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TITLE:
明滅も続かない。
SUBTITLE:
~ The Light and The Dark. ~
Written by BlueCat

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 永遠、などという夢想に思いを馳せる十代を過ぎ分別も付いて歳をとり、夢から夢といつも醒めまま僕らは未来の世界へ駆けて来て今に至るわけですが。
 存在するようで存在しない、ちょっと存在するかもしれない抽象が、永遠なわけですよね、即物的には。
 抽象です。
 我々は永遠には存在せず、永遠を見定める意識を持たず、永続する肉体を有していない。

 しかし100年、というのは、結構身近な存在ですね。みなさんもそう思うことと思います。思え。
 100年だったら生きてしまうかもしれない。生きるだろう。生きるに決まってるだろう、と、雑に想定して、雑に構想して、雑に将来を計画する政府を擁する国家だってあります。

 死後100年ともなると、実際問題、多くの場合において、特定の個人を記憶し続けることはほぼ不可能です。
 我々は、ともすれば昨日の晩ごはんが何であったかさえ思い出せないことがある。
 そしてそういう日が増え、ぽて、と死ぬ。ざまあみろ。

 しかしながら、記録することはできる。
 昨晩の晩ごはんが何であったかということはもちろん、どんな本が好きで、どんな物語に心を揺すられ、どんな人と共に暮らし、誰を大切に想い、どんなありようを思い描き、どんなときに怒り、どんなときに笑い、どんなときに涙し、どんなときに性的絶頂を迎えてしまいがちであるかさえ記録することができる。最後で台無しだよ!

 にもかかわらず、その記録は、その人にはならない。
 どんなに精緻な記録も、どんなに精細な情報も、仮にAIに学習させたところで、それは「その人」のフリをした何かでしかない。

 その事実に十代の頃は(正確には10歳で)絶望したものだけれど、惨めに暗闇で眠り続けていた27歳の頃にもなると、むしろ優しい救いに思えた。
 惨めたらしく畳の上に置かれた毛布に包まり(ベッドの上で眠る気力もなかったので)、ナメクジか芋虫さながらに惰眠に溶ける己をして、誰もこんな者のことは覚えていないでくれ記録にも残らないでくれと、ぼんやり思ったものである。
 名も残さず、人知れず、塵のように消えてしまえれば楽なのだがと考えあぐねいていたのだが、どうにも解決が見えないので、眠り続けていたのであったか。

 100年残るものというのは、たいそう素晴らしいと思う。
 かつてハウスメーカが「100年住宅」などと銘打って販売していた家々も、その設計も、材質も、時間の経過と共にそれが嘘であったことが白日に晒された。
 歳月と共に、よりよい材料が作られ、よりよい設計が生まれ、よりよい工法が編み出された。

 古式ゆかしい木造建築の一部は100年以上経過しているものもあるが、当時の技術を体現できる人間はほとんど存在しないと聞く。
 特殊な才や、長い経験を必要とする能力は、経済至上主義の世界に向かうにあって都合が悪かったのだろう。

 あるいは社会が求めた幸福は、特殊な才や長い経験の有無であるとか知能や肉体能力の高低、ひいては生まれ持った何かに依らず、生い立ちで積み上げたものに依らず、凡も劣も優も皆が皆、多少の苦労はしながらも、明日の不安や今日の空腹、冷たい寝床の不遇を感じずにすむようにという願いだったのではないだろうか。
 ために失われた技術は、知識は、情報は、失われたことそれそのものが、豊かさの象徴なのかもしれない。

 そのように考えれば、失われたことを過剰に悲しむ必要もないのだと思える。
 何本もの木を、切ったり干したり削ったりしてその特徴を己に刻み込まなくても、説明書どおりに組み上げるだけで誰でも簡単に作れます、ということが豊かなのである。

 しかしそれでも、残るもの、残らないものがある。
 たとえば100年前のものでも、博物館に収蔵されていれば良い方で、今も使われているものなどほとんど存在しないかもしれない。
(僕は猫なので100年前のことをあまり覚えていない)
 音楽や文学も同様、100年前から残っているものもあれば、一方その多くは歴史の波間に消えたはずである。

 にもかかわらず、残り、今も愛されている音楽や文学もある。

 そういうものを作ることができたら、どんなに素晴らしいだろうと、そう思う。
 もちろん私は凡人なので、それは適わないし叶わない。
 僕の作るどんなものも、僕自身と同じように、ミームも残らず消えてゆく。


<にゃー>

 青色発光ダイオードがある。
 100年前を振り返っても、つい最近、発明されたものである(令和生まれの諸君は知らないだろうが)。
 様々な人間や集団の間でさまざまなやり取りがあった。おそらくフタを開けば人間臭さが匂い立つだろう。

 いやきっと緑や赤のLEDも、同じように個人や集団の間でさまざまなやり取りがあったのだろう。
 そこにはきっと、綺麗で、明るくて、素晴らしいやり取りもあっただろうけれど、同じくらい、汚くて、暗くて、惨めたらしいやり取りがあったかもしれない。
 どうだろう。そんな情報は、ない方が良いのではないだろうか。

 LEDの明滅を観て(ああ、きれいだね)って、何も分からず、何も知らず、ほうっと息をつくのもまた幸せなことなのだ。

 僕の作るどんなものも、僕自身と同じように、100年もせず消えてゆく。
 かつては、たとえようもなく怖かったのだ、それは。
 暗闇に怯えていた、とても幼い頃のことだ、それが。







 

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[NEXUS]
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[Engineer]
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[Module]
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[Object]
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