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中央大学学友会体育連盟ラクロス部 Official Blog

中央大学学友会体育連盟ラクロス部です!
選手やスタッフの熱き想いを是非ご覧下さい!

このブログを書く数日前、ふと歴代BANDITSの先輩方のブログを読み漁っている自分がいた。
 
 
その中で、胸を打たれるブログに出会った。
現中大ラクロス部HC・26期新子さんのブログ「下手くそ」だ。
 
 
ポジションこそ違うが、このブログは自分のラクロス人生の核心を突いていた。
 
 
 
1年生の時、サマーはBチームだった。結果は予選敗退。その後ロングに転向したが、成果はでなかった。というか、成果が出るほどの練習をしていなかったから、そんなの当たり前だった。
 
 
当時の4年生が引退してから2カ月が過ぎたあたりで、当時のHCの諸星さんから
「響フェイスオフどう?向いてると思うよ‼」と累計5回ぐらい言われた(おそらく遠回しにディフェンスに向いていないとおっしゃっていた)。
 
 
フェイスオフなんて何が面白いのか分からなかったが、2月くらいにようやく自分が折れて、フェイスオフをやることになった。最初は全く勝てなかったけど、試合を重ねるうちになんとなく勝てるようになっていた。
 
 
「自分はフェイスオフなのでとりあえず手元勝てれば何とかなるか」という、クソほど安易な考えのまま。
 
 
 
時は過ぎ、気づけばBリーグはfinal4への進出を逃し、32期の代のリーグ戦も予選ブロック敗退という結果に終わっていた。33期の代へあっという間に変わった。
 
 
さすがに2024シーズンでTOPチームに入るならもっとフィールド上手くないとまずいなと思い、RED・WHITEの期間は手元の練習をすっぽかしてずっとフィールド練習に入った。知らないうちにフェイスオフの感覚が徐々に薄れていった。
少しばかりはこの期間でフィールドが上達したのかもしれない。
 
 
そしてこの場に及んでも俺は心の奥底で油断していた。
「まあ今年は4年のFOはたけちをさん1人だし、ボックス入るなら俺だな笑」って。
 
 
 
結果、春の最強決定戦は1回もTOPチームに呼ばれなかった。
 
 
意味が分からなかった、当時は。
フェイスオフの2枚目で入るなら俺しかいないと思っていただけに、めちゃくちゃ不貞腐れた。練習に行くのも億劫になった。こんだけ練習して評価されないなら辞めてやろうかとも思った。
 
 
 
だが、4年生の8月である今だからこそいえる。あの時なぜTOPチームに入れなかったのか。
 
 
「下手くそ」だからだ。3年FOの吉川響という選手はフィールドも中途半端で手元も弱い。だからTOPチームに呼ばれなかった。ただそれだけだった。
 
 
 
TOPチームは春の最強決定戦を戦う中、自分はCOMPANY(Bチーム)として活動するしかなかった。
 
 
悔しかった。本当に悔しかった。
 
 
でもやるしかなかった。フィールドはパスキャッチからGB、1on1まで、ありとあらゆるものを見直した。自分のなかで「臥薪嘗胆」という言葉を原動力に動いた。我武者羅にやり続けた。
 
 
武者にもたくさん行った。交通費も相当かかったが、行くたびに親に頭を下げた。「強くなるためにはどうしても必要なんだ」と。
 
 
武者先では上手い選手のFOをとにかく盗んでやろうと必死にもがいた。右手の小指から何度も血が噴き出たが、そんなこと関係なかった。
 
 
そして中立戦を2週間後に控えた2024年5月2日、トップチームへの招集がかかった。慈英がLINEで教えてくれた。
 
 
だが不安要素は残ったままだった。自分のスタイルが確立している訳でもないし、TOPチームで通用するかどうかは不安だった。
 
 
それでもやるしかなかった。
練習試合はチームに迷惑ばっかりかけていたけど、当時の塚田組は自分をTOPチームで使い続けてくれた。
この期間の経験値がなかったら、今自分はここまで成長できていなかった。
 
 
そして迎えた2024年度リーグ戦。初戦は落としたものの、第2戦の一橋戦に勝利し、下馬評をひっくり返したときは本当にうれしかった。



 

 
だが、目標としていた日本一はおろか、Final4にすら届かなかった。
 
 
第4戦の明治学院戦が終わった後、集合の時にひたすら泣いた。試合に負けた悔しさよりも、もう今年はFinal4にはいけないという喪失感、自分の無力さ、そういうものが全てこみ上げてきた。BANDITSに入ってから1番泣いた夜だった。
 
 
あれから1年が経った今、2025シーズンの幹部として最後の年を迎えている。
 
 
横田組開闢以来、ここまでの道のりは本当に苦しかった。
 
 
けが人は多いし
上手いやつは辞めるし
幹部をやめた奴は何人もいるし
春の最強決定戦は1回しか勝ててないし
練習試合も思うようにいかないし
リーグ戦も初戦を落としたし
寝坊してくる奴はいつまでたっても変わらない。
 
 
個人としても、今シーズンはフェイスオフの調子が悪い試合の方が多かった。まだ自分で納得のいくフェイスオフを試合で体現できていない。
勝つチームのフェイスオフができていない。
 
 
だが、どんな不利な状況が襲いかかってこようが、もう俺に残された時間は少ない。明日の明治戦はもちろん、必死に「引退」までの毎日を戦うしかない。




 
勝負の世界は本当に難しく、厳しく、残酷な世界だと思う。
 
けど、我々は「勝ち」という形でしか我々の証明ができない。
 
俺のことを応援してくれている人たちには、「勝ち」という結果でしか恩を返すことはできない。
 
だからこそ、必ず勝つ。俺がフェイスオフで勝たせる。勝つチームのフェイスオフを体現する。死ぬ気でポゼッションを取りに行く。
 
全ては我々を応援し、支えてくれている人のため。
 
必ず勝つ。
 
BORN TO WIN.
 
#33吉川響



 
 
P.S.
特定の人に向けたメッセージ
 
 
同期のFOerのみんな
武者でFO練のレストの時のたわいもない会話が意外と楽しかったり(笑)。フェイスオフもそれ以外のことも、たくさんのことをみんなから学びました。本当に感謝しかないです。ありがとう。
 
 
諸星さん
もろさんの助言が無ければ、今頃自分はディフェンスで路頭に迷っていました。あの時自分にフェイスオフを勧めていただき、本当にありがとうございました。必ず日本一になります。
 
 
桐蔭学園55期
普段は恥ずかしいから言わないけど、卒業してもこんなに仲良くできる集団はお前らだけだよ(笑)。オフの日に飯行ったり風呂パラ行ったり勉にゅできたことは良い息抜きになった、ありがとう。これからもよろしく。風パラmada??
 
 
教育学専攻51組
51組のみんなに出会わなかったら完全に大学で孤立して詰んでました。4年間本当にありがとう。是非ラストイヤーの吉川響を目に焼き付けてください。
 
 
34期TOPチームディフェンスとおぎちゃん
いつになったら坊主にするのかな?
 
りんちゃん
ちゃぶ、今シーズン最後まで頑張ろうね。
おでこの広さが一般人の3倍ある河内くんから回ってきました。グプタ学です。
「おでこが広いのか、それとも、、、」というのはさておき、手元でいえば関東トップ3を誇る彼なので、最近速くなった足を活かして、試合でのフェイスオフブレイクに期待大ですね。あと、中学校も近く、同じ水泳部出身ということもあり、勝手に親近感湧いてます笑。でも、河内だけ早期で受かったのは未だに謎です。

まず初めに、日頃より中央大学男子ラクロス部の活動にご支援・ご声援を頂いております、OB・OGの皆様、保護者の皆様、そして監督、ヘッドコーチ、社会人TRの皆様に厚く御礼申し上げます。

みんなに比べて、ラストブログに書くほどのラクロス人生を歩んできたわけでもないし、普段自分のことを誰かに伝えるのもあまり好きではないのですが、こういう機会でないと伝えることもないので、少しだけ書きます。
と言いつつも、まとめるのが下手で、少し長くなってしまったので、時間がある時に読んでもらえると幸いです。

ラストブログを書くにあたって、ラクロス部の4年間だけでなく、今までの人生を振り返ってみると、誰かに貢献してきたというよりも多方面に迷惑しかかけてこない人生だった。
特に、高校、大学と私立に通わせてもらった上に、大学では部活に入り、親には本当に迷惑をかけてきた。また、チームにおいても同じだ。4年生になっても、TOPチームで主力を張るわけでもなく、カンパニーでただオフェンスとしてチームに迷惑をかけているだけだった。
そんな迷惑しかかけてこなかったラクロス人生を改めて振り返ろうと思う。

自分はゴールデンウィーク明けに少し遅めに入部した。それも「日本一を目指したいから」とかではなく、その場のノリと中立戦をみて純粋にかっこいいと思ったからである。いざ始めてみると、今まで水泳をやっていたために、フィールド感覚がまるでなく、みんなに追いつくために必死だった。対人が始まるとフィジカルもないため、正直練習がしんどく、楽しくなかった。今考えれば、そんなのは言い訳でしかなく、できない理由を探しているだけだった。

そんなきついなって思いながら続けていた中、唯一「楽しい」って思えた場面があった。ウィンターに向けての大宮けんぽで行った日大との練習試合である。みんなは覚えていないかもしれないが、1on1をかけ、ホットを飛ばし、空いた中にパスを出し、俊介がゴールを決め、アシストをすることができた。得点を決めたわけではなく、たかがアシストだったが、そのアシストがとても嬉しかったのを今でも覚えている。初めてチームに貢献できたと思えた。それと同時にみんなはこういった場面を経験しているから、もっと自主練をしたり、一つ一つの練習に対して真摯に取り組んでいるんだなって思った。

しかし、その気持ちも長く続かず、気づけば惰性でラクロスを続け、ラストシーズンになっていた。
そんななか、前から言われていたプレイヤー以外のチームの貢献の仕方があるんじゃないかということを改めて言われ、特にじえいと俊介とこの件についてかなり話した。チームのことだからと話に付き合ってくれていたが、かなり巻き込んでしまい、時間を削ってくれたので、この2人には感謝してもしきれない。

その結果、自分はプレイヤーを引退した。

少し受け入れがたかったが、カンパニーに4年生にもなってのうのうとラクロスしている方が下級生の出場機会を奪い、チームに対して大きな迷惑をかけているので、この結果は当然のものだった。

しかし、急に違う環境に飛び込んだため、できないことも多く、また迷惑をかけてしまうのかと思ったけど、わからないことを丁寧に教えてくれたスタッフの方々やプレイヤーだったことを活かし、プレイヤー目線で色々考えるという自分なりの強みもでき、初めてチームに対して貢献できているのかなって少しだけ思うようになってきた。
p.s.プレイヤーのためを思っていつもボトルに氷をたくさん入れているので、氷泥棒とか言わずに少しだけ目を瞑ってくれると嬉しいです。笑



少し長くなってしまったが、この4年間は「楽しい」よりも「苦しい、しんどい」と思う方が圧倒的に多かった。ジムもあるし、夜はミーティングもあるし、周りのサークルに入ってる人のほうがはるかに楽しそうだったし、バイトは入らなすぎて後輩からは一瞬でなめられたりもした。だけど、部活動に入ってるからこその経験をたくさん得ることができた。この経験は間違いなく今後の人生の糧になると確信している。
そして、今なら心から言える”Banditsに入ってよかった”と。

『担保』

この言葉は4年間で1番口にした言葉だと思う。あと少しの間なにか一つでも多くこの部活のために自分自身が担保し、「担保ボーイ」として、できることは限られてるかもしれないけど、一つずつ自分なりに頑張って、チームに貢献したい。笑って引退できるように。

かっこよくタイトル回収しようとしたら、最後何いってるかわからなくなってしまったので、この辺で終わりにしようと思います。

最後にお世話になった方々へ

両親へ
冒頭でも書きましたが、高校、大学と私立に通わせてもらって、今もお金を吸い取ってしまってごめんなさい。社会人になったら、必ず返します。

34期へ
こんな自分でもここまで続けてこれたのは同期のみんながいたからだと思います。変なノリで過ごせるのもあと少しかと思うと寂しいです。あと、浪人比率が異常に高く、最初から馴染みやすかったです笑(ギャップイヤーも浪人と一緒だからね)




後輩たちへ
自分よりも遥かにラクロスがうまく、本当に頼もしい存在です。あと少しの間全力でサポートするので、自分が言うのもなんですが、TOPもカンパニーも34期を支えて、ファイナル4いや全学優勝しちゃってください。期待しかないです。


次は気合を入れて坊主にした1人、フェイスオファーの吉川くんです。FOリーダーとしてどんな時でもチームを鼓舞し続けてきた彼なら熱いブログを書いてくれるでしょう。乞うご期待!
「いつかはこない」
山あり谷ありのラクロス人生を送ってきた仲野くんから回ってきました。4年の河内です。ブルーシートの上でずっと怪我人トレーニングをしていたかと思えば、いつの間にかA Sとしてカンパニーチームを大いに支えてくれる存在になっていてびっくりです。残り少ない期間だけどこれからもスカウティングよろしく!!


初めに日頃より中央大学男子ラクロス部の活動にご支援・ご声援を頂いております、OB・OGの皆様、保護者の皆様、そして監督、ヘッドコーチ、社会人TRの皆様に厚く御礼申し上げます。
人生初めてのブログのため非常に拙い文章になってしまいますが暇な時にでも読んでいただけたら幸いです。



1年生の春、「なんとなく体を動かせればいい」という軽い気持ちでラクロス部に入部した。体育会ということもありスポーツのできる同期や経験豊富な先輩ばかりで、正直その熱量には圧倒されていた。ラクロスという競技のルールすらろくに知らない状態で始まった練習は期待と同時に不安も入り混じっていた。
1〜2か月が経つ頃、はっきりとした事実に気づいた。「自分はこのスポーツに向いていない」ということだ。動きの感覚、クロスワーク、どれをとっても周囲との差が明確だった。

当時のコーチは「ラクロスは最初の100時間が一番大切だ」と繰り返していた。しかし、その大切な時間を、私は本気で過ごすことができなかった。うまくいかないことを「苦手だから」と諦め、真剣に向き合う努力を避けてしまった。努力しない自分をどこかで許しながら、日々をやり過ごしていた。

向いていないなら辞めればいいと思うこともあった。しかし、辞める決断を下す勇気すらなかった。そうした自分を引きずりながら、練習だけは形だけこなす日々が続いた。
部室に行き、パンフィーで練習。そんな状態のまま、1年生の時間が過ぎていった。

転機は偶然見かけたラグビー場で練習する先輩たちの姿だった。フェイスオフという試合開始や得点後のリスタートでボールを奪い合う、特殊なポジションだった。フィールド全体を駆け回るのではなく、一瞬の勝負で役割を果たすその姿を見て、直感的に思った。これなら続けられるかもしれないと。
今まで水泳をやっていた自分にとってフェイスオフはスタートに似ていて馴染みやすかった。少しずつ勝てる場面も出てきて自信も芽生えた。
しかしその自信は、すぐに甘えに変わった。「フェイスオフさえやっていればいい」という考えに囚われ、ラクロスと向き合うことを避けてしまった。結果、2年、3年と経っても、1年生の頃と何も変わらない自分がいた。

33期が引退し、とうとう自分たちの代になった。部の中心として動く立場になれば、嫌でも変わるだろうと思っていた。しかし、その期待はあっけなく崩れた。
同期で集まり、ミーティングを重ね、学生コーチを決め、みんなが幹部としての役割を担う中で、自分は変化の一歩を踏み出せなかった。変わるための行動を先送りし、「いつか本気を出す日が来る」と自分に言い訳にすがり、時間だけが過ぎていった。

そんな中持田さんのトレーニング日に突然、自分の走るフォームを改善することになった。恥ずかしい気持ちもありながら渋々取り組んでみることにした。最初は半信半疑だったものの、努力するうちに段々と成果が現れるようになり、それまで逃げてきた努力と向き合って良かったと思える瞬間だった。それまでの自分から初めて変わったと思えた。

こうして学んだことは「『いつか』は永遠に来ない」ということ。
待っているだけでは、変化は訪れない。変わりたいなら、今、この瞬間から動き出さなければならないということ。頭ではわかっていたはずなのに自分はそれをギリギリまで実行できなかった。

それでも唯一続けることだけはやめなかった。どれだけ中途半端でも、4年間練習に参加し続けた。その結果、ありがたいことにAチームの一員として最後のシーズンを戦う機会を得た。これは自分に与えられた最後のチャンスなんだと思う。

「向き合う」ことを先送りにしてきた4年間だったからこそ、残りの時間は全力で向き合いたい。4年生になってもなかなか変われなかった自分がこれからどれだけ変われるかはわからない。それでもTOPチームとして選んでもらっている以上練習の1分1秒を大切にし、試合の1プレー1プレーに全力を注ぐ。T O Pチームの一員として、戦い抜く。それが仲間に対する責任であり、自分が4年間の最後にしなければならないことだと思う。

目前に控えた明治戦。絶対に勝とう。


次回はチームで一番国際色豊かなグプタくんです。個性の塊である彼が何を語るのか。乞うご期待!
Bandits1面白い金子くんから回ってきました。4年の仲野魁人です。金子くんとはジムで仲野スペシャルをやって上半身をでかくしたのがいい思い出です。金子くんは自分が1番ポジティブと言っていましたが、金子くんも自分に負けないくらいポジティブですよ?

自分のラクロス人生は薄いので、1年生から4年生にかけての素直な気持ちと出来事を書きたいと思います。文章力がなく、拙くつまらない文章になると思うので、暇な時に目を通してもらえれば幸いです。

まず初めに、日頃より中央大学男子ラクロス部の活動にご支援・ご声援を頂いております、OB・OGの皆様、保護者の皆様、そして監督、ヘッドコーチ、社会人TRの皆様に厚く御礼申し上げます。

部活を辞めようと思ったことは何度もある。

まず入部した理由として大学でも運動がしたかったから。体験会に行って楽しかったから。先輩に誘われたから。と言った軽い気持ちで入部を決めた。みんながどんな気持ちで入部を決めたかは知らないが、日本一になりたい!とか強い気持ちで入部を決めてはないことは確かだ。そんな自分が部活を辞めたいと思うことがあるのは必然だった。

まず最初に辞めたいと思ったのは1年の6月頃。みんなには言わず密かに思っていた。辞めたいと思った理由は単純。対人能力のなさに気づいたのと普通に朝起きるのがしんどかったから。入りたての頃はすごく楽しくやれていた。野球をやっていたおかげもあり、パスとシュートは上手くできた。だから、アフターもめちゃくちゃしたし、壁当てもほとんど毎日していた。しかし、防具が届き、対人練習が始まってからはきつく、つまらない日々が続いた。1on1では勝てないし、プッシュやチェックは痛いしでいいことなしだった。自分で言うのもあれだが、優しい性格な自分はチェックも強く打てず、どこかで手加減してしまうところがあった。その時、やっぱ自分はラクロスという競技は向いていないんだなと強く思った。それでも辞めなかったのはせっかく誘ってくれた増岡さんや濱田さん、蔵之介さんに申し訳なかったから。他にも自分が誘って入部してくれたのに自分が辞めてしまうのはなんか違うなって思ったから。

そんな思いを抱きつつ、毎日の練習や自主練を続けた。入部したての頃に比べて、自主練の量は減った。今日は疲れたからアフターに行かないで、友達と喋って終わるだけの授業に行こう。一応ラグには行くけど、ちょっと壁当てして、シュー練してあとはゴロゴロしてスマホ見るなり喋ったりするだけ。上手くなるわけがなかった。だから、サマーはBチームだったし、ウィンターまでもその生活や気持ちは変わらず、なんとなくで部活を続けていたからウィンターは出れなかった。自分は上手くないのはわかってたし、努力も怠ってたから悔しくはなかった。

そんな気持ちのまま新シーズンを迎えた。
新シーズン始まってからも対人やフィールド能力が苦手だったため、毎日の練習が苦痛だった。先輩や同期から指摘される毎日。1on1では抜けずにボコされる。なんで部活やってるんだろうって思いながら過ごした。
2年生の時はなんとなくで部活をしていたためなんの成長もなくシーズンが終わった。

流石に頑張らなきゃなと意気込んで新シーズンを迎えた矢先、ヘルニアが再発した。本当に絶望した。この期間は非常にしんどかった。一向に良くならない腰と毎日同じ筋トレとリハビリをする日々。長期オフ明けには心も体も限界を迎えていた。1月から2月にかけてはストレスで夜も眠れない程だった。普段ストレスをほとんど感じない自分からしたら初めての経験で、みんなには言わなかったけど地元の友達とかには何度も弱音を吐いていた。この期間は何度も辞めようと思っていた。でも「まだ治るかもしれない」、「部活を辞めて何が残る」と考えて続けていた。

そんなこんなで続けて今後どうしようかなと思った矢先に高橋さんとお話しをする機会があった。そこで、「他にチームに貢献する方法もあるんじゃない」と言われた。これまでの自分は自分のことしか考えておらず、チームに目を向けることがなかったからハッとさせられた。そこで、自分は他の道でチームに貢献しようと素直に思った。そこでは辞めようという選択肢は出てこなかった。たぶんここまで続けてきた部活を辞めるのはこれまでの大学生活が無駄になるし、みんなとの縁を切りたくなかったからだと思う。

転向して、あっという間にシーズンが終わり、自分達の代になった。ミーティングを何回か行い、最高学年としての自覚を持ち、もっと部活に向き合わなきゃいけないと感じた。まだまだ自分は甘い、貢献できてないと。そこからチームのために自分ができることは積極的にやった。プレイヤーが少しでも楽できるように。円滑に練習が回るように。ここまで自分は色々な選択をしてきたが、一個も間違ってなかったと思う。間違ってなかったと思えるよう、全力でこれからもサポートする!

Bリーグは泣いても笑ってもあと2戦。日体、東北に勝ってfinal4に行こう!そのためにサポート一生懸命頑張るから。今のカンパニーなら絶対に行ける!まずは日体戦!絶対勝とう!






最後にお世話になった人達へ

両親へ
これまで自分の好きなことを好きなだけやらせてくれて本当にありがとうございました!充実した人生を送れてるのは間違いなくお父さんお母さんのおかげです。これから少しずつ親孝行していきます。

34期へ
34期の独特な雰囲気とノリが好きです。自分は34期で本当に良かったと思います。トップもカンパニーも残り少ない期間頑張ろー!




カンパニーの人達へ
カンパニーの人達といる時間はすごく楽しかったです。あと少し全力でサポートします。今のカンパニーなら絶対final4いける!日体、東北戦勝とう!

もっくんへ
もっくんの熱量と努力はすごい自分の刺激になりました。いろいろ教えてくれてありがとう!本当に感謝しかないです。これからもいろいろとサポートします。


次は、最近急激に足が速くなった河内くんです。彼はチームにかかせないFOで、どの試合にも彼がいるイメージです。
そんな彼はどんなブログを書いてくれるのでしょうか。乞うご期待!
Banditsいちの異端児の藤沢くんから回ってきました。4年の金子賢信です。藤沢くんは僕が一年生の時サークル合宿に行き1週間部停になった時唯一優しく接してくれたため私はラクロス部に残ることができました。彼がいなかったらラクロス部を辞めて全く違う4年間を送っていたと思うと考え深いですね。

中学受験以来一切の勉強をせずここまで来てしまったため、とても変な文章になってしまうと思うので小学生の読書感想文を読む気分で読んでもらえたら幸いです。

本題に入る前に、この場をお借りして、中央大学男子ラクロス部に日頃より多大なご支援・ご声援をいただいている保護者の皆様、OB・OGの皆様、関係者の皆様に感謝申し上げます。

今でもはっきりと覚えている。2024年1月30日、私の膝が折れた。
人生で味わったことのない痛みと、靭帯が切れた音。
診断結果は右足前十字靭帯断裂と半月板損傷。
この日を境に、私のラクロス人生は大きく変わった。

2年生でAチームに上がり、関東ユースの選考会にも呼ばれた落ちたけど
Bリーグではチームで一番点を取った。
まあ順調なラクロス人生だと思っていた。
そんな矢先の怪我だった。そして、ここから怪我が止まらなくなった。

復帰して2ヶ月後には左足のハムストリングを肉離れし、
そのわずか1週間後に再受傷。心も体も限界だった。
プレーをやめようかと考えたし、
「もしあの時、膝を怪我していなければ、もっと上手くなれていたんじゃないか」 
そんな現実を見ようとしない弱い自分がいた。

でも、それではダメだと思う。
弱い自分を受け入れたうえで、殻を破り、ここから成長しなければいけない。
そうでなければ、何も残せないままラクロス部での活動を終えてしまう。
それは、これまでに努力してきた過去の自分に申し訳ないし、大学生活を振り返ったとき、きっと後悔が残る。

だから私は、殻を破る。
今の弱い金子賢信を受け入れ、新しい自分になり、点を決めてチームに貢献して結果を残す。
そして最後には、金子はすごい選手だったと周りに言わせられるような選手になり、
ラクロス部での活動を終えたい。





最後にお世話になった人たちに

両親へ
いつもサポートありがとう。就活も学業もどちらとも早く終わらせて安心させます。

同期へ
とても面白い人たちに会えて私は嬉しいです。こんなおかしな私を受け入れてくれるのは34期しかいないと思います。あの時、サークルに行かずに部活に残って本当によかったです。



カンパニストへ
今まで出会った中で1番面白い人たちです。今年はファイナル4目指せる実力があると思います。日体に勝ってファイナル4決めましょう


25TOPオフェンス
こんな不甲斐ない自分をTOPに挙げてくれてありたいです。今は1番下手だけどここから成長して多分最後は1番私が上手くなってると思います。あと残り少ない時間よろしくたのもい

自分の体
いつも労わってやれなくて申し訳ないです。あと少しでいいので元気でいて欲しいです。

次は、今まで会った人の中で1番ポジティブな人仲野くんです。彼に悪口を言ってもそれは彼にとっては褒め言葉になってしまうほどポジティブな解釈能力を持っています。彼のブログが私は期待大、佐藤大、平井大です。
元DFリーダーの一瀬くんから回ってきました。4年MFの藤沢凜です。彼は二年時からAチームに所属しているので一緒に練習した日数は少ないですが、ホームジムで過ごした時間は数え切れません。一瀬くんの鍛え抜かれた体は私と磯井と共に作り上げたものです。
試合がどんな展開になっても、下を向かず、パッションをたぎらせてチームを盛り上げてくれい!あと、なぜ私の紹介文は書いてくれなかったんですか?


もう自分がラストブログを書くということが信じられません。私の浅いラクロス人生と文章力では読み応えのあるものは書けないので、TikTokを見る時みたいに、脳みそを使わずに読んでいただけると幸いです。

本題に入る前に、この場をお借りして、中央大学男子ラクロス部に日頃より多大なご支援・ご声援をいただいている保護者の皆様、OB・OGの皆様、関係者の皆様に感謝申し上げます。




去年の4月頃、部活を辞めようと思っていた。シンプルに部活動がしんどく感じたり、ラクロスへのモチベーションも無かったり、理由は色々あった。しかし、辞めたいと強く思った一番の理由はチームにおいての自分の存在意義を感じられなかったから。部活動である以上、お遊びな気持ちではここには居られないし、そんな奴がチームに対する癌になることは知っていた。客観的に実力も人間性も伴っていない自分が今このラグビー場にいる意味って何だろう?このモチベーションで一年続けたとして、来年 大学を背負えるBanditsの一員になれるのか。2年間頑張れなかったから、companyにいるのにもう2年死にもの狂いで努力をできるのか。20年間それとない努力で物事を乗り越えてきて、それとない人間が出来上がってしまった。


下級生から上級生に立場が変わり、自分の今後のことやチームのことについてふと考えることが多くなった。もしかしたら子供から少し大人に成長したのかもしれない。
客観的にみても、主観的にみても自分はここで辞めるべきだ。
けど、2年間続けたものを辞めるというのは性に合わなかった。今までの2年が無駄になるのは嫌だったし、ここで辞めるのはただ逃げたいだけだっていう変なプライドもあった。それに、ここまで共に続けてきた同期との関係を切ることもしたくなかった。


そう悩んでいるうちに、辞めたがっているというのを聞いた33の先輩の何人か話を聞いてきた。先輩が辞めるのを止めようとしてくれるというのは心強かった。いつの間にか有光さんに強制的に壁当てを毎日送ることになり、だるって心の中では思っていたが、その時期は無理にでもラクロスに向き合えたし、おかげで一年頑張ろうと思えた。




新シーズンが始まって、結局自分はcompanyだった。悔しくはなかった。実力も努力も足りない、こんな人間がTOPチームには相応しくないことなんてわかりきっていたから。


学生コーチにも選ばれなかった。人間性も実力も足りなかったから。
でも、グプタと堀内みたいにプレイヤーを引退させられることはなかった。


じゃあ、そんな人間が何を求められてるのか。このチームにおける俺の存在意義はなんなのか。貴重な大学生活を捧げたこのBanditsというチームのために、中央大学男子ラクロス部として過ごした3年間を無駄にしないために、自分にできることは何なのか。

“companyで勝つこと、Bリーグで勝つこと”

それが残された責任だと思う。後輩に伝える何かを持ち合わせてる訳でもないし、関東一部リーグで戦う力を持っている訳でもない。でも、プレイヤーとして続けられているという自覚を持たなければ。プレイヤーで戦いたかったであろう学生コーチやマネージャーになった人達の分まで責任を果たす必要がある。カンパニープレイヤーの最上級生として、カンパニーの勝利を掴み取る。
また、個人の想いとしても、カンパニーで勝ちたい。この3年間何も成し遂げられなかったから、Bリーグとはいえ、FINAL4という高みに行きたい。




慶應に勝利して、驚愕した。FINAL4に行きたいとはいえ、この絶望的なブロックを見て、厳しいなと感じていた。この勝利を見て、このまま勝ち進んでFINAL4にいけるぞって思いが強まった。

早稲田に敗北して、悔しかった。数ヶ月前の練習試合では勝利していたのに。試合内容も完敗だった。

もう負けられない、FINAL4に行くために。
上手い選手はトップに上がって、前と比べてパニのメンバーはだいぶ減ってしまった。日体、東北に勝つためにはここが踏ん張りどころ。早稲田が成長して俺らに勝ったようにこの数週間で成長する。そのためにも、長い長い合宿頑張ろう!


目標達成のために、もうTOPもcompanyも負けられない。ラスト数ヶ月34期みんなで笑顔で引退するために、気合い入れてこー




最後にお世話になった方々へ

両親へ
高い部費だったり、一人暮らしの家賃だったり、もう成人しているというのにすねをかじりすぎてしまってすみません。楽しかったことも苦しかったことも多い、充実した大学生活になりました!これからも気ままに生きていくので迷惑をさらにかけるかもしれません。


34期へ
34期の独特なノリが、普通にツボで、面白くて、一緒に過ごした時間はめちゃくちゃ楽しかったです。
最近、TOPの人たちがみんな坊主にし始めてめちゃくちゃ気合い入れてるのが伝わってきてます。次の明治戦、赤い服着て死ぬ気で応援するから、絶対勝とう!!フォルツァバンディッツアーレ〜なんて歌わせないで、校歌歌わせて
あと玉井はグラボ拾え


パニの後輩たちへ
みんな素直で上昇志向ある人達ばっかりで、今後も僕みたいに腐らず頑張ってほしいです。
パニの雰囲気は居心地よくて、今年が一番ラクロスを楽しめています。OFはえいきの負担がでかいと思うので、後輩から支えて欲しいです、あと点もたくさんとってください。
いのうえとたけそうは来年どうなるか、勝負の年だと思うんで、まじ頑張れ!
次の日体、東北絶対に勝とう!



34パニへ
トレーニングとか練習とか文句言ってばっかの俺らだったけど、最後FINAL4いって俺らでも成し遂げられること示しましょう。
俺らで勝利に導こう!特にDFは34ばっかだし。
TOPチームが勝つためにもパニから勝って勢いづけていこー



次は、Banditsいちの問題児、金子君です。彼は昨シーズンのほとんどを怪我で過ごし、今年復帰したばかりです。問題児のように見えて実はラクロスに熱く、一年生のころには単位を捨てまくり、常にラグビー場にいたのがいい思い出です。
一体どんなブログを書くのか想像つきませんが、そうとう熱いブログだろうことはわかります。期待して待ちましょう!


3バカトリオの仲間でもある埼玉の荒くれイケメンから回ってきました。4年の一瀬翔太です。

彼の練習中にボソッと発する一言がいつも核心をついていて、誰よりも本当は仲間のことを見ている熱い男だと思っています。彼のラクロスに対する真摯さと肌の綺麗さには尊敬しています。そんな彼ですが、まさか文才もあると思わず、栗原の次なら安心して書けると思っていましたが、あそこまで読みやすく心に沁みる文章に内心焦りまくりです。(素でえぐい)


はじめに、保護者の皆様、ならびにOB・OG、関係者の皆様、平素より中央大学男子ラクロス部に対しましてご支援、ご声援を賜り誠にありがとうございます。
前回の彼と比べ拙い文章になってしまいましたが、私のラクロス人生を簡単に振り返らせていただきました。最後まで読んでいただけたら幸いです。



「責任」

1年生の頃、少し遅れて入部したが、高校時代のバスケ部で培ったステップがDFで評価され、すぐにスタメンを勝ち取れた。2年生になってもDF能力が評価され、Aチームからのスタートをきることができた。ここまでが私のラクロス人生で唯一順調な時だったと思う。




Aチームの練習では、自分が1番下手で苦しかったが、先輩たちの支えや、熱い想いを感じることで辛い日々ではなく、むしろこの一員であることが誇らしかった。そんな日々が続く中、私はリーグ戦期間中に多くの問題を起こしてしまい、最終戦ではAチームからBチームに降格し、自分だけユニフォームではなく赤バンを着て先輩たちの引退を見送った。後悔しかなかった。誰よりも先輩からの想いを受け取っていた自分がなぜベンチで応援しているのか、考えるだけで苦しかった。

3年生の時には、この失敗を掻き消すほどの活躍をし、誰よりも先輩たちの勝ちに貢献しようと決心した。春の大会では全試合スタメンで出場しチームの成長に貢献することができたと思う。リーグ戦でも後輩にスタメンを奪われた悔しさの中、ボックスメンバーとして途中から出場しても、勝ちに貢献できるように最善を尽くした。
当時の私は決心をしたことで、変わったんだと本気で思っていた。
そんな私の薄っぺらい決心など打ち砕かれる事件がおきた。

リーグ戦の「法政戦」だ。

勝てばfinal4に近づく大事な一戦、残り2分で増岡さんが逆転ゴールを決め、私を含め全員が勝利を確信していた。
その点が決まった後のFOブレイクで事件は起きた。
自分のマークマンは相手のエース。ハイテンションになっていた私はセオリーならもっと中のポジショニングをとり、ブレイク対応をするべき場面で、エースが必ず打ってくると確信し、ポジショニングをいつもより2歩外に取っていた。それが失点の原因になるとも知らずに。2歩外に立っていた私は突っ込んできた相手OFを食い止めることができず、ゴールを許し、勝ちを逃すことになった。その結果として、先輩たちはfinal 4に行けずに引退した。
 

また先輩達の想いに応えることができなかった。その日のことは今でも忘れられない。私の決心が自分のミスによって砕かれた瞬間を忘れられない。私はどうすればいいのか、勝つしかない、勝って先輩たちに届けるしない。先輩たちの後輩は日本一に届くまで強くなったと。

4年生最後のリーグ戦、色んな想いを抱きながら覚悟を持って挑んだ東大戦は惜しくも負けてしまった。まだ4戦ある。この4戦に全てを賭けて挑み、先輩たちからもらった想いに応えなければならない。その責任がある。




最後にお世話になった方々へ

両親へ

いつもお金を吸い取ってしまってすみません。
おかげさまで誰よりも充実した大学生活を送れました。社会人になったらお父さんが好きな釣り竿と日本酒をプレゼントしようと思うのでしばらく待っててください。長い学生生活を支えてくれてありがとうございました。まだまだ頑張ります。

同期へ

一緒にヒルトップで食べた昼飯や、文句を言いながらジムで食べた昼飯、練習が終わった後にたわいない話をする時間がとても楽しかったです。このメンバーだからこそ今の自分がいます。ありがとう。

一瀬先輩怖いと思っている後輩達へ

いつも練習中に怒っててすみません。
本当はみんなとわいわい楽しくやりたい。でも現状楽しくやっている余裕がないと思ってしまっていつも焦りで不機嫌です。練習外ではいつも笑っているので、安心してください。安心できない人は飲みにでもいきましょう。

TOP34ディフェンス陣へ
いつも主人公ムーブをかまして1番迷惑かけてしまっていると思います。本当にすみません。
飲みに誘っても頑なに行ってくれない人もいますが、このチームで1番信頼している5人です。愛しています。
今の中央DFはまだまだ強くなれると思うので、俺たちで後輩引っ張って爆発させましょう。



今年もラストブログの時期がやってきました。

トップバッターを務めさせていただきます、4年MF栗原孝晟です。

文章力に自信がないため、うまく伝わらない部分があるかもしれません。ご理解いただけると幸いです。


書き始めるにあたり、まずこの場をお借りして、中央大学男子ラクロス部に日頃より多大なご支援・ご声援をいただいている保護者の皆様、OB・OG の皆様、監督・コーチを含めた関係者の皆様に感謝申しあげます。


強みは、ランシュー


1年生の頃、31期の平井さんや芳野さんの華麗なランシューを目の当たりにし、「自分もああなりたい」と心から憧れた。でも、当時の私はそのシュートを打てるようになるための努力を怠っていた。

案の定、同期試合では一度も点を決められず、2年次もずっとBチームのまま。

理想と現実のギャップがあるのに、何も行動しなかった。



3年次、左のシュートを評価されて、ついにTopチームに昇格した。

24Banditsの初戦、対早稲田戦。

あの試合で初めて「爪痕を残せた」と感じた。試合後、増岡さんからかけられた言葉は今でも忘れられない。

「クリは俺とかぼんしょうの次に点を取ってほしい。クリにはそれができる。」

自分なら今シーズン、絶対に活躍できる。点を決められる。

そう過信していた。


だけど、現実は甘くなかった。シーズンを通しての結果はわずか1ゴール。

MFセットでは7、8枚目。

増岡さんの期待に応えられなかった悔しさは今も消えない。

点が取れない現実から目を背け、オフシーズンも特別な努力をせず、気づけば最強決定戦を迎えていた。OMFとして輝くつもりだったのに、SSDMとして出場。

1年生の頃に描いた「99番を着てOMFとしてリーグ戦を戦う」という夢は、遠く霞んでいた。心のなかで、諦めかけている自分がいた。



そんな時、じえいから「OMFに再転向してほしい」と言われた。じえいだけでなく、混士郎や俊介も「今のOFにクリが必要だ」と言ってくれた。あの言葉がなかったら、私はきっとSSDMのままだっただろう。


そのチャンスを無駄にしたくなかった。試合で結果を出すために、シュート練習に打ち込んだ。壁当てもやりまくった。

努力が少しずつ実を結び、ようやく結果が出始めた。

あの時の自分には想像もできなかった姿が、目の前に見えてきた。




今まで期待してくれた同期、先輩、後輩、そして自分自身のためにも、点を決めたい。


勝ちたい。


その想いを胸に、明日の東大戦は絶対に勝ち切る。

最後まで諦めず、全力で戦う。

#99 栗原孝晟





最後にお世話になった方々へ


両親へ

いつも支えてくれてありがとう。

お母さんのご飯のおかげで、大学入学時期から6cmも身長が伸びました。

本当にありがとう。

これから少しずつ恩返ししていきます。


同期へ

僕は34期で良かったと心から思っています。

よく分からないあだ名をつけてくる人がいたり、部内に流行語を広めるムードメーカーがいたりと個性豊かな代だと思います。

みんなとジムやラグで過ごした日々はかけがえのない宝物です。

34期で必ずBanditsを日本一に導こう!


後輩へ

僕を先輩として慕ってくれてありがとう。

尊敬の念があるのか定かですが、君たちとラクロスする日々は楽しいです。

リーグ戦勝って1日でも長く一緒にラクロスしよう!


Top34オフェンス陣へ

さっきも書いたけど、最後まで信じてくれたのは3人だけでした。

感謝しかありません。

リーグ戦で結果を残すことで、この恩を返せると思ってる。

最後まで戦い抜いて、笑顔で引退しよう。



次は、パッションキャラ?の一瀬くんです。彼はディフェンスの中心選手としてチームを引っ張ってくれています。

どんなパッションブログを書いてくれるのでしょうか。彼のブログに乞うご期待。


平素よりお世話になっております。メンターをやらせてあげたなどと生意気な発言をしてくる八幡くんから回ってきました、3年LMF飯田晄生と申します。彼はいつも生意気な後輩ですが、試合になると何かやってくれそうな期待感を抱いてしまう選手なので、リーグ戦でも期待しましょう。

まずはじめに、日頃より弊部に多大なるご支援をいただいておりますOB・OGの皆様、コーチの皆様、並びに保護者の皆様をはじめ、BANDITSに関わって下さる全ての皆様にこの場を借りて心より感謝申し上げます。

1年のサマー前以来のブログとなります。自分の思いのまま書いているのでまとまりなく、長く拙い文章になりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。


今シーズン初めての決起ブログなので私自身のこれまでのラクロス人生の振り返りと今後の意気込みを書いていきたいと思う。

昨シーズンの初め、私はオフェンスをしていた。カンパニーで10試合11得点とオフェンスとしてはなかなか良い結果を残してたと思う。だが、Aチームにあがった途端に自分の下手な部分が顕著に出て、中立戦後にSSDMに転向した。SSDMとしてクリアはある程度できていたが肝心のディフェンスが終わっていて、リーグ戦に全く出して貰えなかった。悔しさもかなりあったが、来年はリーグ戦出れるだろうという甘い気持ちのまま24シーズンを終えた。

25シーズンに入って、オフェンスとディフェンスの両方ができることが自分の強みだと思って、練習ではどちらにも入った。しかし、そこで今年はリーグ戦出れるからと自主練から逃げた自分がいた。その結果、オフェンスはクビになり、SSDMに逃げ、そこでもまた甘い考えが働き練習せず、カンパニーに落とされた。なんで自分だけと思ったが、完全に自業自得である。このまま今年も終わるのかと思っていたところにロングへの打診があった。また逃げになるんじゃないか、そう思って決めかねていた時に有光さんに相談し、「逃げか逃げじゃないかを決めるのは練習次第」と言われ、ロングになることを決断した。その日からほぼ毎日かかさず、チェック練やグラボ練、壁あてをした。その甲斐あってか、ロングになってから2ヶ月でAチームに上がることが出来た。素直に嬉しかった。



このままリーグ戦を迎えるのだが、まだまだ自分はロングの歴が浅い。それをなにかの言い訳にしたくない。というかリーグ戦ではそんなの関係ない。みんなが勝ちに向かって勝利を向かっていかないとリーグ戦という魔物には打ち勝つことが出来ない。絶対に目の前の相手を倒す。自分がチームを勝たせる。ただそれだけ。

続いてはとうとう始まるラストブログです。トップバッターはいつも大きなタッパーにちょっとのおかずとほとんどふりかけだけのご飯を持参している栗原点取れでお馴染み、栗原こうせいさんです。彼は最後に何を思って戦うのでしょう。乞うご期待!


35期 飯田 晄生

平素よりお世話になっております。
最近TOPチームの先輩方に散々煽られ、絡まれ罵られ、心身の限界がきた故、遂に彼女が欲しくなってしまった2年の八幡颯一郎です。

まず始めに、日頃よりラクロス部の活動にご支援いただいております御父母の皆様、OB、OGの皆様、関係者の皆様、そして監督、コーチ陣の皆様に厚く御礼申し上げます。

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リーグ戦なんて初めてだし、どんな雰囲気かも分からない。去年はスタンドでただ呆然と先輩のプレーを眺めてただけ。
1年生の頃からラクロスに手を抜いた事は無い。自主練も毎日やるのが当たり前だし、それを特別な事だと思ったこともない。
そんな自分の1番の武器は
"自分が下手くそであることを知ってる" 事だ。
恐らく1部リーグ戦で出場するOFのどの選手よりも下手くそな自信がある。
でもこれは決して、自己嫌悪とかネガティブな心情ではない。
身体能力も高い訳でも、ショットがめちゃくちゃ速い訳でもないただの凡才な自分。
だからこそ0から自分が何を積み上げてきたのかを知ってるし、それを発揮する術も知ってる。それが他の大学にも通用する事も知ってる。
そしてこんな下手くそに賭けてくれる先輩方の期待に応えたい。
でも2年生である自分が試合を変えるとか主役になるとかそんな事は恐らく出来ないと思う。
誰よりも泥臭く、貪欲に。
先輩の背中を押してあげれる後輩であろうと思います。


次の決起ブログは出会って初日で先輩としての威厳が消滅してしまった飯田こうしょう君です。彼の覇気の無さは随一ですが、試合になると謎に通る声でみんなを鼓舞する頼り甲斐のある先輩です。
彼の文学部としての才が発揮される決起ブログに期待しましょう。

36期 八幡颯一郎