娘の中学生活②
娘は6年の頃、義務教育を受けることも難しい状況にまでなっていました。ここまでになるとは正直思っていなかったですがコロナで自宅にいる時間が長くなったことに加えて本人の気質、朝の状態の悪化(とにかく起きれない)思春期、反抗期など色々な負のループにはまりました。その頃は私も必死でここでなんとかしなければと思い様々な手を尽くしたつもりですが娘はまともに話すこともできないくらい荒れていましたし行動すればするほど正論を言えば言うほど反発は強くなりました。人生は平等にできていると思いました。比較的平穏で安定した生活を送っていましたがここ10年で悩みも増え、思い通りにいかないことばかりで今まで順調だった生活が一変したような気持ちでした。特にここ3年はどん底だったと思います。横目で普通に通学している子をみていると悲しくて悔しくて周りの景色が白黒に見えるような気持ちはかなり落ち込んでいました。しかし仕事では普通にふるまいました。というよりも仕事が私を支えてくれました。丁寧に一人ひとりと向き合うことで私は私でいることができました。息子の存在も大きかったです。息子は変わらずマイペースですが朝6時前に起きて6時半には学校に元気に出発していました。息子は娘の相手もしてくれましたし見守ってくれていたと思います。コロナの後だったので学校はWeb授業をしてくれましたがWeb授業では出席にはなりません、課題もテストもありません、本人は教科書も開かず鉛筆も持たずただ耳で聞いているだけ・・私はこのまま娘が何もしない、ということは心配だったので教科書ワークを買って毎日少しずつでも向き合ってほしい鉛筆を持つ習慣を忘れないでほしいそう思って計画を立てたりしていたのです。そんな日々を通して宝物箱にしまってある娘の綺麗でまとまったノートを見るともうこんな日は来ないんだろうと切ない気持ちになっていたのだと思います。しかし中学になり、娘は少しずつ前を向き始めました。とにかくまた普通の生活ができればそれ以上は何も望まないと思いました。私の教育ママの毒はこの1年ー2年でやっと抜けたのかもしれません。ただ娘には大きなブランクがあるあの大事な1年以上を取り戻すには色々な意味で大変だろうなと思いました。中学生になったら中間期末テストもある学校の勉強についていけなくて学校に行くことがまた難しくなる可能性だってあるそんな思いから4月も少しずつ勉強の計画を立てました。特に英語は本当に難しいようで・・私は英語の教師になりたいくらい英語が好きだったので教えることも勉強のコツも伝えられたのですが娘がそれを素直に許容できるわけがなくそれも含めた限界をGWに感じたのです。