日本国内では、よく自死とか犯罪とか起こした人に対して、
「それを引き起こした人の心はその本人しか分からない」
「外野があれこれ邪推するべきではない」
という意見が出ることがよくあります。
大きな事故が起きた場合も、直接的に起こした人に責任追及が行きやすいですが、組織や周囲の環境にまで深く言及するような報道がされることは少なく、表面的な議論だけで2~3ヶ月で収束すること多いです。
確かに人の心の内側に踏み込む行為というのは危うい行為でもあり、ネットの意見などで炎上してしまう事例も多発しているので、慎重に考えて発言を注意をしなければいけないのではありますが、何でもかんでも「犯人が悪い」、「本人しか真実は分からない」、「周囲が意見すべきではない」というのはちょっと思考が浅いというか、思考停止な部分があるように感じます。
犯罪心理学という「学問」もあるぐらいなので、ある人が何か大きなことを引き起こした場合には、その社会的な背景や生育環境、時代の流れや周囲との人間関係など、様々な観点をよく見つめる必要があります。
予想される原因と引き起こした結果の責任について、本当はもっと専門的な思考で十分に吟味がなされなければならないのですが、日本はあまりこういう議論の流れがきちんとはできません。(最後はウヤムヤに終わる)
日本の場合は特に心理面を扱う学問が非常に苦手であり、集団心理や周囲の感情に揺り動かされやすいという特徴があるように思います。(韓国もそうですが)
政治でも、テレビでも、新聞・雑誌でも、センセーショナルな部分での扇動的な発言は非常によく見られるのですが、ひとたび事件の熱気が冷めてしまうと、生じた結果やその責任問題についてはほとんど考慮・吟味もされずに話がいつのまにか終わってしまいます。
日本人は物事を深く考察するということが相当に苦手です。私が組織にいるときにもそう感じることが多々ありました。
日本では、何か大きな問題が起きても、原因をしっかり把握して対策を立てて、将来に向けて未然に防止策を講じるといった事前対策が奏功した経験が少ないと思います。
いつも何か起きてから慌てふためいて、センセーショナルに報じながらも、深く内省すること無くそのまま忘れてしまうといったことが繰り返されているように感じます。
「引き起こした本人しかわからない」、「深掘りはすべきではない」という否定形で終わる意見や議論というのは、多くは思考停止です。
世界でも日本でも、社会を取りまく様々な諸問題が引き起こされているとは思いますが、そのほとんどは国内では思考停止のまま、有効な対策が講じられることは少なく、有耶無耶のままで時間だけが過ぎていきます。
もし何か国内でその対策が事前になされているとしたら、その実現のために過去において相当な犠牲が伴った結果としてなされているいうことです。これは日本の過去からの一貫したやり方だと感じます。