日本語が読めない日本人が激増中!国語力が低すぎて意思が伝わらない!小学校で何を教えているんだ!? | 心と体を健康にするダイエット法

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いつもありがとうございます。

ハッピーダイエットの船田です。

 

日本に来た外国人が日本語を話せないのは仕方ありません。
 
しかし、日本人の両親に育てられ、日本語の学校で学んだネイティブ日本人が、日本語を読めない、日本語が通じない場合が急増しているようです。
 
もはや、日本語が理解出来ない日本人です。これは世代が違うとかの問題ではなく、国語力の問題です。
 
日本人の学生は、算数も壊滅的ですが、国語の方も恐ろしい状態ですね。いったい小学校で何を教えるとこうなってしまうんだか不思議です。
 
もちろん、狂った食生活で情緒不安定で勉強できない場合もあるかもしれません。
 
ちなみに、私はバラエティー番組の芸人の会話に頻繁に出てくる「めちゃくちゃ」という言葉が嫌いです。
 
美味しい物を食べて「めちゃくちゃ」美味しい。
なにかに感動して「めちゃくちゃ」すごい。
悲しい時も、苦しい時も「めちゃくちゃ」
好きな人にも、好きな物にも「めちゃくちゃ」好き。
 
あのさ、
 
本来の「めちゃくちゃ」の意味は、「まったく筋道が通らないこと。度外れなこと」「どうにもならないほど、台なしになってしまったさま」です。
 
めちゃくちゃなのはお前の頭だと言ってやりたい。あなた達がテレビで、それこそめちゃくちゃな話し方をするから、子供たちが真似するだろ。
 
まさに、GHQの3S政策が大成功して、テレビやスマホを通して日本人はばかになってしまった。
 
今回は木村正治さんの記事をシェアしました。
 
新聞記事にもなっている↓

船田の関連記事
学生の国語力が崩壊している事例の記事。

 

 

  

スマホを使い過ぎると脳が劣化します。子どもの頃からスマホを使うと日本語が使えない若者になる。

 

 

 

一流大学を卒業しても、国語力が小学校低学年レベルの国会議員。

 

 

 

普通の中高年の実力は現役の一流大学生よりはるかに高いという話です。だから中高年こそブログ起業が出来る。

 

 

 

木村正治さんの記事

 

学校教育の中で学んだ事で

世の中でも大切な視点だなと

感じる内容に国語の問題があります。

 

次の文章を読んで以下の問いに

答えなさい。

次の選択肢の中から筆者の言いたい

事に近いものを選べ

とか

次の選択肢の中から筆者の述べている

ものはどれか選べ

というものがありましたが、これは現実生活や

社会人として必要なものですね。

 

または、次の文章を読んで筆者が伝えたい内容

を800字以内に記述せよ

というのもありましたね。

文章全体を通して筆者は何を言おうとしているのか、

何を伝えたいのか要旨を把握することは現実社会

において極めて大切です。

それは人前でのスピーチや会話、やり取りにも

同じ本質が言えます。

取引先、交渉相手、人間関係など。

 

国語のこのような課題は社会人になってから

とても大切です。

逆に言えば社会人の中に文章読解ができない、

違う解釈をする人が時に見られ意思疎通に支障

が生じる場合が散見されます。

 

例えば以下の場合です。

 

(文章)

沈みゆく夕陽を前に思わず佇んだ。息を呑む

美しさだった。紅に染まる海に自分の心のうちを

重ね合わせた。深く息を吸い込んだ。潮風が

吹き抜けた。握る拳に力を込めてそうしてまた

歩き始めた。

 

この文章について

(問い)

筆者の言いたいことを次の3つから選べ

①感傷的になった

②憂鬱で落ち込んでしまった

③心が洗われ意欲が湧いた

という場合、答えはどれでしょうか?

勿論、③ですよね。

 

しかしSNSの投稿や現実の会話の中で時に

①や②を選ぶ方もいます。

読解力がないのか受け止め方が違うのか。

意思疎通に支障が生じます。

 

また以前にも述べましたが語彙が乏しい人が

意味を履き違えてトラブルになる事例もあります。

例えば「垢抜けている」という意味。

私が20代の頃にある会社員に

「お、今日は垢抜けていますね。」

と言ったのですが数週間ギクシャクしました。

理由がよく分からなかったのですが当時の上司

がある日私に

「◯◯と何かあったのか?」

と聞いてきて色々と聞いているとその会社員が

「木村くんに垢まみれ、不潔だと馬鹿にされた。」

と気分を害していたという事が分かりました。

垢抜けているというのは褒め言葉で洗練されて

いますね、センスが良いね、という意味ですが

垢抜けているという言葉の意味を知らず垢まみれ、

不潔だと間違えた理解をしていた為に私から

馬鹿にされたと受け止めてギクシャクしたわけです。

 

このような事例は最近よくあります。

国語の大切さを最近感じます。

 

さて次の文章を読んで以下の問いに答えてください。

(文章)

カレーライスを食べると頭頂部から汗が滲む

時がある。カレーには発汗作用がある。

不思議な事にカレーライスだけは夏バテの時も

食欲が無い時も喉を通る。不思議である。

カレーライスのルーの中身に様々な効用がある

のだろう。

ふとカレー店の前にさしかかった。

まだ食事時間には早い。

しかしカレー店のドアを開けた。

 

(問い)

筆者の言いたいことは次のどれか?

①カレーは汗が出るから最悪だ

②カレーライスは不思議だ。理解できない。

③カレーライスは嫌いである

④カレーライスが好き

⑤私は食事時間を決めていない

 

答えは言うまでもありませんね。

まさか本気で①②③⑤だと思う方は残念ながら

私との意思疎通は極めて困難だと思います。

 

 
関連記事

 

 

一部引用
 
国語力の低下が想像力の欠如につながる
 
小学校の先生が興味深い実例を示してくれました。小学4年生の教科書に載っている戦争文学に『一つの花』(今西祐行)があります。こういう話です。
 
戦中の食糧不足の中、お腹を空かせた幼い娘は何度も食べ物をねだるのが癖になっていました。ねだれば、もらえると思ったからです。
父親が出征する日も、彼女は何度もおにぎりをねだりました。父親はおにぎりをすべて渡した後、別れの直前に駅のゴミ捨て場のようなところに咲いていたコスモスを摘んで手渡して戦争に行きました。
戦後、父親は帰ってきませんでした。しかし、家の庭にはコスモスの花が咲き乱れていました――。
 
先の先生が子供たちに「なぜ戦争に行く前に、父親は娘にコスモスを渡したのか」と尋ねたところ、「娘が騒いだから罰として与えた」とか「お金儲けのため」といった答えが続出したそうです。

戦争を知らない子供たちが当時の状況を細かく理解するのはたやすいことではありませんし、自由な読み方を否定するつもりはありません。ただそれを差し引いても、前後の文脈や、戦争へ行く父親の立場を考えれば、「騒いだ罰」と捉えるのは適切ではないと思います。

では、なぜ、そう考えられたのでしょう。それは、他者の胸の内を言葉によって想像し、状況を適切に捉える力が弱いためです。常識に基づいた想像力を駆使して行間を読み取る力がないので、プログラミング的な思考で、「ゴミ捨て場に咲く花を渡す=罰」となる。

その先生は、これは単なる誤読ではないと主張されていました。誤読以前に、言葉をベースにした情緒力、想像力、論理的思考からなる国語力が不足しているから起こる解釈なのだ、と。国語力の不足によって行間を補えないということです。

そういえば、現在、小説の世界では恋愛文学の衰退が著しい状態にあります。文芸編集者によれば「他者の心の微妙な機微を感じ取ることが苦手な読者が増えていることが一因」なのだとか。
 

恐るべしスマホの害。