しめっぽい話です。
毎年、この8月中旬になると、太平洋戦争(原爆・終戦)関連のドキュメンタリーやドラマが増えてきます。
私も、日中戦争から終戦時代までの勉強をあまり熱心に行っていないので、このような原爆や終戦の番組・記事については、このような今の時期に意識的に感じたり、注意して耳にしたりしています。
先ほども、NHKの番組で「特攻隊」の番組が放映されていました。
戦争末期に、特攻隊に出撃したり、自分の部下に出撃を命令した上司が、今でも無事にまだ生きて居られたり、最近まで生きておられた人の生の証言を、ドキュメンタリーなどの番組内でしみじみ回顧しながら語っているシーンもよく見られます。
今の時代からすれば、やはり想像を絶する経験をしておられていて、何十年経って再び話すのも辛いかもしれませんが、それでも、こういう話に限って、やはり経験した人間の言葉の重みが、テレビや映像を通して伝えられることの威力を思い知ります。
戦中のエリート軍部や特攻隊などは、戦時中は「神風日本」などと呼ばれて、途中まで多くの事情を知らされない日本人が「敵地粉砕」などと喚きながら喜んでいたと言います。
さながら、今で言うと「アベノミクス」=「神風日本」のようなものなのでしょうか?アベノミクスの危うさを感じ取ることができます。
しかし実際には、敵にダメージを与える程に成功していた例もあまり多くなく、既に比較的早い状況から敵軍の大反撃を喰らい、終戦間際には遠隔地や沖縄で悲惨な状況に陥っていったことも、あらゆる映画などで記録されています。
もちろん、国民に事実は隠され続けて、結局、首脳部は何も決められぬまま、大した決定打も打てずに、被弾・終戦にまで辿ってしまいました。(原発事故も同じですね)
日本の開戦から終戦にかけての日本人のメンタリティーは、極めて日本人らしい「曖昧」で「隠蔽」された情報をもとに、国民の「忍耐」と「従順」をもってして、最後は「玉砕」たらしめていったという切ない悲話がほとんどです。
当時の「日本ムラ社会」の権力追従と儚い郷愁を誘います・・・。
そして、終戦後には、軍人はもちろんのこと、特攻隊に行って命懸けで戦って、無事に帰ってきた人たちに対して、行きは日の丸や旭日旗を大手で振って応援で送り出した人たちが、生き残った帰還兵を酷いバッシングで罵り、村八分にしてしまうという、何ともいたたまれない苦い経験を語っていました。。
「なぜ、お前は玉砕しなかったのか?この非国民め!」とまで罵られたそうです。
その後、酷い中傷やバッシングを受けて辛い目に遭われた方々は、大変に追い詰められて、精神的にも救いを求めるために、仏教に入信したり、生まれ育ったムラを出家して僧侶になった方も結構居られたようです。
もちろん、命を絶ってしまったり、故郷から追い出されたりして、流浪の民になった方も居られることでしょう。
現代においては、リストラ(赤紙)を受けて、「不用だ」、「無能だ」、と酷いバッシングを受けて、都会の街や故郷を彷徨う今の時代のサラリーマン世界にも相通じる面があろうかと思います。
過去の時代に起きたことを、現代や未来に起こるであろうことに類推するという作業は、大変に辛い心の作業ではあります。しかし、これは日本人はやらなければならないことだろうとも思います。
日本人のメンタリティーは今でもあまり変わっていないと思います。軍部にあたる人、特攻隊で戻ってきた人、中傷やバッシングをする人々、これらが現代のどこの誰にあたるのか?これをよく考えながら、不安定な時代の推移をじっと見守る心を持つことも重要かもしれませんね。