権力や宗教支配を皮肉ることで知られている、
フランスのシャルリーエブド紙が、
イスラム過激派の襲撃を受け、それに対する抗議の動きが
ヨーロッパ中に広がっている。
テロによる表現の自由の侵害に対する抗議だという。
テロは絶対に許してはいけない。
それを以ってどんな表現でも正当化されることとは全く別だ。
表現の自由は、権力をもつ者に対する対抗力だ。
それ以外のものを貶めるものではない。
フランスにおける表現の自由も、
絶対王制や宗教権威からの支配からの脱出によってもたらされた。
それゆえ、政治やキリスト教に対する風刺という文化が生まれた。
少なくとも、イスラム教からの支配ではない。
シャルリーエブド紙は、その本来の目的から大きく逸脱し、
福島の原発被害者をあざ笑うかのような絵も掲載した。
福島の原発被害者は、フランス一般市民を支配していない。
よってそこには風刺は成り立たない。
表現の自由の名を借りた、列記とした「冒涜」だ。
イスラム教に対してもしかり、フランス国内で、
イスラム移民は増えたが、権力で市民を支配していない。
よっておなじくそこにも風刺は成り立たない。
これもまた表現の自由の名を借りた、
列記とした「冒涜」と捉えられ、襲撃を受けた。
しかし、絶対許していけないテロに遭ってしまったことで、
あたかも、シャルリーエブド紙が悲劇のヒーローのように
仕立てられている。
各国首脳のデモ行進がそれを決定づけた。
しかしそのデモ行進に参加した面々が何をしてきたか、
ここで会えては触れないが、表現の自由に対する
不当なペナルティを課している者もいる。
テロの抗議に来ただけで、表現の自由を制限しているのなら、
あたかも宣言していないかのような振る舞いをしている。
テロには絶対的な抗議は収まらないし収めてはならない。
一方でシャルリーエブド紙に対しては、
今後も、風刺ではなく冒涜を続けていけけば、見る目も変わるだろう。
既にヨーロッパ以外では、
米国含め冷静な報道が大勢を占めている。
一時の感情と同情だけで、賛成してはならないものにまで、
正当化を与えるようなことはしてはならない。