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 帰国することが出来ぬまま、40数年間日本で生活していた台湾人夫妻の共著。2001年1月初版。
 金美齢さん単独の著作の中にもしばしば書かれている体験談なので、今は亡き旦那さまの記述から熱いボイントを知りたいと思って読んだのだけれど、何故か金美齢さんの “実に男(!)らしい” 記述が印象に残ってしまう。

 

 

【戦後間もなく無法地帯となった台湾】
 日本統治下の間に蓄えられていた砂糖や米穀は、軍や役所の上層部が金儲けのために中国大陸に送ってしまったのだという。
 その結果、食料は底を突き、飢饉を知らなかった台湾で米不足となり経済は逼迫していった。無頼漢が権力者になったために、台湾は無法地帯と化し、極度のインフレが台湾人の生活を直撃した。
 長年にわたって、日本の統治下で遵法精神を培ってきた台湾人にとって、まさしく受難の連続であり、油断も隙もない毎日が始まった。(p.38-39)
 インフレの原因が余りにも下賤な行為によっていたことを知って、ちょっとビックリ。しかし、昔も今も変わらぬ外省人(中国人)の民族的性格を端的に物語っている典型的な事例なので分かり易い。

 

 

【周少年と先輩である顔少年】
 このようにして、国民党支配下となった台湾では、本省人(台湾人)と外省人(中国人)が鋭く対立した2・28事件が起こるなど、苛烈な日々が流れていった。周少年の身近でも、先輩である顔少年が公開処刑に晒されるようなことが起こっていたという。
 しかしその光景を見た瞬間、自分のなかにあった道徳心や勇気、正義感は凍結してしまった。(p.59)
 無理もない、それが普通だろう。
 それからは、自分の関心を勉学だけに振り向けるように定めたという。
 古本を売っているところがあった。「どんなものがあるのかな」。日本語で書かれた本が、ほとんどだった。赤い表紙の 『チャート式幾何学』 があった。理科系の受験生であった私は、すぐに手に取ってみた。
 パラパラとめくってみて、裏表紙まで来たときに、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。最後のところに、しっかりとした筆跡で、「顔再策」 という名前が記されていた。(p.59-60)

 

 

【デッコンペンアー】
 白色テロの時代を台湾大学の学生として過ごし、卒業した後、兵役義務についた。
 軍服に帽子をかぶって街を歩くと、子供たちの 「あっ、デッコンペンアー」 という声が耳に入ってくる。デッコンペンとは、中国兵のことで、アーをつけると軽蔑の意味になる。中国人か徴兵中の台湾人かの見分けなど、子供たちにつくはずもない。野卑な中国兵に間違えられ、耐え難い屈辱感を覚えた。(p.67)
 軍服姿の周青年の写真が掲載されているのだけれど、もっのすごく凛々しくてカッコイイ青年である。(金美麗さんの負け。んなことないか。) 「『野卑な中国人の中になんか、こんなに眉目秀麗な兵隊さんがいるわけないじゃん』 と、台湾の子供たちは何故思わなかったんか!」 とチャンちゃんは憮然としつつ思う。

 兵役を終えた周さんは国費留学生として1961年に東京大学大学院へ、金さんは安田さんという日本人ジャーナリストの縁で1959年に早稲田大学へ、それぞれ留学することが可能になった。
 日本では、黄昭堂氏が主宰する 「台湾青年」 という雑誌を介して台湾人たちが集まっていた。

 

 

【密使、金美齢】
 留学3年目の夏休みの前に、病弱な父の容態が気になって帰省の準備をしていた。そんなとき、黄昭堂氏から密使を頼まれたのだという。
 正直、恐かった。
 しばらく考え込んだ。これを引き受けてばれたら、ただではすまない。親にも迷惑をかけることになる・・・。
 しかし、つっぱりの私の口からは、自分でも驚くような言葉が出た。 「いいわよ」。
 黄氏たちがこれまで頑張ってきた歩みや、自分自身の台湾独立の夢、そして台湾の人々の受難と犠牲を考えたとき、「いや」 と言ったら 「女がすたる」 と思った。
 「女がすたる」! こんなにカッチョイイことを思える金美齢さんのような女性はめったにこの世に存在しないだろう。こんな日本人女性に出会ってみたい。
 この時、金さんが請け負ったのは往路だけだったのに、台湾で頼まれて復路まで密使の役割を完遂してしまっている!

 

 

【スタディー・アディクト、金美齢】
 二人共、結婚後も学業に忙しかった。
 しかし出産とともに、私だけが育児という務めが加わってきたので、私は毎日、機嫌が悪かった。
 「どうして同じように親になったのに、あなたは学業を続けられて、私は家にいて子どもの面倒を見なければいけないの?」 「今度は、あなたが産んだら?」 と、前後の見境もなく、週に一度はヒステリーを起こして、周にあたっていた。
 彼は、あまりの剣幕に、「じゃあ、僕も学校をやめればいいんだろ?」 と私をなだめた。 「そうよ、もうやめて!」 「うん、わかった」 という形で、いつもその場はおさまった。そして翌朝、いつものように鞄を持って、周は大学にでかけていった。(p.131-132)
 「ありえな~~~~~い」 と思うけど、金さんのハートにはありえないオチンチンがぶらさがっているんだろう、きっと。
   《参照》   『誰のために生きるのか』 金美齢 海竜社
             【周英明&金美齢・夫妻】

 

 

【李登輝さんのこと】
 時代が変わった。李登輝さんが台湾総統になって、ブラックリストに名前が載せられ帰国がままならなかった人々は、40年ぶりに台湾の地を踏みしめることが可能になった。
 金さんは李登輝総統の許で国策顧問をすることになった。下記は周さんの記述。
 新渡戸稲造の 『武士道』 と佐賀藩士が武士道についてまとめた 『葉隠』 を愛読する氏は、「日本人がその理想を注ぎ込んで育成したのが、私という人間なのです」 と語っている。
 台湾と台湾人を守るためならば、自分の命を捨てることはとっくに覚悟ができている李登輝氏だった。(p158)
   《参照》   『最高指導者の条件』 李登輝 (PHP)
              【善政のための死生観】
 李登輝さんの意志の流れに沿った民進党の陳水扁政権から、現在の台湾は、経済的な視点に流れて国民党の馬英九政権になってしまっているけれど、長期的な視点で台湾が安定を確保できるか否かのポイントも、李登輝さんは書いている。
              【中国史は 「輪廻の芝居」 】

 

 

【日本に求められる 「日本精神」 】
 台湾には、「日本精神」(リップンチェンシン)という言葉がある。
 戦後、国民党政府への腹一杯の憤懣と恐怖政治のなかで、台湾の人々は現実が醜悪であればあるほど、過ぎ去った日本統治の半世紀を回顧し、やり場のない気持ちを 「旧きよき時代」 に向けた。(p.170)
 金美齢さんは、御自身の著作の中で何度も何度も日本人に対して、口を酸っぱくして、台湾人が感じていた 「日本精神」 のことを語ってくれいる。
   《参照》   『ニューヨークの台湾人』 田中道代 芙蓉書房出版
               【公の精神】
   《参照》   『入国拒否』 小林よしのり+金美齢 幻冬舎
               【古い世代の台湾人に残っている 「日本精神」 】

 

 

 チャンちゃんの読書記録はいつだって自分にとって印象的な部分を書き出しているだけだから、日本や台湾の若者達は全編をきちんと読んでほしい。 
 
<了>

 

 

  金美齢・著の読書記録

     『金美齢と素敵な男たち』

     『私は、なぜ日本国民となったのか』

     『日本は世界で一番夢も希望もある国です』

     『日本よ、台湾よ』

     『誰のために生きるのか』

     『入国拒否』

     『七つの中国』 王文山:著 金美齢:訳

 

 下記は、金美齢さんと同じような境遇で日本に長期間住んでいた台湾人女性の書籍