「並木さんの講演」と「対談」と「天外さんの解説」の3部で構成されている。2019年11月初版。
【自分とつながる】
並木 自分につながるためには何が必要かわかりますか? 人のことを放っとくんです。普段、常に自分の意識が外を向いているのに気づいていますか? 「えっ、あの人あんなことやってる」「どうしてあの人ってこうなんだろう」ってね。これをやっていると、あなたは自分につながることはできません。当たり前ですよね、外に意識を向けているんですから。
あなたは自分だけに集中することで、本来の自分につながることができます。(p.26)
瞑想は、雑念を排除して意識を一つのことに集中し、その上で見えてくる様相を観ずる行法で、自分につながる方法といえる。しかし、並木さんが言っているのは、瞑想ではなく日常生活における意識の向け方。
語られているいくつもの具体例が面白いから笑いながら読めるけれど、経済的苦境にある人は常におカネのことで頭がいっぱいで、自分につながるどころではないだろう。そういう人のために、どうすればいいかも書かれてはいるけれど、カチンコチンの地球人頭では理解し難いかもしれない。
【目を醒ましていくというのは・・・】
並木 目を醒ましていくというのは、ある意味クレイジーになることなんです。だってあなたは常識の枠を超えていくんだよ。目を醒ましていくというのは、常識の枠から抜けていくんですよ。逆に眠るっていうのは、常識の枠の中に入っていくってことなんです。だから、そりゃあクレイジーって言われるわけですよ。もうね、すごい言われますよ、「大変人」って(笑)。(p.39)
並木さんは「大変人」と表現し、松久正(ドクター🐬)さんは「ヘンタイ」と表現している。意図しているのは、どちらも「常識に囚われているようでは、目を醒ませない」 ということ。
《参照》 『令和のDNA 0=∞医学』 松久正 (ヒカルランド)
【私は突拍子もないことを言う変態?】
並木 眠りという制限の中にいるときは、常に調和を保つために、周りを意識し、本心を隠して生きることになります。他の人がいることだし・・・この人は怖いし・・・本当は違うと思うけど、ここで本心を言えば波風が立つし・・・自分さえ我慢すれば、この場は収まるし・・・。言っている意味わかります? この眠りの生き方をしているとき、ぼくたちは本当の自分からズレ、本来の自分を生きてはいないのです。(p.39)
海外からの視点で日本を学べば 「日本の常識は、世界の非常識」 という表現にしばしば遭遇するけれど、スピリチュアルを学んだのなら、「地球人の常識は、宇宙人の非常識」であることに気づいていてしかるべき。
《参照》 『22を超えてゆけ』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット)
【地球との音程のズレ】
《参照》 『地球人革命』 松久正 (ナチュラルスピリット) 《前編》
【地球社会で築かれてきた「常識」と「概念」で生きてはダメ】
【社会共通の認識様式を手放す】
天外 社会共通の認識様式を手放すことを、般若心経では「遠離一切顛倒夢想(ひっくり返った夢のような認識から一切離れる)」といっています。究極は、肉体という革袋の中が自分なのではなく、宇宙全体が自分だという「無分別智」です。(p.123)
【無分別智】
天外 2年前に『無分別智医療の時代へ』(内外出版社)という本を書いたんです。・・・(中略)・・・。その「無分別智」というのが、究極の統合なんです。・・・(中略)・・・。並木さんが語っていたのが、じつは学問的に言うと「無分別智」ということなんですよね。で、これは「般若」と同じ意味。般若心経の般若。(p.65)
並木さんの話は、常に「統合」というキーワードを巡る表現になっているのだけれど、天外さんは、その話の内容こそが「無分別智」であり「般若」だと言っている。
「分別智」は、分別することで得られる智慧だから「分別智」。左脳系。
「無分別智」は、分別しないで得られる智慧だから「無分別智」。右脳系。
地球生命圏は二元性の世界。故に、プラスとマイナス、男と女、自分と他人のように、常に陰陽二元で成り立っているから、どうしても分別智仕様のパターンになってしまう。 並木さんが表現している“統合”とは、切り口を変えて表現すれば、“二元性の統合”に他ならず、それは「分別智」から「無分別智」への移行に他ならない。
天外 学問というのは、じつは分離なんだよね。科学も分離なんだよ。それで、いまこの分離の言葉で統合を語ろうとしている。これが大変なの。
じつは老子が言っているタオ(道)、これも同じこと。老子の『道徳経』の中に、「語り得るタオは、タオそのものではない」と。「名付け得る名は、名そのものではない」と。 (p.66)
禅ではそれを「不立文字」と表現している。
《参照》 『ブとタのあいだ』 小泉吉宏 (メディアファクトリー)
【わかったと思ったとき】
【名前のコレクション】
こういう学問的なというか左脳的な説明は、女性や若い世代には全く受けないだろう。天外さんはトランスパーソナル心理学を読みこなしてご自分で体系化されているような左脳系世代の方だけれど、それらを読んでいた頃のチャンちゃんは、ウンザリ感に薙ぎ倒されて学びは殆どなかったとすら思っている。有意義と思える学びを得だしたのは、坂本政道さんの体外離脱体験をそのまま記述した著作だったのである。その事は、下記リンクにも書いている。
《参照》 『人は、はるか銀河を越えて』 坂本政道 (講談社)
【価値観の大転換】
【モンスターにエネルギー】
天外 並木さんがいう「眠っている人生」のひとつのパターンが「戦う人生」なのです。戦いの結果、社会的に成功を収めても、モンスターのエネルギーに駆動されているので、「怖れと不安」はなくならず、さらなる戦いに駆り立てられる、という人生を歩むことになります。
よくボクシングなどで、「ハングリー精神」という言葉が使われますよね。幼少期につらい人生を歩んでいる人の方が戦いに強い、という意味です。これは、幼少期の葛藤で強力なモンスターが育っており、それを上手に戦いのエネルギーに昇華している、ということです。
『天外塾』では、15年にわたって多くの経営者と接してきましたが、ほとんどがモンスターのエネルギーを使って「戦いの経営」を実行しておられます。
モンスターは否定的なエネルギーなので、自己否定などの源でもあります。モンスターに押しつぶされて、鬱になったり、引きこもったり、「後ろ向きの人生」になることもあります。これも「眠っている人生」のひとつのパターンでしょう。(p.110-111)
モンスターのエネルギーを使って「戦う人生」や「後ろ向きの人生」をやっている人はかなり多いだろう。そのような人たちに「あなたは“眠っている人生”を歩んでいますね」と言っても、「バカ言ってんじゃないよ」の一言で、深く深く眠り続けることだろう。
【モンスターと真我】
天外 モンスターが大暴れして「眠りの人生」「戦いの人生」「後ろ向きの人生」を歩んでいるいる間は、「真我」は眠っています。モンスターがおとなしくなってくると、少しづつ「真我」が目を覚ましてきます。
いままで、モンスターのエネルギーを推進力にしてきた人生から、「真我」のエネルギーを使えるようになることが「目覚め」なのです。(p.113-114)
「真我」とは、ユングの「神々の萌芽=無意識の奥底に眠っている聖なる存在」、ヒンズー教の「アートマン=真我」、仏教の「仏性」であり、この真我の基本特性は「無条件の愛」もしくは「アガペー(神々の愛)」であると、天外さんは書いている。
【集合的一般常識】
天外 日本社会とアメリカ社会も、細かく見ていくと認識様式が違います。たとえば、22口径のピストルで撃たれた時、アメリカでは頭か心臓に当たらない限り、まず死にませんが、日本では結構死ぬそうです。これを私は、「集合的一般常識」という概念で説明しています。ピストルで撃たれると死ぬ、という常識が現実化してしまうのです。(p.120)
ゾンビ界の「集合的一般常識」は、「ピストルで撃たれても、屁の河童」。
【1969年のウッドストック】
「人類の寝覚め」を説く人は、1960年代のカウンターカルチャーの頃からきわめて大勢おりました。人類が霊性に目覚めてゆく時代が来ることを、当時は「アクエリアス(水瓶座)革命」と呼んでいました。(p.128)
《参照》 『占星術』 西山華耶 (現代書館) 《後編》
【アクエリアスの時代】
1969年8月にアメリカのウッドストックで行われた音楽祭には、40万人の若者が集まり、まさに夜明けが来た、と多くの人が思いました。ところが、その熱気はいつのまにか下火になり、人類社会は再び深い眠りの中に入っていきました。
1976年に大ヒットしたイーグルスの曲『ホテルカリフォルニア(Hotel California)』は、その絶望感を歌っているように思います。歌詞の中に、
We haven’t had that spirit here since 1969
1969年以来、ここにはスピリット(“霊”という意味と“飲み物”という意味を掛け合わせている)を置いていない。
とあるのは、明らかにウッドストックのことでしょう。(p.128-129)
へぇ~、『ホテル・カリフォルニア』 の歌詞に、そこまでの意味があったとは・・・。
そもそもチャンちゃんは、ウッドストックって単なるフォークソングの祭典だと思ってた。
しかし、ウッドストックが天外さんが書いている通りだとすれば、イーグルスの 『ホテルカリフォルニア』 は、確かに 「人類を永遠に目覚めさせない刑務所」 として作詞されていたと言える。だって、この歌詞のクロージングセンテンスは、下記リンクに書き出しているけれど、まさに but you can never leave. なんだから!
【レベル2:ホテル・カリフォルニア】
【実存的変容】
天外 「実存的変容」というのは「悟り」に比べると、はるかに手前の段階です。
また、社会的な倫理性ともまったく関係ありません。「こうあってはいけない」と自分から切り離して、無意識レベルにシャドーとして追いやっていた衝動や部分人格を統合した状態であり、善良な社会人の枠からは、むしろ出てきてしまいます。
並木さんの言葉を借りると、他人の目や社会の評価を気にせずに「自分軸」で生きていくということです。
たとえば、永年、良妻賢母で通ってきた人が、突然若い男に狂ったとします。当然、社会倫理に反しますので、社会からは糾弾されますね。家族や親せき、友人からも非難されるでしょう。でもその人は、良妻賢母という自ら作った足枷から離れて「自分軸」で生き始めたわけであり、「実存的変容」を起こした可能性があります。
但し、もしその人が激しい恋愛感情に翻弄されたとしたら、「実存的変容」とはいってもまだ入り口付近でしょう。「実存的変容」が進むと、恋愛ももっと静かな淡々とした感じになります。(p.130-131)
「実存的変容」に達すると、独占欲や嫉妬が少なくなってくるので、相手が他の異性と付き合っていても、さほど気にならなくなるでしょう。
また「実存的変容」に達すると、愛は「性愛」と「執着的な愛」だけではなく、普遍的な「真我の愛」、つまり「無条件の愛」の比率が高くなってきます。(p.137)
個の側面から「実存的変容」を語ればこうなるんだろうけど、「性」に絡んだ場合、現在の地球社会の在り方自体が宇宙のリズムからズレてしまっているのだから、地球の周波数が上昇しつつあるとはいえ、個の「実存的変容」はそれほど容易ではない。
《参照》 『タオ・コード』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
【 “性” の “質と次元” 】
【M老人が語ったこと】
普遍的な「真我の愛」、「無条件の愛」の比率は、アナハタ・チャクラの覚醒度次第。
<了>
天外伺朗・著の読書記録