《前編》 より

 

【カルマの清算をしなければならない領域】
 魂がカルマの清算をしなければならない領域は、物理的世界だけではありません。アストラル界、コーザル界、そしてメンタル界でも魂はこれまで生きてきて、カルマを作ってきているのです。上層世界への旅の中で、魂はまず下層世界でやり残してきたことをすべて片付けなければなりません。(p.89)
 金星の人々はあたかも物理的な世界を去って金星から姿を消してしまったかのように見えましたが、彼らは単にアストラル界で金星人としての生活を継続することを選んだだけなのです。彼らですら、物理的な世界でのカルマを負っており、いつの日かはアストラル界を去って物理的な世界に再び生を受け、勘定の精算をしなければならないのです。(p.113-114)
 これを読んで、下記のリンクを思い出し読み返してみたら、脳波の周波数を変えることで、“カルマの拘束力が弱くなる”と書かれていることに改めて気づいた。『カルマからの卒業』というタイトルから、脳波の周波数を変えれば、カルマの法則に支配されない世界行けると安易に勘違い的に理解していたのである。
    《参照》   『カルマからの卒業』 はせくらみゆき (ヒカルランド) 《前編》
              【カルマ・システムを使わない方法】

 物理的世界、アストラル界、コーザル界、そしてメンタル界は、それぞれの周波数帯に対応しているのだけれど、良く考えれば、浮遊霊や地縛霊がいる幽界や霊界の領域であるアストラル界がカルマから出た世界である訳はないのだから、当然と言えば当然である。
 求道者はまた、カルマの領域にある下層世界をスピリチュアルな世界と間違えないように慎重にならなくてはいけません。(p.92)
 そう、スピ系の人々は、そもそも「求道」という意識などおしなべて希薄そうだし、審霊(サニワ)という言葉すら知らない人々が少なくないから、容易に下層世界の存在たちの鴨葱になってしまう。
    《参照》   『空なる叡智へ』 サアラ (ヒカルランド) 《中編》
              【スピリチュアルに興味を持つ人々への注意事項】

 

 

【アストラル界は究極の天国ではない】
 今日のアストラル界にはそこが究極の天国だと信じ込んでいる多くの人たちがいます。そこは物理的な世界よりも遥かに美しいところであるからです。スピリチュアルな法則にきわめて一致した生き方をしている人々が住む惑星はどこも、地球の人々にとってはほとんど天国のような場所に思えてしまうことでしょう。金星もそのようになっていますが、それはそこに住む人々の意識状態の反映なのです。(p.92)
 スピリチュアルな法則に一致した生き方をする意識状態の人々だけが住まう世界は、本当に美しい世界になるのだけれど、だからといってそこが天国であると思い込むのは、あまりにも早計。どれほど美しかろうと、そこは単に「幽界レベル」や「霊界レベル」なのであって、決して天国などではない。
   《参照》   『超人「船井幸雄」の近未来予測』 柳下要司郎 (あ・うん)
            【日本の次元特性】

 

 

【始まりの時】
 金星の全ての歴史を通して、これほどまでに惑星の様相を完全に、そして劇的に一変させてしまった一日というものはかつてありませんでした。「始まりの時」は金星がアストラル界へと移行して、あなた方の物理的な宇宙の中の重要な首都となっていくプロセスに入った日でもありました。・・・中略・・・。古い支配者に取って代わったある権力志向のグループは、これまでの生活様式をそのまま残し、政治経済システムもそのまま残しましたが、もはや周囲の状況はすべて変わっていました。人々の意識そのものが変化していて、それは長い歳月をかけて育まれてきたものでした。物質的な快適さや安定した既成の生き方に背を向け、金星の人々は自身の基本的な姿勢と理解に変容を起こしたのです。彼らは貪欲さや、形あるものへの執着を消し去ったのでした。
 上層階級は孤立してしまいました。従属する大衆もなく、政府機構も枯渇してしまっていては、もはや廃業同然でした。工場も従業員も失った権力者たちは、今や誰よりも貧しい者となったのです。雇用者も広範囲の市場も持たない会社は倒産していきました。人々がよりシンプルな自給自足生活を目指して大挙して都市部から出ていってしまったので、すべてが劇的に変わりました。(p.106-107)
 地球の近未来も、このようになることだろう。
 地球もかつての金星と同様に、いかなる地理的異変もないままアセンションすることで、アストラル界に移行できるなら最善だけれど、もしかしたら、やや苛烈な都市部の海没という事象を伴うのかもしれない。

 

 

【自給自足】
 新しい金星での生活は、それぞれの家族がまずは自活できるようにし、自分たちの食糧をまかなうのにちょうど良い広さの土地に定住することから始まりました。初めのうちは、いくつかの物は物々交換されていました。人それぞれ生まれつき他人より得意なものがあったからです。けれども彼らはつとめて分業化は最小限に抑えるようにし、自給自足できるように励みました。(p.108-109)
 物々交換すらしない自給自足を目指すって、「ちょっと無理じゃない?」って思うけれど、金星では10年ほどかけてこれを実現したことが記述されている。
 製造ラインや分業化のシステムを再び開発することは決して許されていませんでした。宇宙船ですら一人または数名によって個別に造られていましたが、後にはコンピュータ制御によるオートメーションで宇宙船が製造されるようになりました。新しい生活様式では、肉体労働が見下されることはなく、1人で創造的な仕事に取り組むことで各人に達成感をもたらしてくれていました。(p.109)
 宇宙船がコンピュータ制御によるオートメーションで製造されたと書かれているけれど、現在の地球(というか日本)の技術力でこれは既に可能になっているだろう。実態が隠されているだけかもしれない。
    《参照》   『日本よ!今地球運命の最低値からこう脱出せよ』 高島康司&ウイリアム・スティックエバーズ
              【日本:2014~2015】

 また、分業化より一人で全てを行うことの方が、心理的な達成感が大きくより人間的であること以外にも、ライン生産よりセル生産の方が生産性が高いという結果は出ている。これについては、ケーススタディーを兼ねて、下記リンクに紐付くリンク先まで3つ辿ってください。
    《参照》   『国づくり人づくりのコンシエルジュ』 (土木学会)
              【輪から環へ】

 

 

【アストラル界で宇宙船が必要な訳】
 アストラル界では実際には乗り物は必要ではないのです。私たちは思念の移動、つまり目的地に注意を向けることによってその場に姿を現すことができるのです。ただ何名かで移動する場合は、それぞれが異なった場所や違った時間帯に現われてしまうこともあるため、グループで移動する際は同じ宇宙船に乗って同じ場所へ同時刻に到着する方法のほうが好都合なのです。(p.128-129)
 パラレルワールドの概念が分かっていれば、「なるほどね」と思うだろうけど、そうでないなら、チンプンカンプンかも。
 ついでに、宇宙船の内部と操縦方法。
 私たちのドーム型の乗り物は驚くほどシンプルな宇宙船で、内部に座席があるだけの透明なガラスのドームのように見えます。伯父は思念の力だけで宇宙船を進ませたり方向を変えたりできましたので、そこにはエンジンも制御盤もなく、ただのシンプルなきらめく半球だったのです。(p.129)
    《参照》   『異星人が教えてくれた日本の近未来』 中丸薫×秋山眞人 (学研) 《前編》
             【UFOの操縦法と素材】

 

 

【創造の能力を身につける】
 アストラル界では物体はとても高い周波数のもとにありましたので、私たちの想念でそれを動かしたり、変化させたり、周囲のエネルギーからそのまま顕現させたりすることができるのです。私たちがおままごとをする時はいつでも本物の家を顕現させて、衣服は心の中に視覚化したものを細部に至るまで正確に再現するのです。金星の子どもたちがこのような創造の能力について教えられるのは、物理的な世界の子どもたちが歩き方や読み書きを必ず教わるのとまったく同じように必須のことなのです。私が伯母から創造のための訓練を受けた時はまだとても幼い頃で、2歳か3歳くらいでした。私はこれから創造しようとする物体の全方向からの姿、色、そして構造を正確に心に描き、そして顕現する物体の数を決めなければなりませんでした。(p.138)
 下記リンク著作には、この記述付近の内容が言及されている。
    《参照》   『すでに宇宙人が話しかけています』 田村珠芳 (ハギジン出版)
              【金星情報】
 アンパンマンを想像すればアンパンマンが創造されて、バイキンマンを想像すればバイキンマンが創造される。ただし、それが未熟な(明確でない)想像であれば、未熟な(明確でない)創造になってしまう。だから、ありありとした正確な想像による創造ができるよう訓練されることが必要なのだということ。
 それができないと、ガラクタの山が出来てしまう。つまり、廃棄物をテンコモリ創造することになってしまうから、冗談ではすまされない。
 ガラクタの山が出来てしまったら、それらをまたエネルギー状態に戻せばいいだろうと思うけれど、それは出来ないらしい。何故なのかは、書かれていないから分からない。
 私はまたこのような力を行使することに伴う重大な責任についても教わりました。すべての創造は神の名のもとに本来あるべき正しいかたちで行われなければ、良いカルマだけでなく、悪いカルマも作ってしまうのです。私は自分の創造行為が誰の人生にも干渉してしまわないように注意していました。(p.129—139)
 アストラル界におけるこのような自在な創造能力は、トンデモナイ悪事にも使うこともできる。その場合は、地球上で人を何人殺したとか言うレベルの悪事ではとうてい済まないほどに重大なカルマを作ってしまうことになる。
 物質世界に生きている地球人であっても、普段の心がけが悪く悪想念を野放しにしている人の命運が悲惨なものになるのは言うまでもないことだけれど、サイキックなアニメなどに描かれている意識の使い方を安易にまねて良からぬことに用いた場合も、壮絶なカルマを作ってしまうことになるから要注意である。
    《参照》   『空 舞い降りた神秘の暗号』 Mana (三楽舎)
              【多次元の傷】

 

 

【朝の日課】
 アストラル界では疲労する肉体はないので、睡眠もしくは休息は多かれ少なかれ心の休眠のためのものです。私たちはただ何か一つのものに心の焦点を合わせることで、意識的に心を空白にします。目覚めてからいつも私が最初にすることは、その日はどんな人になって過ごすのかを決めることです。私は毎日何か違ったものになろうとします。いつも同じパーソナリティでいることは生き方に制限を設けてしまうことですし、飽きてくるからです。ある日はとてもウキウキした陽気な人になりたいと思い、また別の日には物静かな控えめな人になることを好みました。その他の日は、王女になることを選んで高貴な人として振る舞いましたが、誰もが私をそのように扱いました。なぜならこれはただの子どものお遊びではないからです。すべての人たちがその日ごとに個性や人格を変えて、一つの性格に限定されることなく、人生をより興味深いものにしようとしていたからです。(p.142)
 地球の物質世界と、金星のアストラル界は、周波数帯域が違うけれど、それぞれの周波数帯域内で違った周波数(人格)の人間として生きることは可能だから、この方法は、地球人も真似て実践すべき。なぜなら、これって最強の周波数(振動数)変換法だから。
    《参照》   『地球人革命』 松久正 (ナチュラルスピリット) 《後編》
              【最強の振動数変換法】

 

 

【アストラル界における飲食】
 アストラル体は物理的な世界の肉体と同じかたちをしていますが、それより遥かに美しいもので、周囲から直接エネルギーを吸収することで光り輝いたまま生きているのです。アストラル体には実際には内臓はまったくありませんが、人々は過去の習慣からただ純粋に楽しむために食べたりもしています。食物は飲み込まれた瞬間に都合よくエネルギーに還元されます。(p.157)
 周波数が上昇しつつある現在の地球上で生きている人間の肉体も、僅かずつとはいえアストラル体化しつつあるのだから、摂食量は徐々に少なくすることが可能なのだけれど、周波数環境が漸変していることを全く知らない人々は、「少食や微食や不食など、もっての外」という思い込みを維持したまま、反って重く疲れやすくなる肉体の原因が多食にあることを、理解できないのである。

 

 

【アストラル界のダンス】
 ダンスをこよなく愛する私は、この素敵な夕べがいつまでも終わらないでいてくれたらいなと思っていました。重力のない世界で踊ることは芸術にすばらしい一面を加味してくれます。(p.180)
 重力とは無縁なアストラル界でダンスを踊ろうとすれば、まさに三次元的なダンスが可能。地上世界のダンスでは、時にジャンプしたり抱き上げたりして上下動をするだけだけれど、三次元ダンスは何でもありの極めて創造的なダンスが可能である。
 と書きながら、ニジンスキーは、きっとアストラル界で当たり前に可能だった三次元的な舞踏を表現したくて、あのとてつもないジャンプ力を持つようになったのかも、と思ってしまった。

 

 

【制限なきアストラル界での生き方】
 ところで、創造性をいかんなく発揮できる三次元的ダンスが可能な、アストラル界ならではの生活に関して、以下のように書かれている。
 アストラル界では私たちはただちに新しい体験を試みようとなしないのです。そうするのは、それが私たちに紹介された時か、あるいは今宵の舞踏場のような特別な機会が訪れた時だけです。制限の無い世界に住んでいる私たちは、一度にあらゆる体験をしてしまわないように注意する必要があるのです。さもなければ人生の半ばで飽きてしまう恐れがあり、アストラル界においてはそれは何千年もの歳月になるのです。(p.180)
 制限惑星である物質界の地球に住んでいると、制限の外に出たいと強烈に思うけれど、制限のないアストラル界で生きるとなると、あえて自発的に制限を設けないと、かえって退屈な歳月に直面することになると言っている。
 この制限惑星・地球で生きることにウンザリしつつアセンションを希求している人々にとっては、「あれぇ~~~」って感じで、ちょっと胸につかえる記述かもしれない。
 想像・即・創造となるアストラル界で、自分が欲しいジュエリーを手に入れたいなら、それを想像(創造)するだけですぐに願いは叶ってしまう。しかしながら、これが普通となると、確かに欲望も意味を持たず退屈な人生になってしまうだろう。なので、アストラル界では、宝石の原石は創造するけれど、そこから先は、この地球の物質世界と同様に、石を削ってジュエリーを作るという作業過程(地球的創造行為)をわざわざ行っているのだという。

 

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