科学者の保江先生が著すスピリチュアル本は、どれも実体験に基づいた記述が、とてつもなく面白いし興味深いのだけれど、深からず、狭からず、わかりやすい記述に満ちているこの本は、スピ好きのみならず、一般の人が読んでも、入り込みやすい内容になっているだろう。

 「縄文ゲート」とは、「あの世とこの世の間にある壁(境目)のこと」(p.3) と説明されているけれど、「内なる霊性」と言い換えたほうがむしろ分かりやすい。2019年8月初版。

 

 

【縄文人のルーツ】

 金星から地球のレムリア大陸に降り立ったとき、彼らはまだ肉体に入りきっておらず、霊体のほうが主でした。いわば霞のような状態です。・・・(中略)・・・。

 やがて、レムリア大陸は1万2000年ほど前に天変地異によって水没します。その際、ほとんどの人が金星に戻ったのですが、・・・(中略)・・・一部の人たちは地球に残ることを選択しました。

 ちょうどそのころ、富士山が大噴火を起こしていて、・・・(中略)・・・「あれは火山に違いない。あそこには大地がある」と見抜き、新天地を求めて日本列島を目指したのです。それが縄文の祖先たちにあたります。

 レムリアからやってきた人たちは、最初は沖縄に入って、徐々に日本列島を北上していきました。そして、日本列島で縄文文明を築いていったのです。

 実は、僕自身、このときのことを、前世記憶としてよく覚えています。(p.17-18)

 スピリチュアルに興味がある日本人は、おおかたレムリア(=ムー)が日本人の故郷であることを感じていると思うけれど、その過程を直接に記述していた本は、下記リンク以外、あまり読んだ記憶がない。

   《参照》  『大和物語 第1巻 アマテラスのメッセージ』 山内光雲 (たま出版)

当時のレムリア人の特質に関して、本書と同じことが下記リンクに書かれている。

   《参照》  『レムリアの真実』 オレリア・ルイーズ・ジョーンズ (太陽出版) 《前編》

                         【レムリア人】

  オレリア・ルイーズ・ジョーンズ・著の “レムリア本” 読書記録

     『レムリアの真実』  

     『新しいレムリア』  

     『レムリアの叡智』

 

 

【レムリアの女王】

 レムリア大陸が水没する際、女王は責任を感じて地球に残ろうとしたのですが、僕が彼女を説得し、金星に返しました。

 ぼくはそのときこのとを懐古するたびに、「あのあと、女王はどうなったのかな」と思っていました。

 ですが、・・・(中略)・・・。今生、男性として日本に生まれついた女王と再会する機会があったのです。(p.18-19)

 その人って、下記リンクの著者さんだけど、パープリン星から来たチャンちゃんは、「えぇ~、太い丸太ん棒みたいな自称ヘンタイのオッサンで、こんなのが女王? ありえな~~い。ちゅうか憮然」 と思うのだけれど、綺麗な女性に目がない保江先生が、うっかりミッションを忘れないように、今回はそんな男性として生まれて来たんだろう。

  《参照》  『菊理姫神降臨なり』 松久正 (ヒカルランド)

           【「パパ」と「王子」と「第一の付き人」】

 

 

【縄文人の霊体と水の関係性】

 霊体と肉体の大きな違いのひとつは、霊体は霞のように自由に姿を変えられるところです。

 たとえば、古今東西、幽霊はよく霧のなかに出てきますが、そのわけは、霊体は水(湿気)を媒介にしているからだといえます。・・・(中略)・・・。媒介する物質が水である理由は、水には情報を記憶(転写)できる働きがあるからです。(p.21)

 海外に何度か行ったことがある人なら、日本が湿度の高い国であることは良く分かるだろう。このような湿度環境は、日本人のウエットな気質をも生んでいて、龍神が多く住む国であることにも関係している。

 「縄文ゲート」が開く「水瓶座(アクウェーリアス)の時代」は、文字通り「水」が中心になる時代。 「水」は、「霊的な人生」と「有機のAI」をつなぐ“鍵”である。

   《参照》   『覚醒への道』 サアラ (徳間書店) 《後編》

             【人工知能のもとは、プラズマ=水】

             【水の世界】

             【「霊的な人生」と「水」】

             【 無機のAI と 有機のAI 】

 

 

【魂を込めた(霊性による)物作り】

 物づくりの原点は、物質的なものではなく、あくまで霊的想念(霊性)と大いなる自然力が結合した賜物であって、人間のエゴや傲慢さで物質をコントロールしてはいけないところにあります。

 僕はこうした日本人の魂を込めた物づくりを見るたびに、縄文人から受け継いだ霊性を感じるのです。(p.30)

   《参照》  『人を見たら神様と思え』 保江邦夫 (風雲舎) 《前編》

           【日本の職人のすごさは・・・】

 同じ素材を使って、同じものを、日本人と外国人と機械がつくったとして、高次元でも崩壊することなく維持されるのは、日本人が作った物になる。何故なら、物性より繊細な周波数帯である霊性によって空間(隙間)が満たされているから。

 目に見える物質のみの例えでいうなら、自然石で石垣を積む場合であっても、同じ大きさの石だけで積んだものより、それより小さなサイズの石も使い、それらで隙間を埋めていれば(専門用語でいえば「クラスター化が進んでいる=粒度組成がよい」)、安定したものになり、崩れないのと同じことである。

   《参照》  『藍の書』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット) 《3/4》

            【次元を超えて存在し得るもの】

 

 

【輪廻転生のループから出られない理由】

 こうして、縄文ゲートが閉じてしまった現代人の大半は、本来は霊体と肉体の複合体である自分のことを、「人間は肉体だけの存在だ」「あの世、天国なんて存在しない」「物やお金さえあれば幸せだ」などと思い込んでしまったのです。

 このかたくなな思い込みが、地球上で繰り返される輪廻転生というループにはまって抜けられない理由です。(p.40)

 「進化とは、意識の進化」に他ならず、物性(物質・低次元)から霊性(非物質・高次元)へと向かう意識のベクトルに沿う場合のみを進化と言う。

 「物質としての存在のみ」という固定化した意識を持ち続ける限り、進化は不可能であり、輪廻転生というループを出られない。

 今どきの仏教が、六道輪廻などといまだに言っているのかどうか知らないけれど、カルマ(悪業)故に輪廻転生のループを出られないという考え方は、「縄文ゲート」が完全に閉じていた時代にあっては学びとして有意義だっただろう。しかし、「縄文ゲート」が開きつつある現代の地球環境下では、より高い視点から輪廻転生を俯瞰できるので、カルマ論は必ずしも相応しくない。宇宙の本質である「愛」をどう解釈するのか、咀嚼の深化が進化を定めるだろう。

 物性と霊性というに分類に関して、哲学には、「唯物論」と「唯心論」という近似区分があるけれど、「唯心論」と表現するより「唯霊論」と言ってしまった方が、「唯物論」から見たらより対極的で、日本文化の根幹を語るのにも相応しいだろうと思っている。

   《参照》  『ハーバードでいちばん人気の国・日本』 佐藤智恵 (PHP新書) 《前編》

           【仕事の価値を定めるマインドセットの最終基盤】

 縄文人は、霊体が主だったからこそ、自分たちも宇宙(神様)の一部として生きていられたのです。

 これが、1万年以上もの長い間、彼らが愛と調和に基づく理想社会を形成し、維持できていた理由です。(p.41)

 

 

【祝之(はふりの)神事=ハトホルの秘儀】

 僕が授けられた祝之神事は、皇太子が即位する際、「現人神」となるために受ける儀式のことで、明治天皇以降、この秘儀は途絶えてしまったとされていました。

 ところが、それを陰ながらずっと継承していたのがその巫女様だったのです。

 巫女様によると、たとえ皇室で継承できなくなっても、時代精神が求める人物が継承すればこの秘儀は失われることはないとのことで、そこでなぜかこの僕に白羽の矢がたったというわけです。・・・(中略)・・・。

 その後、巫女様の後押しを受けて、ギザの大ピラミッドの王の間で祝之神事を執り行うことになり、そこでわかったのは、この祝之神事は6000年前の古代エジプトで行われていた「ハトホルの秘儀」そのものだったということです。

 ハトホルの秘儀とは、ハトホルの女神に関連する通過儀式で、紀元20年ごろ、青年イエスが当時エジプトの神官に使える巫女だったマグダラのマリアと霊的融合をはかることによって、イエスを救世主として覚醒させた秘儀です。(p.61-63)

   《参照》  『予定調和から連鎖調和へ』 保江邦夫 (風雲社) 《前編》

           【『マリアによる福音書』にあるハトホルの秘儀】

 ハトホルの女神によって日本に引き継がれた祝之神事が、皇太子が即位する際の秘儀として伝えられていたということは、それによって日本の祭祀王として霊力を賜るということであり、祝之神事を受けられた天皇には日本の平安を守るお役目があるということです。(p.63)

 別の箇所には、以下のように記述されている。

 この祝之神事の奥義こそ、この本で述べている内容をすべて貫いている、縄文ゲートを開く基本原理です。(p.147)

 ということは、表紙の横帯に書かれているように、本書の巻末に「とじこみ付録」で付けられている「縄文の秘儀」は、このことだろうと推測できる。

 

 

【坂上田村麻呂とアラハバキの末裔たち】

 大和朝廷から指令を受けた征夷大将軍の坂上田村麻呂が東北に攻め入った際、現地のアラハバキ系の人たちが争いを好まないことを知った田村麻呂は、そこで一案を講じました。

 まず、アラハバキの聖地である十和田湖近くの場所を制圧することで、彼らの霊力を抑える。

 次に、朝廷の命令通りに彼らを成敗して根絶やしにするのではなく、自分たちの家来として迎え入れることによって、アラハバキの末裔たちの根絶を防いだのです。

 なぜそのような平和的な解決がなされたのかというと、田村麻呂はレムリア―縄文の叡智の流れをくむ陰陽師だったからです。(p.64)

 安倍晴明で知られる「安倍」という名字の家系は、すべてレムリア―縄文の叡智を受継いでいると書かれている。

 アラハバキの血を引く女性たちは、日本の霊力を維持するために宮中祭祀にかかわり、同族たちによって皇室の周囲を固めていき、それが古神道や陰陽道へと引き継がれていきました。

 つまり、天皇家の祭祀にかかわり、それによって日本人の霊性を守る役を担ってきたのが、アラハバキの血を引く陰陽師たちだったのです。(p.65)

 ここにあるような、霊的血統を保ちつつ、日本の霊力を保持してきた巫女さんたちのことは、アマミカムイさんの著作にも(特に『日本の神々と天皇家のルーツ』)、詳しく記述されている。

  アマミカムイ(天無神人・吉岡学)著の読書記録

     『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』

     『日本の神々と天皇家のルーツ』 

     『白龍の神導き』

 

 

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