東日本大震災での被災者の冷静な行動や、
卓越した技術や備えで被害が少なかったと
(外国では)捉えられ、我が国は賞賛を浴びた。
以来、動画投稿サイトや書籍で、
我が国はこれだけ素晴らしい、という内容のコンテンツが、
多く出回るようになった。
今年に入って、テレビでもそのような傾向が出てきている。
GDPで中国に抜かれ、いまでこそ陰りが出ているが
サムスンに引っ張られた韓国の躍進で、
日本はどうなってしまうのか、という不安の裏返しであろう。
確かに、それらのコンテンツは事実であり、
世界から称賛を得られていたのは事実である。
しかしそれらは、全て過去の日本人の努力の結果であり、
今の我々が築いてきたものではない。
それに対し、先達へ感謝の念を忘れ自画自賛している姿に、
筆者はやや違和感を覚える。
それに、気づかない人も多い(それも問題なのだが)、
世界各国の人権自由度において、我が国は、
欧州各国に比べ軒並み低評価であり、
性差においては、中国と変わらない評価である。
(ちなみに米国も人種差別があり、我が国並みに低い。)
え、と思われるかもしれないが、列挙したい。
・先に触れた性別(待遇、性犯罪など)
・(あまり表に出てこないが)深刻化する学校でのいじめ
・拉致問題に象徴される犯罪被害者や家族対策の無策ぶり
・推定無罪の原則を無視した容疑者報道
・犯罪者、服役囚の扱い
・民族差別(我が国は古来から単一民族国家ではない。)
・サービス残業の放置に代表される労働法規違反の横行
日本人は、和を重んじるあまり、
主張をせずかつ同一性を求める傾向がある。
つまり、主張する人を空気が読めないと非難し、
また、自分たちと異質性をもつ者に対する排除傾向が強い。
(だから移民政策が進まない。)
残念ながら、バブル崩壊以来、日本人は自信を喪失し、
他者を想いやる気持ちをもつ余裕がない人が大勢増えた。
それが、一層排除傾向を強くしている。
他者を認めない、それが素晴らしいことなのだろうか。
他者との違いを認めて、初めて自分の価値が分かるのではないか。
外国で尊敬を勝ち得てきたのは、
その違いを受け入れてきたからではないか。
もう一度、先達が築いた偉大な遺産を浪費しないために、
今ここで一人ひとりが出来ることなにかを考えるべきではないか。
今度の選挙に投票に行くことも、その1つであると考える。
投票率は、その選挙の民主主義の浸透性ともいえる。
投票に行けるのに行かないのは、民主主義の放棄になる、
それ以前に社会参加の放棄になることは、
まぎれもない事実なのである。