打倒池上彰(さん)!? 元局アナ・元日雇派遣労働者がニュースの深層を斬る!!【毎週土曜更新】 -11ページ目

打倒池上彰(さん)!? 元局アナ・元日雇派遣労働者がニュースの深層を斬る!!【毎週土曜更新】

テレビ局ディレクター、アナウンサー、国家資格予備校講師、W杯ボランティア、本書き、日雇派遣、不動産飛込営業、コールセンターマネージャ、ITベンチャー人事総務課長という多彩な経験から多角的な独自視点で、今起きているニュースの深層を、徹底的に好き勝手に斬ります。

韓国で、在韓アメリカ大使が襲撃され、
重傷を負った事件で、米韓両国のみならず、
関係の深い我が国でも大きく報道されている。


しかし我が国でのとらえ方は、
米韓両国とは少し様相が違うようだ。


我が国では、普段立場の違うメディアでも、
韓国社会の特異性を強調するような書き方をしている。


産経新聞の記者を、国内に事実上軟禁したり、
「正しい歴史」と言いながら主張する事実が
刻々と変化する従軍慰安婦問題の取り上げ方、

それに朴大統領の発言など、
執拗ともいえる、日本に対する厳しい姿勢が、
他国とは違って映ることから、そのような見方になっている。


直前にアメリカ政府高官が、その異常な
反日言動を続ける韓国をたしなめるかのような発言をし、
韓国内で大きな反発が出ていたことから、
それも事件の遠因ととらえる見方もある。


しかし、それは大きな間違いである。
その理由は後述する。


一方でアメリカでは、非難声明は出すものの、
単なる犯罪としてとらえ、反韓のような動きは出ていない。


逆に韓国の方は、アメリカに申し訳ない、
というような様相を見せている。
朴大統領がすぐに電話を入れるなど、すごい気の使いようだ。
返す刀で、アメリカ政府高官発言に対する反発も収めた。


それとともに、犯行の動機が、
「米韓演習が、南北和解を妨げる」と言うことであることで、
アメリカへの反発から軋みを懸念する世論に変わった。


実はこの犯行動機こそ、
先ほどの「大きな間違い」の理由である。


南北和解を妨げる、ということは、
北朝鮮に親和的であることが分かる。
つまり、米政府高官発言のあるなしに、
そもそも反米の立場なのだ。


日本ではあまり知られていないが、
韓国内では、北朝鮮に親しみを感じる層が、一定数を占める。
一部の調査では、国民の4割に達するともいわれる。


日本人からすれば驚きの結果に思えるが、
元々同じ民族であることからすれば、
自国韓国に対する親和度とは相対的ではなく、
純粋に親しみを感じるのは、当然とも言える。


そしてそれは、北朝鮮政府ではなく、
同じ民族に対してのものであるのが通常である。


ただし、北朝鮮政府寄りの立場の層も、
ごく少数、というわけではない。


国内で、反政府運動を繰り広げたり、国外でも、
韓国のロビー活動を妨害するなどの活動をしている。


今回の事件も、組織的かつ計画的ではないが、
主義的には、同根であるとみてよいだろう。


その意味で、韓国国民でありながら反韓の立場、とも言える。


李明博政権末期からはじまった官民挙げての反日の動きで、
日本人はそれにうんざりし、韓国と聞くだけで、
嫌疑的な先入観を持ってしまっているような気がいする。


しかしここは冷静かつ客観的な視点で捉えることが、
結果として韓国の世界的反日喧伝に打ち勝つ、
最も必要なことだと考える。

神奈川県で、中学生の少年が殺され、
知り合いの少年3人が逮捕された。


この事件では、発生した経緯や少年事件であることなどから、
大きな注目を集めた。


その中で、ことさら強調されていたのは、
被害者の実名の継続的報道や普段の生活の様子だけでなく、
被害者の生い立ち等を、興味本位で伝えられていたことだ。


はっきり言って、それが一般市民の利益になるだろうか。
野次馬的好奇心を満たすだけのものが多く、
同じ様な事件を繰り返さないようなものは脇に置かれている。


肝心なのは、容疑者の検挙や、新しいITツールで犯罪に
至るまでの経緯が見えにくいことに対する対策でのはずだ。
つまり、再発防止が、一般市民の利益である。


被害者のプライバシーを暴くことなど、
被害者や親族へのバッシング以外の何物でもなく、
一般市民の利益にも、何ら資さない。


事件解決や再発防止には、被害者や家族の協力が不可欠である。
それを好奇の目にさらされて、一部では、
まるで「被害者の方が悪い」などと言われてしまうこともある。


結果、被害者側が何も言えない状況に追い込まれ、
再発防止に有効な手立てが打てず、一般市民の不利益になる。


犯罪を減らすには、ある事件を通じ、警察庁幹部が
指摘したように、警察力の強化だけでは無理がある。
犯罪を未然に防ぐ取り組みこそが重要だ。


犯罪被害は、受けてみないと本当にその気持ちは分からない。
しかし、少しでもその声を逃さないことが重要だ。


そのためには、メディアの姿勢も大事だが、
意味のない報道には目を向けない、という、
表現の自由を核とする民主主義の主権者ある、
一般市民が、意識を高めることが必要だと感じる。

日本政府観光局より、先月の、
訪日外国人に関する資料が発表された。


前年同月比で、その数が30%近い伸びを示し、
過去最高だった昨年を、今年が上回る勢いででスタートした。


政府が力を入れていることもあるが、
東日本大震災から一定の時間が経ち、
何より円安になったことが、功を奏している。


中でも中国人に対するビザ緩和が、
中国人の訪日数を増やしたのも事実である。


中国政府も、政府系新聞で日本での買い物特集を組むなど、
表向きの反日の裏で、如何に日本に配慮をしようとしているか、
苦慮している様子がうかがえる。


以前本欄でも触れたが、中国の一般国民は、
政府の反日喧伝活動で、表向き反日の思いが強く見えるが、
今の日本の文化やメーカーの商品に対する好感度など、
実は日本を心から嫌っているわけではない。


むしろ反日宣伝をする政府に嫌気がさしているほどだ。
反日デモに参加した若者の多くが、
日本製品を身とまとっていたことからもうかがえる。


一度は行ってみたい国ランキングで、堂々1位となっている。
そこに円安・ビザ緩和で、昨年から一気に訪日数が増えた。


前年同月比で45%もの高い伸びを示している。
国別訪問者数でも、韓国に次ぐ2位である。


ではその韓国はどうか。


人数は確かに多いが前年同月比ではどうかと思われるが、
これがなんと40%と、中国とさほど変わらない
高い伸び率を示しているのだ。


これまで減っていたからその反動かと思いきや、
2013年から2014年の年単位でも、
12%という伸びを示している。


観光局の分析では、LCCの便数が増えたこと、
テレビ露出の増加等を上げているが、それは他の国も同じである。


韓国人は、反日の裏腹で羨望のまなざしをもっているが、
それはここ最近始まったことではない。
このところの急増の要因にはならない。


いったいこれが何を表しているのか。
正直、今の筆者には分析するだけのものを持ち合わせていない。


しかし、骨の髄まで染みついた反日感情を如何に無くしてもらうか、
相手側の心情の変化を待つだけでなく、来てもらった人達に、
好印象を持ち、自国で広めてもらう良いチャンスであろう。


そのためにも、日本人も感情的にならず、
笑顔でいる時と言うべきことを言うときと、
冷静に使い分けていくことが、
本当のお・も・て・な・し、ではないだろうか。

日米両政府が、終戦70年を迎えるに当たり、
共同文書を出すことになったとの報道があった。


第二次世界大戦で敵国だった両国が、
戦後同盟関係を結び、その同盟関係を
さらに強固にすることが目的だという。


日本政府はその中で、戦後70年間、
世界の平和のために尽くしてきたことを、
発信したい意向だ。


共同文書においてそれが盛り込まれれば、
アメリカもそれを自らの意思で表明したことになり、
我が国のこれまでの一定の評価につながる。


我が国にとって、歴史認識で攻勢をかけるであろう、
中国・韓国に対して、大きなけん制となる。


韓国にとっては、日米においていかれる、という焦燥感を、
一層深めることになるだろう。


中国にとっては、東南アジアでの対中反発がより際立ち、
我が国への攻勢もそがれることになるだろう。


一方で安倍政権にとっては、念願の憲法改正に、
一定のブレーキがかかることも否めない。


アメリカが日本の集団的自衛権を認めるのは、
あくまでアメリカが主導する事柄のみで、
日本が独自に行動をとることは絶対に許さない。


また、我が国の平和への貢献に対する国際社会の認知は、
憲法で交戦のための軍隊保持を禁じたことも1つであることも、
(護憲派がいうほど大げさではないが)事実である。


その憲法は、いみじくも改憲派がいうように、
「占領下でアメリカが押し付けたもの」ということであれば、
アメリカが、その憲法を変えることをどう思うかだ。


アメリカの狙いは、あくまで日本に対して、
アメリカに対する後方・金銭的支援である。
戦闘参加は望んでいない。


先の大戦で、当時の日本がアメリカに対して、
予想外の長期戦に持ち込んだことに、潜在的に、
日本に再び同じ力を持たせてはならないと恐れているからだ。


共同文書には、当然そのアメリカの意思も入る。
日本が絶対に独自の軍事行動をとることはないと。


であれば韓国にとっては懸念はなくなることになるが、
反日を是としている国家である以上、
その大きな根拠を失うことになる。


中国にとっては、自身の覇権を阻止される、
大きな壁となり、アメリカとうまくやることを、
これまで以上に余儀なくされるであろう。


同時に、アメリカのコントロールが効く、ということは、
安倍政権の暴走を懸念する一部の人たちにとっても、
安心につながるだろう。


安倍政権にとっては、両刃の剣となる恐れもあるが、
逆に変な反発を生まずにすみ、
さらなる長期政権を見据えることができる。


それらすべてを勘案し、共同文書の中身がどうなるか、
大きな興味を持って、その発表を待ちたい。

イラクとシリアで活動するテロ組織・ISILによって、
日本人とシリア人の人質が殺害され、
国内外に大きな衝撃を与えている。

特に国内では、安倍政権の対応、それに対する評価が、
その衝撃の大きさを表しているのか、
冷静さ失っているように見受けられる。

筆者もその一人ではあるが、あらゆる物の見方接し、
これではISILの思うツボで、
国際的な信用を失いかねない事態に陥る恐れを感じている。

まずは安倍首相が、事件発生直後に開いた会見で、
断固許さないと発言した。
そして人道支援を続けるとも表明した。

それ自体なんらの問題はなく、支援を表明しようがしまいが、
ISILは、口実を設けて来ただろう。

それに対して野党は、発言の内容を問題視するかのような質問を、
国会で行っている。
生活の党の山本太郎参院議員に至っては、
人道支援自体問題視するという、それこそ問題外の主張をしている。

共産党の吉良佳子参院議員も、安倍政権を揶揄するネットへの書き込みをし、
志位和夫委員長に注意されている。

野党の側も、何が問題かを履き違えてはならない。


安倍首相の会見で問題なのは、その会見を開いた場所だ。

会見場の後ろには、日の丸のほか、イスラエル国旗があった。

アラブ諸国にとってイスラエルは、
同胞のパレスチナを追いやる、いわば敵である。

そのような場所での発言は、イスラエルの味方をする、
と受け取られかねない、不用意な場所であった。

イスラエルに肩入れするアメリカが、
日本を事実上の有志連合の一員としていることとも相まって、
アラブ諸国では、人道支援も、結果としてその資金が、
回り回って軍事費に回されるのでは、という懸念が出ている。

そのアメリカでも懸念されている発言があった。
二人目の日本人人質が殺害された後の発言だ。

発言の中に、償いを受けさせる、という表現があった。

これは当然に、法律に則って、殺人という犯罪に対して、
法令に基づき捜査し、逮捕し、裁判を受けさせる、
という意味ではあるが、英語訳の発表が遅れたため、
アメリカでは、軍事的な報復に参加する、とも受け取られた。

さらに、ISILは国家ではないのに、
集団的自衛権の対象だとの発言もあった。

日本人人質の殺害は、今に始まった事ではない。
しかし報道が、日本の転換期と騒ぎ立てている。

報道する側も、それを報道すれば反響が大きいからだ。

反響する国民の側が冷静にならねばならない。

自民党の高村副総裁が、殺害された人質のジャーナリストを、
蛮勇だと言った。

労働者の安全を守る義務を課されている、テレビ局や新聞社が、
おいそれと行けないから、彼らが行って真実を伝えることに
価値があるのではないか。

朝日新聞が記者をシリアに送ったことに、
他の新聞が懐疑的な伝え方をしている。

新聞は、伝えることが、使命である。
先の安全配慮義務があるとはいえ、
その中で、最大限その使命を果たそうとしている。

それを疑いの目で見るのは、自己否定何者でもない。

このままでは、国際社会において、
日本が頼りなく映り、信用を低下させかねない。

我が国がすべきことは、国民は、今までと同じように生活し、
人道支援は、その内容をつまびらかに明らかにして、
軍事費に回らないと、安心してもらい、

イスラエルとアラブの関係に一層の配慮をし、
人質救出は、警察権または個別自衛権の範疇であることを踏まえ、
諸外国との連携をより一層深めていくことである。

そして批判をする場合は、相手を陥れることを考えず、
間違いを正して、あとは協力する、という視点を忘れてはならない。
反論も、また然りである。

国際テロ組織・「イラクとシリアのイスラム国」、
通称イスラム国・略称ISIS(ISIL)が、
支配地域に入った二人の日本人を人質にとってから、
既に1週間以上経過した。


先週、2人のうち1人が殺されたとみられる画像を、
もう1人が持つ静止画が、そのもう1人の音声付で、
公開された。


その内容が、ヨルダンでテロを起こし死刑となった囚人と、
人質の交換とともに、同じくISILにとらわれている、
ヨルダン空軍パイロットの殺害に言及した。


ここで事件の構図が大きく変わった。
ISILの交渉相手が、日本からヨルダンとなったことだ。


死刑囚とパイロット、いずれも、ヨルダン政府の管理下にある。
ISILが求める釈放は、ヨルダン政府が決めることで、
日本政府が口出すことは、内政干渉、犯罪者釈放となり、
国際社会から到底理解は得られない。


ヨルダン政府は、まずパイロットとの交換を求めている。


日本政府は、黙って推移を見守るしかなくなったように思える。


しかしそうではないと考える。


事件発生当初、日本が協力を求めるべき先として、
中東情勢を知る識者からは、トルコに協力を
求めるべきだと口をそろえていた。


有数の親日国であるだけでなく、ISILにとらわれた
トルコ人49人を無事解放に導いている実績がある。


なのに日本政府は、ヨルダンへの協力要請を優先した。
それがそもそも間違いだったという指摘もある。


もしかしたら表に出していないだけで、
トルコとの協力もしっかりしているのかもしれない。


しかし最後の通告から既に丸3日連絡がない。
一体ISILに何が起きているのか、
人質は生きているのか、そのような情報を手に入れることが、
問題解決への糸口となるのではないだろうか。


いずれにせよ、見守るだけでなく、
打てるべき手は打ちつくすことが最善と思われる。


何より人質の無事を信じたい。

国際テロ組織・「イラクとシリアのイスラム国」、
通称イスラム国・略称ISISが、
支配地域に入った二人の日本人を人質にとり、
身代金を要求してから、期限の72時間が経過した。


要求をしていながらコンタクトをとってこないイスラム国に、
日本政府の打つ手は限られているように見える、


これまで多くのシビアな交渉をイスラム国と重ね、
人質解放に大きな力を発揮したトルコなど、
外国への支援要請もしているが、事態は進んでいない。


これまでのイスラム国が人質に取った事件では、
解放までは月単位の時間がかかっており、
今回も、そのような状況になりつつある。


となれば、交渉での解放が期待できるが、
問題は、身代金を払うかどうかだ。


身代金を払ってしまったらテロに屈したことになる。
払わなければ、人質の命が危うい。


人質事件の発端は、安倍首相が中東歴訪で表明した、
イスラム国の影響により被害を受けている人たちへの
人道支援に対する反発だ。


その発表直後に支援額同額の2億米ドルを要求したことは、
まさにイスラム国にとっては絶妙なタイミングだった。


そして世界に対して相当なインパクトを与えた。


しかしうまく行ったのはここまでで、
世界中のイスラム教徒を多く抱える国々からは、
人道支援に対するテロに、反発されている。


また要求したのはいいが、それ以降のコンタクトが取れていない。


加えてここで二人を殺害したら、
最大の切り札を失ってしまう。


それに、その反発が既に示している通り、
もし殺害に及んだら、イスラム教徒を抱える国々には、
日本に好意的な国が多いことから、
決定的なダメージを逆に被るだろう。


とはいえ、身代金も取れないまま解放するのも、
これまた切り札を失うことになる。


有志連合の空爆や資金源となる原油価格の下落で、
ここにきて勢力に陰りが出始めているとも言われている。
余計に現金を得たい想いが募っているはずだ。


となると日本としては、交渉の努力は継続しつつ、
一方でイスラム国の崩壊を待つという、
長期的な覚悟が求められる。


そういった意味で、双方手詰まり感が出てきている。


今のところは、まずイスラム国の次の声明を待つしかないが、
そのイスラム国もどのようなないようにするか、
まさか期限延長など言えないし、殺害もできない。


日本政府としては、あらゆるルートを使って
地道に働きかけていくしかないようだ。

権力や宗教支配を皮肉ることで知られている、
フランスのシャルリーエブド紙が、
イスラム過激派の襲撃を受け、それに対する抗議の動きが
ヨーロッパ中に広がっている。


テロによる表現の自由の侵害に対する抗議だという。


テロは絶対に許してはいけない。
それを以ってどんな表現でも正当化されることとは全く別だ。


表現の自由は、権力をもつ者に対する対抗力だ。
それ以外のものを貶めるものではない。


フランスにおける表現の自由も、
絶対王制や宗教権威からの支配からの脱出によってもたらされた。


それゆえ、政治やキリスト教に対する風刺という文化が生まれた。
少なくとも、イスラム教からの支配ではない。


シャルリーエブド紙は、その本来の目的から大きく逸脱し、
福島の原発被害者をあざ笑うかのような絵も掲載した。


福島の原発被害者は、フランス一般市民を支配していない。
よってそこには風刺は成り立たない。
表現の自由の名を借りた、列記とした「冒涜」だ。


イスラム教に対してもしかり、フランス国内で、
イスラム移民は増えたが、権力で市民を支配していない。
よっておなじくそこにも風刺は成り立たない。


これもまた表現の自由の名を借りた、
列記とした「冒涜」と捉えられ、襲撃を受けた。


しかし、絶対許していけないテロに遭ってしまったことで、
あたかも、シャルリーエブド紙が悲劇のヒーローのように
仕立てられている。


各国首脳のデモ行進がそれを決定づけた。


しかしそのデモ行進に参加した面々が何をしてきたか、
ここで会えては触れないが、表現の自由に対する
不当なペナルティを課している者もいる。


テロの抗議に来ただけで、表現の自由を制限しているのなら、
あたかも宣言していないかのような振る舞いをしている。


テロには絶対的な抗議は収まらないし収めてはならない。
一方でシャルリーエブド紙に対しては、
今後も、風刺ではなく冒涜を続けていけけば、見る目も変わるだろう。


既にヨーロッパ以外では、
米国含め冷静な報道が大勢を占めている。


一時の感情と同情だけで、賛成してはならないものにまで、
正当化を与えるようなことはしてはならない。

沖縄県の翁長雄志知事が、
昨年の衆院選直後から今週にかけて、
東京を訪れ、閣僚などとの面会を求めているが、
全く実現していない。


一部の自民党関係者からは、
「立場をわきまえろ。」との声が聞こえるという。


立場とはどういうことか?
県政より国政に携わる方が、各上なのか?
我が国の法令にそんなことは一切規定されていない。


憲法上明確なのは、国民主権であり、
国政でも県政でも、国民が選ぶ以上、
国民が上であり、選ばれる方にその差はない。


翁長知事も、そのプロセスを経て選ばれた。
立場をわきまえるのは、誰に対してか明白である。
少なくとも、政治を担う側に対してではない。


その時点で既に「自分の方が上。」という驕りが出ている。


それだけにとどまらない。


沖縄県に対する振興予算を、その是非はともかく、
一度決めたものを、減額するという。
自分の意に添わなければ、何でもありなのか。


基地の有無に関係なく、沖縄は、戦後27年間、
日本の主権が及ばなかった以上、
それを取り戻すのは、容易ではない以上、
振興策を講じるのは当然なのである。


もっと言えば、翁長知事を選んだのは、
沖縄県民の民意である。


その代表者に、政府の関係者が、誰も会わないというのは、
国民主権を根本から否定する暴挙なのである。


さらに言えば、安倍首相は、中韓首脳に対して、
「意見の違いがあるからこそ対話を。」と呼びかけている。


ならば、意見の違う翁長知事とは、
真っ先に会うべきではないか。


なぜ沖縄に基地が必要なのか、
丁寧に説明するべきではないのか。


少なくとも(その過程はともかく)
民主党の鳩山首相(当時)の方が、
どんなに非難されようが自ら出向いた。

少なくともその点に限れば、安倍首相とは天地の差だ。


自分の都合のよいようにしか言動をとらないのは、
驕り以外の何物でもないのである。


もちろん、このことを曲解して、
関係のない方向に持っていく県外の運動家とは、
一線を課さなければならない。


しかし今回は、県内の自民党でさえ、
明確に、沖縄の現状を訴えたのだ。
翁長知事は、元は自民党推薦の那覇市長である。


かつての自民党政権は、2000年、
翁長氏より明確に国政与党と対立をしていた、
大田昌秀知事の時に、当時の小渕首相が、
沖縄サミット開催を決めている。


残念ながら、今の自民党に、その謙虚さと寛容さと、
そして実現への強い思いが感じられない。


沖縄に基地が必要、それは、まぎれもない事実である。
だからこそ、丁寧に説明をし、
他都道府県にも別の形での応分の負担も
してもらわなければならない。

その阻害要因を取り除くものとして、
以下のことを指摘したい。


沖縄以外の国民が、安全保障体制を、
自分のこととして考えれば、沖縄に押しつけている現状を、
真剣に考えることができるだろう。


しかし、どこか他人事のような空気を感じる。
なぜなら、なんだかんだいって
まだまだ「平和ボケ」しているからだ。
(身近に危険がないように感じるからそう思ってしまう。)


それともう1つ、翁長知事は、
「本土の人たちにも分かってほしい。」という。
沖縄以外を本土と定義している。


しかし沖縄県も、まぎれもない我が国の本土だ。
沖縄以外の人たちがそれを口にするのは、
厳に慎まなければならない一方、


沖縄の人たちも、自分以外を「本土」というのは、
ある意味排他的にも聞こえてしまう。
「県外」とか「他県」という言い方に変えられる。


その点も、自然になるようしていくのが、
国民の向かうべき方向であろう。


国民がそうなれば、政権もそれは無視できなくなる。
驕らせないようにできるのは、国民だけなのだから。

騒いだ割には大きな変化がなかった2014年も終わり、
2015年も静かな年明けになった。


静かなことは良いことだが、悪い方への変化が、
一部の絶好調とはまるで無縁のごとく、静かに迫っている。


円安による物価高、実質賃金の目減り、
他、どれをとっても、生活者には暗い話題ばかりである。


その中で、少しの希望が見えたとすれば、
いわゆるブラック企業の淘汰である。


深夜に一人で店を切り盛りさせる、
いわゆる「ワンオペ」の無理がたたり、
従業員が辞めて行って、回らなくなったゼンショー、
ついに赤字に陥ったワタミなど、


今まで、もっともらしいことを言って、
安い賃金で若者を雇っていた企業が、
次々と窮地に追いやられている。


ユニクロは早々と雇用を厚くすることで、
窮地を脱しようとしている。


経済とはそもそも生活の中から生まれる。


生活で必要なモノがあるからそのモノを買う。


モノが売れれば企業は儲かる。


そして業績の企業は賃金を増やす、はずだった。


しかしもうけたお金を貯め込み、
賃金に回さなくなった。


必要なモノも買えなくなった。


モノが売れなければ企業はもうからない。


企業が儲からなければ賃金は増えない。


賃金が増えなければ、ますます消費が落ち込む。


そして今、実質賃金は減っている・・・。


実質を除いた物価上昇も、
需要があるから値段が上がるのではなく、
円安で原材料が上がっただけだ。


本当の意味でのデフレ脱却ではない。


ここまで書けば、企業の成長は、
賃金の上昇が不可欠であることが分かる。
(実はそれだけではないが、後述する。)


だからこそ、安倍政権は賃上げ賃上げと言っているのだ。


しかし、安倍政権の言うことが届くのは、
一部の大企業だけだ。


大企業が賃上げをした分、
下請け企業の納入価格を聞き下げる動きに出る。
下請け企業は逆に賃下げになってしまう。


賃下げだけでなく、正規雇用を控え、
いつでも首切れる(と誤解されている)非正規雇用でしのぐ。


正規雇用が減って非正規雇用が増え全体の4割に迫った。


いつ首切られるか分からない状況で、
思い切った消費など出来るわけない。


賃上げだけでなく、安定雇用の確保こそ、
消費回復=企業業績の向上につながる。


しかし、個々の企業はそんなリスクは抱えられない。


そんなジレンマに陥っているのが、
現在の我が国の状況なのだ。


これは、誰が悪い、アベノミクスの効果出ていない、
という次元ではない。制度上の問題だ。


ならばどうすればよいか。


以前から筆者が本欄で言ってきた、
「労働法制の大改正」である。


企業に、正規雇用を義務付けることが早道だが、
中小企業にそんな余裕はない。


ならばいっそのこと、正規・非正規の壁をなくすのだ。


そもそも正規雇用という法的な定義はない。


労働基準法で定められているのは、
雇用期間の定めの有無だ。


無い場合、定年まで勤められることになる。
正規雇用の一般的な要件の1つと言える。


その他にも、給与の違い、責任の違いなど様々だが、
非正規には、責任だけ押し付けて待遇は良くしない、
という手が使われている。先に出したゼンショーが典型例だ。


とはいえ、雇用期間の定め以外、法的に規制は事実上できない。


それに、その期間の定め以外、先の責任性など、
正規・非正規の区別も、垣根が低くなっている。


であれば、いっそのこと雇用期間の定めを
原則として無制限のみにしてしまうのだ。


予め事業自体が期限付である場合は、
都道府県労働局の認定を受けることで救済する。
それ以外の例外は、一切認めない。


期限付事業の認定は、会社単位ではなく、
プロジェクト単位でも認めるようにする。
(当然会計基準は厳しくする。)


こうすれば、正規・非正規の垣根が無くなる。


ただこれだと賃金を予め低く抑えた
新規雇用ばかりになってしまう。
それにリストラもできない。


なので企業側には、解雇の制限を今より緩くする。
ただしそれだと、雇用の不安定につながり、
従来の非正規なかりになってしまう。


従来の解雇制限は残した上で、
それ以外で解雇する場合は、
1年以上の予告期間を義務付けるのだ。


そこに「1年分の賃金を払って即解雇」は認めない。
雇った以上、従来の止むをえない事情として認められている
解雇制限の枠外で行う場合は、相応の責任を負担させる。


解雇予告を受けた労働者は、一定日数分の
無制限の有給休暇を付与する。次の職探しのためだ。


そして枠外解雇を行った企業は、
10年間、厚生労働省のホームページなどで、
その事実が晒されるようにする。


外資系のリストラのように、企業自ら転職先を
紹介し実現した場合は、その事実も併せて紹介する。


こうすることで、本当に従業員の雇用確保を考える→
従業員のやる気を出させる→企業価値の向上に、
まじめに取り組んでいる企業が生き残るようにするのだ。


もう1つ、こうすることで、硬直化した労働市場の移動が
大きく流動的になることだ。


どうせ大企業に勤めても、定年までいられるのはわずか。
放りだされるよりも、誰もがいつでもそうなってもよく、
かつセーフティネットがあれば、不安もかなり減る。


こうなると、1つ懸念が出てくる。
労働者間の格差が広がってしまうことだ。


求められる労働者は引く手あまたで高賃金となるが、
そうでない労働者は、そうならない。


しかし今ただでさえ格差は広がっている。
今のような不健全な格差の広がり方より、
不安が少ない中の方がまだ安心だろう。


また、求められる労働者になるには、
労働者自身の自己研さんが必要なことも言うまでもない。


とはいえ、育児・教育や介護に時間を取られる人もいる。
そこは別の法律になるが、労働基準法と相俟って、
今のような中途半端な援助策から大きく変更する。


育児・介護の適用範囲を広げ、休業中は100%保障するくらいの、
思い切った施策の拡充が求められる。


とにかく、今の消費が上向かないのは、将来が不安だからだ。
不安の一番の要因は、老後の年金がもらえるかどうかだ。


なので一番重要な施策はその年金拡充なのだが、
現役労働者の収入が増えない限り、それは望めない。


であれば、労働者の懐を温め、雇用不安をなくし、
消費をしやすくすることで企業業績を向上させるのが早道だ。


企業業績を向上させ、貯め込みを賃金に回した分、
税金を割り引くのである。
それも、いまのような1%というのでなく、全額でも良い。
法人税減税よりよほど効果が上がる。


賃金が上がれば年金保険料収入も増え、年金財政が良くなる。


万が一、安倍首相がこれを読んでいたら、
一笑に付す前に、ちょっとだけ真剣に検討しただきたい。