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 日本人女性すべてが、金美齢さんの本を昔から読んでくれていたら、今の日本のような乱れた社会にはならなかっただろうに・・・と何時も思っている。この本でも意気軒昂に人生論を語ってくれている。
 

 

【耐性がなくて荒波を超えられますか】
 私は、世間様に対して “懼れ知らず” ではっきり発言しています。一方で、当然のことながら我が家の子どもたちに対しては、褒めるときもしっかり褒めますが、叱るときも手加減はしませんでした。
 ですから子供たちは、他のウチや社会で少々、叱られても「ウチのママよりずっとマシ」と平然としています。 (p.24)
 金美齢さんは、他の著書の中で、子供たちに 『ボスと呼ばせていた』 と書いていた。「(ご自身が)いつ政治的に捉えられ、共に生活できなくなるかもしれないので、子供たちが一人になったとしても大丈夫なように、あえて厳しく育てようとした」のだそうである。
 昔の日本の親たちも、「人様に迷惑をかけない様に」 と、厳しく叱って耐えることのできる子供に育てていたのに、近年の親たちは全然叱らない。だから子供たちがメチャクチャである。
 また最近、もっとも顕著に見られる問題の一つは 「長幼の序」 をわきまえない若者が増えてきたことによる不快感です。「そんなことはないよ」 「いいんじゃないの」 といういわゆる “ため口” が心を毛羽立たせます。朝一番に、職場で顔を合わせても 「おはようございます」 と挨拶のできない若者が増えています。
 言葉は、それを使う人間の内面をすべて露にするものです。加えて、日本語は、極めて繊細で優美な言葉です。言葉を見事に使いこなすことが、その本人の価値を高めることにつながります。ぞんざいな言葉を使う人は、このことに気付かないのでしょうか。 (p.43)
 「長幼の序」 をわきまえない若者が増えているのは確かだ。教える側(先生)と教えられる側(生徒)が平等であっては教育など成り立たないのだから、「長幼の序」 は社会の基本的なルールと心得て全ての人々が共に守ってゆかなければならないものなのに、何でもかんでも “平等” という誤った概念の中に取り込んでしまって、履き違えている人々が多すぎる。
 上下関係を保つ社会秩序が崩れてしまえば、繊細かつ優美な言葉が息づく言語空間は失われ、替わってぞんざいな言葉が横行するようになってしまうのである。
   《参照》  『Descention ~自らを下げる~』 中里尚雄 (ぶんがく社)
            【愛しき日本の姫君達☆】

 

 

【周英明&金美齢・夫妻】
 私が、周英明という人物を伴侶として選んだ最大の理由は、「この人とならば、自分の人生を変えなくて済む」 ということでした。・・(中略)・・。周は、人が成長することを喜び、それを助けたいと思っている人なのです。根っからの教師です。
 夕方近くになって、そろそろ夕飯の支度をする時間だとしても、本を読んでいたりすると 「ママ、偉いね」 という人なのです。「普通の女性なら、こうはいかない」 と。 (p.137)
 殆どの女性は、金美齢さんのように 「自分の人生を変えなくて済む」 結婚を理想として期待しているに違いない。しかし、殆どの女性は、金美齢さんのような自立心や向学心から言っているのではなく、単なる我儘な自己主張として言っているに過ぎないのではないだろうか。
 それはともかく、周英明&金美齢・夫妻は、世の中では珍しい組み合わせかもしれないけれど、最高の組み合わせに違いない。数ヶ月前、テレビの 『波乱万丈伝』 という番組で、金美齢さんが登場していた。旦那様の周さんは最近、亡くなってしまったそうだ。気丈な金美齢さんが、「二人で一人だったから・・・」 と涙を抑えられなかった様子に胸を打たれてしまった。肉体はなくなっても、旦那様はいつも金美齢さんの傍で応援しているに違いない。

 

 

【現在の日本の外務省エリート】
 台湾を追われ長年日本で生きてきた金美齢さんは、海外で台湾のみならず日本の国旗を見ると、誇らしく思うことがあるのだという。自分の国家を亡くすかもしれないという危機感を抱いたことのない日本人は、国家というものの価値、その恩恵にすら気付けていないことを、金美齢さんはしばしば指摘してくれている。
 国民のみならず、為政者側の人々に対しても、真っ向から正論を述べてくれている。
 元駐タイ大使の岡崎久彦氏は、「本当のエリートがいなくなって、悪しき平等主義が蔓延したことが、外務省がおかしくなった元凶だ」 と指摘されています。
 エリートは施策を実行する権限を掌握して厚遇に浴する一方で、国家のために一身をなげうって尽くすというノブレス・オブリージェを忘れて、保身に汲々とする姿は見苦しい限りです。 (p.166)
 現在の外務省は、家系を調べ、過去の外務省関係者・政治家・華族といった人脈に連なる人だけを採用している、と書かれていた本を読んだことがある。
 大英帝国の中興期を支えた外交エリートたちは、異端や孤高を恐れぬ貴族精神を有し、それよってこそ大英帝国を成立せしめた 「威信のシステム」 を維持していたのである。しかし、日本の中興期であるはずの現在の日本外務官僚は、異端や孤高を恐れぬ精神など何処にもなく、単に閨閥に依存する 「保身のシステム」 を維持しているだけである。そうであるならば、外務官僚を通じて見えてくる現在の日本は、中興期ではなく、明らかに衰退期ということになってしまう。
 
 
<了>