仕事万歳
こだです。
ここの所以前よりも人間関係が薄まっていくのを感じます。
この年になってくると自主的に動かない限り人脈も新しく広がっていかないですしね。
最近父が仕事を辞めましてね。本来自営業で細々働いていたのを、
大学の知り合いがそこそこの大企業の社長になるのを機に、
その手伝いの為という特殊な経過を経て雇われていたので、
別に僕としては好きな時に辞めてもらっても構わなかったのですが、問題なのはその経緯でした。
大学の知り合いが新社長になったは良いものの、経営方針が相当ブラックだった様なんですよね。
直接的な表現は避けますが、社員が鬱になって次々辞めていくなど、
スレスレというかアウトな事を繰り返していたみたいです。
父は役員という本来であれば恵まれた立場を社内で得ていたのですが、
環境が変わればそれも意味合いが変化するというもの、社長に近い立場であるという事は
ブラックな方針の煽りをもろに受けるという事になります。
社長就任から年月が経つに連れ、周囲の他の役員が続々と辞めていき、
父にそれらの比重がどんどん重くのしかかって行きました。
で、他にも色々な要因を経てこの度めでたく仕事を辞めようと、そういう事になったのですが、
辞めるにあたっても問題が起きたんですね。
周囲からの引き留めが起こるのは安易に想像に着くかと思われますが、一例をあげると
社長からこのまま辞めれると思うなと強迫めいた連絡が来たり、自宅に来て張り紙を貼られるなど、
社会を知って間もない僕でさえ「いやそれは…」と
思われるようなキショい手段をもって、それは行われました。
まあそれらを振り切り、めでたく仕事を辞めた後に、
社長から「家族になにがあっても知らんぞ」的な連絡がきたらしいんですけどね。
これ以上僕から何を奪えるのかと思いましたけども。
そんなことを考えながら、バイトに向かったらなんと驚くことに、
来シフトが一日削られていましたね。
恐ろしい事です、皆さん人からの恨みは買わないようにしましょう。
これが3週間程前の話になります。
この度このような話をしたのはこれから社会に出る方の多い、
こだのクソ読者への注意喚起の意味を含みますが、今後の布石としての意味も大きいです。
ざっと事情を説明しましたが、会社からの報復が来る可能性は決してゼロではないじゃないですか。
万が一不利益が生じた際にそれに対するカウンターを放ちやすいように筆を執った運びになります。
母からは口外を避けるようにと、
我が家に箝口令が敷かれましたが、僕に話したのが運の尽きでしたね。
父の今後が穏やかな道のりになる事を祈ってます。いや~、ちゃんと恐ろしい話でしたね。皆さんも気を付けてください。
と、重い話をしましたので、ここからは僕の話をしましょうかね。
と、重い話をしましたので、ここからは僕の話をしましょうかね。
僕が話に関わると途端にしょうもなくなりますから。
皆さんご存じの通り、僕も仕事を半年前に辞めまして、今転職活動に勤しんでいる所になります。
辞めた当時は軽い報告に留め、詳しい説明は省かせていただきましたが、
そこそこ期間が経ちましたので、冷静になった今、当時を振り返りつつ反省点を見つけ、
今後の僕と、社会に出る/出たての皆さんへのアドバイスになればなと思います。
まず大きな反省点として挙げられるのが社内に友人が出来なかったことでしょう。
同期、先輩、2年目以降なら後輩、誰でも良かったのですが、
辞めるまで1人も友人が出来ませんでした。
それどころか軽く話せるような関係の人物も最後まで出来ませんでした。
どれくらいぼっちを極めていたかと言いますと、
勤めていた会社には着替え用の個人ロッカーがありまして、使用上の注意が貼られていたんですよ。
そこには「自己管理です。(自己責任)」という一文がありました。
これ言っている内容が被っていて、滅茶苦茶キショいじゃないですか。
それこそ「頭痛が痛い」に当てはめると、「頭痛がする(痛い)」って書いてあるようなものなんですよ。
で、僕はロッカーの前に立つたび、この一文が目に入り、
(キッショwwキッショww)と心の中でほくそ笑んでいたのですが、
誰にも「この一文めっちゃキショくないですか?」と話しかける事が出来ず、
この感情を終ぞ社内のだれにも共有することが出来なかったんですよね。
それくらいぼっちでした。
やっぱり入社してすぐが大切です、多少の無理は必要経費として割り切り、
人脈を素早く形成し、今後の活動を楽にしておくべきでしたね。
歓迎の飲み会で一発芸を振られた位であれば思い切ってやりましょう。
次の反省点として、コロナ禍での行動に問題がありましたね。
入社して3年が経とうという頃、コロナがやってきました。
僕の会社も例にもれず、オンラインでの業務に移る…かと思いきや、
業務内容的にオンラインに活動を移すのが難しかったんですよね。
仕方がないので、コロナへ警戒を行いつつ、引き続き対面で業務を行うことになりました。
その警戒の一環として、マスクをしようという雰囲気が社内に流れました。
誤解のないよう予め申し上げますが、当時はまだ流行り始めでしたから、
今のようにマスクが必須という訳ではなかったのです。
それでもエチケットとしてマスクを着けようね、という空気間であったのですが、
皆さんご存じの通り、僕マスクはもちろん、エチケットが嫌いなんですよ。
守っても守らなくてもいいけど、基本みんな守ってるよね?
という同調圧力にも似た雰囲気が嫌なんですよね。
それならもうルールとしてちゃんと定めろよ!と思い、昼しか眠れない時期もあった程です。
なので当時マスクを着けずに出社する日も珍しくありませんでした。
いやあこれは完全に僕が悪いですよね。業務内容も、丸いお菓子の真ん中に、
穴を開けてドーナツにするという衛生面に気を使わないといけない内容だったのですから、
例え嫌だったとしてもマスクはつけるべきでした。元々社内で浮き気味だった僕は、
この時期をきっかけにしてなお一層窓際族的扱いを受けることになりました。
皆さんも長い物には巻かれておきましょう。
で、もう一つ反省点を挙げるならば、
僕がそもそもあまりドーナツを好きじゃなかったことですかね。
大学に行くか就職するかという選択を迫られた時、なんとなく就職を選び、
誰でも出来そうなこの仕事を選んだわけですが、もう少し慎重になるべきでしたね。
毎日毎日物体に穴を開けて、
好きでもないものを延々と生み出し続けるのは苦痛を超えた虚無でした。
せめて違う職に就いたり、好きな物を生み出しているというモチベーションさえあれば、
最後あのように仕事が投げやりになっていくことはなかったんじゃないかなと思います。
結局はドーナツの穴の半径を、既定の1cmではなく4cmで開けていたのが会社にバレて、
辞めざるを得なくなったわけなんですが、正直仕事自体は楽でしたので、
様々な点に目を瞑り、真面目に働き続けていれば見えていた景色もあったのかなと、
今ならではの後悔もあります。
後悔というば一番大きいのは大学に行かなかったことですけどね。
会社勤めがこんなに味気ないもの(作っていたのはドーナツなのに)になり、
結局は辞めてバイトをしながら転職活動を行う事になるのを知っていたなら、
就職か進学か、という選択を迫られた際、間違いなく進学を選んでいました。
大学に行っていれば、多くの友人や大切な彼女を作り、
満たされた状態で今の時期にはもう就職活動も終えて、
夏休みを謳歌していたのかなと思うと涙が止まりません。
いや、でも用意された未来に正解がない可能性も全然ありますしね。
案外クソみたいな大学生活を送って就職にも苦労している可能性があります。
結局は今を大切にしてマシな未来を形作っていくしかないということでしょうか。
と言う訳で、今僕は転職先を探していますので誰か良い仕事を紹介してください。
今回はこの辺で、お疲れさまでした。