子供の頃、迷子になったことがある。

母親と離れてしまったことが悲しくて、ひとりぼっちであることが寂しくて、ここがどこであるのか不安で、無事に帰れないのではないかと心細くて、僕は泣いた記憶がある。

孤独は恐ろしくて、さみしいものなのだと、僕は思っていた。

>>>

大人になった僕は思う。

誰かといるから悲しくなるのだ。
誰かといるから寂しくなるのだ。
居場所があるから不安になるのだ。
帰る場所があるから心細いのだ。

ほんとうにひとりぼっちなら。
悲しくはならない。
寂しくはならない。
不安にならない。
心細くもならない。



ひとりだったら、大丈夫なのだ。
チョコレート。
テキーラ。
缶ピース。
ラム(バカルディ)。
お月様。

>>>

つまりは月見酒であり、ガールがいないベランダは寒いのであり、ここは私の家ではないのである。

>>>

人格の多くは記憶によって形成されるのだと、14歳の青猫少年は思い至ったものである。

その予測は実に正しかった。

記憶が失われてもなお、生への執着が消えない人間を見ていると、どうにもやるせない感情が芽生える。

かつてのそれは、怒りに似ていた。
殺意にも似た、怒りだ。
いつしかそれは、憐れみに変わった。
拾ったところで助かる見込みのない捨て猫を見るような、憐れみだ。
同時にそれはおかしみに変わった。
もう、当人と呼べるだけの人格が存在していないように観察されるが、しかし当の本人はどうだろう。
今も自分は自分だと強く思っていることだろう。

殺意にも似たおかしみを感じて、だから僕はそばに寄り添うという選択をする。
排泄物と死の匂いがする。

>>>

もう僕は自分の2/3を生きた。
犬のように短い生命であることは最初から分かっていた。
だから、同じ時間を多重に生きようと思った。
ヒトとして、ケモノとして。
オトコとして、オンナとして。
色を持つ者として、色のない物として。
温度を時に失い、湿度を時に持たずに。

天命を知るにはまだ早いとは思うが、メトセラほど長生きできるはずもない。
なにせ僕は業が深いから。

それでも僕がこうして生きている理由は至極単純で、生きていることが楽しいからだ。

どんな悲しみも、どんな虚しさも、どんな孤独も、どんな痛みも、どんな飢餓も、どんな狂気も、僕を殺さなかった。
おそらく、僕が自分を好きにすぎるから、その自己愛のゆえに、僕は自分を生かす道を探してしまうのだろう、無意識に。

でも肉体が滅べば人格は消える。
僕たちという人格は僕を十分に楽しんだけれど、おそらく自身の死さえも、最初から楽しんでいるのだ。

>>>

多くの人は、自身が世を去る日を知らないという。
それはそれで幸せなことなのかもしれない。

人間は偉そうにあれこれ言うものだけれど、自身の生と死さえコントロールできない、未熟で不完全な存在なのだ。

終わりの分からないコースを走りながら、やれ努力だ、目標だと競い合う。
誰かに勝って、自分を誇示して、それで何かが得られるのだとしたら、たいそうおトクである。

>>>

量子論的に、この世界はヴァーチュアルなものらしい。
非常に哲学的ではあるけれど、僕も、他の多くと同じように、所詮は自分の主観にしか興味がないのだ。

客観なんてコトバは、主観しか知らない知性にしか思いつかないだろう。
なぜって最初から客観を知っていたら、それは主観として、その人格の中に生きるから。

>>>

あなたはダレを生きているの?

>>>

私は、たぶん、誰でもない。
私ですら、たぶん、ない。
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20170918
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
一意的な良識について。
SUBTITLE:
~ compressed composite possession. ~
Written by BlueCat


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::ならばこれからは、「理」の代わりに「無理」が横行する世界になるのだろうか。それとも「理(ことわり)」と信じていたことが実際は、冷厳な現実を見ようとしない人々の気分を良くするぐらいの役割しか果たしていなかった、幻影でしかなかったのか。



// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
170915

 先日、とあるニュースをネットで見かけたとき、その記者の使っていた言葉が妙に気になった。
 気になった、といっても悪い意味ではない。
「一意的な良識」というのがそれだったように思う。
 その一文では「一意的な良識などによって窮屈な思いをしている人が少なからずいる」というようなことが表記されていたように記憶している。

 記事の本文についてはとうに忘れてしまったのだが、その表現は妙に印象に残った。
 言い得て妙。
 なんだ、たったひとことで言い表せるんじゃないか、と。

 戦後生まれの団塊世代が世相の中心となり、団塊ジュニア世代が世を牽引している昨今。
 ちなみに僕は団塊ジュニア世代に位置しているものと推察する。
 けれども、そこに醸されている不気味さを僕は子どもの頃から感じていた。
 戦争が終わって、基本的には大切にされ、経済成長と相まってわがままを享受した世代。
 そういう世代に育てられた団塊ジュニア世代の子育てについて、僕は僕なりに予測をしていたし、だからこそ自分は(早々にこの世から去るという高い可能性も含めて)結婚と子育てから遠ざかっておこうと考えていた(隠し子はいるらしいが)。

>>>

 多様性を担保するだけの人口という分母があったから、社会は資本の豊かさを背景に多様性を実現した。
 多種多様の人が容易に情報交換をする(できるようになった)中で、良識は多様性という個々のゆらぎを認め(できることなら尊重し)つつ、人々は感情や倫理に緩衝エリアを持っているべきなのだと僕は思っている。

 しかしどうだろう。
 なんとも非寛容で、下世話な世の中ではないだろうか。

 じつに隠し子がいると申し上げると眉をひそめる人の多いことよ(笑)。
(真偽は本人も分からないのだからどうにもならないのだが)

 冗談はともかく、メディアというメディアが「不倫だ」と騒ぎ立てたりするのは、僕にはよく分からない。
 おそらく大衆がそれに強く反応し(つまりは潜在的にそれを求め)ているからなのだとは思うが、芸能情報誌のゴシップじみた話題を大衆という大衆が望んでいるのだとしたら早晩この国は滅ぶのではないだろうか。
 他人の不倫についてあれこれ熱く論じるなどというのは、端的にいえば他人の恋愛やセックスについて熱く論じるということである。
 僕も自分のことを相当下世話な人間だとは思っていたけれど、そこまではしたないことはできない。

 たとえば大でも小でもいい、排泄行為そのものについて、やれ「こういう風に」「こういう姿勢で」「どこに力を入れて」なんて、いい大人に指導するオトナがいるだろうか。
(同様の理屈にもとづいて、僕は思春期になる以前から、いわゆる「下ネタ」が苦手である。品がないし面白くもない。知的にも性的にも興奮しない。脳のどこにも電流が流れない)
 たしかに排泄「前後」の流儀についてならば公衆衛生上も意義のある話ができるだろう。

 たとえば(今は主流になっているのか分からないが)男性は排尿をする際も、できるだけ座ってした方が衛生的だし掃除をしやすい。
 排泄後、もしもトイレを汚してしまったら、すみやかに掃除をするのは精神的にも細菌的にも衛生的である。
(そのようなわけで、僕はたいていコンビニなどのトイレを借りると掃除をしはじめるところから始まってしまい、なかなか出てこないことがある。不倫だの不適切な発言だのを論じるよりも、トイレを綺麗に使える人間をひとりでも増やす方が、世のため人のためであると僕は信じてるのね)

 不倫について話を戻すとするならば、ひとりひとりがその要素である公衆に向かって不倫を語ること、語らせることの下世話さ、品のなさが実に情けないことだと僕は思う。
 もちろん、ほとんど9割方の人間は、他人の不倫なんてどうでもいいと思っているとは思う。
 芸能人が不倫をしようが、政治家が不倫をしようが、芸能人は芸能に精を出せばいいではないか(下ネタではない)、政治家は政治生命をまっとうすればいいではないか(性的な意味ではない)。

 誰かに不倫を勧めるつもりもないし、不倫が素晴らしいとも、汚らわしいとも僕は思わない。よって否定もしない。
 したい人は勝手にすればいいし、その行為そのものによって誰かが損害を被るならば、当事者たちが相応に賠償すればいいだろう。
 親でも配偶者でも身内でもない誰かの不倫によって、私は損害を被らない。
 では友達だったらどうなのかと問われるかもしれないが、それだって僕の知ったことではない。
 僕と彼ら(あるいは彼女たち)が恋愛関係だったとしても、僕は特に気にしない可能性がある。

 リベラルを気取っているわけではない。
 恋愛やら婚姻契約やらについて、僕は僕なりの考え方があるというだけだし、それを誰かに開陳するほど悪趣味にはなりたくないし、誰かに強制するほど阿呆でもないというだけだ。

>>>

「一意的な良識」によって、人はそのありようを規定の枠にはめることの窮屈さを味わうだろう。
 赤子が電車で泣いただとか、赤子に授乳するような場面を見たとして、僕は何とも思わない。
 誰かが普通に生きているだけじゃないか。
 他人の生きていることに対して勝手に不快感を覚えて相手を攻撃するのは愚行だと僕は思うが、人々はそういった攻防について、どこかの国の主導者だけでは足りないのだろうか。

 一人が苦言を公表すれば、それで「不謹慎だから」「不適切だから」となってしまって、誰もが他人の空気を読むことに必死で雁字搦めになってしまう。

 僕は基本的に愚劣なガキ(年齢を問わない)が嫌いなので、そういうイキモノの棲息する場所には近づかないようにしている。
 一方で良識を持つ人たち(年齢/性別/国籍を問わない)は大好きだし、僕自身には希少な存在なので、そういう人にはこちらから会いに行くこともある。
(座布団の上で寝ているばかりではないのだ)

「まともな人」のほうが多くて、だからそうした人たちはいちいち「下世話だ」なんて騒いだりしないのだと僕は想像する。
 下世話なことで騒いでいるのは下世話な人間同士なのだと僕は思いたいし、実際にそうだろう。
 僕の知っている良識人たちは、たとえば雇用問題や法規との兼ね合いのむつかしさなどについて卑近な例から高尚な推察、短長期的な希望や憶測について語ってくれたりする。

 そう考えると僕は今回、ずいぶんと野蛮で下品なことをしていることになる。
 思っていることを言葉にするというのはそういうことだ。

>>>

 たとえば「I love you.」は基本的に野蛮で下品だ。
 だから公衆の面前で、僕はそれを言えない。
 暗闇で。二人きりで。耳元で。
 そんな場面でしか口にできない臆病者というのが僕の正体だと思っていい。

 もしそれを公衆の面前で言えるなら、その行為は素敵だとは思う。勇敢だとは思う。
 でもそれは、その行為の野蛮さや下品さを知っていて、ためにある高いハードルを乗り越えることの勇敢さであり、乗り越えられたことの素敵さだろう。

 生まれてこのかた、それが当たり前のように生きてきた人間がそれをしたところで、面白みも何もない。








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::では、二十一世紀に突入した今現在の現実は何だろう。
 一、結局は軍事力で決まるということ
 二、アメリカ合衆国への一極集中
 三、国連の非力
 四、日本の無力
 これらこそが、「見たいと思わなくても見るしかない現実」であって、それが今、話し合いによる解決、アメリカへの一極集中を排する多極化、世界の諸問題の解決の場としての国連、世界平和に貢献する日本、等々の「見たいと思ってきた現実」を突き崩してしまったのである。






// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~


 文頭文末の引用は、
「イラク戦争を見ながら」From「日本人へ ~ リーダー篇 ~」(p.12-13)
(著作:塩野 七生 / 発行:文藝春秋)
によりました。

なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。






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[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[InterMethod]

[Module]

[Object]
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]







//EOF
死は蔓延る。


汝(な)が名を名乗れ。

一族郎党その血を根絶やしにしてやろう。

うぬらが気にするともなしに引き継いできた脈を。
うぬらがただのお飾りにしてきたその血を。
その名を。

我が指に触れさせよ。


穢れとともに絶やしてやろう。

汝らの血を。
汝らの名を。
何度となく壊れる私の家のMacは、またも致命的な状態になっているのだけれど、仕事や介護に忙殺されそうで(死んではいないが少し間違うと死ぬか殺すかはしそうであり)とてもではないが Macの修理にかまけている時間はない。
もとよりインターネッポーを漂う時間は僅かにしかない。
そのうえギターのコードを覚えている時間もまったくなくて、僕のギターテクニックは劣化の一途を辿っている。

あと5年(長くてもあと10年)以内に早隠居し、ろくに貰えないであろう公的年金を受け取るより前にこの世(あるいはこの国)を去る予定で人生設計をしている私にとって、つまりこの数年は我慢をしておくに越したことはない。

まぁ今まで好き勝手に生きて来たし、また好き勝手に生きるんだから数年くらいはいいかな、どうせ好き勝手に生きちゃうんだろうし好き勝手に死ぬんだし。
ただ僕が死ぬと妹が後追い自殺をしかねないのが最大のネックとなっていて、僕は容易に死ぬことを選べない。
あと死ぬなと弟子がうるさい。

>>>

この世に残したいいくつかの技術のひとつに、乾麺の食べ方がある。

今回はそのうちのひとつ、ロングパスタについて語りたい。

ちなみに僕は1.5ミリから1.6ミリのパスタが好きである。
ショートだとペンネはかろうじて許すがほとんどのマカロニは許さない。
つまるところ、ガールの髪型はショートがいいというのは「ショートの似合うキュートなガールはすべからくロングも似合うから」という理論に裏打ちされている。

逆説的にロングで美味しいパスタのソースはショートで使ってもたいていは美味しいものの、小麦の味の良し悪しが大事なので味気ないパスタ(安くても美味しいものがあり、高くても味気ないものがある)は食べないほうがよい。

まずは茹で方。これが9割がたの美味しさを決める。
湯はほどほど多めにする。
うどんと違い、多すぎるのも考えものである。
火にかけて沸騰するより前(私は火にかけてすぐ)に塩を入れる。量はソースのタイプや味や量、なにより麺の太さによっても変わるから研鑽あるのみ。
麺がどうしてもくっつく、という場合は、使う麺を変えるか湯の量を増やしたほうがいい。
あと、うどんや蕎麦ではないのだから、茹でている間はこまめに菜箸などで回して撹拌する。最低でも1分に1度は。
麺を茹でている間に、市販のパスタソースを別鍋で温める。
自作のトマトソースや和風ソースなどを作ってあるならそれでもよい。

袋に書いてある2分前には鍋から引き上げる。
(フライパンを使って和えるタイプは3分前でもよい)
このときコップ1杯ぶんくらいの茹で汁をとっておく。

麺を皿に盛ってオリーブオイルを大さじ1から好きなだけ、回しかける。
上から茹で汁をかける。
少ないよりは多いくらいのほうがいい。
その上からソースをかける。
最後にコショウなどを軽くかける。
ペッパーミルがない場合は辛くなるだけで薄っぺらな香りしかしないので、なにもしない方がいい。

最初はぼりぼりとした歯応えが味わえる。
硬いのがイヤな人は茹ですぎたウドンでも食え。
アルデンテとはこのくらい硬いのだと僕は思うよ(口調が変)。

次第に適当な歯応えになってゆく。
ソースと麺の味も混ざって変わってゆく。
塩ゆでしただけの麺がちゃんと美味しいなら、このくらいのほうがいいんじゃないかと思う。
コショウは途中から振って、さらに飽きたらそこでチーズをかける、という食べ方もある。

最初からなんでも掛けまくるようなはしたない食べ方はどうかと思うよ。
蕎麦つゆにありとあらゆる薬味を入れて、わさびも溶きまくっちゃうような食べ方が好きな人は仕方ないけれど。

>>>

世間の死生観が、やっと変わりつつある(変わらざるを得ない)段階に来たと僕は思う。
父上を弔った当時、家族葬なんて言葉はなくて密葬と呼ぶしかなかったし、散骨も珍しかった。

きっともっと変わるだろう。
人口が増え、高齢化が進行している現在、相対的に長寿と死の価値はますます下がる。
命の値段はその総数が増えるほど下がってゆく。
だから誰かが自分の命を高価にするためには、それを下支えするだけの担保が必要になる。
総数が少なかった頃は、そんな必要などなかったのに。

WHOの手引きなのか、酒とタバコはますます嫌われているが、誰が、何のために世界的な健康寿命を延ばしたがっているのかを考え始めてもいいのではないだろうか。

やがて安楽死を認めるようになるのではないだろうか。
(この国ではまだ無理かもしれないが、それでも、この国に必要な変化の1つだとは思う)
自我や記憶、統合的かつ高度な知的機能を失ってなお生きている人というのは、脳死さながらの生ける屍だからだ。

僕は幸い、他より早く死ぬ。

いくら今から薬を飲んでも(できる限り飲むようにはしているが)避けられないだろう。
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//TimeLine:170820
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TITLE:
今日のお酒とおとも

SUBTITLE:
~ Today’s headliner ~
Written by 黒猫


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 スーパーで買ってきたキュウリやナスなんてものを、常温の野菜置き場(もしくは俺の家の冷蔵庫)に放置しようものなら24時間もする頃には、しおしおとしてしまうものなのである。たいていの場合。

 しかしながら活きのいい野菜はちょっと違う。
 昨晩はもやしひと袋を炒める時間すらなかったので、完全放置になっていたことよ。

 かくして本日あわてて調理をしようと袋を開けてみたのであるが。
 キュウリはとげとげしくも凛としており、ナスはとぅるんとした光沢を放っている。

 もう一日おいて、アクを落ち着かせようか一瞬悩んだが、明日は夕飯(むしろ夜食)を食べる時間すらアヤシイ(といってもよくよく考えると明後日は休みだった)ので調理を開始。

>>>

 ちなみに今日は、地元限定ともいえる「群馬泉」の本醸造(普段は本当に地元限定の特別純米を呑んでいるが、転職したてで引越しを控えていてお金がないので格下げした)。
 それから「麦とホップ:黒」(僕の買い物圏で、唯一の黒ビールっぽい飲み物。他のスタウトはギネスだけなので諸般の事情により格下げしている)。

>>>

 冷蔵庫から豆腐を出し、皿に持って傾斜のある場所で水を切る。
(これは普段のことなので、普段は書いていなかった)

 キュウリは4本あったので、1本は野菜スティック的に適当な感じを目指して切り、適当なグラスに常温のまま立てる。
(キュウリを冷やすとキュウリの味が薄くなる)
 3本は面が大きくなる鋭角の乱切りにし(本当は袋に入れて棒で叩きたかったが、設備の問題で諦めた。鋭角乱切りはすぐに食べたかったので、塩の浸透速度を上げるのが狙い)てビニル袋に入れる。
 種を取ってハサミで輪切りにした赤唐辛子(私の家には輪切り唐辛子とかいうものがない。枝付き唐辛子から切り離した唐辛子をいつも加工しているので、唐辛子作業のあとに目が痒くなったりぱやぱや的なサムシングが発生する場合は、かなり深刻な状況になることについて悩む)とめんつゆ少々と塩(めんつゆに塩をわざわざ足すのは、めんつゆの味と色に染めすぎないためであると同時に、味の浸透を早めるため。相反する効果を狙っている)を上から放り込み、軽く和えてから空気を抜いて口をテキトーに結う。
 それを同じサイズのビニル袋に入れて、もう一度かるく全体を混ぜるように揉み、冷蔵庫に放置する。

 茄子は半分に切って、5mm間隔くらい(アバウトでいい)で浅く皮目に包丁を入れる。
(飾り包丁ではなく、火の通りを良くし、皮を噛み切りやすくするため)
 焼き網(https://www.amazon.co.jp/dp/B003WMC6F0/ ちょっと高いが耐久性も高く、非常にすぐれた製品)で切り目を先に強火で焼き、焦げ目がついたら皮目を一部が焦げるくらいまで焼きつける。

 焼いている間に、味噌・めんつゆ少々・おろし生姜・みりんを合わせた調味料を作る。
 焼きたても冷めても美味しいので、適当に皿に取る。

 手が空いたら、徳利が入る小鍋に湯を沸かし、徳利に酒を入れる。
(湯が沸騰するまで、徳利は鍋に入れない)
 鍋が沸騰したら、火を止めて徳利を鍋に入れる。タイマーは4minを2回(途中で混ぜるため)か、8minを1回。

>>>

 冷凍庫からビール用のグラス(ワタスのバアイは陶器の器)を出して「麦ホ」を泡立つように注ぎ、机の上に置く。
 そこから泡が落ち着くまでに、一昨日のみょうがのめんつゆ漬け、スティック状のキュウリとマヨネーズ、焼き上がったナスと付ける甘味噌(というか舐めたら生姜で辛かった)と箸を机に置いて、準備万端。

 呑んでいる途中でキッチンタイマーが鳴ったら徳利を引き上げ、お猪口と一緒に机に置く。

 ある程度の時間が経ったら、冷蔵庫から浅漬け(にしては急速なので塩辛め)のキュウリを袋から取り出して、面倒だからみょうがの入っていたタッパーに山積みにする。

 あたたかいもの、冷たいもの。
 味の変化を楽しみながら、ブログに書いてやるかという親切心を奮い立たせる。

>>>

 料理化学についてよく知っている人にとっては、馬鹿馬鹿しいくらいのレシピでありメニューであり蛇足が多いが、料理をよく知っている人には(これは無駄な情報だ)と回れ右をさせる効果があり、料理を知りたいのに知る事のできないガールや、焼き茄子の下ごしらえで皮目を切る理由や、乱切りの面を広くすることによる効果についてうといガール、浸透圧に関する理解に乏しいガール、温度と味覚や素材の味について無知なガール、なにより「青猫様と一夜を共にしてみたいけど、お料理とかよく分かんないからどうしよう!」なんていう救えないガールの一助になればと思い、蛇足のような補足が削除されないまま公開されることになった。






// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[InterMethod]

[Module]
  -Transistor-

[Object]
  -Night-Poison-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]





//EOF
170818

 ガールと温泉(といってもカポーで混浴に入って キャッキャウフフ なんて破廉恥なことはしない。というか混浴もなければカポー風呂があるわけでもない、山奥の日帰り温泉であり、僕らの他にはお年寄りしかいないような施設だった)に行ったついで、わさび菜とシシトウとミョウガとキュウリとかぼちゃを買う。
 ひと山100円とか200円なので、思うさま買う。ちょう安い。

 ガールの街に夕刻には送り届けて、私は一路自宅へ(ふたつみっつ先の街に棲んでいるので)。

 ミョウガは洗ってタッパーに入れて、軽くめんつゆをふって冷蔵庫に。
(今日食べるものは別タッパーで半分に切って同様の処理)

 わさび菜は5mmくらいの間隔で切ってボウルに取り、酒とみりんとめんつゆと醤油を煮切ったものを振りかけて和え、タッパーに移して冷蔵庫に。

 シシトウは楊枝で穴を開けて、素焼きにして、味噌とみりんと砂糖と生姜を合わせた調味料少量と和えて(大量にあったので)半分くらいはタッパーに移して、残りを皿に盛りつけ。

 日本酒をお気に入りの徳利に注いでいただいております。

 あと、手羽先のポトフ風スープが今日で3日目なので、これを完全に片付ける予定です。
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20170531
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
あなたは私の役に立たない
SUBTITLE:
~ not so dusty. ~
Written by 黒猫


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 同性に対する恋情というのは、川で見つけたとても綺麗な石ころのようだ。

 それは何の役にも立たない。何に使うこともできない。
 誰かに見せびらかそうにも、たいていの場合「ふうん」というような感じがせいぜいで、全くもって他人と価値観を共有することなどできない。
 自分自身だって、どうしたものかという感じなのである。
 そういうものだから、自宅に持ち帰って、自室に飾る人もほとんどいない。
 持ち帰って飾ってあるそれを他人に見られると、かなりの確率で怪訝な顔をされる。
「何で家の中にただの石ころを置いているの?」と。

 正直なところ、彼に恋慕の情を持っていても、僕には使い道がない。
 彼と恋人になりたいわけでもないし、彼に対して肉欲が起こることもない。
 手を繋いだり、くっつくのは相手が許してくれる限り他の男友達にもする(僕は親しい人に触れたり、触れられたりするのが好きな)ので、恋情とは関係がない。
 所有欲も独占欲も発生しない。
 ただただ慕わしいのである。

 メールしたり、話をしたり、買い物したり(僕と彼はそれぞれの晩ごはんの食材や酒を集めるため、タイミングが合うと一緒にスーパーで買い物をしたりする)、外で飲んでバカ話をしたり、外を歩いてふざけあったりするのが(スーツに水を吐きかけられたり、自販機で「今日は特別、奢ってやるよ!」と言って買ったコーラを思い切り振りながら満面の笑みを浮かべつつこちらに向かって来るようなことをしない限りにおいては)とても楽しくて、嬉しい。

 こういう慕わしさは、たぶん、子供の頃から感情としては持っていたと思う。
 ただ、それを発露させるべき対象が、僕にはあまりいなかった。

 たとえば中学生や高校生、すなわち10代の頃、僕は友達に対してそんな慕わしさを感じていた。
 彼らはとても親しい存在で、楽しくて、一緒にいるのが嬉しかったし、同時にときどき、とても煩わしくて厄介だった。
 ちなみに10代の頃から、あるいはそれ以前から、男友達の身体に触れるのは嫌いではない。
 性的な意味は一切なく、単なる「慕わしさ」が満たされるという意味において。
 だから僕が物理的に至近距離になったり、物理的に接触することを許してくれて、かつその意味を正当に理解できる(あるいはせめて肉体的/精神的に許容できる)人だけが僕の友人を続けられることが多い。

 4人姉妹に囲まれて育ったただ1人の男の子、という出自を話すと理解してくれる人もいるし、そうでない人もいる。
 僕にはよく分からないが、でも確かに、子供の頃から姉妹間の距離は物理的に近かったし、今でも僕と妹との距離は物理的に近くてもお互い抵抗がほとんどない。
(厳密に性的な意味を一切含まない状況において)

 彼もたまたま僕の特性を許容してくれるので(重ね重ね申し上げるが、少なくとも僕は性的にはストレートであり、それ以外ではないものの)ついつい至近距離になったりしてしまう。
 酔って足元が危うげなときは、手ぐらい繋いでると思う。

 もっともたいていは50cm以上離れているのが普通だ。当たり前である。

 会社を辞める数日前、一緒に飲んだ帰りに握手を求められて、僕はそのあとハグを求めた。
 許容されたので、ハグをして「Kさんと離れ離れになるのはとても辛い(からい、ではない)です」と伝えた。
 できるだけ小さな声で。

 僕は自分の中の慕わしい気持ちを、相手の迷惑にならない範囲においては、できる限り正直に伝えたいと思ってしまう性分なので。
 それでもすぐには言えなくて。
 僕が言いだすまでに彼は2度ほど身体を離そうとした。

 ようやく解放された彼は「大丈夫だよ。俺もいずれはちゃんと戻ってくるし、忘年会は向こうに呼ぶし」と言った。

 新しい会社でのスタートを半月先に控えた僕は、介護対象の伯父と叔母の家で週の半分を過ごす。

 まだ在職中の彼と、朝な夕な、メールや電話で話をする。
(もっとも、長電話をしてくるのは、いつも彼の方なのだ)

 彼とバス停前でハグしたとき、僕のスーツは水で濡れていた。
 ホントに酔ったついでにふざけて水を吐いたりするようなバカはバスに轢かれて死ねばいいのに、と今でも思っている。

>>>

 感情というのは。
 他人というのは。
 自分の存在というのは。

 役に立たなくてはいけないものなのだろうか。
 使い道があるほうが素晴らしいのだろうか。
 それはなぜだろう。








// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~

[ Parallel Line ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[InterMethod]

[Module]

[Object]
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]



//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20170518
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ぼくのフレンド?
SUBTITLE:
~ The other way. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 オカネモチになったらなったで、それは大変なのだお、と見聞きはしていた。
 しかし百聞は一見にしかず、である。
 貧乏人には貧乏人の苦労があるように、コガネモチはコガネモチなりの、大金持ちは大金持ちなりの、苦労があるのであった。

 OAP(なんの略だったか忘れたフリをしたい)が思った以上に進展したこともあり、仕事は楽しいけれど会社の人間関係が思った以上にドス黒くてイヤになったので会社を辞めることにした。
(カラスに白ペンキを塗りたくるようなホワイト企業なので、タダで働かせてさえもらえないだろう)

 根無し草のまま新しい街に越して来たので、いずれまた引越しの憂き目を見る。

 今の会社に来て、しかし何も得るものがなかったかというとそんなこともない。

>>>

 新しい友達ができた。

 毎日、電話したりメールしたりお互いのことをコケにしまくったり、夜更けまで飲み続けて翌日ぼろ雑巾みたいになってお互い電話越しに反省会を開いて笑いあったりするような、ロクでもない友達である。
 こんなに笑ったり泣いたりしたのは何年ぶりだろうかと思う。
 僕は育ちがよいため上品で(自分でいうか普通)ろくに笑わなかったし泣きもしなかった。
 ところがこの友人(じつに10歳くらい年上である)と一緒にいるのが、本当にほんとうに楽しい。

「これって、もしかして恋? それとも変?」と自問するほどであったことよ(遠い目)。
 しかしながら僕も彼もストレートなので、肉体関係には発展する余地はない。
 よってこれは友人関係なのである。もしくは変人関係なのである。

 平日も、勤務中の移動時間や帰宅後の料理中、残務整理中に1時間以上の長電話。
 休日も(介護の合間に)数時間にわたって電話をしたりメールをしたり。

 成人してからというもの、たとえ恋人であったとしてもこんなに長電話をしたり、メールをやりとりした相手はいなかったと思える。
(たぶんいない)

 とにかく笑ったこと笑わなかったこと(笑った)。
 この数年分をいちどに取り戻すように笑った。

>>>

 おおかたの常識的な人間たちの群れからすると、僕は除外される傾向にある。
 僕の立ち居振る舞いは一部の人間の鼻につくほど優雅だし、僕の発想や思考は品性下劣な人間の理解を超える。
 話し言葉は厭味なくらい上品だし、非言語系のアナログな感覚をすぐに言葉にできないせいで能無しだと思われがちである。
 ついでにどこまでも空気を読まない。読む気もない。貴様がオイラに合わせろ、くらいは平気で思っている。

 よって、群れている連中の「俺たちの空気を読んで、ルールに合わせろよ」的な空気をそもそも読まない。
 彼らにすると僕が浮いているらしいのだが、おまーらの方が一人残らず浮いてんだかんな、ガン飛ばしたりすっと埋めちゃうんだかんな訴えることになんだかんなおまーらの遺族が(倒置法)、という気持ちになりかねないところをフォースの力(意味重複はわざと)でぐっと抑えるわけである。僕もオトナだし、ケガしたくないし、訴えられたいわけでもないし。

>>>

 もしかしたら、僕本人や僕に好意を持ったり興味を持ったり共感したりできる人の方が、本当にアタマワルいのかもしれない。
 でも僕の知る範囲において僕のそばに居続けられる人間というのは、寛大で、邪気や悪意がなくて、知識も豊富で、賢くて、つまりは強くて優しくて深みがあってぬくみがあって素直で心地よいのである僕自身を筆頭に。
(どさくさに紛れて自分を褒めてみましたてへ)

 確かに僕という存在はこの関東の局地的人間特性におけるちょっとした特異点的なイレギュラなのだと考えられなくもないのだけれど、どうして多くの人は画一的になろうなろうと他人に合わせることに躍起になるのかイマイチ理解できないし、できないは言い過ぎにしてもそんなことして楽しいのかと問いたい気持ちはある(面倒だからしないが)。
 もっとおまーも自分らしいイレギュラさを恥ずかしがりながらも発揮しろよ、と思う。

>>>

(自分でいうのは恥ずかしいが)時折、僕をして孤高という人もいる。

 おそらく、群れることに向かない性情を持った人間だという程度の意味だろう(性情における高低差は、相対的なものだから僕には判断できない)。
 そんな僕も、まったく群れないわけではないとは思う。
 数少ない同位体とは、きちんとイオン結合できるのだとは思う。

 ただ、たまたま、同位体が希少に過ぎるのだろう。
 あまりにも他人に合わせるということをしないから、それを知らない人にとっては、非常に傍若無人であったり、無礼に映るのだろう。
 
 そのとおり。
 僕は不特定多数の誰かに合わせるような不気味で気色悪い行為をしないし、その意味も目的も理解しない。
「不特定多数の誰か」という人はどこにもいないから。
 だからそんなワケのワカラナイ人に指針を合わせる術を知らないし、合わせた結果どこに向かうかに興味を持たないし、それが我々を導く先を危惧しさえする。

 それが、暗黙の了解で固められた小規模な集団生活に慣れ親しんだローカル草食動物的な人々からすると不気味に映るのだろう。
 わたくしは肉食動物なものですからおまいら一匹のこらず食い殺したろか、と思う瞬間である。

>>>

 肉食動物は、群れることで狩りの成功率が上がる。
 しかし生きるのに必要な一頭あたりの熱量は、群れても群れなくても変わらない。

 狩りにおいて突出した能力を持つ個体がいたら、その個体は群れるよりも単独行動をした方が生存率が上がるというわけだ。

 群れて彼らは、あるいはあなたは、そして僕は一体何を手に入れているのだろう。
 何を狩っているのだろう。

 単独行動をすることで、僕は、自由を手に入れている。
 自由を狩っているともいえる。
 僕自身を手に入れ、僕自身を永らえている。
 それは集団でいても、勝ち取ることが困難な価値だからだ。

 少なくとも、そんじょそこいらの薄気味悪いローカルな装飾動物的集団(誤字わわざと)においては無理だ。
 あいつらは自由を手に入れることを忘れているのか、それとも知らないのか、そもそも自分を持たないのか、そういう発想がないのか、突出した個を嫌う。
 まるで海中を群れて泳ぐ魚のように、一様に動く。
 あれはあれで、僕にはないひとつの才能だろう。
(だからこれはこれで、彼らにはないひとつの才能だと思ってもらえればいいのだけれど)

 しかし、自由や自身を勝ち取る能力に優れた個体となら、僕は仲間になることができる。

>>>

 彼は僕とおなじ業界経験者で、僕より半年ほどあとに入社したが、その知識や経験は僕の比ではなかった。
 そのうえ僕よりもはなはだしく茶目っ気に溢れていて、本当にほんとうに、一緒にいて楽しい人だった。

 彼もまもなく会社を去り、僕と同じようにこの街を去る。

 僕たちは、またそれぞれの街で暮らし、それぞれの道を歩むことになる。
(僕と同じ街に来て、同じ仕事をしようか考えている様子もあったのだけれど、幸か不幸か、彼は別の道を自力で見つけ出した)

 まだ夏も始まらないというのに、忘年会の約束を、すでにしている。
 海の見える、魚の美味しい街だという。

 きっと美味しい酒が飲めるだろう。
 そしてぼろ雑巾のようになって、反省会を開くことだろう。

 どうか元気でいてほしい。
 そしてできることならどうか、ずっとずっと彼のまま、変わらずにいてほしい。






[余談]
 「けものフレンズ」に登場するスナネコの真似をして、サビのフレーズをたびたび鼻歌で歌っていたのだが、彼に「耳から離れなくなってきたからやめれ」とたびたび叱られた。
 あの頃の僕たちは、夜の社内でバカっ話をしながら、一緒に楽しく仕事をしていて、まさか僕らが離ればなれになるとは思いもしなかったっけ。







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TITLE:
靴とホームセンタ。
SUBTITLE:
~ Can do your self it ? ~
Written by BlueCat


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 僕がキーボードを替えたのは、以前のdiNovoEdgeForMacが嫌いになったからではない
 僕がキーボードを替えたのは、純正のMagicKeyboadが欲しかったからではない。

 第一、純正キーボードはキータッチの深さや軽さこそ僕好みだけれど、キーのサイズが、僕には大きい。
 キーのサイズと、キーどうしのクリアランス(設計用語なのでバーゲンセールに目がないキミの想像とは異なるかもしれない)が圧倒的に大きい。
 これは毛唐どものサイズであって、僕のサイズではない。

 皆々もよく考えて欲しい。
 キーボードは、打鍵できればどうでもいいものなのか。
 キーボードに合わせて指を大きく動かすなんて、馬鹿馬鹿しいとは思わないのか。
 オーダーメイドしたシャツのように、するりと肌を流れてぴたりと止まる、そんな快楽を味わわせてくれる道具を探して見つけて手に入れて、メインテナンスしながら大事に大事に使い続けていたというのに、10年足らずでやれ
「サポートは終了しました」だの、
「接続されたデバイスはサポートされておりません」だの、
「バッテリの交換はできません」だの、
「ドライバのリリースは終了しています」だの、
「あなたのような目茶苦茶なオトコにはついていけない」だのと言われて
「ああそうですか」と納得できる諸君よ。

 最後の例外は僕にのみ当てはまる事象であるから理解できない(僕には理解できるし許容もできる)のは仕方ないとして。
 キーボードにも妥協し、シャツやスラックスの布地にも妥協し、会社にも恋人にも親にも子にも妥協し、社会にも住む国にも食べるものも飲むものも、与えられたもの、手に入るものだけがすべてだと思って妥協するともなくありがたみもなく享受し、それらにただただ不平を並べる哀れな羊のごとき諸君よ。

 歌いたい歌を、車の中で窓全開にして、最大音量で歌っているのに、信号待ちになった途端に声のトーンが落ちる諸君よ。

 許せるか。
 自分を。他人を。その愛してもいない道具を。感謝もしていない環境を。歌い続けられることのない歌を。
 許せるのか。
 許されるのか。

 歌えよ、と僕は思うのだ(そして僕は歌い続ける)。
 だいたい周囲の車と通行人は、遠巻きにこちらを見ないようにして距離を取り始めるからよりいっそうしめたものである。

 諸君も歌いたい曲があったらハンドルなんかそっちのけで、エアギターかき鳴らして歌うべきなのである。
 ギター弾けなくたって、エアギターならタダで弾き放題だし、上手に弾けるはずなのである誰だって。
 ネックのサイズから弦のテンションから音の響きから観客からライティングパフォーマンスまで(俺のアタマの中でそうであるように)(オマエのアタマの中でそうあるべくして)望みどおり、思いどおり、想像どおり、ありのままなのである。

 許せるか。
 妥協に妥協を重ねていずれ野垂れ死ぬ諸君よ。あるいは私自身よ。
 妥協に妥協を重ね、生まれたときからそこにある柵を跳び越えることすら思いつかない諸君よ。「レールから脱線したら終わりだよ」と言われてそれを信じ続けてレールの外を見たこともない諸君よ。
 野垂れて飢餓して衰弱して、それでも最後まで指一本、脚一本、首ひとつとして、誰かに捕らわれたりしてたまるもんか輪っかかけられるなんて冗談じゃねえよ返り討ちにして食い殺すぞとホントは思ってる諸君よ。
 そして僕よ。
 許せるのか。
 許されるのか。

 自分を。他人を。その愛してもいない道具を。感謝もしていない環境を。途中で消えた歌を、なに許せない?

 ならばその柵は跳び越えるなり突進して破壊(略して突破)するなり穴を掘ってトンネルを作るなりして、目の前に誰かがちらつかせている安っぽい、味も色も分からないような飼料なんて蹴飛ばして、柵の外に出ろよ。
 牧羊犬なんか噛み殺してしまえよ。

 なんでこんなに熱が入っているのかといったらそれは単純で、まぁ、説明するのめんどうだからいいや。

>>>>

 いずれにしても僕がキーボードを替えたのは(おいまだそこか)。

 単純に、以前使っていたキーボードが、再起不能になったからなのである。
 Bluetoothヘッドホンも、キーボードも、左手用キーボードも、マウスも、すべてすべて失われてしまってそれ以上の物は未だにリリースされていない。

 未来を予感させるデバイスはいったいどこに売っているんだろう。
 未来を予感させる友達は、いったいどこをほっつき歩いているんだろう。
 未来を予感させる恋人たち(なぜか複数形)は、いったい誰と眠っているのだろう。

 かような次第で。
 僕がこの街を出て行くのは、この街が嫌いになったからではない。
 僕がこの街を出て行くのは、生まれた街に帰りたくなったからではない。
 親など死に絶えたし、帰る家などどこにもない。
 隠し子がいるとかいないとか、謎の噂は自分で吹聴するのが面白くなってきたためそこらじゅうで言い過ぎて、あまり信じてくれる人がいなくなってしまったけれど(自分でも真偽が分からないのだから仕方ない)野垂れ死ぬ覚悟などはとうの昔にすませてある。

 この街は(特に僕がアパートとして棲んでいるこのマンションは)安くて旨い呑み屋が多いのである。徒歩圏に数件あるのである。

 まず、ときどき勘定を間違えるこきたない焼き鳥屋がある。どきどきである。ここがウマい。
 安くなったり、正規の料金を請求されたりするが、高く請求されたことはない。
 ビールも酒も、コップの種類は基本一種類だけである。
 なのに焼き鳥はめっぽうウマい。
 しかも正規の料金だとしてもめっぽう安い。
 その上たまに勘定を間違えて半分くらいになったりする。
 あまりにこきたなすぎてガールと一緒に行くことなんてできない。
 しかし時々小綺麗なガールと入ってくるおっさんがいたりして「ああ」と思ったり「もっと気の利いた店に連れてけよ」と思ったりするのだけれど、まぁ好みは人それぞれだし、環境というか嗜好というか、そもそもガールのいるような店とそうした店で働くガールとねんごろ(程度がはなはだしさま、という意味で読むと面白い)になるような素養が僕には備わっていない。育ちがいいからな!

 あと。35年間、無休を通しているバーがある。
 しょっちゅう通ううち、デッドストックの酒の最後の1ショットのご相伴にあずかったりできるようにもなった。
 とにかく酒の種類が豊富で、カクテルの一つ一つのストーリィも(訊けば)ぬかりなく教えてくれる。シガーも売っている。その場で火を着けてももらえる。料理はもれなく美味いし朝の5時まで開いている。ギター(僕が弦を張り替えてスタンドを用意して調弦もしているから、優先的に弾く権利を与えてもらっている)もピアノもある。
 しかも道を挟んで向かいに同じ名前の姉妹店があるから、泥酔していても必ずたどり着ける。

 この立地!(「え、2店だけ?」というツッコミに対して僕に言えることがあるとするならば「南極と北極以外の極が、この地球に必要なの?」という問いかけくらいのものだけれど)

 なのにどうしてこの地を去ることなどできようか!
 ならば(会社を後ろ足で蹴飛ばして)引っ越したそのあとも、何度となく、何度でも、再びやってこようではないか。なんならチャリで来ようではないか(死ぬ)。

 いくつになろうが妥協なんかしたくない。そしてできる限りしない。
 もちろん。もちろん。

 キーボードがなければ、文書を書くことが(僕には)できないから、キーボードは妥協した。
 愛するMacPro(’08)は、内臓をキメラにしてまで永らえさせているが、もはや最新のOSをインストールすることもかなわない。
 Cubeの頃もそうだったから、僕は何とも思わない。
 充分な速度で稼働するし、4つのマルチモニタを展開しているわけでもないから、発熱も少ない。
 動画を見ながら辞書を引きながら文書を書きながらCGを作る作業には向かない状況だけれど、なぁに、問題などあろうものか。

>>>

 そのようなわけで僕はいずれ、この街を去るだろう。
 そして酒だけは、この過疎化した県庁所在地の中心街まで呑みにやってくるだろう。

 どこに行こうが何をしようが、自分を見失わなければそれでいい。
 それだけあれば、なんだってできるし、なんだって手に入るだろう。
 少なくとも、自分のありたい自分であることはできるし、自分の本当に欲しい物だけは見失わずにいられるだろう。

 驚天動地のつづきとして、呆れる人もいれば感心する人もいる。
 そんなものは見慣れて飽きるほどだ。

 自分の選択のひとつひとつ。
 ぼくにみえるものひとつひとつ。
 自分の思想のひとつひとつ。
 ぼくのおもうことひとつひとつ。
 自分の道具のひとつひとつ。
 ぼくのすることのひとつひとつ。
 自分の体躯のひとつひとつ。
 ぼくのつかうものひとつひとつ。

 いったい他人に説明して何になる。
 他人の理解や同情や納得を求めた先に何が手に入る。何が残る。

 足跡さえも掴ませないほどの速さで走るだろう。
 視界から消えるほどの軽さで跳ぶだろう。
 暗闇の中でも獲物を捕らえるだろう。
 気が付かれるよりも早くに息絶えるだろう。
 彼らに。
 僕は。

>>>

 すべてのものが囲い込んでくるだろう。
「サポートは終了しました」だの、
「接続されたデバイスはサポートされておりません」だの、
「バッテリの交換はできません」だの、
「ドライバのリリースは終了しています」だの、
「あなたのような目茶苦茶なオトコにはついていけない」だの、
「キミの考え方は間違っている」だの、
「オマエはこの組織の中で浮いてるぞ」だの、
「貴方のやり方では無理だ」だのと突きつけて。

 オーケー。
 時には持ちうる物を捨ててでも逃げ道を探そう。
 時には持ちうるすべてを捨ててでも自分を逃がす道を探そう。

 囲いの中で死にながらメェメェ啼いて生きるくらいなら、逃げまわってのたうち回って血を流して死ぬさ。

 とりあえず誤打鍵ばかりする新しいキーボードに慣れなくてはならない(おいまだそこか)。
 早く。
 僕は。













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