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TITLE:
適度な深みと底感を求めて。
SUBTITLE:
~ Raised bottom. ~
Written by BlueCat
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昨日19時に眠って23時半に目覚めてしまったため、今日は9時頃から眠くなり、12時過ぎまで寝ていた。
もはや猫らしい生活だといえよう。
目覚めたら天気も良かったので、COPENのスタッドレスをラジアルに履き替えた。
油圧ジャッキも含め工具は揃っているし保管用の納屋もあるので、タイヤの履き替えは自分で処理している。
恐らく書いたことはないと思うが、COPENのスタッドレスタイヤは鼻血も出なくなるくらい高い。
(実際は、花粉の季節になったり空気が乾燥したり、体重の変動があるとよく鼻血が出るが)
おそらく特注になるためだろう。
4本セットでCOPEN車体価格の10%程度、つまり30万円前後した。物価変動前(ただし輸入資源が高騰していたとき)の話である。
おそらくもっと廉価に手に入れるシステム(web注文を併用するなど)もあるとは思うが、地元の店(とくに顧客を騙さないタイプのそれ)は大事にしたいので、定価で買った。
かつて雪道で滑ってあわや対人事故を起こしかけた身としては、自身の身を守ることは、知らない誰かを守ることもでもあると思っている。
もし、コペンを買おうか迷っている人がいるなら伝えておきたい。
遊び用の車だと割り切って、雪の日は意地でも乗らない手だってあるぞ、と。
僕もなるべく雨の日には乗らないようにしているが、姉の送迎の時は(首都高があるため)軽トラでは厳しい。
ちなみに軽トラのスタッドレスタイヤは4本セットで3万円もしない。なんだこの経済格差。
>>>
政治家のニュースを見ていると、会社員をしていた頃に見た、駄目な方の上司を思い出す。
仕事の出来ない奴ほど「自分は仕事しています」「自分は出来るんです」というアピールが煩い。もしかしたら、それ(周囲へのディスプレイ)を仕事だと思っている節がある。
そもそも一心不乱に仕事をしていたら、周囲へのディスプレイは後回しになる。
無論、芸能人のように「なりふり構うことが仕事」の人もいるだろうから一概には言えないが、なりふり構った挙げ句、そのわりに中身のない人なぞ、どの業界でも居るだろう。
要はもともと中身がなければ、どれだけなりふりを構ったところで程度が知れている、ということになる。
本当に仕事の出来る人間は、わざわざ周囲に対して「仕事しています」「出来ます」というアピールをする必要がない。
四六時中仕事のことを考えて、それに繋がる行動をしている人は、遊びさえも仕事としての成果に繋がってしまう。
すると周囲の人から「あいつは遊びの時にも仕事のことを考えている」なんて陰口を叩かれたりするので、本人はさらに躍起になって遊んでいるフリをする。
会社員なら勤務時間中にマインスイーパを始めたり、ブログを書いたりするだろう。僕はそんなことはしていませんでしたよ!(多分)
しかしそれさえ最終的に仕事の成果に結びついてしまう。
もっと遊ぼう、もっと勝手にしようと思っているのに、周囲からは「遊んでいるフリをして、また仕事で成功してるよ」という評価を受けてしまう。
遊んでも仕事をしても、周囲から(妬みも含め)賞賛されるわけだから、もはやどんなアピールも意味を持たないと気付く。
仮に賞賛されなくとも、結果が自明であれば(仕事というのは、明白な結果が出力されることが多い)説明も言い訳も必要ない。
ましてそれが己の思った結果であれば、それを前にしては誰のどんな評価も文句も意味を持たないだろう。
>>>
かつて勤務していた零細企業の社長がそういう人で、勤務中にネットオークションでジャンク品を買っては(同じく勤務中に)修理していた。
だからといって仕事に穴を空けることは一切なく、人脈にも恵まれ、いざという時は驚くような手法や機転の早さで物事を解決してしまう、いわば天才肌の人だった。
もちろん営業がメインの仕事だったから、本人の人間性や性格がコミュニケーションに影響を及ぼし、問題解決において、たとえば相手の設定しているハードルを下げるような部分もあったとは思う。
その社長の周囲の人も、いくつかパターンはあるにせよ、気持ちの良い人が多かった。
しかもそれらは自然なありようで、自然な素養が現実世界に相互に影響しているだけだ。
自身の心持ちはコミュニケーションに必然に影響するし、コミュニケーションする相手の心持ちにも働きかける。これは考えれば当たり前のことだ。
そのコミュニケーションが気に入らないという人がいれば、そうした人は必然に、そのコミューンから距離を置くようになる。
コミューン形成は、磁石の集まりに例えられることがある(と思う)が、本当にそういうものだろう。
コミューンの成り立ちにおいて、そうした自然発生的なものもあれば、地域や他人とのしがらみによって発生するものもある(他人もまぁ自然といえば自然だが)。
かの社長にも、やはり相性が悪い人はいて、そういう人はどういうわけか僕と相性が良かったので(さては僕の性格を見切って、あえてそういう人と合わないようなコミュニケーションを選択的にしているのかな)と疑ったほどである。
コミューンを流体と考えれば、たとえば川のように解放された場所では勝手に流れたり、淀んだり、集まったり離れたりする。
一方、水道管のように閉じた空間では入り口や出口の径や流量が適切でなければ、過剰な圧力が発生し、ともすれば危険な状態も発生するだろう。
液体は意志を持たないが、人間は意志や欲があるので、流れるべきが留まろうとしたり、その逆もあるわけで、圧力の異常も発生しやすいといえる。
ちなみに(あまり因まないが)人間の心理やコミューン形成に一定以上の妥当な法則性があり、それを解析することで現実世界を変容させることはできるだろうか、と当時思い、僕は恋人を増やし続ける方針を立てた(友達が増えると面倒なので)。
(結果は成功したのだが他人にまでお勧めしたい実験ではない。例えるなら限界圧力試験(や圧縮強度試験)は隔離された場所から観察した方が良い、ということだ。同室内で間近から、肉眼で観察する必要はない)
>>>
話が逸れたが、いい歳をした大人が、他人に対するジェスチュアやディスプレイに終始している姿は、底が浅くて情けなくなる。
だからといって底が見えないのはそれはそれで不気味に思えることもあるから困る。
適度な底感、適度な深み、そういうものが我々中年男性(いや女性もか)には求められているのではないのか(ところで底感って何?)。
とかいって「世間がそれを求めているかどうか」を気にしているあたりがもうダメだ。そんなだから周囲へのディスプレイに終始してしまうのだ。
ここはど〜んと構えて、何も考えていないフリをするに限る。
そう思って何も考えていないフリをしている僕だが「猫氏はいつも何も考えていないね」などとそのものズバリ言い当てられてしまうことが多い。狙いと違う。狙いって何だ、そういう浅はかさが駄目なんだ。もう俺は駄目だ! 諦めよう。
といった具合に、アタマの悪い犬もかくやとばかり「褒めて褒めて〜」「これもできるよすごいでしょ〜」というのは、まぁ飼い犬なら微笑ましいものだけれど、どこの犬とも知れぬ畜生に、あろうことか飼い主ヅラされるのは気分が悪い。
大した実効力を持たなくても、人気さえあれば収入が発生する職業(芸能人であるとか、youTuber であるとか、営業職であるとか)もある。
顧客からの人気だけで決する人も居れば、もともとのコミューン形成能力が高い人も居るだろう。
自分を中心とした場において、自身に何が求められているか直感的に判断して具現できる能力は多少なり素晴らしいのだろう。
数十年TVを見ていないので、いまどきの芸能人が「芸事」をどれくらいできるのかは知らないが、そもそも芸術というのは観察者の素養も必要なので、双方とも質が低下し続けているのだろうとは想像するが。
政治家も確かに人気(が収入に直結する)商売だといえる。人々から票が貰えなければ就けない職業(職業?)だからだ。
人気があれば馬鹿でも成れる。それがシステムの不全である。
立候補や継続に、試験を導入すれば良い(と昔から一部には意見が上がる)のだが、まぁご本人様たちは何くれとなく「忙しい」はずなので、そういう仕組みは導入されていない。
せめて認知症テストくらい導入していいと思うが……免許センターか。
とにかく本当にすごい人は、そのすごさをディスプレイする必要がない。
結果は自ずと構築されているものだし、必然に周囲からも評価され、賞賛され続けているからだ。
わざわざ求めなくても賞賛されるのだから、他人のウケを狙う必要もない。
転じて下世話な話をすれば、本当にモテる人は、モテていることをアピールする必要がない。
これは逆接的に本当にモテない人はモテないアピールを必要としない、ということになるのだが、モテないアピールしている人が実はモテるという話も聞いたことがないので検証を要する。
今回は本題から外れるので僕は検証しないから、誰かが検証するといいと思う。
いずれにしても世俗は「ウケること」が良しとされ、ウケを狙うことの優先度が必要以上に高く設定されているように思える。もしかして、みんな関西生まれかな?
実(じつ)というのは、そうしたディスプレイの一枚内側にある、本質のことだろう。
金メッキが悪いとは言わないが、すぐれた道具というのは適切な材料を高い精度で加工し、組み上げて成立している。
そういえば適材適所(という至極当たり前のエンジニアリング哲学)を(わざわざ)謳い文句にしていた現行政府も、つまるところディスプレイ屋さん程度の仕事をすれば済むのだろうと理解できる。
まぁエンジニアからすれば「またぞろ金メッキの軽薄な粗悪品が出たな」くらいのものだろうか。おそらく利益率は高いのだろうから、商業的には成功といえる。
ディスプレイを主軸に置く職業は広く存在するし、その実効力はこの経済至上主義世界にあって決して馬鹿にできるものではないから、否定する気はない。
ハリボテで誤魔化すのも、経済至上主義ではひとつの手段だったはずだ。
問題は、経済至上主義社会も人口の減少とともに衰退するという当たり前の事実であり、その対応をすべき適切な時期をこの国家はすでに見過ごしたということだ。
バブルの頃から打って変わり、自動車メーカが三勤交代をしていてもなお、この地域のコンビニは深夜に人がいない。
幹線道路から離れたエリアでは、深夜営業をする店はまさに経済的な理由から、営業時間や人員を削減する必要に迫られている。
人が減ると、経済よりもモノが強くなる可能性は出てくる。まぁ、それ(人口減少)は、シンプルに良いことだと思えるが、ソフトランディングをどのように構想し実現するか、という方が大事なように思える。

<野良猫だって去勢/避妊しているから、減ってゆくのんよ。いずれも人間の都合でな>
>>>
タイヤ交換作業が終わると、かなり汗ばむ程度の気温。
軽く着替えて軽トラに自転車を載せ、近所の(小さな)ロードバイク専門店に出向く。
ロードバイクというのはメーカにもよるが、人口あたりで出店できる件数が制限されていたりする。
僕の所有している Pinarello の場合、上記の制約により、群馬県では前橋市、高崎市、伊勢崎市、館林市にしかショップがない(10年前は館林市にはなかった)。
自転車としては高価だしカーボンフレームともなると繊細な材料でもあるため、メインテナンス上の事故で賠責を負うことを恐れてか、簡単なメインテナンスでも「販売店でしてもらった方が」というショップは多い。
仮に購入時数十万のフレームだとしても、現行同等品はそれ以上の価格になっていることが多いし、他店で購入したそれについて、数千円程度の工賃の作業で数十万の金銭賠償を求められるリスクを考えれば、引き受けないに越したことはないという気持ちは分からないでもない。
実際、接客業をしているとネジの狂った人間は一定の割合で存在するからだ。
保管状態や経過年数にもよるが、カーボンフレームは突然破裂したりするとも聞く。
屋内保管で直射日光には晒さずにおいたが、購入して10年を超えた僕の自転車が何のはずみで破損(破裂)するかは分からないので、その瑕疵は問わないと伝える。
(そんなことはそうそう起こるものではないと笑われたが)
幸いそのショップは取り扱っていないメーカかつ他店購入の(つまりは僕の)自転車も整備してくれるという確認を、昨日出掛けて確認しておいたのだ。
バーテープ交換やサイクロコンピュータの載せ替え(以前使っていたものは劣化して使えなくなってしまった)を依頼した。
クロスバイクから乗り換えたときに設定した補助ブレーキも(付ける前に販売店で「いずれ外す方が多いですよ」と言われたとおり、結局不要になったので)外してもらう。
最近はwebで安くパーツを取り寄せて、結局自分では作業を完遂できず、ショップに持ち込むユーザもあると聞く。
安さを求めれば有効な策なのだろうが、結局、そういう事をするから身近なショップが潰れてしまうのだ。
煙草屋だろうが酒屋だろうが本屋だろうが、おもちゃ屋だろうが自転車屋だろうがそれは変わらない。
それで安さを売りにするチェーン店が台頭してたところで、安かろう悪かろうな製品を勧められたり、売上げ優先の劣悪な販売手法のカモにされる事だってありうる。
(おかげで僕は近所のオートバックスには2度と行かないし、ビッグモーターで買い物をしたこともない)
そうした総合的な不便や損失を考えれば、多少高くても信頼できる近所のショップをユーザとショップオーナで育ててゆくという発想も必要だろうと思うのだ。
これは自転車や自動車に限らず、飲食店だろうと何だろうと同様であり、僕が(どんなジャンルであれ)個人店を大事にしている理由でもある。
今回は「店舗で現物を見てwebで安いモノを買う」の逆張りで、Amazon で下調べをした商品をショップから発注してもらう、という手法を取った。
価格差分が発生したとしてせいぜい2〜3千円のことだ(日によるが1日分の食費にすら満たない)。
しかしよくよく考えれば趣味サイクリングのハイシーズンである(秋〜初冬の方がよりよいとは思うが)。
数日の時間は欲しいという話であり、こちらも急がないので当面預けることにする。
おそらく特注になるためだろう。
4本セットでCOPEN車体価格の10%程度、つまり30万円前後した。物価変動前(ただし輸入資源が高騰していたとき)の話である。
おそらくもっと廉価に手に入れるシステム(web注文を併用するなど)もあるとは思うが、地元の店(とくに顧客を騙さないタイプのそれ)は大事にしたいので、定価で買った。
かつて雪道で滑ってあわや対人事故を起こしかけた身としては、自身の身を守ることは、知らない誰かを守ることもでもあると思っている。
もし、コペンを買おうか迷っている人がいるなら伝えておきたい。
遊び用の車だと割り切って、雪の日は意地でも乗らない手だってあるぞ、と。
僕もなるべく雨の日には乗らないようにしているが、姉の送迎の時は(首都高があるため)軽トラでは厳しい。
ちなみに軽トラのスタッドレスタイヤは4本セットで3万円もしない。なんだこの経済格差。
>>>
政治家のニュースを見ていると、会社員をしていた頃に見た、駄目な方の上司を思い出す。
仕事の出来ない奴ほど「自分は仕事しています」「自分は出来るんです」というアピールが煩い。もしかしたら、それ(周囲へのディスプレイ)を仕事だと思っている節がある。
そもそも一心不乱に仕事をしていたら、周囲へのディスプレイは後回しになる。
無論、芸能人のように「なりふり構うことが仕事」の人もいるだろうから一概には言えないが、なりふり構った挙げ句、そのわりに中身のない人なぞ、どの業界でも居るだろう。
要はもともと中身がなければ、どれだけなりふりを構ったところで程度が知れている、ということになる。
本当に仕事の出来る人間は、わざわざ周囲に対して「仕事しています」「出来ます」というアピールをする必要がない。
四六時中仕事のことを考えて、それに繋がる行動をしている人は、遊びさえも仕事としての成果に繋がってしまう。
すると周囲の人から「あいつは遊びの時にも仕事のことを考えている」なんて陰口を叩かれたりするので、本人はさらに躍起になって遊んでいるフリをする。
会社員なら勤務時間中にマインスイーパを始めたり、ブログを書いたりするだろう。僕はそんなことはしていませんでしたよ!(多分)
しかしそれさえ最終的に仕事の成果に結びついてしまう。
もっと遊ぼう、もっと勝手にしようと思っているのに、周囲からは「遊んでいるフリをして、また仕事で成功してるよ」という評価を受けてしまう。
遊んでも仕事をしても、周囲から(妬みも含め)賞賛されるわけだから、もはやどんなアピールも意味を持たないと気付く。
仮に賞賛されなくとも、結果が自明であれば(仕事というのは、明白な結果が出力されることが多い)説明も言い訳も必要ない。
ましてそれが己の思った結果であれば、それを前にしては誰のどんな評価も文句も意味を持たないだろう。
>>>
かつて勤務していた零細企業の社長がそういう人で、勤務中にネットオークションでジャンク品を買っては(同じく勤務中に)修理していた。
だからといって仕事に穴を空けることは一切なく、人脈にも恵まれ、いざという時は驚くような手法や機転の早さで物事を解決してしまう、いわば天才肌の人だった。
もちろん営業がメインの仕事だったから、本人の人間性や性格がコミュニケーションに影響を及ぼし、問題解決において、たとえば相手の設定しているハードルを下げるような部分もあったとは思う。
その社長の周囲の人も、いくつかパターンはあるにせよ、気持ちの良い人が多かった。
しかもそれらは自然なありようで、自然な素養が現実世界に相互に影響しているだけだ。
自身の心持ちはコミュニケーションに必然に影響するし、コミュニケーションする相手の心持ちにも働きかける。これは考えれば当たり前のことだ。
そのコミュニケーションが気に入らないという人がいれば、そうした人は必然に、そのコミューンから距離を置くようになる。
コミューン形成は、磁石の集まりに例えられることがある(と思う)が、本当にそういうものだろう。
コミューンの成り立ちにおいて、そうした自然発生的なものもあれば、地域や他人とのしがらみによって発生するものもある(他人もまぁ自然といえば自然だが)。
かの社長にも、やはり相性が悪い人はいて、そういう人はどういうわけか僕と相性が良かったので(さては僕の性格を見切って、あえてそういう人と合わないようなコミュニケーションを選択的にしているのかな)と疑ったほどである。
コミューンを流体と考えれば、たとえば川のように解放された場所では勝手に流れたり、淀んだり、集まったり離れたりする。
一方、水道管のように閉じた空間では入り口や出口の径や流量が適切でなければ、過剰な圧力が発生し、ともすれば危険な状態も発生するだろう。
液体は意志を持たないが、人間は意志や欲があるので、流れるべきが留まろうとしたり、その逆もあるわけで、圧力の異常も発生しやすいといえる。
ちなみに(あまり因まないが)人間の心理やコミューン形成に一定以上の妥当な法則性があり、それを解析することで現実世界を変容させることはできるだろうか、と当時思い、僕は恋人を増やし続ける方針を立てた(友達が増えると面倒なので)。
(結果は成功したのだが他人にまでお勧めしたい実験ではない。例えるなら限界圧力試験(や圧縮強度試験)は隔離された場所から観察した方が良い、ということだ。同室内で間近から、肉眼で観察する必要はない)
>>>
話が逸れたが、いい歳をした大人が、他人に対するジェスチュアやディスプレイに終始している姿は、底が浅くて情けなくなる。
だからといって底が見えないのはそれはそれで不気味に思えることもあるから困る。
適度な底感、適度な深み、そういうものが我々中年男性(いや女性もか)には求められているのではないのか(ところで底感って何?)。
とかいって「世間がそれを求めているかどうか」を気にしているあたりがもうダメだ。そんなだから周囲へのディスプレイに終始してしまうのだ。
ここはど〜んと構えて、何も考えていないフリをするに限る。
そう思って何も考えていないフリをしている僕だが「猫氏はいつも何も考えていないね」などとそのものズバリ言い当てられてしまうことが多い。狙いと違う。狙いって何だ、そういう浅はかさが駄目なんだ。もう俺は駄目だ! 諦めよう。
といった具合に、アタマの悪い犬もかくやとばかり「褒めて褒めて〜」「これもできるよすごいでしょ〜」というのは、まぁ飼い犬なら微笑ましいものだけれど、どこの犬とも知れぬ畜生に、あろうことか飼い主ヅラされるのは気分が悪い。
大した実効力を持たなくても、人気さえあれば収入が発生する職業(芸能人であるとか、youTuber であるとか、営業職であるとか)もある。
顧客からの人気だけで決する人も居れば、もともとのコミューン形成能力が高い人も居るだろう。
自分を中心とした場において、自身に何が求められているか直感的に判断して具現できる能力は多少なり素晴らしいのだろう。
数十年TVを見ていないので、いまどきの芸能人が「芸事」をどれくらいできるのかは知らないが、そもそも芸術というのは観察者の素養も必要なので、双方とも質が低下し続けているのだろうとは想像するが。
政治家も確かに人気(が収入に直結する)商売だといえる。人々から票が貰えなければ就けない職業(職業?)だからだ。
人気があれば馬鹿でも成れる。それがシステムの不全である。
立候補や継続に、試験を導入すれば良い(と昔から一部には意見が上がる)のだが、まぁご本人様たちは何くれとなく「忙しい」はずなので、そういう仕組みは導入されていない。
せめて認知症テストくらい導入していいと思うが……免許センターか。
とにかく本当にすごい人は、そのすごさをディスプレイする必要がない。
結果は自ずと構築されているものだし、必然に周囲からも評価され、賞賛され続けているからだ。
わざわざ求めなくても賞賛されるのだから、他人のウケを狙う必要もない。
転じて下世話な話をすれば、本当にモテる人は、モテていることをアピールする必要がない。
これは逆接的に本当にモテない人はモテないアピールを必要としない、ということになるのだが、モテないアピールしている人が実はモテるという話も聞いたことがないので検証を要する。
今回は本題から外れるので僕は検証しないから、誰かが検証するといいと思う。
いずれにしても世俗は「ウケること」が良しとされ、ウケを狙うことの優先度が必要以上に高く設定されているように思える。もしかして、みんな関西生まれかな?
実(じつ)というのは、そうしたディスプレイの一枚内側にある、本質のことだろう。
金メッキが悪いとは言わないが、すぐれた道具というのは適切な材料を高い精度で加工し、組み上げて成立している。
そういえば適材適所(という至極当たり前のエンジニアリング哲学)を(わざわざ)謳い文句にしていた現行政府も、つまるところディスプレイ屋さん程度の仕事をすれば済むのだろうと理解できる。
まぁエンジニアからすれば「またぞろ金メッキの軽薄な粗悪品が出たな」くらいのものだろうか。おそらく利益率は高いのだろうから、商業的には成功といえる。
ディスプレイを主軸に置く職業は広く存在するし、その実効力はこの経済至上主義世界にあって決して馬鹿にできるものではないから、否定する気はない。
ハリボテで誤魔化すのも、経済至上主義ではひとつの手段だったはずだ。
問題は、経済至上主義社会も人口の減少とともに衰退するという当たり前の事実であり、その対応をすべき適切な時期をこの国家はすでに見過ごしたということだ。
バブルの頃から打って変わり、自動車メーカが三勤交代をしていてもなお、この地域のコンビニは深夜に人がいない。
幹線道路から離れたエリアでは、深夜営業をする店はまさに経済的な理由から、営業時間や人員を削減する必要に迫られている。
人が減ると、経済よりもモノが強くなる可能性は出てくる。まぁ、それ(人口減少)は、シンプルに良いことだと思えるが、ソフトランディングをどのように構想し実現するか、という方が大事なように思える。

<野良猫だって去勢/避妊しているから、減ってゆくのんよ。いずれも人間の都合でな>
>>>
タイヤ交換作業が終わると、かなり汗ばむ程度の気温。
軽く着替えて軽トラに自転車を載せ、近所の(小さな)ロードバイク専門店に出向く。
ロードバイクというのはメーカにもよるが、人口あたりで出店できる件数が制限されていたりする。
僕の所有している Pinarello の場合、上記の制約により、群馬県では前橋市、高崎市、伊勢崎市、館林市にしかショップがない(10年前は館林市にはなかった)。
自転車としては高価だしカーボンフレームともなると繊細な材料でもあるため、メインテナンス上の事故で賠責を負うことを恐れてか、簡単なメインテナンスでも「販売店でしてもらった方が」というショップは多い。
仮に購入時数十万のフレームだとしても、現行同等品はそれ以上の価格になっていることが多いし、他店で購入したそれについて、数千円程度の工賃の作業で数十万の金銭賠償を求められるリスクを考えれば、引き受けないに越したことはないという気持ちは分からないでもない。
実際、接客業をしているとネジの狂った人間は一定の割合で存在するからだ。
保管状態や経過年数にもよるが、カーボンフレームは突然破裂したりするとも聞く。
屋内保管で直射日光には晒さずにおいたが、購入して10年を超えた僕の自転車が何のはずみで破損(破裂)するかは分からないので、その瑕疵は問わないと伝える。
(そんなことはそうそう起こるものではないと笑われたが)
幸いそのショップは取り扱っていないメーカかつ他店購入の(つまりは僕の)自転車も整備してくれるという確認を、昨日出掛けて確認しておいたのだ。
バーテープ交換やサイクロコンピュータの載せ替え(以前使っていたものは劣化して使えなくなってしまった)を依頼した。
クロスバイクから乗り換えたときに設定した補助ブレーキも(付ける前に販売店で「いずれ外す方が多いですよ」と言われたとおり、結局不要になったので)外してもらう。
最近はwebで安くパーツを取り寄せて、結局自分では作業を完遂できず、ショップに持ち込むユーザもあると聞く。
安さを求めれば有効な策なのだろうが、結局、そういう事をするから身近なショップが潰れてしまうのだ。
煙草屋だろうが酒屋だろうが本屋だろうが、おもちゃ屋だろうが自転車屋だろうがそれは変わらない。
それで安さを売りにするチェーン店が台頭してたところで、安かろう悪かろうな製品を勧められたり、売上げ優先の劣悪な販売手法のカモにされる事だってありうる。
(おかげで僕は近所のオートバックスには2度と行かないし、ビッグモーターで買い物をしたこともない)
そうした総合的な不便や損失を考えれば、多少高くても信頼できる近所のショップをユーザとショップオーナで育ててゆくという発想も必要だろうと思うのだ。
これは自転車や自動車に限らず、飲食店だろうと何だろうと同様であり、僕が(どんなジャンルであれ)個人店を大事にしている理由でもある。
今回は「店舗で現物を見てwebで安いモノを買う」の逆張りで、Amazon で下調べをした商品をショップから発注してもらう、という手法を取った。
価格差分が発生したとしてせいぜい2〜3千円のことだ(日によるが1日分の食費にすら満たない)。
しかしよくよく考えれば趣味サイクリングのハイシーズンである(秋〜初冬の方がよりよいとは思うが)。
数日の時間は欲しいという話であり、こちらも急がないので当面預けることにする。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
:青猫:黒猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Form-Link-Maintenance-Mechanics-Technology-
[Module]
-Condencer-Connector-Generator-Reactor-Transistor-
[Object]
-Bicycle-Car-Contents-Human-Koban-Tool-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
//EOF
