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TITLE:
冬を振り返る。
 
Written by BlueCat

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240403

 朝から曇っていたが、昼を待たず雨が降り出した。
 ので、今日はすべての予定を放棄して、床を軽く掃除して遊んで過ごす。
 幸か不幸か、一昨日、数年ぶりに自転車に乗ったため(車検をした自動車を取りに出掛けた。距離にして10kmほどである)、少しばかり筋肉痛である。

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 今のうちに冬のおさらいをしておこうと思う。
 季節の振り返りなんて普通は必要ないと思うが、僕の場合、この家に棲んでこれを使う場合、記憶しておくべき事があり、しかし記憶できないので記録しておくのである。
 備忘録といえば聞こえはいいが、忘れたときのために、というのではなく忘れることが前提になっていることが僕の能力の低さを物語っている。
 とにかく子供の頃から自分の記憶力だけはアテにしていない。

 人間型の恋人の名前や顔や存在そのもの、デートの約束や誕生日、その他の記念日などを忘れてしまうことも度々あった。
 それを恋人というのかと、当の本人をはじめ多くの人から叱られたものだが、人間型の恋人なぞ愛玩用のものでしかないのだから実務的/実用的な他事が優先されるのは仕方ないのである。
 電気料金や水道料金さえ支払い忘れたりするのが僕なのだから。
 それにしても奥様(仮想)はかなり記憶力が優れているのだが、これはどういうわけだろう。

 とにかく今日は冬の話、である。

【屋内の乾燥。暖房と加湿器について】

 結論を先に書く。
 玄関を上がった小間には(今年も床を焦がしたが)火鉢が必要である。
 また加湿器はスチームタイプのものを書斎と寝室(これらはひとつながりである)で2台は設置(合計で1.2L/h以上加湿)する必要がある。

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 何度か書いているが、この家の隙間はすごい(引っ越しを検討している)。
 外はほぼ無風で、窓という窓を閉め、換気扇という換気扇を止めているのに、家の中を微風が流れている。
 通気性が良いといえばそうなのかもしれないが、建築延べ面積あたりの人口密度が低いことも相まって、冷暖房効率がひどく悪い。

 過ごしやすい気温や湿度の時なら問題はないが、そんなものは1年の間にひと月もないのが今の日本である。
 春秋はますます短くなり、ついでに花粉や黄砂の飛散がひどい時期なのだから。

 で、冬の乾燥が凄まじい。
 室温を20℃程度(密閉度の高い室内なら18℃で良いだろうが、いかんせん風の流れる屋内のため高めに保つ必要がある)にすると、湿度が30%を下回る。
 これは呼吸をしていると鼻や喉や目の粘膜が乾燥して痛みや息苦しさを感じ、皮膚も乾燥してささくれ、静電気で家中の磁石が身体に付くのではないかと疑いたくなるレベルである。

 日中、書斎と寝室をこの程度の温度に保つため、タイマーのないストーブを24時間焚き続ける必要がある。就職して、家を空けた方がいいのではないか。
 また活動中はファンヒータも併用し、足元を温めるためセラミックヒータも使用する。
 冷えて乾燥していた外気が屋内に流れ込んできたところで温度(と飽和水蒸気量)が上がるため、室内の乾燥は尋常ではないことになる。

 そこでミストタイプの加湿器を今年だけで合計3台購入した(1台はひと月ほどで壊れてしまったが)おかげで湿度問題は解決した。
 しかしこの家は水道水にも問題を抱えている。
 引込管だけで20mほど、最低でも増改築から40年以上使い続けているそれは、おそらくミネラルなど不純物の付着がひどく進行していると思われる。
 なぜかというと、書斎/寝室のありとあらゆるものが白く粉を吹いたからである。
 つまり水分中の不純物が飛散して付着しているというわけだ。

 試しに浄水器を取り付けてみたものの、3ヶ月で交換するのが目安と書いてあるカートリッジが、2週間もしないうちに性能を劣化させる。
 どおりで水道水で白湯を作ると不味いわけである(飲み水は数年前に解決済み)。
 試しに同程度の水をストーブで捨てる予定の鍋に掛け続けたのだが、数日で内面にミネラルが付着し始め、半月ほどで使い物にならない(写真を撮って見せられない)レベルになった。
 不純物には鉄も含まれるようで、部分的に赤色になる。鉄瓶が錆びやすくなるのはこのせいだろう。
 とにかくミストタイプでは家中が粉だらけになってしまうので、電気料金がかさむ事には目をつむり、スチームタイプの加湿器を導入する必要がある。

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 玄関を上がった先の小間というのは、書斎と寝室から納戸を挟んだ先なので、正直暖房する必要がない。
 あんなところ、暖かくなったところで猫も喜ばない。
 しかしそこで炭を焚き、鉄瓶で湯を沸かしておくと(先述の通り、屋内で風が吹くため)家中の温度と湿度が底上げされる。
 これが存外効果的で、あるのとないのとで過ごしやすさが段違いである。

 昨年の冬の初めはストーブで湯を沸かしておいたものの、結局火力も弱く、加湿能力も低かった。
 なんだかんだと火鉢と鉄瓶のコンビが(燃費的にも)最強であると思い知らされた次第。火事が心配なことと、積もる灰が厄介だが、なあにかまうものか。

 ちなみに納戸の方が家の中心に近いが、ネットワーク関連の精密機器を移設したら、そちらで火鉢を焚くことを検討しよう。
(温湿度の急激な変動にサーバなどを晒すわけにはいかないので)

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【今後の展望。台所とトイレのリフォームをどうするか】

 先に書いたが、5年以内に引っ越す予定である。
 会社勤めしているわけでもないし、スーパーで買い物する趣味があるわけでもないのだから、近所の老婦人に悩まされたりしない山奥で暮らそうと思い、ときどき中古住宅を(webブラウザ越しに)眺めている。

 水道水の話題ついでに、これまでの人生経験上、利根水系よりも渡良瀬水系の水道水の方が美味しいと思う。
 足利市に棲んでいた頃、会社の飲み会で行った先の店主が「足利の水道水は美味しい」などと言っていて、そのときは地元民の嘘だと思っていた。
 足利では築10年以上のアパートに20年ほど暮らしたが、水道水が比較的飲めるものだった。
 しかし前橋市で暮らしていたときの水道水は、自宅はもちろん飲食店でも美味しく感じることはなかったし、太田市の(少なくともこの家の)水は加湿器にさえ使えないし、至るところ水垢だらけになる。

 調べてみたところ、太田市の浄水場は渡良瀬系ではあるが、いかんせん川から遠い。
 棲むなら足利か桐生の山奥だろう。

 ちなみに僕がこうして、おおよその住所や転居候補地を書いているのはシュレディンガーの仔猫(居るかどうか不明な僕の隠し子)と、その母親にあたるかつての僕の恋人が僕を捜し当てたくなったときの参考用である。めちゃくちゃ親切だな。

 余談はともあれ、姉が死んで介護が不要になったらこの場所に棲む必要も少し減る。
 この家で生まれ育ったわけではないので(件の老婦人に限らず)隣組だ何だと言って、近所の人間が煩わしいときもある(もちろん僕にさえも親切な近所の人はいるが、比率は少ない)。
 長生きする気もない(予定では残り16年である)から新築する気もない。
 過疎地の中古別荘などを探せば、安い物件もある。

 それらの合理的な着地点が「姉の介護が終わる5年以内にこの場所から引っ越す」である。

 問題は5年以内に現在の台所の床が抜けそうな ── フローリングのコンプレクス材(とくにシンクの足場)が浸食風化して、ぼろぼろになり始めている ── ことだ。
 床張りはすっかりお手のものになったが、水回りの工事はしたことがないため二の足を踏んでいる。

 部分貼り替えをしても、すぐに他の部分が(叔母が倒れていた場所に染みた人型の部分などから)痛むだろう。
 排水トラップの基本構造は理解できたし、水栓工事は食洗機で慣れているが、混合栓より以前の配管やシステムキッチンの内部処理、ガスレンジ周辺と水回りの壁(芯材や壁面処理)がよく分からない。
 いまどきタイル張りなんて使いたくない(工事もしたくない)し、現代のパネル(芯材は金属だろうか)は大きくて加工が面倒に思える。まぁ面倒といったら何もかも面倒なのだが(笑)。
 とにかく台所は1箇所直そうと思うと、すべて直す必要があるように思える。
 そのリフォーム費用があったら、中古物件が買えそうな気がするのだ。
 なので床が抜けるのが先か、姉が死ぬのが先か、ということになる。当然、購入(もしくはリフォーム)費用を貯める必要があるが。

 トイレは前住人がリフォームする際にLIXIL/INAXに依頼し、挙げ句にタンクレスのものを設置したため、格好ばかりで排水能力が低く、掃除しづらく故障しやすくメンテしづらくメーカのサービスダイヤルは繋がらず、使い勝手が悪い。
 併設された手洗いシンクも、使う人間のことを無視したオシャレ設計で殺意を覚える。
(僕は作りの悪い設計を呪う性質がある)
 設計が悪いのは、TOTOと同等のものを作ると特許に引っかかりでもするのかと訝しむくらい、ものが悪い。

 とにかく10年足らずで部分的に故障した上、サービスに繋がりもしないので、そんなメーカに修理依頼するくらいならTOTOのものと入れ替えようかと思っているのだ。
 これは夏までに決定しよう。

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【介護のこと】

 念のために書いておくが、僕は姉が嫌いなわけではない。
 そもそも嫌いだったら(かの老婦人の電話など平気で着信拒否設定するくらいだから)お金や時間を掛けて介護をするわけがない。
 ただ推計余命を4年以上前に終えている姉が、いつまでも生きているとも思っていない。

 姉の介護は面倒だし持ち出しばかりだが、シンプルに楽しい。
 叔父叔母の介護と違って、面倒だとか、やりたくないとか、思ったことを正直に伝えられるので、とても気持ちがいい。

 介護が長続きするかどうかは、対等に向き合えるかどうかだと思う。
 特に職業ではなく生活で誰かの介護をしている場合、介護される側が遠慮なく我がままを言い、介護する側も遠慮なく我がままを言える関係がとても大事だと思う。
 職業介護の場合、行政などでガイドラインが決められているので、だからこそ出来ないことはあらかじめ決まっているし、過剰な言動があればヘルパーさんは仕事を辞退できるようになってきたようだ。
(姉は昨年、長い間務めてもらって高く評価していたヘルパーさんとの関係が悪化し、仕事を辞退された)

 僕の場合は仕事ではないし、レンタカーや高速料金、宿泊時の外食代など、いろいろ持ち出しばかりなので文句を言われる筋合いもない。
 介護といっても通院介助や簡単な力仕事、外食や買い物や役所の付き添いくらいのものだ。
 やめたくなったら「もぉ絶対行かねえ」と、簡単に言える。

 だからといって高圧的になる必要もない。
 僕はしたいからしているだけだし、僕や姉の不便を埋めるためにお金を使うのも、より多くお金を持っている僕がそれを負担するのも(僕には)自然なことだ。
 姉の介護にまったく不向きな自動車を買ったのも「どうせあやつは死ぬのだから、月に一度しか行かない通院介助は引き続きレンタカーでもよかろう」と思ったからである。
 だって通院介助以外の30日近くを、とくに乗りたいわけでもなく、他人の利便だけで選んだ自動車に乗るなんて(ただでさえ自動車嫌いの)僕には耐えられそうになかったから。

 姉は通院帰りに東京タワーに行きたがったりするような人間だが(先日はサンシャインシティ水族館に行った)、僕は外出嫌いの首都高嫌いの人混み嫌い、観光地嫌いである。
 なので遠慮なく毎回嫌がる。
 それを姉がうまく丸め込んで、二人で笑い飛ばしながら出掛けるのである。
 ちなみに先述の通り入場料からすべて僕の奢りであるが、姉は恐縮したりしないし、僕も他人に使うことの方が良いことだと思っている。
 そもそも自分の生活に困るくらいなら奢ることはないし、僕の生活は(遊びや趣味にさえ)さほどお金が掛からないので丁度よいのだ。

 叔父と叔母の頃は、そうもいかなかった。
 お金の持ち出しはさほど多くはなかったが、時間と体力と気力の浪費は凄まじかった(会社員だったから余計である)。
 挙げ句、立場が対等ではないので拒否することがむつかしく、職業でもないから辞退することもできなかった。
 少しこちらが距離を取れば、他の従姉妹親戚に陰口を叩いて先方の時間を浪費するのが目に見えていたし、一方で煙草を自由に喫む勝手も許されず、冗談でも冷たいことを言おうものなら目の敵にされる始末だった。

 姉の場合、毎回のように「あと何年生きる気なの? 4年前に死ぬって言ってたじゃん!」と言うことができる。
 別にそれは「面倒だし、お金も時間も掛かるから死ね。今すぐ死ね」ということではない。
 面倒だなぁ、嫌だなぁ、と思っているけれど、そんなことは、自分一人で毎日食事をしたり眠ったり入浴したりするだけでも感じることだ。

 目覚めては面倒だと思い、空腹を感じてもいないのに18時間以上経過したら(自分の身体に)何か食べさせなくてはと思い、たまには運動させなくてはと思い、退屈を凌ぐために何くれとなく考え、公共料金の支払い忘れに気を配り、庭仕事で怪我をしたり体調不良を起こさないように予防策を考え、暑ければ面倒に思い、寒ければ面倒に思う。
 他人どころか自分が生きるのがすでに面倒なのだ。
 ついでにいえば楽しいことばかりではない。
 専業主夫(仮想)となって、嫌なことがなくなったかと思えば、退屈との戦いが始まっている。どうにかしてくれ。もはや退屈しのぎを考えるのも面倒だ。

 そのような万感を込めて「面倒だなぁ」と文句を言う。
 しておいた方がいいこと、しないと後々問題が発生することだから「したくないなぁ」とぼやく。
 しない方が良いことなら、そもそもそれをする選択肢などないのだ。
 しなくてはならないことだから、それをきちんと選択する。そのために「面倒だな、嫌だな」と文句を付けて「だけど、しよう」と選択する。
 そもそも「面倒だ」という文句は、姉に対して言っているのではない。己に対して、己を取り巻く、たとえるなら命運のようなものに対して難癖を付けているのだ。

 姉はそれを受け止めて、あるいは受け流してくれる。
 おそらく僕が最終的には出掛けることを知っているのだろう。そもそもそのために姉の元へ駆けつけているのだから当然だが。
 しかしそれをぼやくことが出来るのと出来ないのとでは大きく違うのだ。

 どちらかが我慢することで成り立つような介護は、ある段階で破綻する。
 なに介護に限らず、人と人との関係はそういうものではないのか。

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【面倒な、でも正答より少し面倒じゃない、少し面倒な最適解】

 自分が生きるのは面倒だ。どうせならしたくない、やめたいとさえ思う。
 早くこの身を殺してしまいたいのに、まだ使える、今なくなると困る。
 そういう僕由来ではない価値観が侵食しているから、今日もこの身を生かしている。

 もしかしたら誰もがそうだろう。
 誰だって気が付いたら生きているのだ。
 まさか生まれた瞬間、
「イヤッホ〜ゥイ! ハピバ私☆ ビバ現世! 待ってたよぉ〜うこの日を! この誕生の素晴らしき光を!」なんて思う赤子はいなかろう。
 少なくとも僕はそうだった。あまりに嫌で面倒で苦痛だったので、泣いていた気さえする。

 己を取り巻く環境も、その命運も。
 生きるのはかくも面倒で、しかも誕生は非選択的ではないか。
 誰かと関わるのはかくも面倒で、しかも非選択的で
はないか。

 生きづらさ、なんてわざわざあげつらうまでもなく、生きるのは面倒で、容易くはない。
 無論、生きることは強要されているものではない。少なくとも僕はそうだ。
 権利として目覚め、食事をし、退屈し、退屈しのぎを考える。死ぬための目標をクリアしようと、生きて計画を遂行する。

 他人が生きているのはその人の権利だ。僕にはどうでもいいことだ。
 生きたいという人が生きていて、その人たちに、わずかでも頼りにされたら、まぁそれは面倒だけれど退屈しのぎには丁度よいかとなる。
 他に完璧な正解もある可能性はあるが、ひとまずの最適解ならそれもよいかと諦めが付く。

 たとえば要介護の病人だからと、多少なり金銭の自己負担をさせた方が良いというのが正解なのかもしれないが、僕には「より多く持っている方が全部負担する」という方が現実的な最適解だ。
 命の限り全力を尽くして世のため人のため、社会のために尽力するのは正答かもしれないが、毎年熱中症に罹るような虚弱では尽力する以前に力尽きてしまうから、日陰でこっそり息を潜めている程度でちょうどいい。
 死にたくなったら唐突に死ぬのが正解だと思うが、唐突に自殺をされると困る人もいるから、迷惑が掛からない方策を練って、およそ問題のないソフトランディングを模索するのが最適解だ。
 退屈しのぎをしているうちに、死ぬまで続けたい事がまた見つかるかもしれないし、そうしたらそのとき考えればいい。

 皆が皆、それぞれの最適解を生きている。
 容易ではなく、面倒で、完璧な正答ではないかもしれないけれど。それでよいのではないだろうか。
 まさか簡単で、綺麗で、完璧で退屈もせず、一片の取りこぼしもなく皆の役に立つ、立派で素晴らしい正答が転がっている、などという理想など信じているとしたらその方がどうかしている。
 生きるのは泥臭くて、ついでに面倒だ。

 なんとなれば眠ることさえ面倒だと最近は思う。



>>> 

 夕刻から、眠くなりはじめる(寝るのも面倒だと言ったな、あれは嘘だ)。
 こんな時間に眠ったら、また夜中に目ざめてしまうと思い、しばし我慢をするが、どうにも眠くなってしまって19時に眠る。
 目ざめたのは23時半。

 もう眠くない。どうしてくれるんだ。







 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :青猫:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Life-Link-Season-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Poison-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:いのちあるものたち:
:見の猫の額の奥に:
 
 
 
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