なのです。
 
これでは早死にしてしまいます。
特に長生きしたいわけではありませんが、早死にするのも癪じゃないですか。
探しましょうよ、取り柄。(ちょっと新海誠作品にありそうなセリフですね)
 
 
まず、取り柄は一般的に良い事が選ばれると思います。
そこで、良いを辞書で引いてきました。賢いので。
 
曰く、
人の行動・性質や事物の状態などが水準を超えているさま。
ですって。
 
ここでは水準という言葉が用いられていますが、何の水準なのかは明記されていないんですよね。
取り敢えず、今回は主観的な物差しでいいんじゃないかなと僕は思います。
カレーですら嫌いな人がいるように、全人類が納得できる定義なんて存在しませんし、
心の支えにする取り柄なんて主観的に納得できれば十分ですからね。
それでも、僕の感覚はマジョリティ側に傾いている事は自覚しているつもりなので、
そこまで皆様の感覚とズレた事を定義することはないんじゃないかなと思います、
ご安心ください。
 
 
「良い事」
足が速い、体が柔らかい、気配りが出来る、お金持ち、声が通る、休日、
わかりやすい、手が三本ある、字が綺麗、空が飛べる、汚れない眼鏡、
ドラえもん、晴れ(ただし暑くはない)、帰り道にすれ違うアイツ、黄金比
 
パッと思い浮かぶのはこんな所でしょうか。
ジョジョに出てきた天国に行く14の言葉みたいになりましたね。
取り敢えず、これらが僕の感覚における良い事になります。
 
この中で僕に合致し、取り柄になるものを探したいのですが、
残念ながら当てはまるものはないですね。
「手が三本ある」とかは惜しいんですが、ギリ一本足りてません。
まあまだ思い浮かんでいないだけで他にも良い事はあるでしょう。
思い出しがてら机の整理にでも務めようと思います。
僕はいつも思案に詰まると机の整理をするのです。
 
この前買った漫画、早く読まなきゃですね。
iPhoneの空箱、そういえば移行がまだ済んでいないのでこれも急がなきゃですね。
統計の本、これは今年卒論で使うかもなので取っておきましょう。
ゴミ、捨てます。
イヤホン、試したらもう聞こえなかったので捨てます。
 
色紙、これを見ると複雑な気持ちになります。
お世辞だったとしても、これらの言葉を貰うには自らがちっぽけに感じるのです。
言葉を眺めることによって想起される日々も、それらを肯定するだけの自信が僕にはないのです。
例えどうしようのない今を送っていたとしても、
それを肯定してくれるだけの過去を僕は送っていたのでしょうか。
 
何気なく押し入れにあった小学校の頃のプリントを纏めてあるファイルを手に取ります。
くだらない落書きの紙や、何故取ってあるのかわからない学級通信、テストの紙。
意識を向けるまでもない紙が滑り行く中、進路についての提出物がありました。
人生設計をどんな形でも良いから書いて提出するものであったようです。
僕はその中身を見てハッとしました。
 
 
「将来の夢」と上部に書かれたその紙は、その下が白紙のままだったのです。
その頃から先の事を考えるのは億劫であったようです。
小学校からそんな性格であったのも関わらず、今日までなんだかんだやって来ているのです。
 
先の事を考えるのが億劫で、提出物を真っ白な状態で提出してしまう、そんな変わらない所は
良い事と定義する事が出来るのではないでしょうか。
この過去は現在が、未来が、どうにかなる事を暗示してくれているのです。
 
ここでふと思い出すあの言葉
「全然変わってなくてぇぇぇぇ安心したぁぁぁ~」
聞いた時は疑問と不安で胸を満たした言葉も、今は前向きに捉えることが出来ます。
 
僕はあの頃と何一つ変わったりしていません。
 
だからこそ、自らの肯定することが出来るのです。
 
「変わらない所」、これが僕の取り柄です。
 
 

エッッモ

もう後半泣きながらキーボード叩いていました。

ともあれ、これで取り柄も定まったことですし、日々のストレスを和らげることが出来ます。

突然、電車にいる変な人に絡まれても、「でも僕昔から変わらないし…」と踏みとどまれることでしょう。

ESも白紙で提出します。変わらないので。どこかしらに引っかかるでしょ。

 

人生希望で満ちていますね!鬱も治った気がします。

お疲れさまでした!

こんにちは

こだです。
 
年が明けましたね。
僕はブログを更新することをクソにかけて「大をする」と呼んでいるのですが、
その言い方になぞらえると去年の後半は便秘だったという他ありません。
今年は快便目指して頑張っていきたいと思います。(3月)
 
 
最近思ったんですが、カップルって治安を悪くする要因だと思うんですよね。
 
僕はバイトから帰宅する時にそこそこの解放感を覚えるのですが、
そんな時にたまたまカップルを目にしたとしましょう。
その時、僕の中で「バイトからの帰宅」という行動の意味が、
勝者の凱旋から、人生負け組の珍道中へと変化してしまうのです。
 
僕はショックで、その後に2人程一般人を轢いてしまったりするのですが、
これはカップル2人が幸せになる間に、
僕を含めた善良な一般人が3人も不幸になっていると言えますよね?
 
カップルが幸せになることによって社会全体がどんどん不幸になっていくのです。
ナッシュ均衡ですね、これは由々しき事態です。
しかし対策はありません、オチもありません、なぜならただの僻みだから。 
                                 ー完ー
 
そういえば最近許せないことがあったんですよ。
 
僕はバイトから帰宅する時にそこそこの解放感を覚えるのですが、
そんな時にたまたまカップルの隣を通り過ぎる事があったんですよ。
その時、あいつらどうしたと思います?
 
身を寄せて手を繋ぎあったのです。
許せないですよね。ベチャベチャ帰宅している僕の存在を、
2人がイチャイチャする為の舞台装置にしたんですよ。
 
それを見て、僕はもう5年以上人に触れても触れられてもいないなと思ったりするわけです。
でももしも僕の汗が腐食性の毒を含んでいたらみんな死んでしまいますしね。
IKEAのサメを撫でて諦めることとします。
                                 ー完ー
 
 
ただ書きたかっただけの愚痴は置いて、そろそろ本題に入りましょう。
 
皆さんが、自分の行動を有意義だと感じるのはいつですか?
勉強している時?就活している時?はたまたそれらの努力が実った時?
 
僕は眠っている時です。
僕のように勉強も就活もろくにせず、努力が実った事もない人間にとって、
人生で最も価値のある行為はいつだって睡眠でした。
 
何故か。
睡眠は全人類が必ず行う行為であるからです。
あのビルゲイツや、大スタートムクルーズ、菅、今は亡きマイケルジャクソン、
楽しそうに人生を送る友人達に至るまで、
古今東西のあらゆる人間が睡眠を行っています。
 
僕のように一日中壁のシミを数える事を生業とする無価値な存在でも、
人間である以上睡眠は必要で、その価値は上記の方々と一緒なのです。
 
僕が寝ている時間だけは、周囲の人間に置いて行かれずに済む、
そんな事を考えると程よい安心感を覚えるのです。
 
しかしそんな安寧の時にも落とし穴が存在します。
それが夢です。
 
 
夢については現代医学や科学を用いても、不明瞭な部分が非常に多いとされています。
夢を見ることによって記憶の整理を行っているというのが通説です。
夢に知っている顔しか出ないのはその為なんですね。
また、占いに利用したり、明晰夢や白昼夢を試みたりなど、上手く利用する人も存在します。
 
しかし道端で小学生に石を投げつけられるような人生を送っている僕にとって、
夢はトラウマの再現でしかないのです。
 
夢の中で過去の失敗や失態がテンポよく再現される様はメイドインワリオを想起させますが、
そんな事をされた次の日にはこの世の終わりかの様な気分で目を覚ますことになるわけです。
 
一方、稀に非常に楽しい夢を見ることもあります。
それは「もしもあの時こうしていれば…」的な後悔が叶った姿で現れるのですが、
所詮夢は夢、現実の僕は腹を出して寝ているだけです。
起きてその事を悟った途端、どうしようもなく萎えた気分になるのです。
 
さて、これで僕にとって、
夢が何のメリットももたらさない存在である事をご理解いただけたと思うのですが、
ブログにこの話題を持ち込んだ以上、当然対策も用意しています。
僕も余罪多数とはいえ立派な大人ですからね。
 
 
それは夢を見ないことです。
現実主義的な意味ではなく、夢を見ないくらいの深い睡眠を目指すということですね。
そんなの誰でも思いつくだろとお思いでしょうが、
コロンブスの卵を御存じですか?実行した人が偉いのです。
 
※コロンブスの卵の逸話
ある席で「誰でも西へ航海すればアメリカ大陸に行き当たるのだから、
アメリカ大陸の発見は大した業績ではない」と言われたコロンブスは、発言者に卵を投げつけて黙らせた。
 
夢なんてものは睡眠が浅くなるから見るのです。
なぜ睡眠が浅くなるのか?一日の生活で疲れていないからです。
 
昼は働き、夜は眠る、これが健全な人間の生活です。
一方僕は、昼も夜もじっと動かないまま、まだ動物園のパンダの方が面白味があるでしょう。
これでは疲れを感じることなど出来ません。夢を見てしまうのも当然と言えるでしょう。
 
そこで、今回は疲れるために外へ出かけることにしました。
外出するだけなのに前置きが長すぎる。
 
 
久しぶりに見る外の景色は赤く、少し肌寒さを感じました。恐らく夕方でしょうか。
特に目的もなく歩き始めると、いつの間にか見慣れた公園に着いていました。
ベンチに腰掛け、前の方を見やると子供たちがジャングルジムで遊んでおり、
大声で叫んでは親に注意されていました。
 
少しの懐かしさも感じつつ、次の場所へ向かうべく、ペダルを漕ぎだしました。
しばらく進むと、大学の友人達がこちらに手を振っているのが見えます。
話を聞いてみると、どうやらバイトの人手が足りないらしく、
手伝って欲しいとの事で、断ることが苦手な僕はつい引き受けてしまうのでした。
その後の記憶はありません。
 
ふと気づくと、チャリに乗って僕は帰宅していました。
拘束から解放され、そこそこの解放感を感じつつ、漕ぎ進めていると、
目の前にカップルが現れました。フラッシュバックする過去の失恋、
自分は誰となしに掴んでいる幸せを逃した敗者である事を実感します。
さらにカップルは僕を避けるために身を寄せ合い、手を繋ぐのでした。
 
嫉妬と怒りでグチャグチャになった僕は、
イチャイチャしているカップルが脳裏を離れません。
そんな事に気を取られていると、たまたま前方を歩いていた善良な一般市民、
トムクルーズとビルゲイツを轢いてぶっ飛ばしてしまいました。
 
やばい、またやってしまった。半端ない量の汗を感じながら、
急いで彼らに近づき、無事を確認しようとその体に触れた途端、
触った場所から腐り始め、それに伴い彼らの顔色も見る見るうちに悪くなっていきます。
 
しまった。僕の汗には腐食性の毒が含まれているんだった。
ゾンビと化した彼らは立ち上がり、僕の方へと向かってきます。
 
本能的にヤバいと感じ取り、僕は逃げます。
何故か思うように前へと進めません。
 
たまたま見つけた菅を囮に粘りますがもう限界です。
 
もう駄目だ。
諦めて目を閉じると音楽が聞こえてきます。
 
 
デッデッ、デッデッ
 
この音は何だ?
 
デッデッ、デッデッ
 
どこかで聞いたことがある…
 
デッデッ、デッデッ
 
これはまさか… 目を開くとそこには‼
 
 
Cause this is thriller!!!!!!
 
 
 
 
 
はっ、夢か…良かった。
 
 
そんなわけで、古今東西で使い古された夢オチを今回は使ってみました。怒らないでください。
夢のふわふわした感じが出せていたのなら幸いです。
 
今回のブログで僕は何を伝えたかったのでしょうか?わかりませんね。
少なくともこんな事をしている間はずっと、悪夢を見続けるのに間違いないでしょう。
 
何はともあれ、彼女と職が欲しいです。
お疲れ様でした。

生存報告

こだです。
 
ブログを書くのも久しぶりですね、かつての僕は
月に一度更新したいとか嘯いていましたが、
男子三日会わざれば刮目してみよという格言がある通り、
数日あれば人は変わります、あまり固定観念を持たない事です。
勉強になりましたね。すいませんでした。
 
 
さて、そんなわけで今回はリハビリ雑談回です。
4ヶ月も期間があけば、毎回ネタ切れアピールを行っていた僕でも
流石に書くことは浮かんできます。人間なので。
バイトを始めた話や先月役割を終えた委員会話など、
軽く考えただけで数え切れる程の量の話題が浮かんできます。
しかしこれらは話題にするには少し難しいんですよね。
下手した事に関して下手に書くと下手な事が起こりかねません。
 
そこで、ここはまだある意味で下手を打っていない就活について触れようと思います。
ついこの前まで大学受験云々と騒いでいたはずなのに
いつのまにか就活ですよ。面白いですね。
 

いや、全く面白くはない

ここ数週間全く笑ってない気がします。
今の自分をかつての友人が見たらなんと言うのでしょうか。
「眼鏡変えたんだ」ですかね。
そんな眼鏡を変えた僕が就活に対してどのように取り組んでいるか、お教えしましょう。
 

いや、なんもしてないが?

一瞬取っていた就活講座も課題が多くてすぐに辞めてしまいました。
有名企業に入るためのノウハウを教える講座だったのですが、どこか雰囲気が体育会系で、
勝手にご飯のおかわりとかよそってきそうだったので合わないなと思ったのです。
 
講座を受けるために軽いテストと面接が必要で、一応それには合格した中で
もったいないなとは思ったのですが、あまり合わない環境で就活を行ったところで
合わない会社に入って長くは続かないだろうという判断でした。
 
そのようにして講座を辞め、何か別の方法でもって就活を行えれば良かったのですが、
残念ながら現在、全く対策をしていません、ニート一直線です。
 
皆さん知っているかはわかりませんが、現在巷ではコロナという病気が流行っており、
人々の生活や経済に大きな打撃を与えています。
その影響は企業にも及び、来年度以降の採用人数はどこも大幅に絞られるだろうと言われています。
 
真っ当な人間ならこの話を聞いた時、こう考えるでしょう。
「それなら余計に就活に向けて頑張らなきゃ」、と
しかしあいにく僕は真っ当ではなかったようで、
「なんで余計に頑張ってまで就活しないといけないんだ?原神やろ」と考えてしまいました。
 
結果年も暮れようという中、インターンシップの計画もなく、
生きたい会社も、やりたい職業もないまま、日々を生きています。
 
一時期はお気に入りに登録していたリクナビのページも、
ふとした時に視界に入るのが嫌でゴミゴミ死ね死ねというフォルダの中に封印してしまいました。
 
一応年内で今年度分の大学の授業が終わるみたいなので、年が明けたら…なんて考えていますが、
どうせやらないことは僕が一番知っています。
もしそこでちゃっとやれる人間だったならば月一でブログを書けていたはずなのです。
 
あーなんか嫌になってきました。
就活の話なんてこれからいくらでも見聞きすることになると思うので今回はこの辺にしときましょうか。
僕は決して就活などという世の風潮には負けません。
別の楽しい話をしましょう。
 
 
この前久しぶりの人と話す機会がありました。
大学生になって交友関係が狭くなる一方の僕にとって、たまに旧友と会う機会は非常に貴重です。
近況報告や過去の思い出話などを適当に話すだけでも十分な満足感を得れるので楽しみでした。
そんな中、席に着き、注文を済ませた第一声が、
「お前就活やってる?」
「は?」
 
 
こんな僕でも定期的に女の子とカラオケに行きます。
腐れ縁の様なものなのですが、毎回結構盛り上がるので楽しみにしています。
自分からは声も掛けられないので、基本的に誘われたら行くのですが、
誘ってもらった以上、何もかも向こうに任せるのは良くないと
日程は僕が提案するようにしています。
「あ、その日インターンあるわ」
「は?」
 
 
お恥ずかしながら僕は散髪を父親に頼んでいるのですが、
最近忙してあまり家に帰ってこない父親との、数少ないコミュニケーションの場として、
僕はそこで交わされる会話を大切に思っています。
「何かやりたいこととかあるのか?」
「は?」
 
 
歯医者に行きました。
「お!久しぶり!そろそろ就活の時期か!」
「は?」
 
 
「就活って賦活って書いてもバレなさそうだよね」
「は?」
 
 
バイトに馴染むのって難しいですね。
元々ある程度の人間関係が構築されているなかに入るのですら難しいのに、
新人だと能力的にも圧倒的に劣っている負い目もあり、どうすれば良いのかわかりません。
僕のバイト先は年下から年上まで幅広く働いているのですが、当然年が近い方が馴染みやすく、
狙い目といえます、なんとか共通の無難な話題を作って馴染むきっかけを作らなければ…
「あ、あの、賦活とか…してます?」
「は?」
 
僕は就活に屈した。(全く盛り上がらなかった)
 
 
そんなわけで僕の人生はお先真っ暗です。
だれか起業する人いたら乗っかりたいので連絡ください。
 
久しぶりでしたがどうだったでしょうか。
久しぶりなので粗が多いのは見逃して下さい。久しぶりなんです。
お疲れ様でした。

月になりたい

こだです。
 
YouTubeって良いですよね、何も考えずに見れて。
疲れの溜まりやすい現代社会、
ぼーっとしながら娯楽を補填出来るのは非常に効率が良いです。
運が良ければ新たな知見を得る事も出来ますし、欠点と言えば時間泥棒な事くらいです。
僕が創立者って事にならねえかな。
 
もちろん個人差はあるでしょうが、YouTubeなどの動画サイトの普及によって、
テレビを見る時間が減った人は僕だけではないでしょう。
しかし、たまに見てみるとテレビも良い物です。
ドラマとかも今の時期面白いのが多いらしいじゃないですか。
 
そんなテレビについて、僕の中で印象的だった番組は金曜ロードショーです。
まだ素直に笑えた幼少期、金曜ロードショーを見て一週間を終えるのが日々の楽しみでした。
そんな事を考えていたら、ふと気になって、
ここしばらくの金曜ロードショーで放送された映画一覧を見てみたのです。
 
そこには誰もが一度は聞いたことのある作品が並んでいましたが、
当然ながら僕はその全てを見たことがあるわけではありませんでした。
 
 
そんな映画達の中で目が留まったのが「美女と野獣」という作品。
 
 
美女と野獣とは
2017年に製作されたアメリカ合衆国の映画。
フランスの民話『美女と野獣』に基づき1991年に制作された
ディズニーの長編アニメーション映画作品『美女と野獣』の実写リメイク作品である。
〔Wikipedea(情弱)より引用〕
 
あの天下のディズニー様の映画です。
僕と違って上品で博識な皆様の中にはご覧になられた方も多いのではないでしょうか。
 
ただし、僕はこの映画と相容れません。
そもそも話の内容も、簡潔に言えば男と女がデキる作品なので好きではないのですが、
一番気に食わないのはキービジュアルです。
 
美女と野獣は男と女がデキるとは言っても少し特別な背景を含んでいます。
男は若く美しい王子なのですが、
非常に我儘で傲慢な性格の為に醜い野獣の姿に変えられてしまうのです。
 
でも見てくださいよこの顔。
 
 
そんなに醜くなくね???????????
 
もちろん野獣に変えられているとの事で流石に人の顔ではありませんが、
野獣界ではそこそこ整った顔立ちと言えるのではないでしょうか。
僕より全然生きるのが簡単そうな顔です。
 
もちろん作品内ではさぞ醜い姿として扱われているのでしょうが、
視聴者から見たらそうでもないんですよね。
これがイマイチ釈然としないのです。
 
創作において、基本的に世界を救うヒーローも、
冴えない陰キャも作品内に反して外見はそこそこイケメンに描かれる節があります。
実写化された作品などでは特に顕著ですよね。
 
そんなギャップに辟易している僕にとって、
「美醜で人を決め続けるのは良くない」といったテーマを孕んでいるであろう
この作品における、「醜」は視聴者側から見ても共感できるほど鮮明な物であって欲しかったのです。
 
王子を野獣に変えるのは醜い老婆を装った美しい魔女なのですが、これも気に食いません。
魔女が実は美しい必要ありますか?
 
醜い老婆ならそのままでいいじゃないですか、
あの世界に醜い存在は野獣しかいないんですかね?
 
 
と、散々な物言いで美女と野獣について話しましたが、
前述の通り、僕はこの映画、見たことがありません。
以上、見た目で中身を判断する外内面共に醜い非モテ大学生でした、
 
腑に落ちない映画の話をしたせいか、話のオチも微妙な感じになってしまいました。
余計なことしか考えられないならYouTubeだけ見とけって話ですよね。
 
お疲れ様でした。

そういえばバイト落ちました

こだです。

 

三週間ほど前、都知事選の帰りに初めての職質を受けました。

「あれ?君ここで何をやっているんだい?」って感じで。

痛い陰キャの僕はその事実に少し興奮し、開口一番警察の方に

「これって、職質ってやつですかね?(ニチャァ…」と聞いてしまったのですが、

警察の方がそれを無視して質問してくるものですから、イラっとして警察の隙を見て逃げてしまいました。

最近の警察は腐っていると聞きますが本当みたいですね。また嫌な思い出が増えました。

投票先を鉛筆転がして決めた罰が当たったのでしょうか。

 

 

皆さんには嫌な思い出、ありますか?

僕のブログを読んでいるような人間だったらそんな思い出の1つや2つは必ずあるでしょう。

 

もちろん僕にもあります。

運が悪くて損した思い出。

周りから迷惑を被った思い出。

自分がやらかした思い出。

それらを人に話したら「でも世の中にはもっと不幸な人いるよ」と一蹴された思い出。

 

その種類は様々でどれも脳裏に焼き付いては離れません。

どこで何をしていてもその場所に関係する嫌な思い出が想起されます。

 

通常、ある程度の嫌な思い出であれば時間が解決してくれますよね。

これは、嫌な思い出の対極に位置する良い思い出、

即ち「幸福」によって不幸が打ち消され、和らいでいくからだと思うのです。

スタンフォード大学もそう言っている気がします。

 

では、もし良い思い出がなかったらどうなるのでしょうか。

ブログを低頻度で投稿し、SNSには面白くもない文章を投稿する痛い大人になってしまいます。

 

皆さんそうはなりたくないですよね。

今回はそんな皆さんに向けて、参考になるとは思いませんが、

僕が小さな幸福を探しにいったときの事を共有したいと思います。

 

 

小さな幸福を探しに行く

あれは三週間ほど前の事でしたか。

中途半端な時間に目が覚め、家にいるには落ち着かない夕方。

 

言葉にする程でもない日々の些細な落胆の積み重ねが僕を遅めの散歩へ向かわせます。

近所には大きめの公園があり、

疲れた時、そこの池を眺めてぼんやりすることが最近の日課になっていました。

 

いつも通り池の淵に腰掛けようとした時、運悪く家族連れが来てしまいました。

子供は網を両手に、父親はカメラを持ち、母親はまだ小さい子供を抱えています。

 

絵に描いたような幸せそうな家族を前にし、

途端に居心地が悪くなった僕は逃げるように公園の隅の方のベンチへ。

 

ベンチに腰掛け、ふと回りを見てみるとカップルだらけです。

小池百合子が見たら憤慨しそうな距離感で、僕が理解できない言語を囁きあっていました。

気分も悪くした僕はもう帰ろうと、公園の出口へ。

 

その途中、話し声が聞こえてふと横を見たらパリピが花火をしていました。

ひょっとしてここは東京ではないのか、そう思うほど密接に。

流石にキレた僕は奇声を上げてその場から走り去りました。

 

僕の周りにはただ数分の安らぎを得る場所もないのだろうか。

どうにかして陰鬱になるばかりの気分を鎮めようと考えを巡らせます。

そして思い付くのです。

「星を見に行こう。」

 

近所には小さいですが山もあります。

東京の夜は明るく、通常空を見ても星なんて見えませんが、

真っ暗な山の頂上なら、それも可能ではないかと考えました。

 

夜に一人で星を見に行ける場所がある。

昔には当たり前にあったはずで、今ではもう滅多に見られない星空の景色。

叶えばそれは、疲れた都会人の心の癒しになる事間違いなしです。

 

早速そのままの足で山を登ることにしました。

そこそこの散歩をした後で疲れ気味でしたが、星空への期待が勝ったのです。

こんなに何かへ高ぶったのはいつ以来でしょうか。

この気持ちを無駄にしてはいけません。

 

山は期待度通り真っ暗で、足元を携帯のライトで照らしながら進みます。

セミの鳴く音が絶えず聞こえますが、それすらも星空を引き立てる音色のように感じました。

 

 

結果から言うと星空は見えませんでした。

 

30分程登ったところで頂上に着きましたが、

高度が足りないのか空に明かりはありません。

そもそも山の頂上に刺さった木が邪魔で上が見えません。

そして今思えばあの日の天気は曇りだった気がします。

 

どうやら僕の頭上に星は浮かんでいないようです。

しかし、不思議と落胆はありませんでした。

どこかでどうせ無理だとわかっていたのかも知れません。

 

山の頂上でそんなことを考え、自分を慰める僕を後目に、
セミよりも数段不快な足音が聞こえてきます。家族連れです。

子供は2人とも網を両手持ち、父親と母親はライトでその足元を照らしています。

 

どうやらカブトムシを捕まえにきたようです。  

こんな場所でさえ1人になれないか、現実が頭のキャパを超える音がします。

僕は頭上から落ちてきたセミの死骸を家族連れに投げつけ山を下りました。

 

山を下って帰る途中、道端には当然のようにカップルが手を繋いで歩いています。

少し耳を澄ませば知らない言語と同時に、どこからか花火の上がる音が聞こえます。

 

 

不快を超え、虚無を感じた僕はコンビニで酒を買いました。
店を出て直ぐにプルタブを開け口に含みます。

 

するとどうでしょう。徐々に嫌な事が視界に入らなくなってきます。

過去の嫌な記憶もぼやけ、正真正銘今を生きていると実感が湧いてきます。

 

皆さん!酒を飲みましょう。

僕はあまり酒が好きではなく、付き合いでも飲むのは避けたい程なのですが、

どうしようもなく落ち込んだ時、1人で酒を飲めば全てを忘れてその日はぐっすり眠れるのです。

 

缶を伝う水滴の一粒一粒が星に見える。

そんな恍惚とした気分で散歩を続けていると、不意に後ろから声が聞こえます。

 

「あれ?君ここで何をやっているんだい?

 

 

いかがでしたか?

 

はいはいアルコールアルコール。

皆もどうしようもない気分の時は1人で酒飲みながら散歩しようね。

それでは良い夏休みを。
 

お疲れ様でした。

ッッハッハッハッハッハ

こだです。
 
最近暑くなってまいりました、皆さんマスクは着けてますか?
僕は人混みや室内など、必要だと感じた時以外はもう着けてないです。
ちゃんと着けてるなんて皆さんは真面目ですね。ご褒美に鼻で笑ってあげます。
 
マスクを着けない理由としては、ちゃんと着けて過ごし続けていると酸欠で倒れるからです。
僕的に理由はこれだけで十分だと思っているのですが、それでもよく思わない人はいるでしょう。
実際僕はそういう人間に幾度となく出会い、その都度殴って黙らせてきました。
ですのでこれではどうでしょうか。
前提として僕はロクでもないクズで、マスクを着けさせようとするのが間違っているのです。
 
良いですか?僕の罪状をここに列挙していきます。
 
・テラスハウスの番組終了を心から喜んでいる
・最近の楽しみは東京の感染者が増えるのを眺めること
・未成年飲酒は行ったことがないが、殺生と薬物をやっている
・嘘だけで会話している時がある
・有名人が亡くなる度にSNSで死についての考え方を見直している人を下に見ている
・今月に入って暗記したものは魔剣伝説の広告の台詞
・きのこたけのこ論争をガチでくだらないと思っている
・深夜2時に家でカラオケを始める
 
など、数え出したらキリがありません。
こんな僕にモラルを求めるなんて間違っていると思いませんか?反省してくださいね。
 
 
さて、冒頭のあいさつは程々に、次の話に移りましょう。
僕はブログを最低でも月一、可能なら毎週更新したいと考えています。
しかしながら、僕は先月ロボトミー手術を行ったせいで著しく思考力が低下しており、厳しいのが現状です。
 
ちょっとブログを書く上でのジレンマを語らせてください。
僕は一応ブログを書くからには自分が納得した物を世に出したいと考えています。
そのためにはじっくりと考え、内容を練っていく必要があるのですが、
そうしていると自然と執筆に時間がかかります。
そうして時間がかかればかかる程、完成へのハードルは上がり、ますます時間がかかるわけです。
こうやって迷走していったコンテンツ、どこかで見た事がありますね、そう、僕のTwitterです。
 
お前の書くブログなんて長くても3分で読み終わるんだから
そこまで期待してねえよと言われたらそこまでですが、
僕は1か10かでしか物事を考えられない2進数の男なのでそこは勘弁してください。
 
こうして悩まされていたらあっという間に月末に追い込まれてしまい、
とりあえずで筆を取っているわけです。
 
とはいえ、僕は鳴かず飛ばずの人生を1人で過ごした後に40歳後半とかで絶望して自殺する
絵に書いたような凡人なので、なんとなくで書き始めてもネタなんて無い訳ですよ。
 
どうしようかと考えていた所、ある事を思いました。
いわゆる「面白い人」は日常の何気ない一場面から
ネタを産出することに長けているのではないだろうかと。
 
 
そこで、僕はネタを産出する練習と称して、
今月起こった日常の何気ない一場面を思い出しながら適当にコメントしつつ、
ネタになりそうな物はあるか振り返っていくことで、
「面白い人」に少しでも近づければなというのが今回の趣旨になります。
 
最近書くのにちょっと負担が大きい物ばかりだったので少し軽めの内容を書きたいのです。
 
この企画、画期的なのが、毎月行えるので使い回しが効くのです。
更に、月1の投稿も確約され、上手くいけば他のブログも副産物として産めるかもしれないという、
かのエジソンもびっくりの発明です。
 
ただ一つ大きなデメリットがあって、多分誰も僕の日常に興味がない。
わざわざアメーバブログとかいうオワコンまで覗いてくれているということは
僕に何か価値を感じてくれているということですよね!行きましょう!
 
 

6月を振り返る

6月1週目
月初めだけあって何があったかさっぱり思い出せません。
何か生活の痕跡がSNSにないかと思って探してみたところ、残されていたツイートがこれです。
 
『とーう!ティティティ!オラァ!ソォレソォレソレホイホイ! ここは俺に任せて先に行け』
手越がNEWSを脱退することを示唆しているんだと思います。
 
6月2週目
実はこの週、誕生日を迎えて22になりました。
誕生日がある事を全然言っていないので、
祝ってくれた人は元から僕の誕生日を覚えている人だったのだと思います。ありがとうございました。
ちなみにですが家族からは祝われませんでした。
 
もう成人してしまいましたからね。年を取って増すものなんて責任くらいです。
むしろ誕生日の痕跡を残すことで、周囲の人間に「これ祝った方がいいのかな…」的な
葛藤が生じることを考えたら、もはや億劫になるのです。
 
それに祝われたらあまり関わらない人でも誕生日には祝い返さないといけないじゃないですか。
疎遠にならないためのコミュニケーションとして、貴重であると考えている人もいると思いますが、
僕は今の周囲を手放さない事で精一杯なのでそんな余裕はないです。
 
それからTwitterでクソデカ羅生門が話題になっていたのもこの週でしたね。
僕が半年ぶりくらいに心から笑った記事だったのでもしも読んだことない人がいましたら
こんなブログの閲覧なんて今すぐやめて「クソデカ羅生門」で検索してみてください。
 
6月3週目
大学からオンライン環境を整える経費として3万円が振り込まれました。
この時期は渡部建が盛んな時期でもあったので、1回1万円で3回出来るなどと吹いていましたが、
実際は当日にガチャで2万溶かしました。給付金含めてまだ11回分は残ってる。
 
それから散歩していたら迷って帰れなくなったのもこの週だったと思います。
途方に暮れた僕は酒を買い、偶然見つけた公園で飲んでいたのですが、
そこに小学生の女の子3人がやってきて、目の前で遊び始めるものですから、
久しぶりにガチの冷や汗が出るのを感じました。
あの時の気まずい雰囲気は、
無理やり参加させられた宴会で思いっきり滑った一昨年の冬以来でしたね。クソが
 
ちなみに結局家には帰れなかったのでこの週からネカフェで暮らしています。
 
6月4週目
ようやくバイトに応募しました。
僕は新しく何かをするのがとにかく億劫なので、大学に入ってからというもの、
何かと理由をつけ避けてきたのですが、長いネカフェ生活でお金が尽きそうなのでしょうがなくです。
面接は来週なので何か面白いことがあったらお伝えします。
 
まあ、本当に応募すべきはインターンなんですよね。
同世代の皆さま、就活に向けて何かしていますでしょうか?
僕はオンライン説明会に応募しようとしたら人数上限で参加すらさせてもらえませんでした。
人生こんなものです。諦めました。
 
それから、Twitterでプチバズしました。
この話は我ながら結構面白いので別の機会に書きますね。
 
 
こんなところでしょうか。
ネタになりそうな事が起きたかと言われると首を傾げてしまいますね。
毎月月末にこれをやるかはまだ決めていませんが、ネタがない月はやると思います。
 
ありがたいのか何なのか、今月は僕のブログを読んでいるとよく言われる月でした。
直接ではなく人伝に言われるのが個人的には怖かったのですが、
自分に関連することの何かに価値を見出してもらえているなら良かったと思う訳です。
 
 
なんだかキレイな感じで終わりそうですね。
今回はしっかりと構成を練って書き始めたわけではないので、特に話題の回収とかはないのですが、
毎回やっているとそれこそハードルが上がってしまうのでね、たまにで良いでしょう。
 
むしろ僕のブログに対する真摯な姿勢や、
真面目な一面を垣間見て見直した人もいるのではないでしょうか?
それでは!
 
 
 
いやいや、そうは問屋が卸しません。
 
これで騙される人はいないと思いますが、もしいたら将来詐欺に合いますから用心してください。
僕はロクでもないクズです。最後にもう一回冒頭のエピソードを貼りますから、
見直した人はこれを見て今一度考えを改めてください。
 
・テラスハウスの番組終了を心から喜んでいる
・最近の楽しみは東京の感染者が増えるのを眺めること
・未成年飲酒は行ったことがないが、殺生と薬物をやっている
・嘘だけで会話している時がある
・有名人が亡くなる度にSNSで死についての考え方を見直している人を下に見ている
・今月に入って暗記したものは魔剣伝説の広告の台詞
・きのこたけのこ論争をガチでくだらないと思っている
・深夜2時に家でカラオケを始める
 
お疲れ様でした。