改めて今年を振り返ると、多くのニュースにおいて、
「で、結局どうなったの?」と感じさせられた。
まずは今月行われた衆院選である。
何のための解散だったのか、
聞こえるのは自民批判ばかりなのに、
減ったのは一議席だけだった。
野党の議席も、共産党は伸ばしたが、
全体からみれば影響は少ない。
結局、選挙前と何が変わったのか見えないままだ。
次はSTAP細胞である。
夢の若がえり、という文言に踊らされて、
結局は昨日、「ES細胞が混入し、それと勘違いしていた。」
という発表で、混入の経緯も不明のまま、幕引きとなった。
結局は、ES細胞のまま特に前進はなかったことになる。
御嶽山の噴火、広島市の土砂災害では、自然の力の前に、
最高の災害防止技術を持つとされる我が国でも、
ほとんど無力だった。
御嶽山では、まだ6人の方が行方不明だ。
ご家族の心情を鑑みれば、察するに余りある。
広島では、今もその災害は続いている。
行政は、適切な手を差し伸べているだろうか。
東日本大震災では、まだ10万人超の方が避難している。
原発被害は、実は震災直後より後の方が深刻だったことが、
最近になって分かった。
結局は、いつもの通り後手後手になってしまっている。
ソチ五輪、あおるだけあおって
選手にプレッシャーをかけて、
結局潰してしまった種目が複数ある。
普段その競技に見向きもせずに、
五輪の時だけ見る、という国民性は相変わらずだ。
開催国ロシアも、平和の祭典を開いておきながら、
ウクライナへの侵攻を止めなかった。
結局は、欧米の経済制裁でかつての混迷経済に戻った。
アメリカで、アフリカ系米国人が、
警察官に射殺される事件も相変わらず散髪している。
結局は、自由と平等を標榜する米国において、
人種差別は、今もなお厳然と存在している。
中国では、相変わらず政権幹部の汚職摘発が行われている。
結局は、その体質が変わっていない、ということだ。
韓国での反日は、最近一層激しくなっているように見えるが、
ソウル五輪の時に日の丸がなかったなど、
特に今始まったことではない。
結局は、韓国は官民挙げての反日国家のままだ。
欧州は、EUという形で統合したが、
スコットランド独立投票など、地域間の感情は、
戦争を繰り返してきた歴史から、そう簡単にぬぐい去れない。
結局は、今も火種はくすぶったままだ。
こうみると、本当に何も変わらなかった、と実感する。
変わらなかったのは何か?
外国ではそれぞれ要因はあるので、
「これ」という断定はできない。
しかし我が国では、衆院選の投票率が半分程度になったことが、
”社会の対する無関心””自分のことしか考える余裕がない”
ことが、形として現れたような気がしてならない。
外国でも、政治に対する無関心、自分のことで精いっぱい、
という、自国民の分析が多々あるという。
「どうせ変わらない」というあきらめ感が
根底にあるともいわれる。
生物の進化において重要な要素は「変化すること」だという。
環境は常に変わるからだ。
その環境についていけないと、
強者が弱者になるのではなく滅亡するのだという。
1億年以上地球上の生物の頂点に君臨していた恐竜が、
あっという間に滅亡してしまったのも、
諸説あるが、そのほとんどが、急激な環境の変化、
ということで共通している。
人類が出現して500万年。
トップに君臨していれば、その環境が変われば、
その地位にいられなくなるということである。
環境は常に変わるのに、「どうせ変わらない。」
このあきらめ感が人類滅亡の始まりであると感じるのは、
筆者だけだろうか。
来年は、そうならないよう、心の良い方への変化が起きること、
願ってやまない思いをもつと同時に、
その手段として、来年も本欄を継続していきたい。