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 16世紀から20世紀に渡って世界に君臨した大英帝国。この帝国の盛衰について通時的に記述された本は、意外にも少ないような気がする。
 この書籍は、咀嚼する角度を変えてみることで、示唆に富む内容を多く含んでいるような気がする。読み方次第である。

 

 

【「威信」のシステム】
 大英帝国とは「威信のシステム」であった。 (p.8)
 その理由として、2点をあげている。一つは、限られた資源によって支配する必要があったために 「威信」 という精神要素が、効率的な支配には不可欠の手段であったこと。もう一つは、国内社会における貴族のリーダーシップが圧倒的なものであったことも、帝国の本質に 「威信」 がもつ重要性を倍加させていたこと。

 

 大英帝国の植民地であったシンガポールの住民が、「イギリス人は悪賢かったが、礼儀正しく威厳があった」と言っていたという下記リンク内容が、「威信のシステム」を証明している。

   《参照》   『日本人が知らない「日本の姿」』 胡曉子 小学館

             【品格のない優越感】

 

 

【叙爵に伴い名称の変わる貴族】
 19世紀末の首相ソールズベリーは、実名はロバート・セシルだが、年を追ってクランボーン子爵、ソールズベリー侯爵と歴史上の呼称が変わる。 (p.9)
 意外に思うけれど、国内外で名称の変わる事例はいくらでもある。日本の江戸時代だってそうだ。

 

 

【イギリス情報部の発祥】
 オランダ人反徒へのスペイン鎮圧が成功しそうな形勢となった1584年7月、エリザベス女王の臨席を仰いで開かれたイギリス閣議(枢密院)では、・・(中略)・・延々3項目にわたる綿密を極めた情勢判断のための閣議文書が ・・(中略)・・ この情勢判断の前提として、必要な情報の収集と判断をなした、ウォルシンガム指揮下の情報活動が、のちの “007” ないしMI6に繋がっている「イギリス情報部」の伝統の始まりともなった。 (p.64-65)
 この情報の力で「スペイン無敵艦隊」を撃破することができた、ということである。

 

 

【「堅実」と「安逸」】
 石井菊次郎という戦前の日本外交を代表する人物が、大英帝国の終わりに関する判断を誤ったことについて、著者はこのように書いている。
 「堅実」と「安逸」は、とくに知性の領域では紙一重のものなのである。そして両者の渾然一体化したものが、「霞ヶ関外交」と評することもできよう。この「堅実」と「安逸」の、近さと “こわさ” を外交のみならず今日、日本人すべてが自覚すべきであるかもしれない。というのは、集団的性向から知性においても安易に一体化しやすい文化的体質は、成功した後の日本では、とくに強く根を張るからである。 (p.73-74)
 

【ウイリアム・テンプル:精神の貴族】
 日本では近代的随筆の先駆者として、むしろ英文学の領域でよく知られているが、・・(中略)・・、もしかしたら再び破滅のサイクルに陥る可能性のあったイギリス外交の歴史的な過渡期を乗り切った、17世紀イギリスを代表する外交官として知っておいてほしいものである。 (p.78)
 また19世紀、パックス・ブリタニカの絶頂期を画することになる有名な外相(のち首相)のパーマストン(実名はヘンリ・ジョン・テンプル)は、このウイリアム・テンプルの4代あとの子孫にあたる。 (p.81)

 祖父サー・ウイリアム・テンプルは、シェークスピアと同時代人で、折からイギリスでも隆盛を極めつつあったルネッサンスの人文主義哲学の学者としてケンブリッジ大学で名を成した。 (p.82)
 テンプルの父は、新たな「神の国」を建設すべくアメリカへ船出する「熱狂」には背を向けて、チャールズ1世の宮廷に伺候し、貴族の地位を手に入れんものとつとめ励むのであった。 (p.82)
 こうしてみれば、父祖2代にわたる俗物的な上昇志向の強い家系にあって初めて、「気骨」と「品性」に富み時流に抗しうる矜持をもって、「異端」をものともしない「精神の貴族」が生まれるのかもしれない。 (p.83)
 「異端」という単語は、イングランド精神というかイングランド魂を想起させる。
 

【「貴族」こそが民主主義の支柱】
 「貴族」 こそが民主主義の支柱、と考えられてきたのが近代英国の思想的文脈であった。そしてそれがまた、大国としての「 帝国」 の域に達したイギリス社会の、長期的存続の保障ともなってゆくのである。少なくとも、こうした意味での 「貴族」 をなくした社会が大国となってつくる 「帝国」 は、つねに数世紀を経ずして終わる短命な 「帝国」 でしかないのかもしれない。 (p.83)
 日本は既に階級制度のない国家となっているので、大英帝国の支柱たりえた貴族をそのまま真似ぶことはできないけれど、日本における 「精神の貴族」、「精神の支柱」 となるものは、多くの有識者によって保たれている。教育によって復元されねばならないけれど・・・・。

 

 

【サー・ジェームズ・ハリス : ナポレオンに立ちはだかった外交】
 テンプルからおよそ百年後、彼と似たような役割を果たしたのは、サー・ジェームズ・ハリス(にちのマームズベリー伯爵)であろう。 (p.91)
 フランス史上最大の外交家といえる、あの “海千山千” のタレイランも、「マームズベリー卿(ハリス)は当時、全欧的にもっとも卓抜した外交官であった。彼を出し抜こうとしても不可能であり、ただその後についてゆくしかなかった」 と慨嘆している。 (p.93)

 大陸を制覇したナポレオンに対し、「上唇を固く引き締め」(イギリス人が必死の決意で踏ん張り続けているときの典型的な表現)、たった 「独りで立ち」 はだかりつづけたイギリスの外交を支えたのは、70歳に近く聴覚も消え失せたハリスの国土的情熱によるところが大きかった。 (p.94)

 

 

【サー・ロバート・モーリアー : ビスマルクを制した男】
 「躍動する知性」と「異端をいとわない気骨」のキャラクターによって大英帝国の堅忍不抜を支えた外交官としてサー・ロバート・モーリアーを挙げねばならないであろう。
 のちにフランス人から愛着を込めて、「ビスマルクを倒した男」 と呼ばれることとなった。 (p.95)

 ドイツに個人的な感情から特別な愛着をもっていたヴィクトリア女王は、モーリア罷免をしばしば内閣に要求したし、ロシアとの提携を説くモーリアの立場が、実務感覚がけの堅実派から見れば「大いなる異端」 以外の何ものでもなかった。しかし、モーリアの気骨は、彼の死後、大英帝国の生存を危機一髪で救う選択へと繋がっていた。 (p.96)
 ルイ14世を倒したテンプル。ナポレオンに立ちはだかったハリス。ビスマルクを制したモーリアー。
 それぞれの時局において大英帝国を支えた3人の貴族を、著者は、「異端と気骨のキャラクター」、「大いなる異端」 という言葉で締めくくっている。
 なので、再びリンク。