イメージ 1

 古書店で見つけて、ちょっと久しぶりに読む金さんの著作。この本自体は、2007年6月初版だけれど、1999年に出された本を加筆・修正のうえ改題したものとある。

 

 

【日本の社会のレベルの高さを示すもの】
 届け先不在で指定日に届けられなかった宅急便担当者からの連絡と対応が記述されている。日本人がこれを読んでも、「普通のことでしょう」 と思うだけだけれど、他国の実状を知っている著者は、以下のように書いている。
 地位や名誉のある人が責任ある仕事をするのは、ある意味で当然のことです。しかし、陰になっている部分で働いている人たちが、これだけきちんとした仕事をしているということは、やはり日本の社会のレベルの高さを示していると思います。(p.63)
 きちんとした仕事など殆どあり得ないイタリアの素晴らしさなら、以下の本にたくさん記述されている。
   《参照》   『イタリアですっごく暮らしたい』 タカコ・半沢・メロジー (ベネッセ)
             【イタリア郵便】

 

 

【無法者の中国人】
 中国人たちは違います。目の行き届かない場所に放置してあれば、持っていくのが当然だと考えています。彼らにそれほど罪悪感はありません。彼らの国ではそうだからです。
 さらにいえば、彼らにとって電車に乗ったとき 「キセル」 するのは当たり前です。日本の電車における上手な 「キセル」 の仕方は、先輩から後輩に受け継がれているようで、「キセル」 をやらない者はまずいません。彼らは、電車賃を正規に払うことなど馬鹿馬鹿しいと考えているのです。(p.151)
 今や中国人も大勢行っているオーストラリアなどは、電車に乗るのに改札がないから中国人にとっては生きやすい国かもしれない。但し、車内の検札時に、乗車券を持っていなければ大そうな罰金が課せられる。日本のように甘くはない。しかし、オーストラリア人からすれば、日本人も中国人も区別がつかないから、検札官は、東洋人と見れば、既に “キセル犯罪者” と決めつけた態度で接してくるので、少々不愉快でも、我慢して応ずること。
 要するに、彼らは法律を守るとか、規則を守ると言う習慣がないのです。馬鹿正直に守っていては生き延びていくことができなかった。だから彼らは日本でも平気で法律を破り、規則を無視します。(p.151)
 中国という国土に住む人々の性質については、以下の書籍。
   《参照》   『驕れる中国 悪夢の履歴書』 黄文雄 (福昌堂)
 

 

【子育ての具体例】
 著者ご夫妻の子育ての実例は、他の著作の中にも書かれているけれど、お嬢さんの大学受験に関する実例はこの本で始めて読んで、その苛烈さに 「流石、金美齢さん!」 というか何と言うか・・・、それはもう、子どもが期待しかねない依頼心や甘えを徹底的に断っている。
 息子さんが、勉強もせず受かってしまった大学への入学に関して、
 父親の雷が落ちたのです。「この若さで何の努力もせず、要領よく世渡りできるなど勘違いしてはいかん。世の中を嘗めるんじゃない」。(p.120)
 ということで、入学させず、浪人させた。 !
 娘さんの場合は、「現役で早慶に合格しない限り一切月謝を出さない」 と宣言し、現役で合格できなかった娘さんは、それ従って、翌年慶応に合格した時、
 結局、受験勉強の合間に家庭教師のアルバイトをしてお金を貯め、合格した慶応大学の入学金と授業料をすべて自分で出したのです。(p.180)。
 これほど毅然とした態度で臨む親って、一体全体、日本に何人いるだろうか?
 明確な目的があって学んでいるのでもないのに、「教育費は親が出すのが当たりまえ」 とほざくバカ息子バカ娘の多い日本。また、その通りに思っているバカ親が多い日本。そのバカ親ぶりも、留学だの旅行だのバイク購入だの何でも出しているとなれば、そのバカ親の精神を反映して、バカ息子の体験は人生にとって実質的には何の意味もない空費となって決着するのである。

 

 

【日本語一本】
 私は、台湾人ではありますが、日本に生まれ育った子供たちには、日本語の学習を最優先させました。
 異国の地で暮らす外国人の多くは、子供たちにその国の言葉とともに、母国の言葉をも教え込もうとします。 ・・・(中略)・・・ 。包丁は何本も持っていたほうが得だと考えているのです。
 しかし、私はそうは思いません。なぜかといえば、人の能力には限界があります。つまり、いくつもの言語を学んで、そのすべてを深いレベルまで理解するのは非常に困難なことだと思うからです。いくつもの言語を学んで、そのどれもが中途半端という例を、私は嫌というほど見てきました。
 私は、三本も四本も切れない包丁を持つより、一本しかないけれどなんにでも使えて素晴らしく切れ味のいい包丁を持つことのほうが大事であると思います。(p.220)
 英語も中国語も話せる著者がこう語っているところが重い。
 それにしても近年の日本人の国語力は、甚だしく劣化しているのではないかと思うときがある。チャンちゃんの名前にはそれほど稀な漢字など使われていないのに、宅急便配達人で、ちゃんと読める人は殆どいない。形の似た漢字に置き換えて、恥ずかしげもなく 「○○○○さんのお宅でしょうか」 と平気で言うのである。
 日本に生まれ日本で育ってきた普通の日本人だって、読み方のみならず意味のわからない単語なんていくらでもあるはずである。本を読み、それらにでくわしたらきちんと辞書で調べるという基本的なことを地道に繰り返してこないと、まともな日本語力をもった日本人にはなれないはずである。いかなる日本人であれ、生まれてこの方、めったに国語辞書を使ったことがないと言う人は、はっきりしている。悲惨な国語力なのである。
   《参照》   『本を読まないとバカになる。なぜか。』 池ノ上直隆 (日新報道)
              【抽象的・概念的思考】
   《参照》   『家庭でのばす「見えない学力」』 岸本裕史 小学館
               【言語能力】
   《参照》   『「本気」になって自分をぶつけてみよう』 小柴昌俊 (三笠書房)
              【「わからない」と思える能力】

 

 

【敬業精神】
 台湾では、日本には 「敬業精神」 があると言われています。つまり、自分が就いている職業に誇りをもち、その仕事に全身全霊を傾けて打ち込む精神です。日本企業が強いのは、この精神があるからだ、台湾もそれを見習っていこうということが盛んに言われています。
 ・・・(中略)・・・ 。
 台湾は一生懸命日本に追いつき追い越せと、日本のいいところを吸収しようとしています。敬業精神やお客さんを大切にする気持ちもそのひとつです。それをどのように根づかせていけるかが、今後の課題でしょう。(p.246)
 台湾の新竹工業地区には日本の企業が少なからず関与しているからなのだろうけれど、その方面や空港に向かう路線バスでは、日本人ビジネスマン風に見える客には、丁寧に対応してくれることを何度か経験している。これも日本のいいところを取り入れようとしてくれている事例なのだろう。
 日本に習ったのかどうかしらないけれど、バスの走り方やバス内の設備状況は、以前ほど異国を感じさせなくなっている。以前は、郊外を走るバスなんて 「レースでもしているの?」 と思うような走り方だったし、吊革のリングが所々無いバスもよく見かけた。
   《参照》   『入国拒否』 小林よしのり+金美齢 幻冬舎
              【古い世代の台湾人に残っている 「日本精神」 】

 ついでに、90年代末から比べると、近年の台湾には、日本経済の相対的低下につれてだろうか、「日式」 という看板を掲げている飲食店が少なくなり、日本語で話しかけてくれるおじいちゃん達には、もう殆ど出会えなくなってしまっているのがちょっと淋しい。

 


<了>