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TITLE:
Fallout(動画)を観た。
 
Written by BlueCat

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 数日前だったと思うが、AmazonPrime で動画を見るという受動的な趣味に休日を費やすことが多いというBPから「Falloutがアマプラで公開されてるぜ」と教えてもらって放置していた。

 数年前に他の友人に勧められて AmazonPrime に入会し、受動的コンテンツを楽しんだりしたが、結局、動画を別モニタで映して他事をするためのBGVにしてしまうことが多い。
 映画、アニメ、小説のようなシーケンシャルコンテンツはゲームや日記、設計といったインタラクションコンテンツに比べ、すぐに眠くなってしまう。
 今回もそうなる可能性は否定できないので、いわゆる「ながら観」をしていたのだが、最後の方はじっくりと観てしまった。
 たぶんあと数周は観るだろう。

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 第一話から一貫して思ったのは「そうそう、これだよ! これがフォールアウトだよ!」という感嘆。
 利己主義と自己中心的な正義、倫理と葛藤、主義主張と思想が導く狂気、混沌と恐怖、秩序と勇気 ── 。

「狂ってるなぁ」というひと言に集約される、法を失ったレトロフューチャなSF世界が僕にとってのフォールアウトだ。
 映像では Pipboy や スティムパック、Vault の内壁(それから放射線で汚染された多くの古い食品)に至るまで、ゲーム内に存在した多くのオブジェクトが自然に、リアルに、原作ゲームの設定に忠実に表現されている(そう。どんなひどい怪我もスティムによってあっという間に治るし、放射性物質による汚染は RadAway で除去される)。
 いくつかのロケーションも、観たことのあるものに思える。もちろん雑な(あるいは不自然な)描写はされていない。

 僕らが慣れ親しんでいる現在の世界の倫理や秩序の危うさを、その危うい綱渡りからいつ転落してもおかしくないことを ── 今まさに転落している最中である可能性も含めて ── コミカルに、グロテスクに、シュールに、ファナティックに描いている。
 セックス、暴力(流血を含む)、死体(あるいは死体のようなもの)、大きな昆虫やクリーチャも、酒も煙草もドラッグも権力も資本主義も共産主義も、遠慮なく描かれる。
 それが Fallout の世界に存在する人間(および人間だった者、あるいは犬)にとっての日常だ。

 主人公はおなじみ、秩序と幸福と平等と安寧を標榜して運営される Vault の居住者 ── 家族を探すため出て行くのも一緒。
 本当に何もかもが狂っていて大好きだ。

 誰もが自分の正義を持ち、誰もが自分の倫理を信じ、誰もが自分の理想を抱いている。
 それはたとえば「持てる者からは殺して奪え」ということだったり、「高度な科学技術に対する狂信」だったり、「強い者に対しては従うか逃げろ」ということだったり、「与えられたもの(愛情や苦痛)を、正しく返済せよ」ということだったりする。

 ゲーム同様、気に入らない奴は(僕の、あるいは僕らの基準でいうところの ── 善人だろうと悪人だろうと)殺して構わない。奪って構わない。
 その力を持ち、それを欲し、その必要を感じるなら、何をしてもいい。そういう自由がある。
 ゲーム「Fallout」にはそういう魅力がある。
── 余談だが、死体殺し(死体斬り、死体蹴り、死体粉砕)もできる。
 憎しみや怒りといった(一見すると)歪んだ欲を、思う存分消化できるのはゲームがヴァーチャルであることの優れた点だ。おかげで僕は今日も紳士然として振る舞える。

 あまりにも自由な世界だから(僕の棲むIRLでいわれるところの)勇敢な者は、だいたい死ぬか、死ぬほど酷い ── あるいは死ぬより酷い思いをする。
 そんな「強くなければ生きていけない」ウェイストランドへ、弱者も等しく保護してくれる Valult から独り出て行くことを、ゲームだったら(プレイヤが待望しているので)見ていられるのだが、第三者として見ているとそれはやはり「狂って」いる。

 僕がIRLに暮らしている世界の倫理に照らして「正常な」感じがする登場人物は、皆、弱い。
 彼らは友人や家族を大切にし、隣人や同胞を守ろうとする。それが秩序であり正義だと信じている。
 そして自身が危うくなった時は、そのとき考える。

 だから弱くて、簡単に殺されたりする。
 弱くて ── だから裏切ったり、寝返ったり、騙したり、疑ったり、復讐したりする。
 殺しもすれば溺れもして、それでも生きようとすることしかできない。
 聖人のように、正しいまま、優しいまま、理想を掲げて、生き残ることはできない。
 フィクションだから、ではなくて、おそらくこのIRLも同様ではないかと僕は思っている。

 誰もが正義を持ち、倫理を信じ、理想を抱いている。
 弱い者は皆、逃げるか隠れるか従うか騙すか選択している。そうしない場合、ありとあらゆる意味で餌にされる。
 信念を持つ者は強いが、その信念の正しさは、一体誰が証明してくれるのだろう。
 多くの賛同者がいれば、それで正しさは担保されるのだろうか。
 自分たちが狂信集団でないと、どうやって保証できるだろう。

 弱い者を守るからか。
 その保護は、独善であり、欺瞞であり、歪んだ欲のひと欠片も含まないと、どうやって証明できるだろうか。

 悪者を倒し、殺し、排除するからか。
 その抹殺は、独善であり、欺瞞であり、歪んだ自己顕示などではないと、どうやって証明できるだろうか。

 信念も愛情も勇気も、善良とされているそのすべて、自分の抱える正義のすべてについて、それが正真正銘、真実神聖、紛うことなく善良な正義であることをどうやって証明できるだろうか。

 賞賛されたい。感謝されたい。持てはやされたい。弱さや醜さを隠したい。より多くを手に入れたい。自分の理想を形にしたい。
 奪われたくない。飢えたくない。苦しみたくない。少しくらいの愉しみは欲しい ── 「少し」というのは主観に過ぎないが。
 それが正義か。倫理か。

 そういった、生きる中での、生きる事への疑念を、悲しみを、迷いを、痛みを、葛藤を、非言語的に、実践的に疑似体験させてくれる。
 それが僕にとっての「Fallout」であり、この動画はだからきちんと「Fallout」である。

 娯楽作品としてもしっかりしている。
 もちろんゲームとしてのバックボーンが、設定が、きちんと成立していて、逸れることなく表現しているからだろう。
(若干のポリコレ感はあるが、狂気の世界が正しく表現されていることの前には些事に思える)

 正しく正しく正しい世界の狂気と凶暴と絶望。
 オールディーズの音楽とレトロフューチャが時代感をも狂わせて、だからそれが普遍のテーマだと思い知らされる。


<今日の猫>

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 僕は正しさを信じない。
 正義も信じない。
 信念も捨てた。
 どれもこれも狂っているのに、誰も彼もそれを認めないからだ。

 優しさも愛情も狂っている。
 救いも願いも狂っている。
 どれもこれも狂っていて、なのに「自分だけは」と、まともそうな顔をしているから信じない。

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 間違えていい。
 弱くていい。
 歪んでいても狂っていてもいい。

 できるだけ同じ過ちを繰り返さず、弱さに打ちひしがれたら、いつか立ち上がればいい。
 歪んでいることも狂っていることも、自覚があるならそれでいい。

 そういうものかな、って今は思う。







 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 Prime Video, Amazon Original : Fallout
 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CN4HGL8Y/
 
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[Engineer]
  :青猫:黒猫:赤猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Eternal-Form-Interface-Life-Love-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Contents-Game-Poison-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :コントローラと五里霧中:本棚からあくび:
 
 
 
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