// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240608
 
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
熱中症は慢性病か。
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
240608
【人間不信、やめました】

 最近、ようやくオフラインで日記を書いていても不安や恐怖を感じることがなくなってきた。
 恐怖の理由は以前にも書いたことがあるが、オフラインで誰にも公開されないが故に赤裸々に連ねたプライバシーを、身近な人間に勝手に暴かれるというトラウマを抱えていたためである。

 秘密にしたいことを文章にすることは子供の頃から苦もなくしているのだが、信頼を寄せようとしている(あるいは寄せた方が理想的と思われる)他人がそれを暴くということのショックは小さいものではない。
 もともと他人と会話するのではなく一人で文章にすることで記憶を整理し(そのほとんどを忘却することにし)ていた僕にとって、日々の記録とまでゆかなくても、折々節々のひらめきや選択の理由は、記録しておかないと忘れてしまう。
 説明しても他人がなかなか理解しない ── 非難がましく思うつもりはないが、事実である ── 僕の価値観について、僕だけは理解しておきたいと思っているので、この「折々節々に思うことを書いておく」のは、僕には(僕を観察する上では)大事なことなのである。

 しかし自分以外の人間が参照できない情報というのは、現実問題として構築しにくい(ほぼ不可能である)。
 情報の媒体は必ず現実世界での実体を持つため、言語やそのメディアに対する知識を持つ存在がいれば、その情報は勝手に開示される危険性を持つ。
 個人の持つ秘密など、たかが知れているのだから情報の内容は問題ではない。
 知識や信頼関係を(当初の意志や目的は別にして)結果的に悪用し、プライバシーという一見どうでもいい障壁を、他人のそれについては容易く踏みつけにするタイプの生き方があり、そういう人が身近にいて、当人の悪意や害意に関係なく、結果的に害を為すことが問題なわけだ。

 たとえば自身のプライバシーの障壁が低い人もいるが、観察する範囲において、そういう人は自分からハードルを下げるにもかかわらず、他人のハードルを無理矢理同じ高さに引き下げたりはしないものだ。
 一方、他人のプライバシーのハードルを引き下げようと躍起になる人は、どこかしら邪な思惑があるもので、自身のそれについては開示せず認めようともしない。
 誰でも自分自身のプライバシーについて訊ねられれば、(それが事実かどうかは別にしても)答えられるものを答えると思うけれど、それを無理矢理暴くような行為は暴力的であり、鎌を掛ける行為は相手を信じていないという点において(その対象の誠実さがどの程度かは別にして)不誠実である。

 まぁひと言で言ってしまえば低俗なわけであり、低俗な人間を見極める目を自分が持っているとはどうしても信じられなくなってしまったので、それを人間不信と称し、身近に人間を置かずに過ごしていた。

 とはいえ10年ほども(しかもその時間のほとんどすべてを)一人で過ごしているので、さすがに他人が僕の個人領域を侵すことがないことを実感できるようになった。

 あれは特例だったのだと結論した。
 それまでも他人(にあたる僕)を利用する人間はいたし実害にも遭ってきたが、結局のところ、過剰防衛をしてもどうしようもない類いのことであると思えた。
 経験則やそれによって養われた直感から「こいつは危険だ」という判断にも磨きかが掛かったわけだし、過剰防衛という人間/自己不信を持ち続ける意味はもうないのかな、といった具合に、要は飽きてしまったのだ。そんな価値観に。

>>>
【熱中症と暫定対策】

 さても夏である。
 4月下旬(だったと思う)の最初の夏日に、さっそく昨年の熱中症と同様の症状に見舞われた。
 室温が32℃に到達していたのだが、まさか熱中症になるとは思わず(10年ぶりにアップデートが入った)Fallout4をプレイしていたのだ。

 で、まんまと熱中症になったってわけよ。
 いやまだエアコンの掃除は(寒いくらいの日もあったので)必要なかろうと思って放っておいたのが良くなかった。

 初日から今回も蕁麻疹が出て、以降、体温が37℃にやっと届く程度の微熱を維持し、倦怠感というか脱力感に襲われる。
 その後も長期的な脱水症(体内からやや過剰な排水が続き、便が固くなり、粘膜が乾きやすく、目立たない炎症)が続く。
 体表は冷えた部分も多い一方、局所的(手のひら、足の裏、一部の関節)が過熱し、ほとんど発汗しない。

 しかし今回は、蕁麻疹が陰茎にだけ発生した。理由は分からないが陰茎である。
 関連してか股関節付近にも熱が集まり、このエリアで多く発汗する。


 暫定の判断であるが、結果的にナトリウムが低下していた可能性が高いと判断し、食事の塩分濃度を上げた。
 そもそも食事回数が少ない上、姉の家に行くようになってから薄味に慣れてしまい、自宅でお酒を飲むことも月に一度くらいのため、全体的に塩分濃度が下がっていたのだ。
 食事の回数を上げれば良いのだが、その必要は感じないし、お酒のアテ(比較的濃い味になる)を作る機会も少ない。
 そうなったら塩分摂取量を単純に増やせばいいじゃない。

 で、一事が万事「ちょっと塩味強いな!」くらいの味を楽しむようにしている。
 豆腐も「ちょっと醤油を垂らす」なんて風流ぶったセコい真似をせず、だばだば掛けた純醤油味を食べている。ときどきプレーンで食べるけれど。
 加えて、アイスを食べたり冷たい飲み物を飲んで強制的に体温を下げている。
 
 6月現在、屋外作業ができる程度には回復している。
 アレルギィ対策のため、長袖のジャンプスーツと防塵フルフェイスマスクの着用が必要なので、体温の上昇は避けられない。
 体温調節を自律的に行えないのだから、外部依存で処理すればよいということで、身体の状態を確認しながら適度に休憩を挿み(あまり好みではないが)冷たい水を飲んで調整している。
 本来、作業をしながら(休憩などの)無関係な割り込み処理をするのは好きではないのだが、身体が自律機能を失いつつある以上、仕方ない。
 幸い僕には奥様(仮想)という便利な機能があるので、発汗や体温上昇、平衡感覚の低下などをキーにしつつ、無理のない範囲に活動を維持している。


 書斎/寝室のクーラの入れ替えについては昨年の段階で予算審議に上がっていたので、5月下旬に入れ替えを行う。
 ふたつの部屋の仕切りをなくした時点で16畳を超えていたので、6畳用では出力が足りなかったのだ。

 今年は満を持して、つなぎの空調服も買うことにした。
 体調を崩して高額な医療費が必要になったり、何ヶ月も寝込むくらいなら、予防にお金を使う方が結果的にお得なのだ。

 ところでこれは熱中症ではなく、いわゆる更年期障害なのではないかと思ったのだが、性ホルモンに関連した身体機能障害のみがそれにあたるようなので、僕のこれは熱中症だと思うしかなさそうだ。
 いつだったか小耳に挟んだところでは、人間は壮年期のある時期に、身体機能の低下に伴う不調を抱えるらしい。
 それで病気になって死んでしまう人もいるし、あるいはそれを乗り越えた人は、その後(低下したなりに)最適化された機能によって長く生きるのだとか。
 男性の場合、一般的には60代前後でそれを迎えるというような話を聞いた気がするが、僕は早熟なのでそれを迎えていてもいいような気がする。
 まぁ100歳を自称しているから「またウソばっかり!」なんて叱られてしまうかもしれないけれど。



>>>

【背を向けたのは誰か】

 草取りをしていて考えていたのだが「価格競争」という単語が広く強く一般に浸透したのは1ドルが100円を切るかどうかの頃だったと思う。
 当時を簡単に回想すると、国産の長ネギが1本100円以上、根生姜が一片300円近くだったのに対し、中国産は1/3程度の価格だった。
 家電品も同様、およそ2/3〜1/3の価格で同程度の性能の海外製商品が手に入った。

 僕は当時、電気をほどよく止められる程度の貧乏人だったので、「日本産を買いたい」と逡巡しつつも中国産の野菜を買った。
 バブル経済の終焉からしばらくして、しかしまだリーマンショックを迎えていなかった頃の話である。
 世俗は比較的おだやかで、未来に対する暗いムードもなく、周囲の人々に対する疑心暗鬼も今ほどではなかった。特殊詐欺の走りである「オレオレ詐欺」が世を賑わすより以前のことだ。

 それで国産の家電メーカはどうしたか。農家さんはどうしたか。
 価格で勝負するしか方法がないと考えて、生産体制の効率化を計り、同じものをいかに安く生産して提供するかに舵を切った。
 メーカ希望小売価格をひとつの「仕組み」と見做して廃止し、意味不明な「オープンプライス」という仕組みを作った。
 詳しいことは未だに分からないのだが、中間に存在する誰かの利益を圧縮することで、末端の価格がばらつくことに不自然さを生まないためのシステムだろう。

 もちろん今までと同じ価格でより高い付加価値を持つものを、と考えなかったわけではないのだろうけれど、それはすぐに解決できる問題ではなかった。
 これが「価格競争」という風潮を生み出し、消費者は「今より以上の技術は我々の生活には必要ない」とばかり、最低限必要な機能を満たし、極限まで安いものを求め、その費用効率を製品の性能や己の能力と履き違えるに至った。
 当時は専業主婦も今より多かった時代であり、たった1円安い商品を手に入れるために隣の街の店に車を走らせるような人もいた。思えばのどかな時代である。

 我々はそうやって、我々自身から目を背け、我々自身に背を向けた。
 我々が日本の企業や製品を見放した結果、日本の企業は海外に多くの拠点を作った。設備も雇用も現地の方が安く付く。
 日本人のための安い製品を作るべく、日本人の雇用や関連産業の業績を結果的に下げることが分かっていても。そうしなければ競争に勝てないからだ。

 それがすべてではないが、巡り巡って、日本は貧しくなった。
 企業は既存の数倍数十倍の予算を使って新しい技術を開発するより、労少なくして確約された利益を確保することをよしとせざるを得なかっただろう。
 建築物を見ても明らかだ。
 かつては高名な建築家(建築デザイナ)の名を冠した奇抜な造形の巨大建造物が、都心一等地にそびえ立ったものだが、そういう建築家は(一部の人間の起こした事件により)エンジニアではなく山師や詐欺師の類いに扱われ、人々も「建築物は雨風が凌げればよいのだ」と、最低限の機能で満足するに至った。
 いわゆる旧来の「エコロジィ(今風にいえばSDGsか)」という意味ではよいのだろう。
 必要最低限の機能を最小限のコストと材料によって計画し、建築/解体が容易な材料と工法を用いれば、不足した人材でもなんとか建築が可能だと予測したのではないか、オリンピックも万博も。
 前橋の止まり木で耳に挟んだところでは、僕らより上の(バブル期の恩恵に浴した)世代は、未だにこの国が豊かであると疑わないらしい。呆けたのだろうとも推測されるが。
 治安だって、当時と変わらず悪くはないと思っている可能性が高い。めでたいことである。

 政治のせいであるとか、企業の内部留保がどうこうと知った顔をする大人はたくさんいるが「安物買いをしたいがあまり、我々自身、国内産業からそっぽを向いたのが悪かった」と反省している消費者はほとんどいないように観察される。
 企業は消費者(=労働者)にそっぽを向かれたにもかかわらず、労働者(=消費者)を守らなくてはならなかった。
 それをなんとか果たすために、企業としての健全な成長理念を放棄し、果てには政府に助力を求めることさえあったのではないだろうか。
「消費者」のほとんどは国内の産業に何らかの形で関与していて、だからこそ中産階級としての立場を維持していられたのだろうに「自分は買わないが、他の誰かがこれを買う」などと根拠もなく安易に捉えていたのでは(少なくとも現状を危惧する考えなどしなかったのでは)ないか。

 いやなに「汝、隣人を憎めよ」などと言いたいのではない。
 一方で、企業や政府を擁護したいわけでもない(僕はシンプルに反体制型アナーキストなので、そうしたスタンスを持たない)。
 ただ単に、人間とはかくも無責任なのだと回想しているだけである。

 かくいう僕も、当時は海外産の食品を買い、海外製の製品にまみれていた。
 そしてそのまま日本の製品は魅力を失ってしまった。
(さらにいえばPCのキーボードやマウスが、世界的に「価格競争」後の貧相なモノしかなくて、ずっと辟易しているのだ)
 日本の企業は、実るか分からない技術に予算を注ぎ込むよりも、楽だがいつか奈落に沈むことが明白な、厳しい道に進んでしまったのではないのか。

 今頃になって人々は企業やサービスの存続のための価格上昇はやむを得ないと考えるようになったようだが、自身の賃金上昇の遠因がそこにあることをようやく理解しつつあるのだろう。
 それでも中には「賃金が上がらないのに物価ばかり上がる」と、政府の無策や企業の方針に難癖を付ける人もいるかもしれないが。
 もし時間があるならば、バイトをするしかない。あるいは作物を自作するか。

 以前書いたことがあるが、物価が上がるということは、今までの1000円が、より小さい価値しか持たなくなるということである。
 昨日は100円で買えたネギが明日200円になるというなら、今日180円だとしても、買って損はないだろう(使う場合に限るが)。
 相対的にお金よりもモノ(やサービス)の価値が上がるのだ。
 オカネモチーの所有している現金は、刻一刻とその価値を相対的に下げているのだから。

 だからモノを作るかサービスを提供するほうがいい。より労働する者がより高い価値を持っていることになる。
 投資だ金融商品だポイ活だなどと、ラクして得するなんて小賢しく訳知り顔で語られる「まやかし」よりも、もっとシンプルな方法があるではないか。

 とはいえ僕は身体が弱いので、草取りをしたあとにあずきバーを食べて、昼寝をしているうちに一日が終わってしまうのだけれど。
 自説に照らし合わせると、めっちゃ経済価値の低い生き方かもしれないなと思いつつ、まぁ猫だからいいかと開き直る。






 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
  君にしばしのお別れを。
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Convertor-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Koban-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240513
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
怠惰を包む雨に眠る。
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

240513

 昨日BPが遊びに来て0時を回る頃帰る。就寝は午前5時。
 このところ体内の炎症反応が徐々に強くなっている。
 計測していないが発熱はしていないはず。
 ただ粘膜が腫れて、呼吸が苦しかったり、皮膚や粘膜が乾燥して荒れやすいだけである。

 身体が全体に重くてだるい。
 天気が良ければ自転車で買い物に出掛けるようになったから、その影響だろう。
 身体が順応しようとしているが、まだ順応していない。

 筋肉痛未満の疲労でも内部で炎症は起こすようだし、煙草やカフェイン、刺激の強い食品を避け、とにかくよく眠って回復を待つ。
 くれぐれも人並みに活動しようなどとは思わないことが大事だと最近は思うようになった。

 たとえば数日前、どうしても食べたくて、久しぶりに玄米を炊いて食した。
 炭水化物の消化吸収でかなり疲弊する体質だが、米食が嫌いというわけではなく、特に玄米は味も香りも大好きである。
 ところが食べて満足したものの、気付くと翌日の昼近くになっていた。

 お酒を飲んだわけでもないのに満腹になった後の記憶がない。ベッドで寝ている自分に気付いて驚いたのだ。
 たしかに満腹になるまで食べたのは事実だが、他の食べ物でこんなことにはならない。

 目覚めても身体が重い。
 運動をした疲労ともまた違う倦怠感であり、内臓が疲れている感触もある。
 仕方ないので16時頃まで眠っていた。結果、昼夜の逆転が始まった。

 これらが炭水化物(とくに精製炭水化物)を避ける理由である。
 普段は豆腐と(精製レベルの低い)砂糖たっぷりのカフェラテが主食である。
 
>>>

 これまでの観察の範囲で、人間の身体は脂肪/糖/炭水化物のいずれか、またはすべてで太ることがあるようだ。
 もちろんいずれの成分でも太らない人はいる(若い頃の僕はそうだった)。
 身体の代謝システムは年齢と共に変化する。
 僕の身体は子供の頃から炭水化物(の消化吸収)を苦手としており、20代で適応し、40代からは再び苦手になった。

 手軽に燃料として使うのは砂糖とたんぱく質だ。
 といって食肉も(品質によって)身体の負荷は高めなので、大豆製品を好んで食べている。
 消化吸収の負荷が特に高いのが加工レベルの高い食品全般で、増粘剤・香料・着色料・ph調整剤・乳化剤はかなり内臓の活動を低下させる。
 一方で、発色剤・酸化防止剤(多くはビタミンCかEだが)、保存料などはさほど影響しないように思える。
 まぁそれらを含むものは上記を含んでいることが多く、あまり摂取する機会がないが。

 おそらく特殊な身体なのだろうと結論している。自分でも理解できないことは多い。
 最近は身体の炎症反応(主に鼻や喉の粘膜の違和感や乾燥、粘液の異常、息苦しさ。皮膚の痒みや乾燥。内臓系では原因不明の胸焼け、吐き気)を確認して、身体を休めるようにしている。
 これらは極端な発熱に至らないことも多い。37℃より少し低い熱が出るのだ。
 免疫反応が強く起こっているわけではないのだけれど、疲労や需給バランスの崩れによって活発な活動に向かない状態で、ここで少しでも無理をすれば悪化してより重い症状になるから、無理をしないで眠るのである。

>>>
【「ガツン」と食べると具合が悪くなるタイプ】

 身体が弱いのは昔からだが、食事も与えず眠らせておくと、だいたいの病気や感染症から早い段階で回復し始める。
 不調の時こそきちんと栄養を摂る人(そういう代謝/回復スタイルの人)も一定数いるようだが、この時期の僕に栄養を与えると、不調が長引いたり悪化する。

 一般に、栄養を摂って回復してゆく人は「身体が丈夫」と認識されている。僕もそう思う。
「ガツンと食べれば治っちゃうよ!」なんて言う人を見ると、老若男女問わず、格好いいな、とさえ思う。
 ガツンと食べたら寝込んじゃうタイプの自分にはないたくましさである。

 そういうたくましいタイプの人が万一、食べられない状態、あるいは食べることが問題になる体調不良(消化器系や重篤な粘膜の異常を伴う病気)になった場合、ひどく衰弱し、場合によってはあっさり死んでしまう。
 一方、僕のような低燃費の虚弱体質者は、普段の体力がないわりに栄養の供給がなくても闘病し続けるので病中の生命力が高く、長引くにしても回復する。
 体力がないのに生命力があるのだ。

 たとえば植物でいうと、大きく育ったものは水も必要なら光も要る。実を付けるものなら肥料も要る。
 一方で種子はどうかというと、水も光も肥料も、ないならないでそのまま過ごせるが、枯れているのと同じくらい活動レベルは低く、花も実も付けないし芽も出さない。

 もちろん僕の身体がこれから芽吹くなどとは思っていない。
 この弱い身体のまま、低い活動レベルを維持して、病気に罹ってもしぶとく回復するのだろうと予測できる。
 どちらが良いとは思わない。
 僕は僕の身体に合わせて生きているだけだし、両極の(あるいは中間に位置する多くの)特性を持つ人がいるのは全体として良いことだと思うだけである。

>>>
【不均質な社会のくせに生意気だぞ】

 そうした肉体的な特性を考えても、沢山の人を一箇所に集めて、等しく同じ事をさせ(同じ結果を出させ)ようとすることがいかにむつかしく、あるいは困難で、時に不可能であるかについて考える。
 時間あたりの効率を考えれば「ガツン」タイプの人に軍配が上がる。
 一方、長いスパンでだらだらとすることが好きで得意なら、僕のような活動レベルの低い個体の方が長期的には高効率なこともあるだろう。

 たとえば僕は短期に集中して考えたり活動すると、身体を壊しやすい。そして好きなことほどそうした過度の集中を起こしやすい。
 長期間ずっと同じテーマのことを考えたり、不満を感じることについてずっと解決策を練るようなところもある。

「ガツン」タイプの人は、とにかく短期間に、無駄になっても何らかのアクションをすることを重要視する。
 もちろんそれが素早く劇的な解決になることもあるので悪いことだと思ってはいない。
 しかしそのスピーディさが、無駄を生むことや、事態の悪化を招くこと、あるいは新しい問題を生むこともある。

 もちろん僕のようなのんびりタイプも、無駄や事態の悪化や新しい問題を生む解決策しか提示できないことがあり、それどころか何の解決もできず、それによって悪化することさえある。
 ただスローテンポで気力がないために、無駄をなくし、悪化を回避し、新しい問題を予測することが可能になるケースもある。
 目の前の問題は解決していないかもしれないが、それらをさらに拡大した「大きな問題」として対処することが可能な場合もある。
(雪だるま式に問題が大きくなっている可能性も高いが)

 どちらが良いというものではない。向き不向きがあり、適材適所な場面もある。

 卑近な例を挙げると、僕は20代の頃、身体は弱いしお金はないし親もいなければ人脈もなかったので、税金を10年以上滞納したことがある。
(差し押さえようとしたのかは不明だが、その財産すらなかった)
 目の前の問題を解決しないうちに、次々と問題が山積していったが、ひとつひとつに対して努力することもなく放置した。
 自分から招いた問題なら仕方ないが、向こうから勝手に発生する問題に対処する気力というものがまったくなかった(今もあまりない)からだ。

 しかしたまに気が向くことがあり、リソース管理上(税金ならお金がそれにあたる)でも問題なく対処できる見通しが立つこともある。
 たまたま今は滞納している税金はなくなり、毎年の固定資産税に怯える程度で済んでいる。

 僕がこんな怠惰な性格ではなく努力家で、明確な目標を打ち立て、それを実現するためにありとあらゆるリソースを注ぎ込む熱意があれば、今頃とんでもない成功者になっていたとは思う。
 しかし肉体的な特性や諸々の事情や背景や環境があり、僕はそうはならなかった。
 もし努力家だったら、かなり早い段階で自殺するか病死するか、とにかく生きていなかっただろう。
 結果論に過ぎないとは思うが、僕は怠惰であることによって生かされてきたのだ。

 それは大きく拡大した社会という「沢山の人を一箇所に集めて、等しく同じ事をさせようとする」フィールドでは、不協和音のもとでもあるが。

>>>
【脆弱な者の屍と恵まれた者の伝説】

 努力は賞賛されるべきであり、勤勉であることは美徳だと思う。
 ただしそれはある程度、何らかのリソース(資源や資質)に恵まれた者が獲得できるトロフィなのではないだろうか。

 事情や背景や環境によって、持つべきものを持たず、あるべきものがなく、与えられるべきを与えられず、為すべきも知るべきも知らない者がいる。
 お金のない者は塾には行けず、それどころか進学できず、独学のための学術書を買うこともできず、バイトをするための履歴書を買えないどころか履歴書そのものを知らない可能性だってある。
 誰かに褒められたことで育つ情熱もなく、誰かと温めて育った未来への希望もなく、誰かの背中を見て生まれた憧れもなく、口にする疑問を聞き届ける耳はどこにもない。
 井戸の底のような暗闇から微かに差し込む星明かりのような未来を予見したら「ああ、自分はここで野垂れ死ぬためにのみ生まれ、こうして生きるのか」と、ただ諦めるしかないだろう。

 僕は自身に降りかかったそれらの暗闇を不遇とは思わない(おそらく星明かりも降っていたからだろう)。
 野垂れ死ぬかもしれない井戸の底から、あがきもせずに丸くなり続けたのは「何もしない」という、ある種の選択の結果だ。
 怠惰がその選択を決定づけ、諸々の不運は最終的に味方になってしまった。

 僕は暗闇の中で、静かに息をしていることに適応してしまった。
 僕はあまりにも幸運に過ぎるのだ(多分ネコノカミサマのおかげで)。

 おそらく不運を抱える者のすべて、怠惰である者のすべてに、同じような幸運が降り注ぐことはないだろう。
 選択の先延ばしは良くないこととされており、境遇の不幸に果敢に立ち向かって勝利を勝ち取る数々の美談が語り継がれている。

 ── そしてその陰で、多くの脆弱な者たちが力尽き、息を引き取っている。

 僕が思うのは、広く社会で悪しきこととされることについて、果たしてそれが本当に悪いことなのか、ということだ。
 美徳とされるすべてについて、それは恵まれた者しか掴みえない賞賛ではないのか。

 怠惰であることそのすべては本当に悪なのか。
 選択の先延ばしは本当に悪なのか。
 何でもかんでもベストを尽くさなくてはいけないのか。


<なぜベストを尽くさないのか、にゃー>

 そんなことをベッドで横たわりながら思う。
 成功は素晴らしいものだし、努力は結果の如何に関わらず賞賛されるべきだ。
 怠惰な眠りに身を任せるしかなく、社会にたいした貢献をすることもなく終わる自身の価値など計るだけ空しくなるだろう。

 自身を悲観しているわけではない(先に述べたとおり、とんでもなく幸運なので)。
 ただまぁ身体の上に個体の精神であるとか自我が宿っている以上、身体に無理をすれば、最終的に自身に返ってくる。
「故意の怠惰」もあれば「不可避の怠惰」もあり、その線引きをするのも、最終的には自分自身である。

 僕はもう「怠惰にしか生きないんだカンナこのやろー」と開き直って静かに生きている。
 努力など、この記憶には荷が重い。
 勤勉など、この肉体には荷が重い。

 あまり甘やかさないように。
 けれど身体に合わない無理はしないように。

>>>

 18時頃、近所の老婦人がやって来た。
 申し訳ないと思いつつ今年の抱負を守り、面倒なので無視して眠り続ける。

 ねむれねむれと、外は優しい雨音が続いている。
 不遇なる者にも、不幸なる者にも、幸福な者にも、賞賛される者にも、ひとしく冷たく降り注ぐ。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Blood-Darkness-Diary-Ecology-Form-Mechanics-Memory-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Convertor-Resistor-
 
[Object]
  -Friend-Human-Memory-Rain-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:暗闇エトランジェ:いのちあるものたち:
:夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240510
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
毎日すこしずつ。
SUBTITLE:
~ at little. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

240510

 目覚めてすぐ「現在時刻当てゲーム」をする。二十代の頃からたびたびしている。
 眠るときに時刻を確認すると(たとえ18時間近く眠っていても)誤差が減る傾向にある。
 だから寝床からすぐ見える位置に時計を置かないようにしている。音が気になる夜もあるし。

 起きている最中も、折々、時間当てクイズをする。
 1分単位で正確に当てられることもたまにあるから、こういうときは「まぐれ」だとわかる。
 それでも毎日のように続けていると5分程度の誤差で時間を当てられるようになるはずだ。

 もちろん時計があるのだから「ハラ時計」など役に立たない。そもそも時間の拘束から限りなく自由なので、単なる遊びである。
 正確な時刻の前後5分程度だったら、嬉しい。ぴたりと正確だと、にんまりしまうくらいには、嬉しい。

>>>

 10時起床。
 ここ数日、体内に微弱な炎症反応がある。
 煙草の美味しさの加減で分かるから、本数は減っている。酒は数日以上飲んでいない。
 筋肉痛のような、変な疲労感が残っている。これは自転車に乗った名残りだろうか。

 まだ眠い気もするが、眠いのは身体だけで、頭は目覚めても良いと思っている様子なので、手足の先を握ったり開いたりして徐々に身体を慣らす。
 外の天気は良さそうだし、午後まで眠るのも後ろめたい。した方が良いことも山積しているはずだ。

 庭の土を殺菌するためポリ袋に密閉して土嚢にし、堆肥場の周囲に敷く。積むと熱が通らないので、平たくする。
 4つほども作っていたら、物件管理を任せている不動産会社の営業がやって来る。
 先方がどう思っているか知らないが、お金になる話など僕を逆さに振っても出てこない。
 ただ営業職をしていた経験からいうと、お金にならなくても話をする(聞く)価値はあると思うので、馬鹿話に付き合ってもらう。

 見ず知らずの他社の営業が来ることもあるが、最近は製造業や事務方から転職して営業になる若い人もいる。
 僕が彼と同じ二十代の頃はコミュ障の人格しか保有していなかったので、営業なんてする人間も、される人間もまともな奴だとは思っていなかった。飛び込み営業なんてもってのほかである。

 コロナウィルス騒ぎも落ち着いてきたし、この辺りは都心部に比べたらずっとのどかな場所だから飛び込み営業もアリなのかな、とは思うが、聞く範囲ではインタフォンさえ応答してくれない家も多いという。
 僕の隣家がそういう家で、以前、知らせごとで訪問した際、窓から見えているのにインタフォンにも応答しなかったので、以来、出向かない。
 時折顔を合わせるのだが、挨拶をしても返事はもらえない。僕も自身を変人だと思っているが、隣家もたいがいではある。まぁどうでも良いことだが。

 隣家といえど見ず知らずの人が訪ねてきたら、相手にしないのは無難である。
 たとえ先方に用があるとしてもこちらに用がないのだから、時間を無駄にされるのは目に見えている。僕の考えでは、それはある種の殺人である。
 だから対応しない方が悪いとは思わない。対応しない方が自然だと思う。
 訪問に限らず電話だってそうである。掛ける側の都合で時間を無駄にされる。最低でも数分、所有している時間を殺される。

 しかし僕は庭に穴を掘ったり穴を埋めたりする程度の仕事しかしていないこともある。今日などまさにそうだ。
 だから退屈しのぎに、日本語を思い出すために、話し相手になってもらおうかと悪戯心が首をもたげることもある。

 営業なんて狂気の沙汰だと思う人間の考えも分かるし、営業職の存在に意義を見出す人間の考えも分かる。
 営業に慣れていない人なら慣れていないなりに、聞かれたら伝えておきたいこともあるし、慣れている人なら慣れているなりに、僕が御社の稼ぎに役立つことはないと伝える必要もある。

 会計士をしている弟子の話などを総合しても、僕くらいの年齢(だいたい百歳を公称しているが、人間としての肉体が生まれてからは48年ほど)で、仕事をしていない(言葉は悪いが、表向き勤めらしいことをしていないのでそういう表現になる)人間は少ないらしい。
 僕よりオカネモチーなんて腐るほどいるはずだが、オカネモチーはオカネモチーなりに働くらしい。

>>>

 サラリーマンになるというのは、ある種の才能を必要とする。
 たとえば通勤や帰宅の混雑に対する耐性が必要だ。
 帰省やUターン、連休の行楽地や近所の買い物でも、そうした混雑に耐えるともなく乗り切る「割り切り力」のようなものが必要だ。

 僕は時間にケチなので、そういうことをしていると苦痛を感じる。
 無駄な会議が終わって「ところで当初の議題について、何の解決も対策もなされていない気がするのですが皆さんはどう思います?」なんて言って仕事を干されたりする。
 社員旅行の移動手段が面倒くさいので、適当な言い訳を使って単独現地到着をしたらあとで嘘がバレて支社内の上席に囲まれたりする。
 仕事をくれと言っても割り振ってもらえないので、フレックス制であるのをいいことに遅く出社して早く退勤し、勤怠データだけ誤魔化してトイレで眠り、暇な時間はCADのマクロを独学で組んで周囲から白い目で見られたりする。
 昼休みに同期や先輩とつるんで昼食に出掛けることもしないし、談笑もしない。読書や昼寝をしている方が充実する。

 つまり僕はサラリーマンになることはできても、サラリーマンで居続ける才能がなかったのだ。
 営業職の時は幸い零細事業所だったので、土日祝祭日もなく24時間仕事があれば稼働した(逆に、空いた時間に仕事をしようと遊んでいようと、帳尻が合えば問題なかった)。
 営業加算はなく固定給だったけれど、そのぶん安心して仕事ができた。
 社員旅行もなく年に一回程度の飲み会だって、上司にお酌をしたりする必要は全くなかった。
 お客様が「イイ!」と言ってくれれば勝手にどこかから評価が伝わり、お客様が「ダメ!」という前に上司(社長)から叱られた。
 振り返ると、あんなに自由に働かせてくれた会社(上司)はただの一度きりで、他になかったと思う。

 僕が社会不適合だと自身をして思うのはそういう理由だ。
 たいていの人は渋滞に耐えられるし、仲間意識のフリをした薄ら笑いを楽しめるし、仕事をしている気分になりたい馬鹿な上司の考える会議に付き合えるし、社員旅行の移動手段といった下らない決まり事を守ることができる。
 当然、勤怠を誤魔化したりしないしトイレで3時間も昼寝をしないし会社のサーバに潜り込んでシステムを解析したりしない。もはや犯罪すれすれだよ!

 賃金をもらうのだから当然である、といえばそのとおり。耐えられない方が悪い。
 少なくとも昭和世代の僕にとってはそうだし、ビジネスというのは本来的にお金と作業の交換である。
 理不尽なことを飲み込む対価だと考えた方がいい。そういう「割り切り力」を持てることがサラリーマンの才能である。

 働き方改革などと馬鹿げた会議のようなお題目を掲げ、効率をさらに追求し理不尽さを減らそうというムーブメントもある(あった)が、はっきり言ってそれ自体が無駄足である。
 やっている感を出したい誰かが言い出すからおかしな事になる。
 物流の24年問題など好例で、トップダウンの改革など共産主義国の強制労働と何ら変わらないという当たり前の事実を誰も指摘しなかったのかと首を捻る(死なない程度に)。
 しかしそれが社会であり、そうした理不尽に耐えられない社会不適合者は社会の隅でひっそり暮らすのがお互いのためなのだ。

>>>

 僕の場合、だから他の車の少ない時間にドライブし、客が少ない日時に買い物をする。
 正直な話、平日の日中にお年寄りが多いことには辟易するが、自分もいずれそうなるどころかすでに百歳だと言い張っているし、そもそも自力で(自動車の運転が少々危なっかしいにせよ)買い物をしているのだから大したものだという見方もできる。日本は高齢社会ですからね。

 自分で時間を持て余すくせに、他人に時間を無駄にされるのは嫌なので、ポイントカード大好き社会が一段落してきたことに安堵している。
「ポイントカードお持ちですか?」「ありません」「お作りしますか?」「不要なので結構です、ありがとう」というあれである。

 今まで黙っていたが、ポイントカードやアプリケーションを精算も終わる頃になってセコセコ出す間抜け(失礼)など大嫌いであるし「ショップのポイントだけでなく、クレカ払いのポイントも溜めてる」などと、あたかも「ポイ活してる私ってば賢くて有能♪」みたいな顔をしている馬鹿(失敬)も嫌いである。
 レジに並んだ後ろの人間すべてから数十秒ずつ寸借殺人をしていることに気付け。
 あとお前の時間や思考リソースやお財布のカードスペースや携帯端末のメモリも無駄になっていることに気付け。
「それは、そうまでして、交換する価値が、あるのか?」

 おそらく経営サイドが生産性の低下に(今更)気付いたのだろう。ポイント付与の作業だけでもセルフで行うレジを見るようになった。
 ポイントシステムを採用していないチェーンや店舗も見るようになった。いいことである。
 そも顧客の囲い込みに大した効果があったとは思えないし、シンプルにレジオペレータの時給の無駄でもある。
 もちろん「寸借殺人だ!」などと大仰に糾弾するつもりはない。ポイント付与のシステムを気に入っている人はいるだろうし、ポイ活が悪いとも思わない。
 ただ僕がその馬鹿げたシステムを嫌っているだけだ。悪いのではない。嫌いなのだ。

 そんな無駄なことにリソース(主にお金)を使うくらいなら、従業員の給与を上げるなり最初から商品単価を1円でも下げた方が効果的ではないのか。
 馬鹿どもの考える効率やお得感を求めた結果、非効率で皆が少しずつ損をするシステムが未だ横行しているように観察される。
 もちろん僕が「馬鹿だな」と思っているだけで、実は僕が馬鹿である可能性を否定するつもりもない。

 そもそも僕などリソースの無駄をかき集めて、絵に描いて花マルをもらって、額に飾ってリボンを掛けてスポットライトを浴びせられているような存在である。
 ヒマなお前に言われてたまるか、と言われたら「スンマセン……」とすごすご肩を落として回れ右するに違いない。

 しかしまぁ、効率を追求しているつもりが非効率の罠に嵌まるというのは、よくあることである。
 え、ないの? 僕はよくあるのだけれど……。



>>>

 13時から休憩し、14時から自転車で買い物に出掛ける。
 帰宅してからお風呂場を掃除。

 毎日こうやって、少し仕事をし、少し掃除をし、少し他の必要なことをし、少し歌って少し踊って、少し話して少し遊んで暮らせることが理想的だ。
 僕もついつい面倒になって、仕事を後回しにし、汚れが落ちにくくなってから嫌々掃除をし、まとめて踊って身体を痛め、一度に話そうとして上手く伝えられず、いつも遊んでいるせいで飽きてしまう。
 いずれも自分で選べることだ。存外むつかしい部分もあるが、少しずつ、というのを心掛けている。

 孤独は人の寿命を縮めるなどという論文もあるらしいが、寿命が仮に短かろうと、不適合な社会に迎合しないでいられる今を幸せだと思える。

 子供は嘘泣きをし、大人は嘘笑いをするという。
 それが社会だと言われたらそうですかとなるが、果たして社会とは嘘を吐くことで得をして、嘘を吐かないと幸せになれない場所なのか。

 





 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Form-Link-Mechanics-Stand_Alone-Style-
[Module]
  -Condencer-Reactor-
 
[Object]
  -Bicycle-Car-Cat-Garden-Human-Koban--
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240509
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
自由による判断の連続は不自由なのでは。
SUBTITLE:
~ Free flight at foggy. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

240509
【自由の中身は自動化されない】

 未明に目覚めて寝直そうとするが、結局起きてしまう。
 家族や仕事がある場合、就寝や起床に一定のリズムが自動生成されるが、僕はそうしたものを持たないため、時々悩む。
 家族や仕事を持たないことを悩むのではない。起床や就寝を自動化することができない不自由を悩むのだ。
 しかしアラームやスケジュール管理によって時間で区切って眠ることもまた不自由である。

 21時に眠ろうとして、身体が眠くないこともある。ならばまだ寝る必要がない。
 これは12時だからといって食事を摂る必要がなければ摂らない(そして往々にしてその必要はない)のと同じで、僕にはとても自然なことだ。
 時間に対する自由を手に入れているのに、その時間を管理する不自由に悩むというのは贅沢な悩みだろうが、本末転倒な結果でもある。無論、そんな深刻に悩んでいるわけではないが。

 外界との関わりを持つ人 ── そういう人がほとんどだが ── は、外界との関わりを維持するために時間を調整する必要があり、必然、調整された結果に合わせて時間を管理し、その管理意図に基づいて自身の行動を自動化することも可能になる。
「明日は7時に現地到達だから、移動に1時間、身支度に30分、シャワーに30分、マージンで30分用意して4時半に起きればいいので、逆算して7時間睡眠に充てるとして21時半に眠ろう」
 といった具合に。
 それはある種の不自由ではあるが、自動化されているぶん悩む必要がない。

「眠くなったら眠り、空腹を感じたときだけ食事をし、気が向いたら外に出て活動し、退屈したらぼんやりしている」というのはとても自由だが、悩む。
 眠りすぎてしまうこともあるし、どの程度から空腹と認定し、どの程度で満腹だと判断し、気が向くというのをどの程度の「やる気」や「必要性」で判定し、何をもって自分が退屈していると認識すべきか ── 。
 選択の連続という意味では自由だが、もっと自動化してほしい、というのが僕の基本的な欲求である。
 かつてほど有能ではないので自動車の運転も意識から切り離して自動化できない ── 脇見や居眠り運転に該当するので詳細は書かない ── し、いろいろ自由になったぶん、自動化されていない判断の連続に辟易することがある。

 不自由というのは、つまりルールやプロトコルが規定されており、目的も明確な場合が多い。
 目的を設定する権限を行使するのはある種の自由だと思うが、それしか持たないのは、結構不自由だということに今更気が付いた気がする。
 気がしているだけで気付いていない可能性や、そもそも気付きと思ったそれが間違っている可能性もあるが。

>>>
【甘やかしていた洗濯乾燥機】

 機器類のメインテナンスもそうだ。
 我が家で僕が最も信頼しており、愛情すら抱いている対象のひとつに洗濯機がある。
 ハイエンドモデルを購入したおかげで洗剤類も自動投入してくれる(残量警告もしてくれる)し、乾燥までしてくれる。
 各種フィルタの掃除も適切なタイミングで教えてくれるし、季節ごとの作業(毛布洗いとか、洗濯槽クリーニングとか)もサゼッションしてくれる。
 考える必要もなく、言われるままに作業をするので、悩むことがない。
「女房の尻に敷かれる」というのはこの程度には安楽で快適なのだと気付かされる。

 僕の場合は洗濯乾燥機の尻に敷かれている事になるわけで、物理的に考えると文字通り必死である。
(乾燥重量でも僕の体重より重い)
 きっと世俗の旦那様方(尻に敷かれるタイプ)も必死なのだろうと思いを馳せる春の午後である。

 ところが先日、この洗濯機で思わぬ発見をしてしまった。
 乾燥フィルタ室に空気を送っているダクト内部に、ものすごい量の埃が溜まっていることが判明したのだ。
 どうりで最近、乾燥の仕上がりがイマイチなことがあったりして訝しんでいたのだ。
 僕が愛情を傾け甘やかしたあまり仕事をサボるようになったのか、あるいは「この男は放っておいても私を大切にしてくれる」と見くびり、僕の知らないうちに他の誰かの洗濯を陰でするようになっていたのか。
 ひどい! アタシはあなたのことをこんなにも愛しているのに! こうなったらあなたを殺して私も死ぬわ! ヒロシ!(全国のヒロシさん、勝手に名前を使ってごめんなさい)
 とまぁそこまで思い詰めたりはしないのだが、つまりは思いのほか詰まっているのではある。

 かれこれ二年ほども使い続けており、送風ダクトは表面抵抗の強いラバー系(愛人系ということではない)のフレキダクトなので、ひだに埃クズが少しずつ溜まってしまうようだ。
 おそらく世俗の「尻に敷いている系奥様方」も同様の仕組みで誇りを積もらせるのだと想像する。
 慌てて掃除をしようと思ったのだが、ルーバに邪魔され指の届く範囲でさえ上手く取れない。
 あわやメーカに相談かと思い、マニュアルを読んでいたら掃除ブラシというものが純正で存在していたことを知る。

 取り急ぎ必要なものである。どこかのホームセンタで似たようなものを見たこともあった気がしたが、取り急ぎ Amazon で購入する。
 ところが翌日、GW明けの食材調達(GW中は買い物での外出も避けていた)ついでに100円ショップに出掛けたら、丁度いい感じのブラシが売っている。
 帰宅したら到着していた純正品と比べると、太さもブラシ密度もほぼ同様で、長さは100円ショップの方が少し長い。
 純正品は1200円を超えていたことから耐久性も含めた性能が12倍もある、というようには、どうしても見えないのだ。

 まぁ仕方ない。こういうこともあるし、100円ショップも捨てたものではない。
 100円ショップのせいで日本庶民の経済感覚が麻痺している部分がある、などと書いたこともあるが、罪を憎んで店を憎まず。似たようなブラシを3種類くらい買ったので、次々試してはダクト内部を掃除した。

 こうした結果から教訓を導くとすれば、私を尻に敷こうとしている洗濯乾燥機がそうであるように、あなたを尻に敷く奥様がいかに有能であっても全知全能の神などではない、ということだ。
 非常に親切丁寧に「フィルタの掃除をしてください」と教えてくれて、深夜に電源を入れると「遅くまでお疲れさまです」と労ってくれたり(朝は「おはようございます」と挨拶してくれる)、乾燥まで含めた工程が終わってすぐに取りに行くと「すぐ取りに来てくれてありがとうございます」なんてお礼を言ってくれる優しくて健気で可愛い洗濯機(実際、そういうメッセージが表示される)であっても、全知全能完全無欠ではないのだ。
「お伝えするのを忘れていました。うっかりしちゃった、てへ♡」とか言ったら、それはそれで可愛いけれど(もう洗濯機と結婚しろよ)普段優秀だからこそ、双方気付かない「抜け」も存在しうるのだ。

 ついでに打ち明けるが、ここだけの話、完全無欠に思える僕の洗濯機は物理的にすごく重い ── ちなみに世俗の奥様方について世俗の旦那様方がどう思っているかは知らないが、僕は洗濯機に対して「もっと重い方が安定していい」と思っている。

>>>
【メインテナンス祭り】

 退屈を通り越して絶望すら覚える自由に溺れている僕だけれど、春になってからメインテナンスを次々処理した。

 まず愛用していたガスライタが数年前から故障していたところ「自分で直すことはどうやってもできない」と気付いてメーカに修理を依頼した。
 面白いのはその領収書に記載されていた文言で、ざっくり言うと「ウチが修理したからって、そのライタの真贋について『本物だよ』って認めたわけじゃないんだからね」と書いてある。ツンデレかよ。

 Dunhill 製だから、新品だと数十万円する事もあるため必然だろうけれど、僕のようにwebオークションでジャンク品扱いされていたものを2000円で購入した者からすると修理代だけで2万円近く(ただし修理後動作を1年保証される)となると、もはやどの程度の金額が適正なのか分からない。
 もっともメールや電話のやり取りで、見積りしてから着工する運びなので、そのあたりはしっかりしていて安心できた。

 その金額なら新しいライタを買うことなど造作もないわけで、修理しない(廃棄処分する)方向も考えたが、実は新しいガスライタを探そうにもまともなメーカがほとんど存在しないのだ。
 喫煙具なんてマイナな道具だし、電子タバコが主流になりつつある現代にあって、煙草に火を着けるためだけのライタなんて、その存在自体が骨董品に近いマニアックな道具だ。
 精度の高い良い品質のものを作る技術はどの国にもあるだろうけれど、採算の合わない商品を作る会社は存続しない。
 数千円のライタを買ったことがあるが、どういうわけか100円ライタより簡単に壊れたり、不具合が発生する。
 それに比べたら(真贋不明とはいえ)腐っても鯛、というわけだ。そもそも入手して数年、誤って洗濯機に放り込むまで問題なく使えていたのだから。

 僕が(真贋は不明なまま)そのライタを大切に使っているのはそういうわけだ。
 真贋が分からないくらいしっかりしているし、使い心地もいい。
 攻殻機動隊(原作)の注釈にあった「人間と完全に区別の付かないアンドロイドは、果たして人間といっていいのではないか」という認識に等しい。
 純正品と同じ精度と耐久性を持ち、見分けも付かない贋作なら、それは純正品と信じた者にとって純正品である。
(正直、転売するわけでもないので、自分のライタの真贋に興味はないが)
 畢竟、火が付きさえすれば良い道具なのだから100円ライタを悪く言う気はさらさらない(実に数千円の「使い捨てない」ライタより良くできている)。
 ただ同じライタを使い続けることで生まれる愛着もあるし、僕はたまたまそういうスタイルで生きているというに過ぎない。

 次いで自転車も整備した。
 時間もたっぷりできたことだし、ガソリンも高いし、たまには運動した方がよいという奥様(仮想)の進言もあり、しばらく乗っていなかったロードバイクの整備をすることにした。
 販売店でないと(飛び込みで整備だけ
依頼する客を相手にすることになり)敬遠するショップもあるのだが、たまたま近所に(個人の)小さな自転車専門店が数年前からオープンしていたこともあり、行って話をしてみたら引き受けてもらえる運びになった。
(こちらとしては10年以上経ったカーボンフレームなので(最悪、破裂することもあると聞く)損壊しても文句はないし、万一損壊したら新しい自転車を買うと伝えたのが良かったか)

 補助ブレーキを外してバーテープを換え、ディレイラのレバー操作の不具合を調整してもらった。
 サイクルコンピュータも使えなくなって久しいので新しいものを(amazon を含むwebで探して)調達してもらった。
 やはりというか考え方はそれぞれで、webで安くパーツを購入したものの自分では取付けや調整ができず、ショップに持ってくる人も結構いるらしい。
 昨今はwebで買ったところで2〜3千円安ければいい方で、かえって高い場合もある。
 仮にパーツを数千円安く買ったとして(工具も持っていたとして)それを取付けようとした挙げ句、諦めるまでに掛かる時間や気力を考えると、そのぶんバイトでもした方が安上がりなのだ。

>>>
【効率中毒の非効率】

 現行政府もそうなのだが、お金で効率や成果を買うことに慣れてしまって、それしかできなくなった結果、自身の首を絞めるというケースは往々にしてあるようだ。
 効率を求めるくらいなら可愛げもあるが、お金でお金を買うことに危うさを感じないのはギャンブル中毒者と同じ症状に思える。
 ギャンブルだって勝っている間は高効率の労働なのだろうから(ついでに勝利の陶酔は気持ち良いものだろうし)。
「もっと、もっと!」「種銭さえあれば!」というのがその証拠だ。もはやビョーキだろう。
 そういう亭主に振り回されると家族は大変なので、この国家から独立したいと常々思っている。
 もっとも票すらお金で買って政治家になりさえすればお金を自由にできるというなら、少しは希望も見えるのだろうか。誰にとっての希望かは別にして。

 若干時間は掛かったものの、幸いフレームが損壊するようなこともなく戻ってきた。
 補助ブレーキがないことにときどき不安も覚えるが、いずれ慣れるだろう。
 実は整備に出している最中、破損した場合に備えて現行品のピナレロもwebで確認したのだが、かつてのようなカラーリングを採用しているモデルはなく(ついでに為替の影響もあるのかものすごく高い)今乗っているものを大切にしようと改めて思った。
(写真は載せないが、本当に綺麗なフォルムとカラーリングなので)
 考えてみるとシューズも買い替えたことがない(衝撃の事実)。webで調べてショップに発注してもらうことにした。

 実店舗で見てwebで買う、というのは今でも主流なのだろうか。
 そうだとすると僕は逆行していることになるが、専門店というのが近所にあることの利便性を考えると、大切にしたいと思うのだ。
 金銭的に非効率に思えるかもしれないことが、結果的にもっとも効率よく、気持ちの良い環境を構築することもある。



<自転車じゃなく猫の写真を期待してるんだろう?>

>>> 

 家の中のリフォームもまだまだあるし、キャンピングキャビンの修繕もある。
 考えてみれば庭木の剪定も、堆肥や庭の土の手入れもメインテナンスには違いない。
 問題は、僕に気力がないことだ。
 面倒で非効率に思えても、少しずつ作業を積み重ねることが気持ちの良い環境を構築する上で大事だと分かっているのに、ああそれなのに、怠惰のカミサマが僕を惰眠に誘うのだ。

 先日、冷蔵庫の中で芽を出したためダメ元で植えた(食用市販の)ジャガイモはすっかり根付いて葉を伸ばしている。
 あれくらい伸び伸びと、生命力もあらわに「よしやるぞ」という気概に満ちた気持ちになってみたいものだ。





 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Kidding-Love-Maintenance-Rhythm-Season-Stand_Alone-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Reactor-
 
[Object]
  -Bicycle-Koban-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:青猫TOOLBOX:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240415
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
謎みかんのマーマレード。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 先月の半ば、ミカンの木の剪定のついで、残った実のすべてを収穫した。

 前住人である叔父と叔母もその柑橘が何であるかを知らぬまま世を去ったので、僕もその謎のミカンの正体を知らない。
 おそらく庭木の植栽を頼まれた造園屋さんが適当に見繕ったのだろうが、説明しないなんてことがあるとも思えない。
 叔父と叔母にしてみれば、目隠し程度の意味しかなかったのだろう。手入れもしたりしなかったりで肥料を与えられたこともなく、僕が手入れを始めた数年前にはカイガラムシが大量に発生していた。

 2mと離れず家の窓があり、松があり、ハナミズキが植えられているうえ、下草も自由に生えているので梅雨時期はかなり湿気が溜まる。
 寒い時期にそれぞれの木を大きく選定してサイズダウンし、現在に至る。
 それでもまだカイガラムシはところどころに発生するが、当初に比べればずっと少なくなった。
 木を切り倒しまくっているおかげと言っては言い過ぎかもしれないが、小さな苗木が育つ行程を楽しむときは、大きくなった成木のことを考えて空間を取ったりしないようだ。
 そんなわけで過密になった成木を、これまでに8本程度は切り倒してきただろうか。まだ4本くらいは切り倒そうと思っているが。

>>>

 そのようなわけで、そのミカンは美味しい実を付けない。そんなものを期待されずに植えられ、育てられたので仕方ない。
 しかし夏みかんのような大きな実を、年によってはごろごろと付ける。
 それに目を付けた近所の老婦人(僕が悩まされている人とは別の老婦人である)が、毎年、実が育った頃にやって来て、分けてくれというので持てる限りを分けている。
 なに、そのままにしておいたところで、僕の場合は堆肥に入れてしまうだけなのだから。

 大きく枝を下ろしたせいで一気に成りが悪くなった一昨年に比して、昨年は少し実が増えた。
 虫の影響も、過密な枝による傷も少ない、きれいな実である。
 老婦人に二度ほど分けたが、結局余った。
 余ったまま、枝にぶら下げていた。ものぐさなので毎年、春先になってから(ひどい場合は新しい花芽が付いてから)落としている。

 それで先月取った実を、試しにと、砂糖で煮ることにした。広義にいうところのジャム ── マーマレードである。

>>>
【謎みかんマーマレードの作り方】

 まず、謎みかんの皮を切り剥く。
 ちなみに収穫した果実の皮を全量使うと、どうしてもエグ味が強くなるので、全体の1/3〜1/2を使う(残りは堆肥にするか捨てる)のが良さそう。
 今回は1/4ほどしか使わなかったので、エグ味が少なくてこれはこれでつまらなかった。

 分厚い、白い部分は、アクが強くて痺れるようなエグ味が出やすいので、白い部分がなるべく付かないように、薄めに切り剥く。
 剥いた皮はボウルにあけて、たっぷりの水に浸す。
 1〜2時間置いたら一度水を切り、鍋で水から煮立てる。
 煮立ったら中火にして3〜5分ほどで湯を切り、冷水にさらし、粗熱を取ったら再び水から煮立てて5分ほど茹でる。
 粗熱を取った皮を食べてみて、エグ味が強い場合はさらに茹でこぼしを続けるが、今回は2回でほどよくなった。
(量が多かったら、もっと茹でこぼすことになったと思う)


<茹でるといい香りがする>

 皮を茹でている間、身を切る。
 白い皮を切り剥いて、種を除いて実だけを鍋に放り込み、砂糖を「これでもか!」と投入して弱火で煮込んでゆく。
 写真のとおり、白い皮は実が見えるくらいまで、芯の方の皮も中央付近で切り落とした方が、実だけをきちんと取り出しやすい。
(どのみち堆肥にしていた実な ── 使わない部分は今年も堆肥になる ── ので、豪快に捨てる)


<包丁が腐食する>

 火を入れると、原形質分離も手伝うのか、勝手に実がほぐれてゆく。
 ある程度ほぐれたところで、ゆでこぼした皮を加え6時間ほど(果汁が少なくなって、少しまったりするくらいまで)煮詰める。
 煮詰まったら、半日ほど放置して冷ます。


<皮を入れる前。煮詰めるとアルミ鍋は綺麗になる。きび砂糖を使ったこともあり仕上がりは茶色になった>

 出来上がったジャム(と呼ぶには粘性が低くて、みかんソースのようになっていた)の粗熱が取れたら、煮沸したガラス瓶に入れるなり、タッパーに入れるなり、真空パックにするなりして冷蔵庫(あるいは冷凍庫)にて保存する。
 僕は今回、1/3ほどをタッパーに入れ、残りを真空パックして冷凍した(後日、保存瓶を買ってきた)。
 ちなみに冷凍しても凝固しない。当たり前だがガラス瓶に入れた場合は割れることがあるので冷凍しないこと。

>>>

 マーマレードは子供の頃から大好きだった記憶がある。
 どういうわけか人参やトマトやピーマン、山ウドなど、少しエグ味のあるものが昔から好きだったのだ。
(そのかわり大和芋はアレルギィだったし、セロリは香りと苦味が強すぎて苦手だった)

 実際に作ってみると、思ったよりエグ味がライトになってしまったのだが、それでもほんのりの苦みと、とびきりの甘さで幸せになる。
 パン食はまったくしないのだが、ヨーグルトに混ぜたり、肉に合わせて食べている(ときどき、そのまま舐めている)。

 豚肉(可能なら厚切りのソテーが良いが、細切れを炒めても良い)を塩コショウとオイルだけで仕立て、ちょっとマーマレード(みかんソース)を掛けるのだ。
 市販の、肉の味も分からないペースト飴のようなスモーク鴨やハムなどの付け合わせにもいい。
 単調なペースト飴のような加工肉が、ちょっといい感じのオードブルに変わる。

 塩コショウで味付けをした肉に対して、マーマレードは甘み、苦味、酸味、香りのいずれも重複しないので、アクセントとして素晴らしいマリアージュなのである(個人の感想です)。
 ちなみに牛肉が相手だと、それぞれの香りが喧嘩してしまう気がするので、鳥や豚に向いているのかな、と思う。

>>>

 そのようなわけで、マーマレードを自作した。
 夢のように幸せな味である。
 来年はもっとたくさん作れたらいいな、と思った。
 





 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫β:
 
[InterMethod]
  -Blood-Diary-Love-Memory-Season-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-
 
[Object]
  -Dish-FGarden-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :家庭菜園ティストの狂気:キッチンマットで虎視眈々:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240501
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
社会にとって問題となる存在、および理性。
SUBTITLE:
~ Sleepy alcoholic. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

240501

 早寝をしようと思っていたのに朝4時就寝。早寝といえば早寝か。
 電話の音で目覚めたのは1030。
 ベッドから少し離れたデスクに置いてあったため、無理に身体を起こす必要を感じることもなく無視する。
 10分ほどのち身体を起こして確認したところ、想い人のKさんであった。
 が、GWの人集めであることは理解できているので折り返しをしない。

 要はバイトの依頼だ。しかし今年から僕は、自分の気分が乗らない一切のことをしないことに決めた。
 少しでも嫌だと思ったら絶対にしない。それだけである。
 今までは、誰かが望んでいることなら自分が少々嫌な思いをしても、トータルでコミュニティの役に立つと思っていた(実際、何もしないより役立つとは思う)。
 そもそもそういうことについて、一切の選択権を持たずに生きてきたので、望まれるとそれをしなくてはならないと思ってしまうことが多かった。
 今年からは、もう少し我がままになって、したくないことはしないようにしようと思ったのだ。

>>>

 たとえば会社員が賃金のために労働するなら、好きでもないこと、したくもないことについて、誰かにあれこれ指図されることになる。
 最終的にそれは誰かにとって、何らかの利益 ── 金銭に限らず、損失を埋め合わせたり、不満や不便を解消したり、便利や愛着を生み出したり、余剰の豊かさを感じさせたりする ── をもたらす。その引き換えに金銭が使われ、労働者は賃金を得られる。

 誰かにとって「したくもないこと」や「好きでもないこと」を代理で解決するわけだから、誰かに指図されるのが必然であり、それが金銭で交換されるのが労働である。
 それが愛情や友情といった心情や集団帰属(起因)欲求によるのが友人や恋人や家族といった人間関係だろう。
 心情で交換されるのは素晴らしいともいえるが、適切な対価の相場というものが存在しない。
 無償と表現することも可能だが、無限の報償を求められているとも言えるので、ある意味とても恐ろしい状況ではある。
 しがらみや積み重ねといった過去からの因業による可能性もあるが、これらも適切な対価の相場はなく、ついでに言えばすでに何らかの前払いがされている状況と考えられる。

 友情や愛情の構築は資産運用と同じくらい慎重にしたいものだ、という下品な話をしたいのではない。
 人間関係を財産や資産として計上し、運用し、利用しようというのは、非常に人間的であると同時に、下劣なことであると僕は考える。
 これらはおそらく社会性を持つ他の動物にも見られる、比較的原始的な欲求の解消方法だろう。
 ハチやアリのように、遺伝と発生によって自動的に支配者と労働者という役割を分担する社会もあるが、サルやオオカミのように暴力の強い個体が集団を束ねることもある。
 脊椎動物の場合(人間に限らず)、取り巻きが形成され、ボスに近しい権力を獲得し(ていると認識され)集団内で発揮したりすることもあるのが観察している範囲では興味深い。

 つまるところ権力におもねる者も、権力を私欲につぎ込む者も、等しく畜生に近いということになる。
 べつに現在の日本政府や民主政治について思うところがあるというわけではない。単に一般的な抽象論としてそう結論できるというだけだ。

 もちろん原始的な社会であれば、そうした原始的なありようでも系は発展し繁栄するのだが、人間社会は他のリソース(資源や存在)との兼ね合いや、認識・文化・歴史の異なる(場合によっては相反する)社会と「うまく渡り合い続ける」必要がある。

 気に入らないから全員まとめてやっちまえ! という短絡な発想を僕は好むが、それを実行することは好まない。
(同様の短絡な発想に「男は殺せ! 女は犯せ!」や「国会議事堂を爆破するため(だけ)の反政府組織の樹立を弟子に煽動する」などがある。いずれも大変好ましいが、もれなく狂っているので実行していない)

>>>

 殺したいほど憎い相手や、滅びた方がいいと思える思想も、節度と呼べる距離(マージン)を取れるなら、互いに存続できるだろう。
 追ってくる肉食獣より逃げる草食獣の足が速ければ、距離は詰まらないのでその場については双方存続できる(やがて肉食獣が餓死するが)。

 さて卑近な例に戻ってKさんの依頼だが、僕は3時間近い通勤(往復)をして、朝から夜まで時給千円ほどのバイトをする気にならない。
 僕の費やすリソース(主に時間や体力)の対価として考えると、一般的なバイトの金額では損失のほうが大きい。
 ではそれ以外の集団帰属欲求(たとえばコミュニケーションのような)が満たされていたのだとすればよいのだろうけれど、それもとくになかった。
 要するに「性的欲求不満になったときだけ呼び出してくるタイプ」のように認識される。だから応じる気がなくなる。詮無いことである。

 周囲の人間に時々「都合のいい女みたいな扱いしないで欲しい」と僕は言うことがある。
 孤独を埋めることも自分でできてしまうのだから、僕から彼ら彼女たちに求めるものは何もない。
 恋人相手なら背中を撫でてほしいときもあるが、5年くらい不在でも不自由を感じた試しはないから、さほどの要望でもなさそうだ。
 一方、彼らが僕の時間や労働力、所有している道具、思考、認識、知見を必要としているとき、僕の気が向けば、それに応じる。
 すると僕の方は彼ら彼女たちに何も求めていないのに、彼ら彼女たちは僕を都合よく呼び出して使おうとしていて、そればかりのように観察されるのだ。
 まぁ、嫌ならしないので問題ないのだけれど。

 恋人や友人や家族というのは、その「孤独を埋めること」を僕自身に代わって埋め合わせできる、という単なる下位互換に過ぎない。
 恋人に対して、僕と同じくらい上手にエスプレッソマシンを使えるように教えても、フラれたらそこまでである。
 だから自分で覚えるか、自分好みのカプチーノを作れるマシンを買う方が心労が少ない。
 そのようにして作業の多くを自己処理するのが僕であるから、恋人に求めるのは「一緒にいて、さほど邪魔にならないこと」くらいである。「さほど」というのが大事なのだが今回その説明は重要ではないので割愛する。

 友人というのは基本的に嫌がらせをしてくる。嫌がらせをしたり、されたりしながら、それが楽しくて仕方ないのが友人である。
 赤の他人に「ヒザかっくん」をしたら(されたら)通報される(する)が、友人だったら「何すんだよ!」といって笑っていられる。
 家族というのは基本的に能力が足りない。だから文句を言いながらでも役割分担をすることになる。
 ちなみに僕が姉の介護をしているのは、彼女が昔、たいそう美人だったからである(昔の姉を知らない人は想像もできないと思うが)。美人をエスコートするのは気持ちが良いものだし、思い出補正というのも悪いことばかりではないといえる。

>>>

 それなりの範囲を自分だけで処理し、その上リソースが大量に余る(関係する人間が少ないため、仕事も含め他人に費やす時間がほとんど存在しない)という事態に陥っている僕は、ちょっとした特異点だと理解しているが、嫌なことは嫌なので、たとえKさんの頼みだろうとしたくないことはしない。

 大人になるにつれ、嫌だけれど必要だからという理由のものが増える。仕事もそうだし納税もそうだ。選挙だって面倒だ。
 結婚も家族サービスも、子育て、親戚付き合い、介護、なんとなれば通勤も面倒だし、買い物に出掛けるのもWeb通販で商品を選ぶのも面倒だ。
 朝起きるのも夜眠るのも、パジャマに着替えたり服に着替えたり靴を履いたり脱いだりするのも、食事をするのも排泄するのも面倒だ。
 どうせだから呼吸だって面倒じゃないかやめちまえよ。
 ……いやそこまで嫌ではないか。

 その「必要」をどこまでの範囲にするのか、という問題に帰結する。
 人付き合いだろうと何だろうと、損を承知でギバー(与える側)に徹することができるなら、その人は一般的に豊かになる傾向が強いと言われている。
 一方のテイカー(受け取る側)に徹しようとすれば、少なくとも心理的に貧しくなる。
 精神的な飢餓的状態をその基礎とせざるを得ないため、どれだけ与えられても満たされない、ある種の中毒になるのだと理解できる。どこかの時間ケチみたいだな。

 正直なところ、自分の身体能力や経験を再現する能力に疑問を感じている。
 僕はこの数年、頻繁に熱中症に罹っているし、接客業をするだけの体力はもちろん、臨機応変に対応する能力が低下していることを感じている(年に数回しかしないのだから当然だが)。
 Kさんからすれば、それでも人が必要で、完全な新人よりはマシだから、という理由で声を掛けるのだろう。
 けれども僕にしてみれば、遠くて道も混雑している観光地までバイトに行きたいかと問われたら、近所のスーパーにさえ行きたくない(だから先週の金曜におよそ1週間分の食材を買い込んだ)。

 まぁ、こうした「どうしても必要でない限り、したくないことは絶対しない」ということが許される状況は、少なくとも不幸ではない。
 姉の介護も、移動に掛かる時間はさほど変わらない。そのうえ賃金は発生せず、そればかりか持ち出しだけが積み重なる。
 ただまぁ、気楽だし、楽しいから出掛けるのだろうと考察する。
 通院介助だけでなく、移動中の寄り道(水族館は見たから、今度はプラネタリウムとか言っている)や外食もあれば、掃除やゴミ出しもさせられるが、特に苦痛は感じたことがない。

 もともと恋人に対しても餌付け(ごはんを作って食べてもらうこと)が好きだったので、元来僕は自分以外の人の世話をするのは好きなようだ。

>>>

 アルコールで問題を起こした芸能人がニュースになっているようだ。
 それに対して罰則の強化をした方がいいという意見も見られたが、それはおそらく何の解決にもならない。

 酔って問題を起こす人も、酔うまで(素面のうち)は最低限度だとしても理性を持った、比較的まともな人間だろうと想像する。
 しかし一部の(少なくない)人間は酔うと理性を失い、あるいは失いがちになる。
 罰則を強化した場合、素面の時は「重い罰がある」と思えるのだが、酔った状態では「そんなことは関係ない」と思うようになってしまう。

 殺人や傷害に限らず、酔って(飲酒に限らず、薬物などの影響も含め)理性を失い、社会規範に逸脱した言動をする人は一定数存在する。
 そういう人が酒好きだと、その人の存在自体が社会にとっての問題になる。

 これはおそらく性犯罪も同様だろう。
 性欲を持つのはまったく問題ないし、その欲求が衝動と呼べる程度に強く発作的に起こることもあるかもしれないが、それも問題はないと僕は考える。
 問題は理性を失うことだ。
 先に述べた「男は殺せ! 女は犯せ!」や「国会議事堂爆破」と同様、考えるぶん、想像するぶんには、何をしても問題はない(僕はキリスト教徒ではないので)。
 殺人だろうが強盗だろうが強姦だろうがテロだろうが詐欺だろうが首相暗殺だろうが、好きにすればよろしい。
 ただしそれを実行し、現実のものにしてはいけない。

 現実世界でカタチにしていいことと、想像だけで終わりにしておくべきことを、属している社会の規範に基づいて考えられることが理性だろう。
 ヴァーチャルとリアル、フィクションとノンフィクションの違いは、それである。
 理性のない行動を現実のものにしてしまえば、所属する社会を乱すものとして排斥されるのは当然といえる。

 アルコールの場合、年齢による制限や法による規制では、酔って理性を失った人間の愚行は止められないだろう。
 販売店から購入時(飲食店なら注文時)に免許のような資格証を提示しないと手に入れられない、という仕組みを作るのが無難かもしれない。
 それでも中毒者は人づてに手に入れたり、資格なしで流通する闇酒を手に入れるのだろうけれど、公衆の面前で酔う機会は減るのだから、社会における問題行為は減ることになる。
 そもそも酔った人間が公道を歩いたり、公共交通機関に乗れることもおかしいのだとは思う。
 僕は酔っても失われないほど、もとの理性がわずかしかないのだが、それすら手放してしまう禽獣もいるということか。

>>>

 社会からすでに嫌われている煙草には、理性を失わせる効果は少ない。お酒よりよほど理知的な嗜好品である。
 ニコチン中毒にもなると禁断症状もあるようだが、それでもニコチン切れのイライラが原因で暴行事件を起こしたという話は聞かない。
 それら諸々を考えるに、人間というのは所詮、もっともらしい顔をしたケダモノに過ぎないということだ。

 僕は最初から自分のことを人間とは考えていない(猫自認である)から、自分のことを指すときだけは「イキモノ」といっているが、それでもずいぶん人がましくなったと反省している。
 理性のあるフリをいくらしたところで「男は殺せ! 女は犯せ!」と思っていることに変わりはないのだ。
 ……って、本当に思っていることになっちゃってるけど大丈夫?


<バックしま〜す>

>>>

 花粉の時期が終わったというのに、皮膚粘膜の状態が悪い時期が続いていた。
 やたら眠かったり、喉や鼻の粘膜が乾燥したり、頭重が発生したり。
 よくよく考えると黄砂の影響もあるのかもしれない。

 花粉症の時期と同様、やたらと瞼に皮脂が分泌される。
 これまでそんなことはなかったのだが、どうやら瞼が痒くなることと関連している。
 おそらく瞼を保護する目的で分泌が増えたのだろうけれど、自分の汗でもアレルギィを起こす身体の都合上、どのみち痒くなる。
 洗顔や鼻うがいをこまめにして、対応している。

 もうじき夏になるのが少し憂鬱である。
 まぁ可能な限り家から出ないのだが。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Chaos-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Link-Mechanics-Season-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Friend-Koban-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240421
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
明滅も続かない。
SUBTITLE:
~ The Light and The Dark. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 永遠、などという夢想に思いを馳せる十代を過ぎ分別も付いて歳をとり、夢から夢といつも醒めまま僕らは未来の世界へ駆けて来て今に至るわけですが。
 存在するようで存在しない、ちょっと存在するかもしれない抽象が、永遠なわけですよね、即物的には。
 抽象です。
 我々は永遠には存在せず、永遠を見定める意識を持たず、永続する肉体を有していない。

 しかし100年、というのは、結構身近な存在ですね。みなさんもそう思うことと思います。思え。
 100年だったら生きてしまうかもしれない。生きるだろう。生きるに決まってるだろう、と、雑に想定して、雑に構想して、雑に将来を計画する政府を擁する国家だってあります。

 死後100年ともなると、実際問題、多くの場合において、特定の個人を記憶し続けることはほぼ不可能です。
 我々は、ともすれば昨日の晩ごはんが何であったかさえ思い出せないことがある。
 そしてそういう日が増え、ぽて、と死ぬ。ざまあみろ。

 しかしながら、記録することはできる。
 昨晩の晩ごはんが何であったかということはもちろん、どんな本が好きで、どんな物語に心を揺すられ、どんな人と共に暮らし、誰を大切に想い、どんなありようを思い描き、どんなときに怒り、どんなときに笑い、どんなときに涙し、どんなときに性的絶頂を迎えてしまいがちであるかさえ記録することができる。最後で台無しだよ!

 にもかかわらず、その記録は、その人にはならない。
 どんなに精緻な記録も、どんなに精細な情報も、仮にAIに学習させたところで、それは「その人」のフリをした何かでしかない。

 その事実に十代の頃は(正確には10歳で)絶望したものだけれど、惨めに暗闇で眠り続けていた27歳の頃にもなると、むしろ優しい救いに思えた。
 惨めたらしく畳の上に置かれた毛布に包まり(ベッドの上で眠る気力もなかったので)、ナメクジか芋虫さながらに惰眠に溶ける己をして、誰もこんな者のことは覚えていないでくれ記録にも残らないでくれと、ぼんやり思ったものである。
 名も残さず、人知れず、塵のように消えてしまえれば楽なのだがと考えあぐねいていたのだが、どうにも解決が見えないので、眠り続けていたのであったか。

 100年残るものというのは、たいそう素晴らしいと思う。
 かつてハウスメーカが「100年住宅」などと銘打って販売していた家々も、その設計も、材質も、時間の経過と共にそれが嘘であったことが白日に晒された。
 歳月と共に、よりよい材料が作られ、よりよい設計が生まれ、よりよい工法が編み出された。

 古式ゆかしい木造建築の一部は100年以上経過しているものもあるが、当時の技術を体現できる人間はほとんど存在しないと聞く。
 特殊な才や、長い経験を必要とする能力は、経済至上主義の世界に向かうにあって都合が悪かったのだろう。

 あるいは社会が求めた幸福は、特殊な才や長い経験の有無であるとか知能や肉体能力の高低、ひいては生まれ持った何かに依らず、生い立ちで積み上げたものに依らず、凡も劣も優も皆が皆、多少の苦労はしながらも、明日の不安や今日の空腹、冷たい寝床の不遇を感じずにすむようにという願いだったのではないだろうか。
 ために失われた技術は、知識は、情報は、失われたことそれそのものが、豊かさの象徴なのかもしれない。

 そのように考えれば、失われたことを過剰に悲しむ必要もないのだと思える。
 何本もの木を、切ったり干したり削ったりしてその特徴を己に刻み込まなくても、説明書どおりに組み上げるだけで誰でも簡単に作れます、ということが豊かなのである。

 しかしそれでも、残るもの、残らないものがある。
 たとえば100年前のものでも、博物館に収蔵されていれば良い方で、今も使われているものなどほとんど存在しないかもしれない。
(僕は猫なので100年前のことをあまり覚えていない)
 音楽や文学も同様、100年前から残っているものもあれば、一方その多くは歴史の波間に消えたはずである。

 にもかかわらず、残り、今も愛されている音楽や文学もある。

 そういうものを作ることができたら、どんなに素晴らしいだろうと、そう思う。
 もちろん私は凡人なので、それは適わないし叶わない。
 僕の作るどんなものも、僕自身と同じように、ミームも残らず消えてゆく。


<にゃー>

 青色発光ダイオードがある。
 100年前を振り返っても、つい最近、発明されたものである(令和生まれの諸君は知らないだろうが)。
 様々な人間や集団の間でさまざまなやり取りがあった。おそらくフタを開けば人間臭さが匂い立つだろう。

 いやきっと緑や赤のLEDも、同じように個人や集団の間でさまざまなやり取りがあったのだろう。
 そこにはきっと、綺麗で、明るくて、素晴らしいやり取りもあっただろうけれど、同じくらい、汚くて、暗くて、惨めたらしいやり取りがあったかもしれない。
 どうだろう。そんな情報は、ない方が良いのではないだろうか。

 LEDの明滅を観て(ああ、きれいだね)って、何も分からず、何も知らず、ほうっと息をつくのもまた幸せなことなのだ。

 僕の作るどんなものも、僕自身と同じように、100年もせず消えてゆく。
 かつては、たとえようもなく怖かったのだ、それは。
 暗闇に怯えていた、とても幼い頃のことだ、それが。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Cross Link ]
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Darkness-Eternal-Life-Love-Recollect-Stand_Alone-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-
 
[Object]
  -Music-Night-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :青猫のひとりごと:夢見の猫の額の奥に:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240417
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
人生の対比効果。
SUBTITLE:
~ Secret ingredient. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
240417

 一昨日、姉と姪と甥が泊まり、今日はBPと焼肉を食べに行く日。
 最近、独りでいると一日あたり鍋一杯の味噌汁で食事が済んでしまう。
 安くて美味しくてそれなりの野菜や肉や魚を食べられるので、僕の身体には合っている。
 足りないときは豆腐を食べたり、
アミノ酸をブレンドした(非常に不味い)サプリメント的な粉末を飲む。

 プロテイン飲料(に含まれる添加物)が僕の身体に合わないことが多いため、余剰の成分を避けた結果がこれである。
 よほど栄養価があるのか、それとも地獄のような不味さのせいか、空腹はすぐに収まる。

>>>

 数日前まで昼夜が逆転していたのだが、このところ朝方みたいなサイクルに切り替わった。
 まぁ僕は典型的な夜型なので、今はそのサイクル、というだけだが。
 0830に目覚めて、松の剪定をする。

 数日前は庭の一部の土が極端に痩せているエリアに堆肥を混ぜて、ジャガイモ(冷蔵庫の中で余っていたものに芽が生えた)を植えた。
 育つかどうかは知らぬ。育てば嬉しいが、育たなかったらそれはそれ。
「育てなければ」という気負いは自身を傷つける。真面目なフリをして真面目を完遂できないのが僕の特徴だ。男は殺せ、女は犯せ!

>>>

 僕は自由が有り余っていると(往々にして余っているが)時々飽和するらしく、飽きてしまう。
「あー、こんなに自由で素敵だなぁ、幸せだなぁ」なんて、飽きてしまったらもうそんな気持ちにはなれない。

 こんなにも自由を求めて、自由に使える時間を求めて、デタラメなくらい、傍観者が諦めムードになるくらい自由になった ── 僕の半生を費やしたといって過言ではない ── というのに、飽和した自由の中にあって溺死したような気分になることは度々ある。
「あー、退屈だなぁ、何をしても何もしなくても、この退屈の中で何を為すこともなく死ぬなら今死んでしまえよ、とりあえず眠ろうかな」と思ってしまう。

 朝からお酒を飲んでしまうとか、日がな一日、読書や喫煙やゲームや昼寝に費やすというのもしたが、結局飽きてしまう。
 自由というのは、それらの容れ物ではあるが、それらの活動そのものが自由というわけではない。つまり僕は絵に描いた餅のような、幻想の、架空の、フィクションの、理想を求めているだけなのである。

 そこでその対策を思い付いたのだ。
 結論から言うと「ちょっと不自由を混ぜる」のである。スイカに塩を少し掛けるように。

>>>

 とはいえ量とタイミングが大事だ。
 しおれたスイカに塩を掛けても美味しくないように、新鮮な自由の表面に、舌先を確かに刺激するくらいの不自由を掛ける。
 だから計画的に、きちんとした、誤魔化しのない、できるだけ局所的かつ最小限の、明らかに刺激を感じる強度の不自由を用意して塗りつける。
 すると自由は格別の味わいをもたらす。

 そういえば会社員の頃は勤務時間が好きになるため、様々な価値観的細工を施したものだが、仕事を自由にこなすこと(こなせるようになること)は必須だった。
 休日にしか自身の愉悦や存在意義を見出せない人がいることは知っていたが、そうなりたいとは思わなかったので、無理矢理でも価値観を変えることを僕は選んだのである。
 不幸にならず幸福を感じるためなら、自分の主義主張などいくらでも捻じ曲げるのが僕の基本方針である。信条にすると捻じ曲げてしまうので方針程度にしている。

「こんな仕事はしたくないな」「こんな組織はうんざりだな」「こんな上司について行けるか」と思ったら辞めてしまうという、今ならそれなりに常識化した考えを、僕は若い頃(だいたい25年前)から実践しては、そのたび周囲から白い目で見られていた。
 当時はあまりよろしくないスタイルでしたからね、そういうの。
 それでも直接苦情が来なかったのは、僕が親や恋人のすねをかじり、喰い物にしたりは絶対にしなかったから、である。

 なので職場の人たちは若干冷ややかであったにせよ、友人も恋人も親も姉妹も、そんなことは知らないことが多かった。未だに僕の職業や職務について彼らの多くは興味も持たない。
 これらの観察結果から、人の収入や職務・職業について興味を持ったり、興味を持つフリをしているのは、距離の遠い他人だからと言う結論が導ける。
 初対面であろうと何だろうと、そういうことを気にせず付き合える人間は居るし、僕はそういう人間としか付き合わない傾向があるようだ。

>>>

 人間関係のよい部分を味わうためには、ほんのちょっと、よくない部分もきちんと味わう方がいい。
 多かれ少なかれ、だらしなかったり、抜けていたり、ズルかったり、毒を吐いたり、我がままだったり、弱かったり、そういう人間の方が僕は好きであるし、そういうところを見せ合える関係を好ましく思っている。

 もちろんきちんとしている人間が悪いとはいわないが、取り繕って、本性を覆い隠すような人間は、つまるところ嘘つきでしかない。
 隠された「よくない部分」がどれくらい邪悪で、どれくらい害があるか、分からないのがよろしくない。
 多少はあっていいし、ないとつまらなくて困るくらいだけれど、だからないわけがない。
 嘘をつくのは、それくらい邪悪であったり、よくない部分が大きかったりするからだろうと判断できる。これは経験則である。
 善人ぶって、正義を振りかざして、被害者ヅラして、怠惰なくせに努力しているフリをして、能もないのにデキる自慢をする奴は、だいたいロクな奴ではない。
 平気でDVをするような者は皆、自分が狂っているとか、間違っているとは疑いもしない。

 だからダメ人間がよいのである。
 あれもできないし、これも分からない、だけどこれは好き(上手とは言っていない)くらいの無邪気な正直さは、賞賛に値する。無論、そういう「フリ」をする奴もいるから気をつけたいが。

>>>

 とにかくスイカに塩の対比効果理論を他にも当てはめるなら、幸福と不幸も、どちらかにどっぷり浸かってはいけないことになる。
 できれば90%程度の幸福感に、5%程度の不幸感、不運感をプラスすると、格別幸せな気分になれると思う。
 逆に90%不幸な状況にあったら、それを誤魔化したり目をつむったりしないで、全力で逃げたり立ち向かったり改善する必要があるだろう。そこにある5%の幸福感に意味を見出すのは構わないが、しがみ付いてはいけない。

 そのようなわけで、僕は時々、貧乏になることにした。
 お金がなくて食材も買えない、不自由な状況を作るのである。
 元々クレカをはじめ、キャッシュレス決済を(Amazon やゲームの決済を除けば)していないので、お金のない日を作ることにした。

 しかしこれはまったく効果がなかった。
 これによって銀行に行ったとき(よかったぁ)となるかと思いきや、まったく無感動だったのだ。
 必要なものといえば、業務スーパーの冷凍ブロッコリィやおかめ納豆でも有名なタカノフーズの豆腐(コスト比で一番美味しいと僕は思っている)くらいのもので、欲しいものは特にないし、あとは公共料金や税金を忘れないように支払うことを意識するしかない。ゲームだって、Fallout4 をいまだにプレイしているし。

 まぁ、お金や食べ物に対する欲が強い人は、ときどきそれを我慢した方が、より満足感を得られるかもしれないとは思う。
 よく「禁煙明けの煙草が美味しい」と聞くのと同じだろう。僕も間欠的に煙草を吸うことが多いので、禁煙と喫煙を繰り返しているようなものかもしれない。
 とはいえ誰だってずっと喫煙したり飲酒したりしているわけにはいかないはずである ── もしかしたらそういう人も居るかもしれないが、それはもう(僕が言うのも何だが)マトモではない。

 だから喫煙者は禁煙と喫煙を繰り返していて、酒飲みは禁酒と飲酒を繰り返している。
 労働者は労働と休息を繰り返しているはずだし、恋人たちは愛し合ったりいがみ合ったりしているはずである。むしろその方がいいだろう。
 よって「愛してる」というのは愛していたりいなかったりすることだし、「嫌いだ」というのは嫌いだったり嫌いじゃなかったりすることであるし、「男は殺せ」というのは男を殺したり殺さなかったりすることであり、「女は犯せ」というのは女を犯したり犯さなかったりすることである。もう犯罪者だよこの人!

 大事なことは割合だ。
 日常の90%を飲酒/喫煙/セックス/ドラッグに費やしてはいけないが、ずっと労働すればよいというものでもない。

 誰かに優しいことは素晴らしいことだけれど、100%奉仕の気持ちでいることは、その状況や環境に100%の素晴らしい結果をもたらすわけではない。
 100%完璧な正しさを体現できる人間になってはいけないし、そう思い込んでいたら相当アブないイキモノになっていると自覚した方がいい。

 考えてみると当たり前なのだけれど、ついつい忘れてしまって、理想の、夢想の、完璧な幻想を追ってしまったりする。
 ヴァーチャルを楽しむのは良いが、染まらないほうが健全である。
 もちろん夢想するだけなら良いのだけれど、それを現実に投射して、ましてそこに他人が関わるような状況になったりしたら、もはや悲劇的な結果は免れないだろうと思える。
 断言できないのは、僕はそうならないように努めているからである。経験則がないから断言できないだけで、法則からするとそうなる。

 良いことも悪いことも、ほどほどに。ということだろうか。


<ビートルズごっこ>

>>>

 帰宅して、BPがゲームをしている間、仮眠を取る。
 23時頃目覚め、0時頃にBPが帰る。
 シャワーを浴びて日記(これ)を書いたので、水でも飲んで眠ろうと思う。
 眠るのも、少し、足りなかったり、あるいは眠れないうちに眠ろうとしたりする方が良いみたいだ。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
  おかめ豆腐 木綿400g(米より食べる頻度が高いので、主食といっていいと思う)
 
  ブロッコリィ(味噌汁や炒め物によく使う)
  https://www.gyomusuper.jp/product/detail.php?go_id=4040

  アミノ酸スコア100 All9(死ぬほど不味い)
  https://www.amazon.co.jp/gp/product/B083SPD9CV/
 
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Kidding-Love-Maintenance-Mechanics-Rhythm-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Convertor-Generator-JunctionBox-
 
[Object]
  -Camouflage-Friend-Garden-Human-Koban-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :家庭菜園ティストの狂気::夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240415
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
Fallout(動画)を観た。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 数日前だったと思うが、AmazonPrime で動画を見るという受動的な趣味に休日を費やすことが多いというBPから「Falloutがアマプラで公開されてるぜ」と教えてもらって放置していた。

 数年前に他の友人に勧められて AmazonPrime に入会し、受動的コンテンツを楽しんだりしたが、結局、動画を別モニタで映して他事をするためのBGVにしてしまうことが多い。
 映画、アニメ、小説のようなシーケンシャルコンテンツはゲームや日記、設計といったインタラクションコンテンツに比べ、すぐに眠くなってしまう。
 今回もそうなる可能性は否定できないので、いわゆる「ながら観」をしていたのだが、最後の方はじっくりと観てしまった。
 たぶんあと数周は観るだろう。

>>>

 第一話から一貫して思ったのは「そうそう、これだよ! これがフォールアウトだよ!」という感嘆。
 利己主義と自己中心的な正義、倫理と葛藤、主義主張と思想が導く狂気、混沌と恐怖、秩序と勇気 ── 。

「狂ってるなぁ」というひと言に集約される、法を失ったレトロフューチャなSF世界が僕にとってのフォールアウトだ。
 映像では Pipboy や スティムパック、Vault の内壁(それから放射線で汚染された多くの古い食品)に至るまで、ゲーム内に存在した多くのオブジェクトが自然に、リアルに、原作ゲームの設定に忠実に表現されている(そう。どんなひどい怪我もスティムによってあっという間に治るし、放射性物質による汚染は RadAway で除去される)。
 いくつかのロケーションも、観たことのあるものに思える。もちろん雑な(あるいは不自然な)描写はされていない。

 僕らが慣れ親しんでいる現在の世界の倫理や秩序の危うさを、その危うい綱渡りからいつ転落してもおかしくないことを ── 今まさに転落している最中である可能性も含めて ── コミカルに、グロテスクに、シュールに、ファナティックに描いている。
 セックス、暴力(流血を含む)、死体(あるいは死体のようなもの)、大きな昆虫やクリーチャも、酒も煙草もドラッグも権力も資本主義も共産主義も、遠慮なく描かれる。
 それが Fallout の世界に存在する人間(および人間だった者、あるいは犬)にとっての日常だ。

 主人公はおなじみ、秩序と幸福と平等と安寧を標榜して運営される Vault の居住者 ── 家族を探すため出て行くのも一緒。
 本当に何もかもが狂っていて大好きだ。

 誰もが自分の正義を持ち、誰もが自分の倫理を信じ、誰もが自分の理想を抱いている。
 それはたとえば「持てる者からは殺して奪え」ということだったり、「高度な科学技術に対する狂信」だったり、「強い者に対しては従うか逃げろ」ということだったり、「与えられたもの(愛情や苦痛)を、正しく返済せよ」ということだったりする。

 ゲーム同様、気に入らない奴は(僕の、あるいは僕らの基準でいうところの ── 善人だろうと悪人だろうと)殺して構わない。奪って構わない。
 その力を持ち、それを欲し、その必要を感じるなら、何をしてもいい。そういう自由がある。
 ゲーム「Fallout」にはそういう魅力がある。
── 余談だが、死体殺し(死体斬り、死体蹴り、死体粉砕)もできる。
 憎しみや怒りといった(一見すると)歪んだ欲を、思う存分消化できるのはゲームがヴァーチャルであることの優れた点だ。おかげで僕は今日も紳士然として振る舞える。

 あまりにも自由な世界だから(僕の棲むIRLでいわれるところの)勇敢な者は、だいたい死ぬか、死ぬほど酷い ── あるいは死ぬより酷い思いをする。
 そんな「強くなければ生きていけない」ウェイストランドへ、弱者も等しく保護してくれる Valult から独り出て行くことを、ゲームだったら(プレイヤが待望しているので)見ていられるのだが、第三者として見ているとそれはやはり「狂って」いる。

 僕がIRLに暮らしている世界の倫理に照らして「正常な」感じがする登場人物は、皆、弱い。
 彼らは友人や家族を大切にし、隣人や同胞を守ろうとする。それが秩序であり正義だと信じている。
 そして自身が危うくなった時は、そのとき考える。

 だから弱くて、簡単に殺されたりする。
 弱くて ── だから裏切ったり、寝返ったり、騙したり、疑ったり、復讐したりする。
 殺しもすれば溺れもして、それでも生きようとすることしかできない。
 聖人のように、正しいまま、優しいまま、理想を掲げて、生き残ることはできない。
 フィクションだから、ではなくて、おそらくこのIRLも同様ではないかと僕は思っている。

 誰もが正義を持ち、倫理を信じ、理想を抱いている。
 弱い者は皆、逃げるか隠れるか従うか騙すか選択している。そうしない場合、ありとあらゆる意味で餌にされる。
 信念を持つ者は強いが、その信念の正しさは、一体誰が証明してくれるのだろう。
 多くの賛同者がいれば、それで正しさは担保されるのだろうか。
 自分たちが狂信集団でないと、どうやって保証できるだろう。

 弱い者を守るからか。
 その保護は、独善であり、欺瞞であり、歪んだ欲のひと欠片も含まないと、どうやって証明できるだろうか。

 悪者を倒し、殺し、排除するからか。
 その抹殺は、独善であり、欺瞞であり、歪んだ自己顕示などではないと、どうやって証明できるだろうか。

 信念も愛情も勇気も、善良とされているそのすべて、自分の抱える正義のすべてについて、それが正真正銘、真実神聖、紛うことなく善良な正義であることをどうやって証明できるだろうか。

 賞賛されたい。感謝されたい。持てはやされたい。弱さや醜さを隠したい。より多くを手に入れたい。自分の理想を形にしたい。
 奪われたくない。飢えたくない。苦しみたくない。少しくらいの愉しみは欲しい ── 「少し」というのは主観に過ぎないが。
 それが正義か。倫理か。

 そういった、生きる中での、生きる事への疑念を、悲しみを、迷いを、痛みを、葛藤を、非言語的に、実践的に疑似体験させてくれる。
 それが僕にとっての「Fallout」であり、この動画はだからきちんと「Fallout」である。

 娯楽作品としてもしっかりしている。
 もちろんゲームとしてのバックボーンが、設定が、きちんと成立していて、逸れることなく表現しているからだろう。
(若干のポリコレ感はあるが、狂気の世界が正しく表現されていることの前には些事に思える)

 正しく正しく正しい世界の狂気と凶暴と絶望。
 オールディーズの音楽とレトロフューチャが時代感をも狂わせて、だからそれが普遍のテーマだと思い知らされる。


<今日の猫>

>>>

 僕は正しさを信じない。
 正義も信じない。
 信念も捨てた。
 どれもこれも狂っているのに、誰も彼もそれを認めないからだ。

 優しさも愛情も狂っている。
 救いも願いも狂っている。
 どれもこれも狂っていて、なのに「自分だけは」と、まともそうな顔をしているから信じない。

>>>

 間違えていい。
 弱くていい。
 歪んでいても狂っていてもいい。

 できるだけ同じ過ちを繰り返さず、弱さに打ちひしがれたら、いつか立ち上がればいい。
 歪んでいることも狂っていることも、自覚があるならそれでいい。

 そういうものかな、って今は思う。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 Prime Video, Amazon Original : Fallout
 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CN4HGL8Y/
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:赤猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Eternal-Form-Interface-Life-Love-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Contents-Game-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :コントローラと五里霧中:本棚からあくび:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240404
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
適度な深みと底感を求めて。
SUBTITLE:
~ Raised bottom. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 昨日19時に眠って23時半に目覚めてしまったため、今日は9時頃から眠くなり、12時過ぎまで寝ていた。
 もはや猫らしい生活だといえよう。
 目覚めたら天気も良かったので、COPENのスタッドレスをラジアルに履き替えた。
 油圧ジャッキも含め工具は揃っているし保管用の納屋もあるので、タイヤの履き替えは自分で処理している。

 恐らく書いたことはないと思うが、COPENのスタッドレスタイヤは鼻血も出なくなるくらい高い。
(実際は、花粉の季節になったり空気が乾燥したり、体重の変動があるとよく鼻血が出るが)

 おそらく特注になるためだろう。
 4本セットでCOPEN車体価格の10%程度、つまり30万円前後した。物価変動前(ただし輸入資源が高騰していたとき)の話である。
 おそらくもっと廉価に手に入れるシステム(web注文を併用するなど)もあるとは思うが、地元の店(とくに顧客を騙さないタイプのそれ)は大事にしたいので、定価で買った。
 かつて雪道で滑ってあわや対人事故を起こしかけた身としては、自身の身を守ることは、知らない誰かを守ることもでもあると思っている。

 もし、コペンを買おうか迷っている人がいるなら伝えておきたい。
 遊び用の車だと割り切って、雪の日は意地でも乗らない手だってあるぞ、と。
 僕もなるべく雨の日には乗らないようにしているが、姉の送迎の時は(首都高があるため)軽トラでは厳しい。

 ちなみに軽トラのスタッドレスタイヤは4本セットで3万円もしない。なんだこの経済格差。

>>>

 政治家のニュースを見ていると、会社員をしていた頃に見た、駄目な方の上司を思い出す。
 仕事の出来ない奴ほど「自分は仕事しています」「自分は出来るんです」というアピールが煩い。もしかしたら、それ(周囲へのディスプレイ)を仕事だと思っている節がある。

 そもそも一心不乱に仕事をしていたら、周囲へのディスプレイは後回しになる。
 無論、芸能人のように「なりふり構うことが仕事」の人もいるだろうから一概には言えないが、なりふり構った挙げ句、そのわりに中身のない人なぞ、どの業界でも居るだろう。
 要はもともと中身がなければ、どれだけなりふりを構ったところで程度が知れている、ということになる。

 本当に仕事の出来る人間は、わざわざ周囲に対して「仕事しています」「出来ます」というアピールをする必要がない。
 四六時中仕事のことを考えて、それに繋がる行動をしている人は、遊びさえも仕事としての成果に繋がってしまう。
 すると周囲の人から「あいつは遊びの時にも仕事のことを考えている」なんて陰口を叩かれたりするので、本人はさらに躍起になって遊んでいるフリをする。
 会社員なら勤務時間中にマインスイーパを始めたり、ブログを書いたりするだろう。僕はそんなことはしていませんでしたよ!(多分)

 しかしそれさえ最終的に仕事の成果に結びついてしまう。
 もっと遊ぼう、もっと勝手にしようと思っているのに、周囲からは「遊んでいるフリをして、また仕事で成功してるよ」という評価を受けてしまう。
 遊んでも仕事をしても、周囲から(妬みも含め)賞賛されるわけだから、もはやどんなアピールも意味を持たないと気付く。
 仮に賞賛されなくとも、結果が自明であれば(仕事というのは、明白な結果が出力されることが多い)説明も言い訳も必要ない。
 ましてそれが己の思った結果であれば、それを前にしては誰のどんな評価も文句も意味を持たないだろう。

>>>

 かつて勤務していた零細企業の社長がそういう人で、勤務中にネットオークションでジャンク品を買っては(同じく勤務中に)修理していた。
 だからといって仕事に穴を空けることは一切なく、人脈にも恵まれ、いざという時は驚くような手法や機転の早さで物事を解決してしまう、いわば天才肌の人だった。
 もちろん営業がメインの仕事だったから、本人の人間性や性格がコミュニケーションに影響を及ぼし、問題解決において、たとえば相手の設定しているハードルを下げるような部分もあったとは思う。
 その社長の周囲の人も、いくつかパターンはあるにせよ、気持ちの良い人が多かった。
 しかもそれらは自然なありようで、自然な素養が現実世界に相互に影響しているだけだ。

 自身の心持ちはコミュニケーションに必然に影響するし、コミュニケーションする相手の心持ちにも働きかける。これは考えれば当たり前のことだ。
 そのコミュニケーションが気に入らないという人がいれば、そうした人は必然に、そのコミューンから距離を置くようになる。
 コミューン形成は、磁石の集まりに例えられることがある(と思う)が、本当にそういうものだろう。
 コミューンの成り立ちにおいて、そうした自然発生的なものもあれば、地域や他人とのしがらみによって発生するものもある(他人もまぁ自然といえば自然だが)。

 かの社長にも、やはり相性が悪い人はいて、そういう人はどういうわけか僕と相性が良かったので(さては僕の性格を見切って、あえてそういう人と合わないようなコミュニケーションを選択的にしているのかな)と疑ったほどである。

 コミューンを流体と考えれば、たとえば川のように解放された場所では勝手に流れたり、淀んだり、集まったり離れたりする。
 一方、水道管のように閉じた空間では入り口や出口の径や流量が適切でなければ、過剰な圧力が発生し、ともすれば危険な状態も発生するだろう。
 液体は意志を持たないが、人間は意志や欲があるので、流れるべきが留まろうとしたり、その逆もあるわけで、圧力の異常も発生しやすいといえる。

 ちなみに(あまり因まないが)人間の心理やコミューン形成に一定以上の妥当な法則性があり、それを解析することで現実世界を変容させることはできるだろうか、と当時思い、僕は恋人を増やし続ける方針を立てた(友達が増えると面倒なので)。
(結果は成功したのだが他人にまでお勧めしたい実験ではない。例えるなら限界圧力試験(や圧縮強度試験)は隔離された場所から観察した方が良い、ということだ。同室内で間近から、肉眼で観察する必要はない)

>>>

 話が逸れたが、いい歳をした大人が、他人に対するジェスチュアやディスプレイに終始している姿は、底が浅くて情けなくなる。
 だからといって底が見えないのはそれはそれで不気味に思えることもあるから困る。
 適度な底感、適度な深み、そういうものが我々中年男性(いや女性もか)には求められているのではないのか(ところで底感って何?)。
 とかいって「世間がそれを求めているかどうか」を気にしているあたりがもうダメだ。そんなだから周囲へのディスプレイに終始してしまうのだ。

 ここはど〜んと構えて、何も考えていないフリをするに限る。
 そう思って何も考えていないフリをしている僕だが「猫氏はいつも何も考えていないね」などとそのものズバリ言い当てられてしまうことが多い。狙いと違う。狙いって何だ、そういう浅はかさが駄目なんだ。もう俺は駄目だ! 諦めよう。

 といった具合に、アタマの悪い犬もかくやとばかり「褒めて褒めて〜」「これもできるよすごいでしょ〜」というのは、まぁ飼い犬なら微笑ましいものだけれど、どこの犬とも知れぬ畜生に、あろうことか飼い主ヅラされるのは気分が悪い。

 大した実効力を持たなくても、人気さえあれば収入が発生する職業(芸能人であるとか、youTuber であるとか、営業職であるとか)もある。
 顧客からの人気だけで決する人も居れば、もともとのコミューン形成能力が高い人も居るだろう。
 自分を中心とした場において、自身に何が求められているか直感的に判断して具現できる能力は多少なり素晴らしいのだろう。
 数十年TVを見ていないので、いまどきの芸能人が「芸事」をどれくらいできるのかは知らないが、そもそも芸術というのは観察者の素養も必要なので、双方とも質が低下し続けているのだろうとは想像するが。

 政治家も確かに人気(が収入に直結する)商売だといえる。人々から票が貰えなければ就けない職業(職業?)だからだ。
 人気があれば馬鹿でも成れる。それがシステムの不全である。
 立候補や継続に、試験を導入すれば良い(と昔から一部には意見が上がる)のだが、まぁご本人様たちは何くれとなく「忙しい」はずなので、そういう仕組みは導入されていない。
 せめて認知症テストくらい導入していいと思うが……免許センターか。

 とにかく本当にすごい人は、そのすごさをディスプレイする必要がない。
 結果は自ずと構築されているものだし、必然に周囲からも評価され、賞賛され続けているからだ。
 わざわざ求めなくても賞賛されるのだから、他人のウケを狙う必要もない。

 転じて下世話な話をすれば、本当にモテる人は、モテていることをアピールする必要がない。
 これは逆接的に本当にモテない人はモテないアピールを必要としない、ということになるのだが、モテないアピールしている人が実はモテるという話も聞いたことがないので検証を要する。
 今回は本題から外れるので僕は検証しないから、誰かが検証するといいと思う。

 いずれにしても世俗は「ウケること」が良しとされ、ウケを狙うことの優先度が必要以上に高く設定されているように思える。もしかして、みんな関西生まれかな?

 実(じつ)というのは、そうしたディスプレイの一枚内側にある、本質のことだろう。
 金メッキが悪いとは言わないが、すぐれた道具というのは適切な材料を高い精度で加工し、組み上げて成立している。
 そういえば適材適所(という至極当たり前のエンジニアリング哲学)を(わざわざ)謳い文句にしていた現行政府も、つまるところディスプレイ屋さん程度の仕事をすれば済むのだろうと理解できる。
 まぁエンジニアからすれば「またぞろ金メッキの軽薄な粗悪品が出たな」くらいのものだろうか。おそらく利益率は高いのだろうから、商業的には成功といえる。

 ディスプレイを主軸に置く職業は広く存在するし、その実効力はこの経済至上主義世界にあって決して馬鹿にできるものではないから、否定する気はない。
 ハリボテで誤魔化すのも、経済至上主義ではひとつの手段だったはずだ。
 問題は、経済至上主義社会も人口の減少とともに衰退するという当たり前の事実であり、その対応をすべき適切な時期をこの国家はすでに見過ごしたということだ。

 バブルの頃から打って変わり、自動車メーカが三勤交代をしていてもなお、この地域のコンビニは深夜に人がいない。
 幹線道路から離れたエリアでは、深夜営業をする店はまさに経済的な理由から、営業時間や人員を削減する必要に迫られている。
 人が減ると、経済よりもモノが強くなる可能性は出てくる。まぁ、それ(人口減少)は、シンプルに良いことだと思えるが、ソフトランディングをどのように構想し実現するか、という方が大事なように思える。


<野良猫だって去勢/避妊しているから、減ってゆくのんよ。いずれも人間の都合でな>


>>>

 タイヤ交換作業が終わると、かなり汗ばむ程度の気温。
 軽く着替えて軽トラに自転車を載せ、近所の(小さな)ロードバイク専門店に出向く。

 ロードバイクというのはメーカにもよるが、人口あたりで出店できる件数が制限されていたりする。
 僕の所有している Pinarello の場合、上記の制約により、群馬県では前橋市、高崎市、伊勢崎市、館林市にしかショップがない(10年前は館林市にはなかった)。
 自転車としては高価だしカーボンフレームともなると繊細な材料でもあるため、メインテナンス上の事故で賠責を負うことを恐れてか、簡単なメインテナンスでも「販売店でしてもらった方が」というショップは多い。
 仮に購入時数十万のフレームだとしても、現行同等品はそれ以上の価格になっていることが多いし、他店で購入したそれについて、数千円程度の工賃の作業で数十万の金銭賠償を求められるリスクを考えれば、引き受けないに越したことはないという気持ちは分からないでもない。
 実際、接客業をしているとネジの狂った人間は一定の割合で存在するからだ。

 保管状態や経過年数にもよるが、カーボンフレームは突然破裂したりするとも聞く。
 屋内保管で直射日光には晒さずにおいたが、購入して10年を超えた僕の自転車が何のはずみで破損(破裂)するかは分からないので、その瑕疵は問わないと伝える。
(そんなことはそうそう起こるものではないと笑われたが)

 幸いそのショップは取り扱っていないメーカかつ他店購入の(つまりは僕の)自転車も整備してくれるという確認を、昨日出掛けて確認しておいたのだ。
 バーテープ交換やサイクロコンピュータの載せ替え(以前使っていたものは劣化して使えなくなってしまった)を依頼した。
 クロスバイクから乗り換えたときに設定した補助ブレーキも(付ける前に販売店で「いずれ外す方が多いですよ」と言われたとおり、結局不要になったので)外してもらう。

 最近はwebで安くパーツを取り寄せて、結局自分では作業を完遂できず、ショップに持ち込むユーザもあると聞く。
 安さを求めれば有効な策なのだろうが、結局、そういう事をするから身近なショップが潰れてしまうのだ。
 煙草屋だろうが酒屋だろうが本屋だろうが、おもちゃ屋だろうが自転車屋だろうがそれは変わらない。
 それで安さを売りにするチェーン店が台頭してたところで、安かろう悪かろうな製品を勧められたり、売上げ優先の劣悪な販売手法のカモにされる事だってありうる。
(おかげで僕は近所のオートバックスには2度と行かないし、ビッグモーターで買い物をしたこともない)

 そうした総合的な不便や損失を考えれば、多少高くても信頼できる近所のショップをユーザとショップオーナで育ててゆくという発想も必要だろうと思うのだ。
 これは自転車や自動車に限らず、飲食店だろうと何だろうと同様であり、僕が(どんなジャンルであれ)個人店を大事にしている理由でもある。

 今回は「店舗で現物を見てwebで安いモノを買う」の逆張りで、Amazon で下調べをした商品をショップから発注してもらう、という手法を取った。
 価格差分が発生したとしてせいぜい2〜3千円のことだ(日によるが1日分の食費にすら満たない)。
 しかしよくよく考えれば趣味サイクリングのハイシーズンである(秋〜初冬の方がよりよいとは思うが)。
 数日の時間は欲しいという話であり、こちらも急がないので当面預けることにする。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Form-Link-Maintenance-Mechanics-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Bicycle-Car-Contents-Human-Koban-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
 
//EOF