青山霊園入口

 

 港区南青山のビル街のほど近くにあり、都心の貴重な緑の空間となっている都立青山霊園は、明治7年(1874)に開園した日本初の公営墓地である。
 総面積約26haという広大な土地には、政治家や文豪など歴史に名を残す著名人のお墓が数多くあることが知られているが、その中には囲碁棋士や囲碁愛好家も含まれている。
 

案内板

 

 江戸時代、すべての人々は寺院の檀家になることが義務付けられ、これは戸籍制度を兼ねる重要な役割も果たしていたが、神道や儒教を信仰する人たちにとっては受け入れ難い事で、明治時代になると、神葬墓地(神道の墓地)などが造られるようになる。
 明治6年、政府は都心部で墓地への埋葬を禁じる通達を出し、その対策として宗教に依らない公営墓地の開設に着手し、翌明治7年に青山墓地(青山霊園の前身)のほか、雑司ヶ谷、染井、亀戸、谷中などが開設される。
 青山墓地がある場所は、もともと美濃郡上藩(岐阜県郡上市)の藩主・青山家の下屋敷跡があった所で、この辺りの地名である「青山」の由来にもなっている。
 明治5年(1872)に、会津藩出身の桐生氏が現在の青山霊園立山地区(立山墓地)に神葬墓地を開いたことがきっかけとなり、隣接する青山家跡も神葬祭墓地として造成されている。
 明治7年には公営墓地となり、明治22年(1889)に東京府から東京市へ移管。大正15年(1926)には斎場の建物すべてが東京市に寄附された。

 

ビルに囲まれた墓域

 

 周辺の市街化にともない、明治末期には郊外への移転が検討されているが、東京市は欧米の森林墓地や芝生墓地などを参考に、単に慰霊の場所としてではなく、公園のように地域の憩いの場として活用できる「公園墓地」の構想を推進し、昭和10年には、青山墓地をはじめとする東京市営墓地の名称が「墓地」から「霊園」へ改められた。
 現在では、春に園内の東西南北に延びる遊歩道の桜並木を見に多くの人々が訪れているほか、著名人のお墓参りなど園内を散策する人も増えているという。

※以下に、現在判明している青山霊園に眠る囲碁と関わりのあった方を紹介する。
 なお、リストは新たな発見があり次第、随時更新していき「囲碁史人名録」で公開しているものはリンクを貼っておく。

〇棋士
 相原可碩  … 井上道節因碩門下、徳川家宣に召し出され御家人となる。
〇囲碁界と関係の深い人物
 大久保利通 … 維新の三傑、島津久光に取り入るため囲碁を学ぶ。
 牧野伸顕  … 大久保利通の次男。日本棋院初代総裁。
 頭山満   … アジア主義・右翼の巨頭、明治から戦前にかけての囲碁界の有力支援者。
 犬養毅   … 内閣総理、「五・一五事件」により暗殺。囲碁会の有力支援者。
 園田孝吉  … 実業家、本因坊秀栄が支援者の高田たみ子との関係を断った事を批判。
 金玉均   … 李氏朝鮮の政治家、本因坊秀栄と親交を結ぶ。
 後藤象二郎 … 土佐藩士、公武合体・大政奉還運動で活躍。方円社の支援者で、秀栄と秀甫の和解を仲介。
 尾崎忠治  … 大審院長、方円社、官僚の中で最強といわれ秀甫らとの棋譜もある。
 芳川顕正  … 伯爵、政治家、方円社設立時の賛成者、将棋の十二世名人・小野五平の有力後援者。

 芳川寛治  … 伯爵、実業家、裨聖会の有力支援者。

 黒田長知  … 福岡藩最後の藩主、明治期に碁会を多く催す。
 司馬凌海  … 喜多文子の実父。
〇囲碁愛好家
 黒田清隆  … 内閣総理大臣、囲碁の愛好家
 加藤友三郎 … 内閣総理大臣、囲碁の愛好家。
 小村寿太郎 … 外務大臣、囲碁の愛好家
 乃木希典  … 陸軍大将、囲碁の愛好家
 池田勇人  … 内閣総理。囲碁の愛好家。
〇囲碁に関する逸話がある人物
 中江兆民  … 思想家、村瀬秀甫を高く評価。
 尾崎紅葉  … 小説家、「金色夜叉」に碁会所のシーンが登場。
 七代目市川團十郎 … 江戸時代末期の歌舞伎役者、小姓時代の林柏栄を養子にしようと申し出る。
 牧野喜平次 … 大久保利通の従兄弟で牧野伸顕の養父。大久保と対局した記録あり。