何度となく壊れる私の家のMacは、またも致命的な状態になっているのだけれど、仕事や介護に忙殺されそうで(死んではいないが少し間違うと死ぬか殺すかはしそうであり)とてもではないが Macの修理にかまけている時間はない。
もとよりインターネッポーを漂う時間は僅かにしかない。
そのうえギターのコードを覚えている時間もまったくなくて、僕のギターテクニックは劣化の一途を辿っている。

あと5年(長くてもあと10年)以内に早隠居し、ろくに貰えないであろう公的年金を受け取るより前にこの世(あるいはこの国)を去る予定で人生設計をしている私にとって、つまりこの数年は我慢をしておくに越したことはない。

まぁ今まで好き勝手に生きて来たし、また好き勝手に生きるんだから数年くらいはいいかな、どうせ好き勝手に生きちゃうんだろうし好き勝手に死ぬんだし。
ただ僕が死ぬと妹が後追い自殺をしかねないのが最大のネックとなっていて、僕は容易に死ぬことを選べない。
あと死ぬなと弟子がうるさい。

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この世に残したいいくつかの技術のひとつに、乾麺の食べ方がある。

今回はそのうちのひとつ、ロングパスタについて語りたい。

ちなみに僕は1.5ミリから1.6ミリのパスタが好きである。
ショートだとペンネはかろうじて許すがほとんどのマカロニは許さない。
つまるところ、ガールの髪型はショートがいいというのは「ショートの似合うキュートなガールはすべからくロングも似合うから」という理論に裏打ちされている。

逆説的にロングで美味しいパスタのソースはショートで使ってもたいていは美味しいものの、小麦の味の良し悪しが大事なので味気ないパスタ(安くても美味しいものがあり、高くても味気ないものがある)は食べないほうがよい。

まずは茹で方。これが9割がたの美味しさを決める。
湯はほどほど多めにする。
うどんと違い、多すぎるのも考えものである。
火にかけて沸騰するより前(私は火にかけてすぐ)に塩を入れる。量はソースのタイプや味や量、なにより麺の太さによっても変わるから研鑽あるのみ。
麺がどうしてもくっつく、という場合は、使う麺を変えるか湯の量を増やしたほうがいい。
あと、うどんや蕎麦ではないのだから、茹でている間はこまめに菜箸などで回して撹拌する。最低でも1分に1度は。
麺を茹でている間に、市販のパスタソースを別鍋で温める。
自作のトマトソースや和風ソースなどを作ってあるならそれでもよい。

袋に書いてある2分前には鍋から引き上げる。
(フライパンを使って和えるタイプは3分前でもよい)
このときコップ1杯ぶんくらいの茹で汁をとっておく。

麺を皿に盛ってオリーブオイルを大さじ1から好きなだけ、回しかける。
上から茹で汁をかける。
少ないよりは多いくらいのほうがいい。
その上からソースをかける。
最後にコショウなどを軽くかける。
ペッパーミルがない場合は辛くなるだけで薄っぺらな香りしかしないので、なにもしない方がいい。

最初はぼりぼりとした歯応えが味わえる。
硬いのがイヤな人は茹ですぎたウドンでも食え。
アルデンテとはこのくらい硬いのだと僕は思うよ(口調が変)。

次第に適当な歯応えになってゆく。
ソースと麺の味も混ざって変わってゆく。
塩ゆでしただけの麺がちゃんと美味しいなら、このくらいのほうがいいんじゃないかと思う。
コショウは途中から振って、さらに飽きたらそこでチーズをかける、という食べ方もある。

最初からなんでも掛けまくるようなはしたない食べ方はどうかと思うよ。
蕎麦つゆにありとあらゆる薬味を入れて、わさびも溶きまくっちゃうような食べ方が好きな人は仕方ないけれど。

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世間の死生観が、やっと変わりつつある(変わらざるを得ない)段階に来たと僕は思う。
父上を弔った当時、家族葬なんて言葉はなくて密葬と呼ぶしかなかったし、散骨も珍しかった。

きっともっと変わるだろう。
人口が増え、高齢化が進行している現在、相対的に長寿と死の価値はますます下がる。
命の値段はその総数が増えるほど下がってゆく。
だから誰かが自分の命を高価にするためには、それを下支えするだけの担保が必要になる。
総数が少なかった頃は、そんな必要などなかったのに。

WHOの手引きなのか、酒とタバコはますます嫌われているが、誰が、何のために世界的な健康寿命を延ばしたがっているのかを考え始めてもいいのではないだろうか。

やがて安楽死を認めるようになるのではないだろうか。
(この国ではまだ無理かもしれないが、それでも、この国に必要な変化の1つだとは思う)
自我や記憶、統合的かつ高度な知的機能を失ってなお生きている人というのは、脳死さながらの生ける屍だからだ。

僕は幸い、他より早く死ぬ。

いくら今から薬を飲んでも(できる限り飲むようにはしているが)避けられないだろう。