日本文化講座⑧ 【武士道】
【 新渡戸稲造(1862~1933)によって、英語で書かれた『武士道』 】
『武士道』は新渡戸稲造が、日本語ではなく英語で書いたことで今の世に残っています。新渡戸は、国際機関で働く日本人の一人でした。彼は友人であるベルギーの法学者ラブレーに「日本では宗教教育なしで、どのように道徳教育を行っているのか」と尋ねられ、返答に窮したあげく『武士道』を著したと序文に書かれています。
【 『武士道』の背景と概要 】
誤解なき様に、最初に記述しておきます。「武士道」 は武士階級だけの道徳ではありません。日本人として生きる全ての人々の道徳でした。
日本には近代になっても西欧に見られるような哲学的な思想書がありませんでした。その理由は、儒教や仏教や神道などの思想が 「武士道」 に吸収合併されていたからであり、また、「武士道」 は知識のための知識を重視しませんでしたから、学問としての哲学思想は必要なく、実生活における智恵としての存在に留まっていたからです。新渡戸の時代にはまだ、無言の感化力をもつ 「武士道」 という “不文律” が日本に存在していました。当時の日本人にとって 「武士道」 は空気のように当然の道徳だったのです。
【 武士 と 刀 】
武士(=侍) が、危険な道具である刀を持つということは、自制心、責任感、自尊心を持つことでした。刀を簡単に使った武士は 「刀を使わなければ問題が解決できないのか」 とバカにされました。「武士」 という漢字を分解して解釈すると、「戈を止める士(=人)」 となります。 つまり " 戦わずして治めるために、自己を修める " ことが武士の本当の力量を示しました。
最近の過激な格闘技では、登場する日本人選手を演出するために「武士道」という言葉が使われていますが、余りにも本質から懸離れた誤用です。また映画などで刀を振り回しているサムライの姿を見て、武士=戦士と思っているなら、完璧な間違いです。刀は本来、自らの心に向けられるべき物でした。 <参照:日本文化講座⑨ 【 日本神道と剣 】>
【 武士 と 切腹 】
切腹とは、自ら刀で腹を切る自殺のことです。欧米人はこれを腹切り(ハラキリ)という言葉で認識しているようです。
どうして切腹などしたのでしょう? その理由は、「罪の償い」 「不名誉(恥)の払拭」 「誠実さの証明」 「朋友の救済」 などです。これらに該当しない場合は「犬死」と言われました。 「自らの行為が誰かの不都合になったので、責任をとって自ら命を絶つ。しかし自分は私利私欲のために行ったのではない。その証拠に切腹して身の潔白を証明する」 という論理です。
【 女性 と 武士道 】
「婦」 という字は 「箒を持った女」 と書きます。従って 「家を治めるのが第一義」 という考え方です。女性は男性の奴隷であると考えているのではありません。「お互いの性差を認め、得意な領域でしっかりと義務を果たす」 という考えです。具体的には 「女は男を立てて家庭を守り、男は主君を立てて国を守る」 という役割分担です。
良家の子女は必ず懐剣を持ち、その使い方をマスターしていました。自らを守るためであっても、相手を倒すためのものではありません。例えば貞操を汚さんとする相手に対して、自分の命を絶つことで抵抗したのです。
『武士道と云うは、死ぬこととみつけたり』
佐賀藩士・山本常朝が1716年に著した 「葉隠」 の中の有名な一節です。この書物は、江戸時代に書かれた武士のための論語と言われています。
この言葉の本旨は、「死んで生きること」 即ち 「小我(人)を捨てて真我(神)に至り」 「永遠の生命を得る」 ということです。
封建制度下の武士道として、この言葉を読むならば、「大義(主君・国家)の為には、自らの身命を捨てる覚悟で、誠を貫いて生きる」 ということになります。
精神薫陶の武士道として読むならば、「常に死を思い、明鏡止水の境地で、唯今を生き貫く」 という心構えを意味しているようです。
「武士」 を賞賛するのに 「潔い」 という言葉がよく使われますが、 「潔い」 ことの究極の行為として、「切腹」 や 「散華」 を肯定することにもなりました。武士道思想に慣れ親しんでいた日本人は、死の潔さを、桜の花の散り際の美しさに託したのです。日本人が桜の花を愛でる理由の一つです。
『 かくすれば かくなるものと 知りながら 止むに止まれぬ 大和魂 』
「こうすれば助かるとは知っているけれど、俺はそっちを選ばずに、敢えて死んで行くよ。それが日本人の魂さ」 と歌った吉田松陰(1830~1859)は、「松下村塾」 の塾生達に、短歌の内容どおりに " 大和魂 " を実践してその気概を示し、20代の若さで死んで行きました。その後、塾生達は逸材となって明治維新という改革を遣り遂げました。日本を守ったのです。
キリストは、殺されるかもしれないエルサレムへ行き、敢えて入城し、そこで現実に殺されました。この行動によって12名の弟子達は " 気づき " を得て使徒となりました。キリスト教が世界に広まるキッカケとなったのです。
吉田松陰もキリストも、『一粒の麦』 となって死に、一粒の死によって他の多くを救ったのです。新渡戸の書いた「武士道」が、1901年に英語で出版され、キリスト教世界の読者に共感をもって読まれたことは、" 武士道が人類の普遍的な思想に通ずるもの " であったことを示しています。
『 武士道は不死鳥である 』
と新渡戸は書いています。不死鳥とは " 死がない鳥 " という意味ではありません。" 火の中で死に、その灰の中から再び甦る鳥 " です。即ち生死・時空を超えて一羽で天翔ける 「火の鳥」 は、「霊の鳥」 であり、常に 「一人」 です。
日本語の言霊感覚に鈍くなった現代の日本人や、孤独を羞じる現代人の柔弱な心には、やや理解しずらいかもしれませんが、神道のエッセンス(精髄)が武士道に集約されていることの証拠表現です。
天(神)の使者としての不死鳥のように、心は常に天(神)に真向かい、愛と誠を貫き通して生きてこそ、武士道を実践したと言えるのです。
<了>
④ 日本と古代キリスト教の関係 ⑤ 言霊・天皇
⑥ 茶道 ⑦ 易経 ⑧ 武士道
⑨ 日本神道と剣 <前・後>