「童話」のもつ霊性 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・スウェーデンボルグと童話作家 (松谷みよ子さん、松居友さん)

 

 ‟神話や伝説そして昔話(これらは性質の違いから同等に扱えないと思いますが)を取り上げる際に大切と思うことは、それらがスウェーデンボルグのいう「人間の最内部」に関わることではないか、という点です。長く語り継がれてきたのは、そこに永遠に変わらぬものが宿っているからではないでしょうか。

 実際に、いく人かの日本の童話作家がスウェーデンボルグに注目し始めています。日本の昔話や民話に関しては、松谷みよ子さんによる再話が今の時代に及ぼす役割は大変に大きいようです。一九九六年にNHK教育テレビで放映された「現代民話」の講座の中で、彼女はスウェーデンボルグの霊界思想に言及して、ひとりの文学者として「あの世の語り手たち」に素直に耳を傾けています。さらに、松居友さん(福音書店の元編集長)は、昔話の内側に見出す心の大きな宇宙像に注目し、人間の無意識というものはスウェーデンボルグのいう天界・霊界(霊たちの世界)・人間界(自然)という重層的な構造に照らしてみることができ、人間の自立というものはその無意識に働きかける昔話や宗教を通して、親から子に語られた普遍の真理によってなされてきた、と述べています。

 いま、おとなたちが語り継がれてきたお話に潜む普遍的な真実を少しでもつかんで生かすことができれば、これからの人間の豊かな生命を育てることが可能かも知れません。教育の現状は「パンを欲しがる自分の子に石を与える」ようなものかも知れません。それでも、子供たちはいつでも「本当のことが知りたい」と待っているような気がします。神様からいただいた幼子の柔らかな心には、神話や昔話のもつ構造や話形が自然なのです。主イエスが語られた譬え話をみれば、それはもっと明らかでしょう。

 何事も変化しないものはないはずなのに、それをただ形式ばかりを守って踏襲しようとするとき、聖言の真意は必ず内部から壊れていきます。これまでの歴史の中でも、人間の乱れた思考と情愛が素晴らしいお話の命を奪ってしまうという事実がたくさんあるようです。その中に愛の灯を燈してこそ生命が宿ります。私たちが今後そうしたお話の貴重な財産の中にいま一度自分を求め、安易な心理学に陥ったりせずに、心の現実を直視できるようになることを願っています。”(米田恵子『現代日本の児童文学者とスウェーデンボルグ』より) 

 

  (日本スウェーデンボルグ協会(JSA)編「スウェーデンボルグを読み解く」春風社より)

 

*このあとに、松谷みよ子さんと松居友さんのお二人が、具体的にスウェーデンボルグに言及された文章がいくつか引用されているのですが長くなるので省略させていただきます。お二人とも実際にスウェーデンボルグの著作を読んでおられ、昔話や童話を紹介、創作するにあたり、それらの持つ霊性、霊界とのつながりを意識しておられるようです。そして、このような意識を持つことは、子供たちに直接語りかける親たちにとっても必要なことのように思います。

 

 

・グリム童話とシュタイナー教育

 

 ‟グリム兄弟はドイツ・ロマン派の優れた詩人であり、そして言語学者でもありますが、その一人、ヴィルヘルム・グリムは次のように述べたことがあります。――「童話の世界はわれわれが現在失ってしまった超感覚的な能力で、かつて見ることのできた世界の名残(なごり)である。それはちょうど非常に美しい宝石の破片が、花や草の茂っている地面に落ちて埋もれてしまったようなものだ。自分たちは地面を覆っている草の根を分けて、その宝石の一片一片を取り出す作業を続けた。そしてその結果がこの童話集である」。グリムもまた、童話の世界に超感覚的な世界の名残がある、と感じていたのです。

 シュタイナーが、後の時代の人によって作り変えられた童話に批判的なのも、後世の人のイメージに合ったものに作り変えられた童話がグリムの言う超感覚的な世界ではなく、近代市民社会の意識にふさわしい世界を描いているからだといえます。だから子どもの心に訴えかけることが少ないのです。

 

 好んで脚色がなされて、残酷な部分が取り去られ、大人が聞いても子どもが聞いても、心にショックを受けずにすむような話に作り変えられた昔話がいろいろ出回っています。しかしそういう近代化されたものよりも、グリムが伝えたような、世界のいたるところにある童話や昔話を、幼稚園や小学校の先生が取り上げ、その根源的な内容を繰り返して子どもたちに話してあげることが、教育にとっては決定的に重要なのです。”

 

      (高橋巌「シュタイナー教育の方法 子どもに則した教育」角川選書より)

 

*残念ながら昔話や童話のみならず、今やあらゆるものすべてが近代思想、ポリティカルコレクトネスとやらによって禁止されたり改竄されたりしています。シュタイナーによれば、悪魔アーリマンは主として唯物論を通じて人類を破滅へ導こうとするのであり、特に子どもがターゲットにされるようです。20年以上前に「政治的に正しいおとぎ話」とかいう皮肉を込めて書かれた本が出版され、皆面白がって結構話題になったのですが、事態は遥かに進行し、もはやこの流れを止めることは困難になってしまいました。ですが今はまだ本来のままの神話、昔話、童話などが存在しておりますので、どうかしてそれらを大切に伝えてきたいと思います。

 

 

 “出口聖師は男女の同権は明治の時代から主張されていた。実にその時代から云えば進歩主義者であって、社会には容れられないものであった。しかし同権は同権でも、性別を同一視されたものではない。性別のあるところ、かんながらに天職使命のあることを主張されたのである。そのことについて詳細に知りたいと尋ねると最後には必ず、

 

 「創造の真因に基ずくのじゃ」

 

と創造の始めよりの真と愛の原因から説明された。同権の意味も、真と善の価値比重の同一であるところから説かれるのであって、近代思想に基ずくものではなかった。

 

 「思想というものが創造原理に基ずくものであれば、その思想は永遠の生命があるが、時代的に人間が考え出したものであれば、それは一時的である。またその思想が如何にも真理であるように見えていても神意に反しているものなら宗教者は排除しなくてはならない」

 

 「いろいろの思想を研究せよというのも、その思想が神意に反しているか、真因に即しているかを研究せよというので、思想そのものを研究せよというのじゃない。宗教に来ていて他の思想を研究するなんてどうかしている。宗教は、どの思想は良い、どの思想は悪いと、神意によって批判し、人類を神意に添わしめるように指導するものが宗教だ」

 

 現代社会の思想を宗教者が立別け、神が表に現れるように教化育成しなくてはならない。宗教者が思想に溺れて、自己を失ってはなんにもならないというのが出口聖師の主張であった。”

 

     (「おほもと」昭和32年8月号 大国以都雄『出口聖師と現代社会』より)

 

 

 “本章では、共時性の元型的な基盤について検討したい。元型的な基盤とは、神話上のモデルのことである。神話は人間の生に方向づけを与える。自我は、遠い昔はもちろんのこと、今現在に至っても、元型から生み出された何らかの神話に同一化して生きている。たとえ、そうと気づいていなくても、事実はそうである。

 同一化できる神話がないと、自我は脆弱で不安定である。しかし、活性化された元型の動き、つまり神話に乗っかれば、かなりの程度やっていけるのだ。たとえば、思春期には「永遠の少年(プエル・エテルヌス)」という元型が活性化される。蠟でくっつけた翼で太陽へと飛翔し墜落するイカロスの物語などを典型的活動パターンとする元型である。思春期の子どもは、この元型の神話に同一化することで、おとなになる直前の不安定な時期を乗りきることができる。”

 

 (老松克博「共時性の深層 ユング心理学が開く霊性への扉」コスモス・ライブラリーより)

(Wikipediaより「グリム童話」第1巻(第2版)タイトルページとルートヴィヒ・グリムによる口絵(「兄と妹」))