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 スピ系読者にとっては興味深いであろう、いろんなことが記述されている。2016年11月初版。

 

 

【「黄金のUNTI」:宇宙根源神である宇賀神】
澤野  「黄金のUNTI」というのは私が見たそのまま表現した造語で、多次元世界にある、黄金に輝きながらトグロを巻いて動く謎の物体を「まるで光り輝くUNTI」だと感じ、そう表現したものです。この輝く光のことをヨガや瞑想の世界では「丹光(たんこう)」といいます。内在宇宙の根源の光だと言われています。(p.90)
 アラハバキ、そしてセオリツヒメは宇宙根源神である「宇賀神」に通じています。 (p.16)
 アラハバキというのはトヨウケのことで、それは宇賀神だった。(p.91)
 あまり聞くことのない「宇賀(うが)」に関して、下記リンクに「宇宙産迂迦(うが)の障壁賀」という単語がある。
   《参照》  『「超古代」の黙示録』 後藤まさし (たま出版) 《前編》
            【絶対五神と八和幡之大神】
 「アーク」(Ark=聖櫃)を日本の言霊で書くと「AAKU」です。並べ替えると「UKAA」(宇賀)が現れるのです。(p.109)

 

 

【666】
澤野  「666」というのが日本語の言霊でしか解釈できない暗号になっているんですよ。(p.25)
 3つの6だから、ミロクというのは、よく知られているけれど、それ以外の解釈として、
 「あいうえお順」で6番目は「か」。よって「666」は「かかか」。「か」が3つだから「かがみ」。
・「かがみ」を古語で解釈した場合。
 「かが」は古語で「蛇」を意味する。ゆえに「かがみ」は「蛇身」
・「かがみ(鏡)」を英語で「ミラー」と読んだ場合。
 「ラ」は音階の6番目だから、「3つの6」で「666」
澤野  バチカンが言っている「666」とは「龍体」であり「蛇体」だということです。(p.26)
 「666」を「かがみ」と解釈できるなら、下記リンク内容まで行って、より重要な鍵になるだろう。

   《参照》  『愛・日本語と太陽神のきずな』 立神正行 (たま出版) 《前編》

            【かがみ】

 

 

【JAPAN】
 一方、「JAPAN」を並べ替えると「NAP-JA」となり、これは「うたた寝をする蛇」という意味になるという。
 「とぐろを巻いて寝る」わけですよ。この姿こそが「宇賀神」そのものつまり、弁天、セオリツヒメそのものなんですよ。
 だから日本は「龍体列島」と呼ばれているんです。「JAPAN」そのものに宇賀神という宇宙根源神としても意味が最初から備わっていたということですよ。(p.26)
 「宇賀」は「うか」ですが、「う」は「あいうえお」の三番目で、「か」は「あいうえお」の6番目であることから、「うか」とは「三つの六=666」という意味になります。(p.185)
 つまり、「666」とは、「日本(縄文日本)」のこと。
 バチカンは、「決して復活させてはいけない“獣”(=日本)」という意味で、「666(=反キリスト)」を用いている。
   《参照》  『数霊に秘められた宇宙の叡智』 深田剛史・はせくらみゆき (徳間書店)
           【数霊の裏表】

 

 

【世界史の実相】
澤野  特に弁財天と同一神とされるセオリツヒメ。ニューヨークの自由の女神は実はセオリツヒメだったという話とか、フランスのモン・サン=ミッシェルは弁天島で、そこで信仰されている大天使ミカエルが実はセオリツヒメだったとか、そういうところに触れたいですね。言って見れば、つまり、世界は日本を原点にするセオリツヒメの力を奪い合ってきたというのが世界史の実相であるわけですよ。(p.27)
 日本の五大弁天は、・安芸国の厳島・大和国の天河 ・近江国の竹生島・相模国の江の島・陸前国の金華山 だそうですが、江の島の地形的なフランス大型版が、モン・サン=ミッシェル(聖ミカエルの山)かもしれません。厳島、天河はいすれも弥山を奥宮としていたと思います。琵琶湖に浮かぶ竹生島周辺の水深は100mほどあるそうですから、竹生島自体が弥山なのでしょう。
 異名同神となる神々の名前に関して、この記述からだけだとタイトルにある「多次元世界」の様相が分りづらいと思うので、下記リンクを付けておきます。
    《参照》   『瀬織津姫愛歌』 山水治夫 (評言社) 《前編》
              【多次元の実相】

 

 

【四国というワンダーランド】
中山  どうも四国という場所は、何か大切なものを隠している日本の源流といえる土地のようです。
そのことを裏付けるかのように、千三百年前に天武天皇が「吉野宮の会盟」という会合を開き、側近たちに申し立てを行い、四国をいったん封印しました。そのような歴史的な事実があるのです。(p.59)
 下記リンクから末端まで辿れば、わりと具体的に「四国」に秘められたモノが分るかもしれません。
   《参照》  『「超古代」の黙示録』 後藤まさし (たま出版) 《前編》
            【天武天皇による大弾圧】

 

 

【本能寺の変:織田信長と明智光秀】
中山  本能寺でイエズス会軍隊が信長を囲むということを聞いてしまっているので、信長の命令により中国地方で尽力している秀吉を加勢に行く途中に道を変え、「敵は本能寺にあり」と宣言し、信長を助けに行くために、本当の敵、つまりイエズス会の軍隊を討ちにいったというのが、臨死体験で見てしまった歴史の真相です。(p.123)
 学校で教えている日本史と、スピリチュアルな人々が語る日本史は、まるで違う。
 History(歴史)= his story(彼の歴史)= 勝者の歴史 だから、勝者たちが著した文献を元にした歴史学者の見解など、基本的にアテにならないのは自明なことである。

 

 

【外宮】
 外宮しかなかった時代のお伊勢参りというのは、実はイスラム教のメッカ巡礼をモデルにしたもので、織田信長が弥助によってイスラム教徒となり、その礼拝施設として外宮が建てられたと考えられます。といっても、純粋なイスラム教だったかは疑問で、根幹は宇賀神=トヨウケ(豊受大神)ではないかと思いますが。縄文的でもあったし、自然神的なものでもあったはずです。(p.282)
 江戸時代まで盛んだったお伊勢参りは、明治維新以後、行われなくなった・・・。

 

 

【内宮】
 伊勢内宮(皇大神宮)とは、キリスト教徒が、キリストの生地であるベツレヘムを聖地としたことに倣ったもので、明治天皇の1869年の伊勢視察以降に建立が始まり、1887年頃に完成したと一部では伝えられています。つまり、伊勢神宮の内宮は百三十年ほどの歴史しかない可能性がある。
 これで、明治以前に伊勢内宮に参拝した天皇がいなかった理由も明らかです。内宮自体がなかったのですから、参拝のしようがありません。(p.111)
 であるなら、20年に一度行われる「式年遷宮」は、内宮と外宮の建立年代の違いを隠蔽する上で役立っていることになる。

 

 

【明治維新の前後】
 明治維新は、フロイス=イエズス会によるカトリック侵略計画に続く「第二次カトリック侵略」でした、キリストを模して天皇を「現人神」として設定し、古事記と日本書紀を書き換えて「聖書」とし、伊勢内宮を国家神道の聖地に偽装したキリスト教の聖地として創設した。それが明治維新の正体です。・・・中略・・・。
 では、明治維新以前、江戸時代の日本はどんな国だったのか。信長の思いにより、伊勢外宮としてイスラムの聖地が作られ、その思いを受け継いだ江戸時代は鎖国により、男性偏重社会であるカトリックを遮断。女性中心の、女系将軍世襲制度を導入し、ある意味で縄文ヒタカミそのものの社会を作っていました。
 江戸時代最後の天皇である孝明天皇も女性だったという説があります。江戸時代には、巫女としての天皇、そして将軍がいたわけです。
 おそらく、諸外国はこのことを知っています。知らないのは日本にいる日本人だけです。(p.112-113)
 「上杉謙信は女性であった」という説もあるけれど、決して根拠なく語られているわけではない。
    《参照》   『ガリレオの遺伝子』 (日テレ) 《前編》
              【上杉謙信は女だった?!】

 明治維新以後、外国勢力の謀略によって日本が世界大戦に巻き込まれてゆく過程で、封建主義の悪しき側面である男性暴力優位社会が顕現していたけれど、日本の本質は、昔も今も、間違いなく女性優位社会である。
   《参照》   『日本人て、なんですか?』 呉善花・竹田恒泰 (李白社) 《中編》
             【日本は心理的には女性優位な社会である】

 

 

【星は精神である】
中山  臨死体験をきっかけとしてコンタクトした「MANAKA」という知的生命存在が通信教育してくれて、その知的生命体であるMANAKAからのメッセージでは「星は精神である」と伝えられています。その宇宙的な定義からいえば、星信仰が希薄になるということは、精神性が損なわれるということであり、生活から精神性が切り離されてしまうことに他なりません。(p.145)
 精神性が失われ、意識レベルが未熟なままであるが故に、スピリチュアルなことを理解できず、唯物論的な思考のド壺に嵌っている人たちは、この記述をどう読むのだろう。精神性は、霊主体従の基礎である。
   《参照》  『スターピープル vol.48』 (ナチュラルスピリット) 《後編》
           【「また、星々の叡智を教える時がきた」】

 

 

【「飛鳥」の呼称は「ゾロアスター」に由来する】
 聖徳太子が生きた時代を飛鳥時代といいますが、それは「ゾロアスター」の「アスター」から来ています。「アスター」とは、ギリシャ語で星のことであり、英語の「星(star)」の語源でもありますが、それが転化して「アスカー」、つまり「飛鳥」となったという流れがあります。そうなると、「飛鳥」とは「天体の叡智」という意味になります。(p.145-146)
 下記リンクは、「飛鳥」に秘められた「天体の叡智」の一端を語ったもの。
   《参照》  『古代大和まほろばプロジェクト』 森嶋直樹 (文芸社)
 聖徳太子がゾロアスターの叡智を受け継いでいることについては、
   《参照》  『古代天皇家と日本正史』 中丸薫 (徳間書店) 《前編》
            【聖徳太子と法隆寺の秘密が歴史観を一変させる】
            【聖徳太子の母】 (← こちらは下記用)
   《参照》  『古代天皇家と日本正史』 中丸薫 (徳間書店) 《後編》
            【半島勢力とは言え、実質は中央アジア人】

 

 

【ゾロアスター教の水の女神、「アナヒター」】
 ゾロアスター教は拝火教としての性格の強い宗教ですが、その中で水の女神がお一人だけ存在しています。その水の女神を「アナヒター」といいますが、それが日本の中で信仰されてきた弁財天やセオリツヒメ(瀬織津姫)とリンクしてきます。
 その「アナヒター」という名前は聖徳太子の母である「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」と同じ言霊となっています。このことからも、聖徳太子の母はペルシャ人であったと考えられます。(p.135-136)
   《参照》  『ベールを脱いだ日本古代史』 坂本政道 (ハート出版) 《前編》
           【水や月に関する女神】


 

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