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 著者は、小学校教諭を長年勤め、退職後に学力コンサルタントをしている方だという。
 最初の第1章に、「ポイント」 が書かれ、第2章に、子供の学力を家庭でのばすための具体的な 「実践テキスト」、そして第3章に、「Q&Aケーススタディー」 が順序良く記述されている。
 

 

【「見えない学力」 の3要素】
 「見えない学力」 は次の3要素によって成り立っています。 言語能力 と 根気 と 先行体験 ――― この3つです。 (p.10)
 

【言語能力】
 学力の基礎は言葉です。言語能力の高さは、幼い時期の親の語りかけ、その後に続く読書などに左右されます。とくに読書好きな子は、知的好奇心が強いので、学力の豊かな土壌を育てることになります。言葉の力の乏しい子の学力は決してのびません。それは親が子に語りかける言葉の質と、読書を通じて築かれています。 (p.10)
 今の子供たち、あるいは大学生はどれほど国語辞書を引くのだろうか? 私は高校時代まで、ろくに本を読まなかったから国語の偏差値など50ちょっとしかなかった。理系だったからそれでも進学できたけれど、家族は女ばかりで論理的な語りかけなどというものは全然ない家庭環境に生きていたから、読み書き能力は普通であっても、私の国語力はかなり奇矯だったのである。(大学生になってから、漸くそのことに気づけた!)
 大学に進学してから、アパートの理系先輩たちの影響で、実に様々な本を読むようになり、分からない日本語の単語を辞書で調べるということを、大学時代を通じて地道に続けていた。地道というより何より、そうしなければ、日本人のくせして、日本語の単語の意味が分からなかったのだから!!! そうせざるを得ずにしていた、というだけである。当時は今のように電子辞書などなかったから、私が大学時代に使っていた旺文社の国語辞典は、受験で使っていた研究社の英語辞典より手垢で黒く汚れている。特に思い出すのは、高橋和巳の全集だ。文学クラブの先輩たちの話についてゆきたくて、高橋和巳という作家の、途中改行のない活字だらけ漢字だらけの作品集をすべて読むために引いた辞書の回数は、相当なものだったと思う。
 兎にも角にも、自分自身と世界を有機的に繋げるのは、脳の中に位置を確保している言葉(語彙)である。語彙力がないと、どうしたって世界に興味が持てないはずである。せっかく生きているのなら、何かしら興味を持てるような傾向を備えておかないと、“たいそう、つまらない人生になってしまう” と思っている。
            【ボキャブラリー】

 

 

【根気】
 何事も途中で放り投げてしまう子は、一芸に秀でる可能性さえ自らの手で摘んでいるのです。デッサンを積まない人が、一度は偶然で名画を描けても、再び同じような名画は描けません。勉強や趣味などに毎日でも取り組んでゆける根気というものは、家庭で仕事や役割を果たせる日常生活のしつけを通じて習慣づけられていくのです。その鍵は、親も根気強くしつけられるかどうかです。 (p.10)
 根気を継続させるコツは、おそらく身体の一部を使うことである。吉本隆明さんが、下記リンクの中で、手を動かし続けて10年継続することの意味を書いている。やってみれば分かるけれど、手先を使うことはかなり有効である。
   《参照》  『ひきこもれ』  吉本隆明  大和書房

            【10年継続することの意味】
 根気をやしなうためのしつけは、身体活動(意識)を通じて学ぶのが第一である。言語能力に関しても、齋藤孝さんが書いているように、声を出して読むという、身体活動(意識)を通じて学ぶのが学力向上の秘訣である。

 

 

【先行体験】
 体験がないと、いくら紙の上(教科書)で習っても、実のある学習になりません。たとえば、ふだんから規則正しい生活をしている子は、「時間」 の単元をならっても、一日の生活サイクルの連想から難なく理解できます。
 また、遊びも先行体験といえるでしょう。体を動かしてしっかり遊んでいる子は、学習でも臨機応変に才能を発揮します。・・・(中略)・・・。先行体験が豊かだと、新しい学習や環境に接したときに、判断力、理解力、記憶力をはたらかせることが容易になります。 (p.11)
 ここでも体験であるから、身体活動(意識)を通じて学ぶことの重要性が語られている。故にであろう、著者は、複数の塾を掛け持ちにして通うような、机上だけの学習方法には否定的な見解を示している。

 

 

【遊びも勉強も正しい姿勢で】
 落ち着きがあって、勉強もよく出来る子は、全部といってよいほど姿勢のよい子です。逆にだらしのない子や、落ち着きのない子、いわゆる非行癖のある子などは、一般に机に向かっているときの姿勢がよくありません。 (p.24)
 おそらく江戸時代や明治時代の教育では、姿勢(至誠)を正すことから教育が始まったのであろうに、今日、姿勢や服装の乱れを放任する教育機関というのは、一体何なのだろうと思ってしまう。そこに大和魂が根付く要素は、これっぽっちもない。

    《参照》   『日本IBM』 竹中誉  経済界

              【社員のマナー】

 
<了>