TONE-1
コンビレンチ+会社情報編
【2023年1月28日追記】
戦前20年と戦後20年(創業1925年~1965年の初期40年間)にスポットを当てて会社情報の詳細を追加しました。
元々は『広告集』の中で特別に前田金属工業を取り上げていましたが、本稿に移動のうえ新たに入手した情報を加えたものです。
詳細は、一番最後の5項にて ⇒ こちら
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社会人になった時に工具をワンセット揃え、ボックスレンチはTONEにしていましたので、長年に渡って大変お世話になっているブランドです。
会社のあるべき姿をボルティング・ソリューション・カンパニーと位置づけていて、締付けに関わる工具に注力するという明確な方針を持っています。
工具卸業の前田軍司商店(創業1925年/大正14年)から工具製造部門が独立し、前田金属工業(株)として1938年/昭和13年に創業した歴史のある会社です。
2013年には前田金属工業からブランド名のTONE(株)に社名を変更しています。
1.コンビレンチ・コレクション
① 初代/凸タイプ 品番MS
販売:1976年~1985年
TONEの最初のコンビレンチです。
ロゴは”TONE TOOL”になっています。
この後のモデルチェンジでロゴは”TONE"と"TONE TLOOL"を交互に繰り返します。
非常に希少なモデルで、オークションサイトで過去に2回しか見かけていません。
2桁の数字が刻印されており、製造が1977年8月(←78)と分かります。
なお、工場を示すアルファベットは刻印されていないため、工場は特定出来ません。
初代スパナと同じように深江工場でしょうか?
※製造記号の見方は、本ページの一番下(項目6.)で説明します。
裏面の刻印に大きめの文字を使用しているだけなのですが、別モデルの様に雰囲気がまるで異なります。
サイズ差(12と17)では無くて、生産ロットによる違い、またはマイナーチェンジなのかと思います。
3本目を手に入れましたが、凸パネルの長さが違うバリエーションがあることが分かりました。
17mm同士での比較ですが、写真上側の凹パネル長さは110mm、下側は120mmと10mm長くなっていて、金型が違うことになります。
また、上側には78という製造記号がありますが、下側には製造記号がありませんので、工場が異なるなど製造上での差があるようです。
なお、JAPANの刻印の大きさも異なります。
ちなみに、表面の写真は省略しますが、凸パネルが同じように長さ違いである以外に差はありません。
構想段階ではロゴが”TONE TOOL"ではなく、”TONE"でした。
カタログにはこの構想図がそのまま使用されていますので、初代モデル掲載最後の1984年カタログまでロゴは実際とは異なる"TONE"になっています。
★10本セット
10本セット未使用新品を手に入れることが出来たのですが、サイズ13mmが抜けています。
13mmを追加入手したいのですが、見つかりません。
② 第2世代/凹タイプ 品番MS(初代から品番継続)
販売:1985年~1995年
凸パネルから凹パネルに変わり、ロゴが"TONE"だけになりました。
Japan刻印はありませんが、日本製です。
工場を示す製造記号が無いので、工場の特定は出来ません。
製造:工場?、1986年6月(←66)
③ 第3世代/凹タイプ 品番MS
販売:1995年~2013年(現行CSに切替え)
凹パネルのマイナーチェンジで、ロゴが再度"TONE TOOL"になりました。
裏面の文字刻印の向きがひっくり返りました。
製造記号で3つのバリエーションがあります。
上の写真は数字3桁で、製造年月日からこれが初期版だと思います。
製造:工場?、1995年7月(←957)
次のバリエーションは数字2桁。
この第3世代の製造期間から考えると、年の最後がゼロになるのは2000年または2010年になりますが、2010年には製造記号HKが入っていますので、自動的に2000年の製造になります。
したがい、これは中期版になります
製造:工場?、2000年6月(←06)
裏面にJAPANの刻印が入り、さらに製造記号にHKが追加され、数字と合わせて5桁になりました。
後期版になります。
製造:工場HK、2010年9月(←HK049)
表面仕上げが綺麗なもの(スベスベ)と粗いもの(ザラザラ)の2種類があります。
単に製造工程(バレル研磨)の時間に長短があっただけなのかもしれませんが、前期版と中期版(JAPAN無し)は粗く、後期版(JAPANあり)は綺麗な傾向にあります。
④ 第4世代/現行 品番CS
販売:2013年~現在
レンチ類全体が同一デザインでフルモデルチェンジとなりました。
他のレンチ群と共に2014年のグッドデザイン賞を受賞しています。
ロゴが再び"TONE"に戻りました。
ちなみに、カタログには2013年から掲載されていますが、実際のデリバリーは2015年の後半になってからだった様です。(旧型凹パネルは2014年まで生産されていた模様)
製造:工場、製造年月共に推定出来ず(←005)
③と同様に表面加工に2種類あります。
最初はつやの無い梨地(初期版/写真上側)で、その後光沢のある梨地(現行版/写真下側)にマイナーチェンジされています。(製造ばらつきではありません)
この差は、表面仕上げ精度では無く、メッキが異なるような気がします。
後期版は梨地+クロームメッキの通常のものですが、初期版はメッキの種類が異なるかまたはメッキ後にメッキ表面にサンドブラストを掛けているか、意識的に光沢が落とされています。
2014年グッドデザイン賞を受賞したレンチ群
⑤ Fineツール 品番FMS
販売:1991年~2010年頃(カタログ2009年には掲載)
KTCの高級工具(ミラーツール/1984年発売)に対抗してTONEも1991年に同市場に参入しました。
KTCが打刻刻印であるのに対し、TONEは鍛造刻印を採用していますが、メリハリがはっきりしているので、個人的にはTONEの方が好みです。
このデザインコンセプトは、後のチタンやステンレスシリーズに継承されています。
KTC”ミラーツール”に比べて出荷数は少なかった様で、現在では手に入れるのがかなり難しくなっています。
なお、日本製であるのに"JAPAN”の刻印がありません。
通産省の指導で輸出商品にはJAPAN表示が義務づけられている様ですが、輸出するつもりが無かったのでしょうか?
ちなみに、KTCミラーツールにもJapan刻印がありません。
製造:工場I、2002年12月(←I02X)
⑥ チタン 品番TMS
販売:2003年~現在
防爆(ショート防止)を目的としてチタン製のコンビレンチが設定されています。
とても高額ですが、ニッチなマーケットが存在するようです。
重さが鋼材版の6割しか無く、非常に軽量です。
製造:工場I、2005年12月(←I05X)
次のステンレス⑦で製造記号が2桁版と4桁版の2種類があることに気が付きましたが、チタンにも同じように2種類あることが分かりました。
加えて、チタンもステンレスも最新の2020年カタログには未だに2桁モデルが掲載されていることに気が付きました。
しかしながら、製造年月記号より10年以上前から実商品はチタンもステンレスも4桁に変わっています。
この辺のカタログ管理は、他の商品でも多くの例がありますが、TONEは緩い様です。
↑最新の2020年カタログより
⑦ ステンレス 品番SMS
販売:1991年~現在
錆びないことから医療やマリン用にステンレス製も設定されています。
表面にJAPANの刻印の無い前期版(上の写真)と、JAPANありの後期版(下)があります。
製造番号は2桁:1998年1月(←81)の製造
JAPANの刻印が入り、製造番号が4桁に。
製造:工場I、2010年12月(←10Z)
↑前期版と後期版の比較
後期版は、凹パネルが長くなり、JAPANが追加され、さらに製造年月が桁から"I"+3桁に。
"I"はチタンやファインツールと同じ製造工場を示していると思われます。
下の写真は、SUSセットに貼り付けられているステッカー。
"inging"って何かと思ったら、1987年から1992年までブランドイメージ戦略として使っていたデザインでした。
でも、残念ながら”インギング島”は意味不明です。
もっとも、おかげで私が入手した商品が発売開始の1991年からinging使用が終了する1992年までの最初の2年間に生産されたものであることが分かります。
⑧ Uボルト・レンチ(商用車用)
1976年に発売されたコンビレンチ①がTONEにとっての初代コンビレンチだと思っていたら、その20年前、現存する一番古いカタログ1954年版に既にコンビレンチが載っているのを見つけました。
商用車の前後アクスル固定Uボルトのナット締めのための大型レンチです。
でも、ちょっと考察が必要です。
まず最初に、コンビレンチは普通スパナとメガネのサイズが同一で、仮締めと本締めで使い分けます。
でも、写真のコンビレンチはサイズが異なっており、これではスパナかメガネかいずれかは実際の作業では使わないことになってしまいます。
加えて、32mmという大径ナットを締めるには普通のフラット形状では強度が持たないように思います。
さらに、価格が空白になっていますので、1954年カタログを発行の時点で、まだ発売されていなかった可能性があります。
そして、翌年の1955年カタログに現実的な両口スパナの形で同じサイズと同じ品番でUボルト・レンチが代わりに登場しています。
ここで推論ですが、1954年版のコンビレンチタイプは構想だけで販売に至らず、1955年版の両口スパナタイプが最初のUボルト・レンチだったのではないのでしょうか。
つまり、最初のコンビレンチは幻だったとの見立てです。
なお、”Uボールト”という呼び方が、いかにも昔風です。
翌年1955年のカタログ。
このスパナの詳細については、スパナ編にて。
2.ソケットレンチ
冒頭で述べた様にソケットレンチはずーっとTONEを愛用してきましたので、ちょっと脱線します。
つい最近まで現役で使っていたラチェット3種です。
ノッチ数が18なので、送り角度が1回20度もあります。
でも、そういうもんだろうと疑問にも思わず使っていました。
72ノッチ(送り角度5度)に時代は進化していると気が付いて、良く使う3/8と1/4は今時の物に変えました。
写真上側の長い方3/8は、グッドデザイン賞の受賞品群に入っています。
昨年末に愛車のショックアブを交換したのですが、新しいラチェットは使うのがもったいなくて、結局は1/2も含めて古いのが活躍しました。
TONEのラチェットにはお世話になっているので、ミレニアム記念の金メッキ限定品を手に入れています。
一番古いカタログ(1954年版)で、最初のページの先頭に登場する商品、”ミゼットレンチセット”です。(カタログ内の上側セット/No.1900)
3.会社ロゴ変遷
・1代目 "MK"は、会社名のアルファベットをデザイン化したもので、戦前に使用。
・2代目 利根川の流れをあしらった"TONE"は、戦前の1941年に商標登録。
・3代目 川の流れに"TONE"+"トネの工具"は、1964年~1977年に使用。
・4代目 赤背景に白文字"TONE"は、40周年の1978年に採用され、現在まで継続。
・4代目+Bolting Solution Companyを2011年カタログから4代目と併用する形で使用中。
4.各種情報
TONE 河内長野工場(第3者の訪問記)
TONE 富田林工場(第3者の訪問記)
TONE ショールーム(第3者の訪問記)
現行カタログ(最新2020年版)
ネジと工具で仕事を楽しく!(元TONE社員で金物屋さんのブログ)
5.戦前20年と戦後20年の会社詳細(追加)
※創業1925年~1965年の40年間
80周年を記念して2018年に株主向けに『TONE 80年史』が発行されています。
工具メーカーで社史を出しているところはあまり多くありませんが、その中でTONEの社史は全面カラー印刷でグラフィックに拘っていて、かつ年表を使って社史が非常に分かりやすく書かれています。
とても読みやすく、日本の工具メーカー社史の中で一番の出来だと思います。
ただし、戦前からあった6ブランドのこと、さらに戦後になってそれを運営する前田機工との関係、また商標ならびに広告についてはあまり詳しく書かれていません。
したがい、本稿では、その4点にスポットを当てて、戦前と戦後のそれぞれ20年の合計40年間(1925年~1965年)を解説します。
なお、出来うる限りエビデンスを明示していきます。
1)会社沿革
・1925年/大正14年…前田軍治氏が機械工具卸の個人商店として『前田軍治商店』を大阪/福島区に開業。
・初期の主力製品は、室本鉄工が生産するメリー印ペンチ。
・メリー印は、室本鉄工が1927年/昭和2年に始めたブランドで、室本鉄工が1929年/昭和4年に商標登録。
・1932年/昭和7年8月…金属商の街である大阪/立売堀に移転。(宮野商店/現在の旭工具製作所と同じ一画)
・1941年/昭和16年11月…株式会社化して『(株)前田軍治商店』に。
・前田軍治商店は、機械工具6ブランドを商標登録。(MG印、メリー印。ネオン印、ロケット印、エベレスト印、ストロング印)
・"MG"は、前田軍治の略で、前田軍治商店の会社ロゴでも使用。
・メリー印は、室田鉄工と提携のうえ、前田軍治商店もタップ用として商標登録。
・後に山善を起業し社長となる山本猛夫氏は、1943年まで前田軍治商店と前田金属工業で働いており、氏をモデルとして小説とTVになっている『どてらい男』の前半は、この時代の前田軍治商店と前田金属工業が舞台。(TVは西郷輝人が主演)
山本猛夫Wiki ⇒ こちら
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・1938年/昭和13年…前田軍治商店の製造部が独立する形で『前田金属工業(株)』を大阪/東成区深江に設立。(深江工場は2012年まで本社工場として75年間操業)
・民需向けと軍需向け両方の工具を生産。
・販売は前田軍治商店が担当。(両方共に前田軍治氏が社長)
・1940年/昭和15年…MK印を会社ロゴとして商標登録。("MK"は前田金属の略)
・1940年に陸軍航空本部の管理工場に指定され、さらに1941年に軍需専門工場に切り替え。
・1941年/昭和16年…川の流れをデザインした”TONE"と"トネ"を商標登録。
・1942年/昭和17年…伊丹工場を新設し、深江工場と共に陸軍航空本部の管理工場に。
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・1943年/昭和18年…『(株)前田軍治商店』から『前田機工(株)』に商号変更。
・非常に珍しいことながら、戦時中(1943年)にイラスト付きの製品広告を出していて、ネオン印を"NEON" Registered Trade Markと英語で説明しています。(戦時中に英語表示とは驚きです)
・ネオン印工具が広告に掲載されており、前田機工への改組に伴い6ブランドは前田機工、"TONE"は前田金属工業のブランドに棲み分けされたと理解。
・1944年/昭和19年…前田機工は基本的には商社ながら、大阪/港区に湊屋工場を建設し、海軍の管理工場になったとのこと。(前田機工を流れを組むイチネン前田のHPより)
- - - - - 終戦
・1947年/昭和22年…戦時補償特別税の納税会社に指定され、伊丹工場を閉鎖。
・1949年/昭和24年…企業再建整備法に基づき前田金属工業は解散し、新たに『第二前田金属工業(株)』として暫定操業。
・『前田機工』は戦時補償特別税の指定は受けず、戦後も継続営業。
・1948年の広告を見ると、前田機工が6ブランドを継続して取り扱うと共に、前田金属工業に変わって一時的に"TONE"の宣伝も行っていたのが分かります。
・戦前と同様に前田軍治氏が第二前田金属工業の社長となり、前田機工は後に前田金属の社長となる屋敷定雄氏が社長となっています。(前田軍治氏は戦後の前田機工の大株主)
・1952年/昭和27年…伊丹工場跡地を尼崎市役所に売却し、戦時補償特別税を納付。
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・1953年/昭和28年3月…戦時補償特別税の完済に伴い、『前田金属工業(株)』に復帰改称し、本格的な工具作成を再開。(社長は引き続き前田軍治氏)
・1955年/昭和30年…ソケットレンチでJIS認証取得。
・1961年/昭和36年…"TONE/トネ"の商標を再登録。
・1963年にメガネレンチ、1965年にスパナでJIS認証取得。
↑1967年時点の深江工場
↑前田金属工業の英語名称、1956年『Osaka Trade Index』
2)海軍、陸軍向けの航空機エンジン整備工具
別稿にて海軍および陸軍の航空機エンジン用整備工具を解説していて、海軍向けは製造メーカーとして3社が確認できています。別稿詳細 ⇒ 海軍、陸軍
・京都機械…天風/赤トンボ、榮/ゼロ戦、譽/紫電改等
・関西スピンドル製作所…金星/九九艦爆
・昭和機械工具製作所…中島飛行機向け工具製作専門会社
前田金属工業も航空機用の整備工具を製造していたことが以下の資料2種から確認できます。
海軍と陸軍の両方に"航空機エンジン修理用ユニット"を納めていたとのこと。
残念ながらどの機種向けの工具を作っていたかの情報はありません。
海軍向けの一部の機種ならびに陸軍向けの全機種の製造担当が分かっていませんが、いずれかを前田金属工業が担当していたのではないかと思います。
↑1941年『現代工業人大銘鑑』
↓『TONE80年史』
3)広告
↑1933年『自動車年鑑』、1937年『新興日本商標総覧』
・1933年…手に入れた中で一番古い前田軍治商店の広告。(ネオン印に特化)
・1937年…こちらもネオン印が中心。(この時代に珍しい二色刷)
↑1934年『優良商品商標大鑑』
・4ブランドの広告。
・1925年の創業当初はメリー印ニッパが主力商品だったとのことですが、メリー印広告はこの1934年版が見つかった中では一番最初のものです。
↑1936年『標準機械大鑑』、1940年『工業年鑑』
・1936年…MG印に特化した広告。
・1940年…ロケット印に特化した広告。
↑1938年『満鮮北支の自動車運輸』
・エベレスト印を取り扱った広告。
↑1940年『帝国商工信用録』
・MK印の会社ロゴを使用した前田金属工業の広告。
↑1942年『工業取引案内』(戦後に繋がるトネ印が登場)
・MG印を除く5ブランドにトネ印を加えた前田軍治商店の6ブランド広告。
・戦前から"TONE"が使われていたことを示す唯一の証ですが、TONE工具の現物は見つかっていません。
・背景が戦車になっていて、いかにも戦時中。
↑1939年『自動車年鑑』by 前田軍治商店、1943年『自動車年鑑』by 前田機工
・1939年…前田軍治商店と前田金属工業が1938年に工販分離した後の前田軍治商店のネオン印広告。
・1943年…さらに、前田軍治商店から前田機工に改名後、同じレイアウトのネオン印広告で、戦時中の製品広告は非常に珍しい。
- - - - - 終戦
↑1946年『復興産業取引要覧』
・終戦1年後の初広告。
・戦時補償特別税の納税会社に指定される直前で、事業再開やる気満々の時。
・深江工場と共に伊丹工場も操業を再開していましたが、意に反して翌1947年に伊丹工場は閉鎖され、1952年に戦時補償特別税納付のために売却となります。
・この間の5年ほど、前田金属工業は解散のうえ第2前田金属工業となり、企業活動はなりを潜めます。
↑1953年『自動車整備』、1954年『同』
・1953年…見つけた中では戦後最初の前田金属工業によるTONE広告 by 第2前田金属工業。(TONE自体は1948年に前田機工の広告に登場 ⇒ 後述)
・1954年…戦時補償特別税を完済し、会社名が第2前田金属工業から前田金属工業に復帰。
↑1961年『機工取引便覧』、1963年『機械工具取引案内』
↑1964年『週刊日本経済』
・この年にスパナが発売開始されていて、広告内にも品目としてスパナの言葉だけは出来てきますが、1970年まで追い掛けたもののスパナの写真やイラスト付きの広告は見つけられませんでした。
4)登録商標
(1) MK印 by 前田金属工業
↑前田金属工業設立の2年後、1940年にMK印
(2) トネ印 by 前田金属工業
↑戦前1940年 TONE、戦時中1942年 トネ
・MK印の1ヶ月後に"TONE"が商標出願されて、同年に登録が完了。
・さらに、カタカナの"トネ"も1942年に商標登録。
↑戦後1960年 TONE+トネ
(3) MG印、ネオン印、ロケット印、エベレスト印、ストロング印 by 前田軍治商店
『TONE80年史』によると上記5ブランドが前田軍治商店によって商標登録されたと説明されています。
その内、ロケット印とエベレスト印は、戦前の前田軍治商店による商標登録を確認できました。
なお、MG印とネオン印の2ブランドについては、戦後になってから前田機工による商標登録が確認できましたが、戦前の登録は見つけることが出来ませんでした。
また、残りのストロングは登録自体を見つけることが出来ていません。
ちなみに、この時代の商標はなかなか探すのが大変で、例えばネオン印は戦前の該当期間に34件の"ネオン"または"NEON"が商標登録されているものの、全て前田軍治商店とは無関係です。
↑1931年 ロケット印 by 前田軍治商店
↑1935年 エベレスト by 前田軍治商店
↑↓戦後の1953年と1975年 by 前田機工
5)メリー印に関する室田鉄工との提携
メリー印は、まず室田鉄工が工具類の19類として1929年/昭和4年に商標登録。
室本鉄工と提携を結び、前田軍治商店もメリー印を商標登録しています。
↑1929年に室本鉄工が19類で商標登録
↓1983年に再登録(女性3人の髪型が洋風から和風に)
室本鉄工とは別に前田軍治商店も同じメリー印を5年後の1934年に商標登録。
但し、第8類/タップ&ダイスとしてのみ。
メリー印は、室本鉄工によりペンチのために商標登録され、前田軍治商店が主要商品としてペンチを販売していましたが、5年後に前田軍治商店がタップとダイスとして同じ商標を登録したもの。
↑1934年に前田軍治商店が8類で商標登録
↑1958年『商標大辞典』
室本鉄工と前田軍治商店がメリー印ペンチに関して提携していたことを示す資料を見つけました。
6)前田機工との関係
前田金属工業と前田機工は源流が前田軍治商店であり、兄弟会社です。
戦時中は前田軍治氏が両社の社長を務めていて、戦後も兄弟会社の関係が続き、戦後になってから前田機工の社長を努めていた屋敷定雄氏が、1970年に前田金属工業の社長に就任しています。
↑1948年『全国商工名鑑』
・終戦直後の広告より前田機工がTONE製品を取り扱っていたことが分かります。
・前田金属工業は1946年に戦時補償特別税の納付義務を負い、この広告の翌年1949年には前田金属工業は一端解散し、第二前田金属工業になる時代で、混乱期でした。
・前田金属によるTONE広告は、広告項の通り第2前田金属工業になった後の1953年からになります。
・戦前には前田機工が販売、前田金属工業が製造という工販の関係だったことを考えれば、この広告にある商品(NEON、ROCKET、TONE)は、混乱期ながらもやはり前田金属工業の生産なのでしょうか??(MERRYペンチだけは室本鉄工)
・ちなみに、戦中に海軍管理工場として建設された前田機工の湊屋工場は空襲で全焼していますが、後述する前田機工の会社紹介資料/1962年には2つの工場名(中浜と巽)が出てきますので、前田機工もある時期に製造機能を持っていたようです。
★前田機工の6ブランド広告
1942年の戦車を背景にした広告からトネ印が抜けてエベレスト印が追加されています。
昭和のスパナ群に興味を持った当初は『ブランドを6つも取り扱っていた工具商がある』程度の認識でしたが、前田金属工業を調べていて、前田軍治商店に遡り、やっと全貌が分かりました。
↑戦後1953年『機械器具工場総覧』
↓戦後の製品で、ネオン印/NEONのダイハツ車載スパナ
・NEONの広告に凹丸形パネルのスパナが登場しています。
★前田機工による戦前情報
イチネンMTMのHPより
★前田金属工業と前田機工の連携
1965年の時点で、戦前から前田金属工業の専務だった屋敷氏が、前田機工の社長と前田金属工業の取締役を兼務。
そして、1970年には屋敷氏が前田金属工業の第2代社長に就任。
↑1965年『ダイヤモンド会社産業総覧』
↑1962年『日本機械工業年鑑』
・前田機工は、2012年にイチネングループ入りしてイチネン前田となり、現在はイチネンMTMに統合。⇒ HPは、こちら
・室田鐵工は、メリー印ペンチを現在も販売。⇒ HPは、こちら
7)JIS認証取得
戦時中に軍需産業を行っていたことに対して戦時補償特別税の納付義務というペナルティーを受けたのは、工具会社としては前田金属工業だけだったと理解しています。
そのため、他の工具会社に較べて戦後の本格事業再開に時間が掛かり、JIS認証取得も他社より5年遅れています。(他社はJIS規格が始まった1951年からJIS認証を取得)
ソケットレンチ…1955年、メガネレンチ…1963年、スパナ…1964年
8)通産省優良認定工具
↑1949年7月19日『官報』、1954年『全日本自動車ショウ展示』
↑1954年版カタログ、認定を受けたソケットレンチセットNo.600とNo.246
9)その他の資料
『TONE80年史』で紹介されている以下の2冊を是非とも読みたいと思っていますが、入手の手段は無さそうです。
【補足】前田金属工業関係の資料
1)前田金属工業の戦前資料-1(1939年『福井市商工人物史』)
2)前田金属工業の戦前資料-2(1940年『業界人物列伝』)
3)戦後資料
↑1961年『日本の自動車年鑑』
TONE-2 スパナ編に続く ⇒ こちら