小さな幸福を探しに行った話 | こだのクソ

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死後評価される

そういえばバイト落ちました

こだです。

 

三週間ほど前、都知事選の帰りに初めての職質を受けました。

「あれ?君ここで何をやっているんだい?」って感じで。

痛い陰キャの僕はその事実に少し興奮し、開口一番警察の方に

「これって、職質ってやつですかね?(ニチャァ…」と聞いてしまったのですが、

警察の方がそれを無視して質問してくるものですから、イラっとして警察の隙を見て逃げてしまいました。

最近の警察は腐っていると聞きますが本当みたいですね。また嫌な思い出が増えました。

投票先を鉛筆転がして決めた罰が当たったのでしょうか。

 

 

皆さんには嫌な思い出、ありますか?

僕のブログを読んでいるような人間だったらそんな思い出の1つや2つは必ずあるでしょう。

 

もちろん僕にもあります。

運が悪くて損した思い出。

周りから迷惑を被った思い出。

自分がやらかした思い出。

それらを人に話したら「でも世の中にはもっと不幸な人いるよ」と一蹴された思い出。

 

その種類は様々でどれも脳裏に焼き付いては離れません。

どこで何をしていてもその場所に関係する嫌な思い出が想起されます。

 

通常、ある程度の嫌な思い出であれば時間が解決してくれますよね。

これは、嫌な思い出の対極に位置する良い思い出、

即ち「幸福」によって不幸が打ち消され、和らいでいくからだと思うのです。

スタンフォード大学もそう言っている気がします。

 

では、もし良い思い出がなかったらどうなるのでしょうか。

ブログを低頻度で投稿し、SNSには面白くもない文章を投稿する痛い大人になってしまいます。

 

皆さんそうはなりたくないですよね。

今回はそんな皆さんに向けて、参考になるとは思いませんが、

僕が小さな幸福を探しにいったときの事を共有したいと思います。

 

 

小さな幸福を探しに行く

あれは三週間ほど前の事でしたか。

中途半端な時間に目が覚め、家にいるには落ち着かない夕方。

 

言葉にする程でもない日々の些細な落胆の積み重ねが僕を遅めの散歩へ向かわせます。

近所には大きめの公園があり、

疲れた時、そこの池を眺めてぼんやりすることが最近の日課になっていました。

 

いつも通り池の淵に腰掛けようとした時、運悪く家族連れが来てしまいました。

子供は網を両手に、父親はカメラを持ち、母親はまだ小さい子供を抱えています。

 

絵に描いたような幸せそうな家族を前にし、

途端に居心地が悪くなった僕は逃げるように公園の隅の方のベンチへ。

 

ベンチに腰掛け、ふと回りを見てみるとカップルだらけです。

小池百合子が見たら憤慨しそうな距離感で、僕が理解できない言語を囁きあっていました。

気分も悪くした僕はもう帰ろうと、公園の出口へ。

 

その途中、話し声が聞こえてふと横を見たらパリピが花火をしていました。

ひょっとしてここは東京ではないのか、そう思うほど密接に。

流石にキレた僕は奇声を上げてその場から走り去りました。

 

僕の周りにはただ数分の安らぎを得る場所もないのだろうか。

どうにかして陰鬱になるばかりの気分を鎮めようと考えを巡らせます。

そして思い付くのです。

「星を見に行こう。」

 

近所には小さいですが山もあります。

東京の夜は明るく、通常空を見ても星なんて見えませんが、

真っ暗な山の頂上なら、それも可能ではないかと考えました。

 

夜に一人で星を見に行ける場所がある。

昔には当たり前にあったはずで、今ではもう滅多に見られない星空の景色。

叶えばそれは、疲れた都会人の心の癒しになる事間違いなしです。

 

早速そのままの足で山を登ることにしました。

そこそこの散歩をした後で疲れ気味でしたが、星空への期待が勝ったのです。

こんなに何かへ高ぶったのはいつ以来でしょうか。

この気持ちを無駄にしてはいけません。

 

山は期待度通り真っ暗で、足元を携帯のライトで照らしながら進みます。

セミの鳴く音が絶えず聞こえますが、それすらも星空を引き立てる音色のように感じました。

 

 

結果から言うと星空は見えませんでした。

 

30分程登ったところで頂上に着きましたが、

高度が足りないのか空に明かりはありません。

そもそも山の頂上に刺さった木が邪魔で上が見えません。

そして今思えばあの日の天気は曇りだった気がします。

 

どうやら僕の頭上に星は浮かんでいないようです。

しかし、不思議と落胆はありませんでした。

どこかでどうせ無理だとわかっていたのかも知れません。

 

山の頂上でそんなことを考え、自分を慰める僕を後目に、
セミよりも数段不快な足音が聞こえてきます。家族連れです。

子供は2人とも網を両手持ち、父親と母親はライトでその足元を照らしています。

 

どうやらカブトムシを捕まえにきたようです。  

こんな場所でさえ1人になれないか、現実が頭のキャパを超える音がします。

僕は頭上から落ちてきたセミの死骸を家族連れに投げつけ山を下りました。

 

山を下って帰る途中、道端には当然のようにカップルが手を繋いで歩いています。

少し耳を澄ませば知らない言語と同時に、どこからか花火の上がる音が聞こえます。

 

 

不快を超え、虚無を感じた僕はコンビニで酒を買いました。
店を出て直ぐにプルタブを開け口に含みます。

 

するとどうでしょう。徐々に嫌な事が視界に入らなくなってきます。

過去の嫌な記憶もぼやけ、正真正銘今を生きていると実感が湧いてきます。

 

皆さん!酒を飲みましょう。

僕はあまり酒が好きではなく、付き合いでも飲むのは避けたい程なのですが、

どうしようもなく落ち込んだ時、1人で酒を飲めば全てを忘れてその日はぐっすり眠れるのです。

 

缶を伝う水滴の一粒一粒が星に見える。

そんな恍惚とした気分で散歩を続けていると、不意に後ろから声が聞こえます。

 

「あれ?君ここで何をやっているんだい?

 

 

いかがでしたか?

 

はいはいアルコールアルコール。

皆もどうしようもない気分の時は1人で酒飲みながら散歩しようね。

それでは良い夏休みを。
 

お疲れ様でした。