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 表紙の写真に掲載されている人々など十数人が対象として記述されている。読み物としては、大英帝国の最盛期に生きたディズレリーとグラッドストーンの関する記述が一番面白い。

 

 

【エディンバラ公】
 エリザベス女王の旦那である。
 差別的な発言に浮気癖、これに加えて子育ての不手際が重なる。これは自分自身が親から躾けられていないことの連鎖反応で、とにかくチャールズその他の子供らを褒めて長所を育てるどころか、ひたすら試練、服従の強制、処罰の繰り返しで、これに女王としての義務を過剰に意識する母親の 「冷気」 が加わって、王室の新世代の家庭づくりは惨憺たる挫折の連鎖となり果てた。(p.42)
 英国王室の不埒な実態は、日本の皇室とはだいぶ懸け離れている。
 表向きの華やかさとは違って、家系的に継承される心理の連鎖は、王室の人々の心の綾となって様々なトラブル惹起の原因となっている。
 エリザベス女王とエディンバラ公の子供であるチャールズは、「なんであんなに美しいダイアナを愛さなかったのだろう」 と普通の人々は思うのであろうけれど、心の綾がクデクデに絡み合っている者同士の類友縁組だったから、そうなってしまったのであろう。

 

 

【サッチャーと女王の類似点】
 サッチャーと女王の類似点は、どら息子で苦労させられてきた点である。女王のどら息子は語る必要もない。 ・・・(中略)・・・ 。それどころか、女王は孫息子の一人、ハリー王子にまで苦労させられている。(p.87)
 女王にとっては、孫息子までドラちゃんである。それもまた “超~~~~ドラドラ“ である。記述されているのを読むと、 「ここまでするなら、半端じゃないから、かえって立派!」 と思ってしまう。
 一方、サッチャーさんの双子の子供のうち一人(男・マーク)は、国際的なビジネスでいろいろ際どいことをやっているらしく、亡命生活なのだという。もう一人(女・キャロル)の方は、作家となって堅実に生きているらしい。
 そのキャロルが出版した母親の伝記には、サッチャーさんは首相を辞任後、数年にして認知症が始まっていたと書かれているそうである。レーガン元アメリカ大統領もそうである。ソビエト崩壊が実現した頃、パワー全開で活躍していた英米のトップは、いずれもその後、認知症になってしまっている。
 エリザベス女王は、生きている限り現役だから大丈夫だろう。日本の美智子妃殿下も、最近はいろいろ “のろくなって・・・” とあえて庶民言葉で語っているけれど、愛子様など家族の人々と共に過ごす時間を多くして、もっと日本的な家庭の鑑となる生活を営まれた方がいいのではないだろうか、と思ったりもする。

 

 

【アフリカのことなら、MI5よりロウランドに聞け】
 1962年に経営トップとしてロンローに引き抜かれたロウランドという人物について書かれている。アフリカにおける煙草農園や鉱山の開発で頭角を現したロウランド活躍の記述を通じて、アフリカという国土に住む人々の現実を知ることができる。
 下記のレモナとは、モザンビーク民族レジスタンスのこと。現在は政党勢力となっているらしい。
 ロウランドは、ゲリラ時代のレモナに 「みかじめ料」 を納めていた。納めないと、ロンローの農場や産業施設を破壊されるからだ。 (p.104-105)
 しかし、90年初頭、あっというまに50万ドル分の化学薬品や灌漑パイプを爆破されてしまったという。
 モザンビークの戦時体制では 「武装農場」 の経営は採算がとれないと判明した。たまりかねて ・・・(中略)・・・ ロンロー側がレモナと交渉に入ったとき、相手の代表の台詞はこうだった。「金なし? じゃあ、民主主義もなしさ」 (p.105-106)
 ロンローの利権保持のために手をつけたこの調停作業にかかった費用は、ビジネスでは到底回収できない額に達していた。イギリス人から 「資本主義の不愉快かつ受け入れがたい顔貌」(ヒース首相)とか、 「ニューコロニアリズムの醜悪な顔」 と呼ばれてもたじろがなかったロウランドだか、98年、皮膚癌で死亡したとき、冷淡なイギリス人その他に比べて、ネルスン・マンデラをはじめとするアフリカの領袖たちがこぞってロウランドへの感謝を口にした。(p.109)
 かつて落合信彦の本で読んだアフリカのアップストリームビジネスに関する記述を思い起してしまった。それはもう途方もない賄賂の品々を、それぞれの企業が送りあって利権獲得を競っていたのである。
 アフリカという所は、日本のように、 「誠実」 とか 「約束を守る」 とか 「品質」 とかいう精神レベルの大地ではないらしい。そのような腐敗の慣例を作ってしまったのは、西欧各国が植民地獲得を競った帝国主義時代なのであろう。現代においては、中国人こそがそんなアフリカ精神にピッタリ適応する。
   《参照》   『崩壊する中国 逃げ遅れる日本』 宮崎正弘  KKベストセラーズ
            【スーダン】 【ナイジェリア】

 

 

【ディズレリーとグラッドストーン】
 ヴィクトリア女王は、スコットランド系ながら完璧に近いインサイダーのグラッドストーンより、ユダヤ系アウトサイダーのディズレリーに傾いていたという。
 なぜ女王は誠実、峻烈な頭脳、危機に強いグラッドストーンを忌避したのか? 女王のたまわく、「彼は私を 『制度』 としか見ていない」。
  ・・・(中略)・・・ 。
 ディズレリーは、むろん女王を不安な初老の一女性と見抜き、その琴線をかき鳴らし続けた。女王は毎朝のように手づからオズバン庭園でバラやサクラソウをつんでは、首相官邸に送り続けた。後に彼の命日は 「サクラソウの日」、彼を追慕する保守党クラブが 「サクラソウ・リーグ」 となる。(p.119)

 

 

【ディズレリーのルーツ】
 ディズレリーは平民院(衆議院)で、ある議員からユダヤ系として無礼な言辞を弄されたときも、間髪を入れずにこう切り返した。「さよう、私はユダヤ系だ。議員諸公のご先祖が名もなき島(イギリス)の残虐な蛮族だった時期、わが祖先はソロモン寺院の高僧でしてな」。 ・・・(中略)・・・ 。思えばシェークスピアが 『ヴェニスの商人』 で描いた架空のユダヤ系、シャイロックの窮地からまだ150余年ながら、最盛期の大英帝国は、才知溢れたユダヤ系にそういう 「居場所」 を提供できる程度には寛容になっていた。(p.118)
 ディズレリーは、13歳で棄教し、英国国教徒に改宗していても世間はユダヤ教徒と見なしたらしい。
 その背後に、資金力を有するロスチャイルドとの関係も見えていたのであろう。
   《参照》   『富の王国』 池内紀 (東洋経済新報社) 《前編》
            【貴族院議員】

 

 

【ローズ帝国】
 今日まで続いているローズ奨学金の元であるセシル・ローズの私的帝国が記述されている。ダイヤモンド企業として有名なデビアスの前身を打ち立てたのがローズである。
 1890年に、大英帝国政府から 「英領南ア会社(BSAC)」 の特許を取得し、これ自体がローズ自身の政府となったらしい。拠点は南アフリカであるけれど、その北側にある今日のザンビアとジンバブエにも採掘権を求めて進出していった。この両国は、かつて 「ローデシア」 と呼ばれていたけれど、「ローズの国」 という意味である。
 時のソールズベリー卿は、「取れるものはすべて取りたまえ。そしてその後で要求しなさい」 とローズに告げた。(p.147)
 なんという露骨で阿漕な見解であることか。でも、まあ、これが当時の帝国主義列強の一般的な見解なのだろう。しかし、ローズのおこなったボーア戦争の基となるトランスバール共和国への関与は過度なコロニアリズムと見なされ、大英帝国議会から譴責され、BSACのトップを辞任することになった。
 ローズはボーア戦争の疲労が原因で没したらしいけれど、ンデベレ族の各部族の首長が出席し前代未聞の葬儀が行われたと記述されている。ロウランドにしてもローズにしても、通常の視点では “腐敗” であっても、現地のアフリカ人の利権関与勢力からすれば “英雄” なのである。

 

 

【ブランソン家の 「法外さ」 】
 ヴァージン・グループを成功させてサーの称号を得たリチャード・ブランソンの母と祖母について、
 サー・リチャード・ブランソンは、4歳で母親イブから荒野の中に置き去りにされた。母親は、難読症や吃音ゆえに、内気になるわが子の行く末を恐れたのである。 ・・・(中略)・・・ 「あれであの子は二本の足だけで立てる人間になれた」。 「法外な」 母親の常識的な述懐である。(p.195)
 イブの実母ドロシーは97年時点、99歳でボーイフレンドを二人持ち、91歳でホールインワンを叩き出してギネスブックに掲載されていた 「法外な」 祖母だった。少なくとも三代続きの 「法外さ」 なのだ。(p.195-196)
 母親のそれって 「法外」 なんだろうけれど、祖母のそれって 「法外」 なんでしょうかね?
 まあ、いいや。
 イギリス人の二大特徴、「やせがまん(スティッフアッパーリップ)」、「へそ曲がり(ブラディマインディッドネス)」 と通じているようでいて、それらを超えている何かが 「法外さ」 であり、それこそが 「大英帝国」 に昔日の活力を取り戻させる何かなのだ。(p.196)
 「やせがまん」 と 「へそ曲がり」 と 「法外さ」 は、弁証法の正・反・合の図式に当てはまるかもしれない。ただし、「合」 が “正・負” いずれに出るかは人次第なのだろう。 「法外さ」 は “正” 、 「だだこねてやる、いじけてやる、ぐれてやる」 は “負” である。
 ブランソンの場合は、 「いじけてやる」 つもりだったのかどうか分からないけれど、結果的に 「法外」 な人生となっている。
 難読症をプラスに変えていく辛酸は、ブランスンが1967年、バッキンガムの全寮制校ストウ退学を決意したとき、校長からこう言い渡された事実から窺える。「リチャード、きみへの予言だ。将来、刑務所行きか、百万長者か、どちらかだな」。  ・・・(中略)・・・ 。
 ブランスンが16歳で 「プー太郎」 になった1967年は、時期がよかった。ドロップアウトする彼のほうが 「主流」 のヒッピーで、社会的成功への路線にしがみつく生徒達のほうが 「スクエア(野暮天)」 と軽蔑されたのである。「ヒップ」 とは 「五感を超越した究極の叡智を掴んだ」 という意味の形容詞なのだ。ヒップスターとは 「ヒップの域に達した者」 を意味する。ヒッピーとは 「ヒップスターのひよっ子」 の意味だ。(p.211-212)
 2010年時点の日本で “ひきこもり” が主流であるのかどうか知らないけれど、彼らが 「五感を超越した究極の叡智」 を求めているとは聞いていない。
 “ひきこもり” って、正であろうと負であろうとその絶対値はかなり小さいのだろう。エネルギーが小さいらしい。
 ”ひきこもり” の拭い様のない欠点であり 「法外さ」 との違いはそれである。
 いい子のみなさんは、スクエアに生きましょうね。
 
<了>