ぼくが物を書き始めたのは、ひきこもり性だったからです (p.124) という著者の本。書物に関わっている時間が多い人は、基本的に “ひきこもり性” なのだろう。少なくとも、 “文学” と “ひきこもり” は親和性が高い。
そもそも、 “ひきこもり性” ≒ “孤独好き” ≒ “人嫌い” なのである。それが良くないことだとは全然思わない。いやむしろ、若いときは必要なことだと思っている。
そもそも、 “ひきこもり性” ≒ “孤独好き” ≒ “人嫌い” なのである。それが良くないことだとは全然思わない。いやむしろ、若いときは必要なことだと思っている。
《参照》 “孤独” に関する引用一覧
【分断されずにひきこもれる時間をもつ事が大切】
ぼくの子どもは二人とも女の子です。女の子が育っていく時にいちばん大きなハンディは 「時間を分断されやすい」、つまり 「まとまった時間を持ちにくい」 ということなのではないかと思うのです。・・・(中略)・・・。
ひきこもる時間というものを大事に考えてきたということです。自分の時間をこま切れにされていたら、ひとは何ものにもなることができません。
ゆくゆくはこれを職業にできたらいいな、と思えるものが出てきたらなおのこと、一人で過ごすまとまった時間が必要になります。はたから見ると、何も作り出していない、意味のない時間に思えても、本人にとってはそうではないのです。 (p.24)
自分の体験からも、この記述内容は良く分かる。ひきこもる時間というものを大事に考えてきたということです。自分の時間をこま切れにされていたら、ひとは何ものにもなることができません。
ゆくゆくはこれを職業にできたらいいな、と思えるものが出てきたらなおのこと、一人で過ごすまとまった時間が必要になります。はたから見ると、何も作り出していない、意味のない時間に思えても、本人にとってはそうではないのです。 (p.24)
ついでながら、著者の次女が、吉本ばななさんなのは言うまでもない。
【学校などというものは・・・】
学校などというものは、適当にさぼりながら何とか卒業するくらいでいいのです。重たく考える必要はありません。どうしてもみんなと一緒にやらなくてはいけない最小限のことだけをやる。その上で、自分の中の不登校的な感覚を失わずにやっていけばいいのです。 (p.70)
チャンちゃんは、かつて高校時代、不登校ではなかったけれど、堂々とサボってよくその代償に甘んじた。大学時代は、堂々とサボっても糠に釘だった。そして、何であれ自分の好みに合わせて存分に“ひきこもれる” だけの潤沢な時間があった。高校も大学も卒業したけれど、特に大学時代はキャンパス内で生きていた記憶があまりない。
【10年継続することの意味】
これはどんな仕事でも同じです。どんなに頭のいい人でも、毎日継続して 「手を動かす」 「手で考える」 ということをしない限り、5年もすれば駄目になる。手を動かし、手で考えるとは、・・・(中略)・・・、文学者であろうと職人さんであろうとバイオリン弾きであろうと同じです。 (p.121)
のんびりやろうが、普通にやろうが、急いでやろうが、とにかく10年という持続性があれば、かならず職業として成立します。面白くても面白くなくても、コツコツやる。必死で頑張らなくったっていいのです。ひきこもっていてもいいし、アルバイトをやりながらでも何でもいいから、気がついた時から、興味のあることに関して 「手を動かす」 ということをやっておく。何はともあれ、熟練に向けて何かを始めるところにこぎつけてしまえばこっちのものです。 (p.122)
「手を動かし続けて10年」。これがポイントであると言っている。鋭敏な人と競り合わなくてもいい “鈍なる者のための手法” である。この部分を読んでいて、『ウン・ドン・コンがぼくの生き方』 (青春出版社) という田原総一郎さんが書いていた本のことを思い出した。英才ではないし鋭敏な頭脳などないないと自覚しているチャンちゃんのような凡人たちを、勇気付けてくれる良書である。のんびりやろうが、普通にやろうが、急いでやろうが、とにかく10年という持続性があれば、かならず職業として成立します。面白くても面白くなくても、コツコツやる。必死で頑張らなくったっていいのです。ひきこもっていてもいいし、アルバイトをやりながらでも何でもいいから、気がついた時から、興味のあることに関して 「手を動かす」 ということをやっておく。何はともあれ、熟練に向けて何かを始めるところにこぎつけてしまえばこっちのものです。 (p.122)
【ところで・・・】
大学時代、著者の評論的な著作を僅かながら読んだことを覚えているけれども、当時の私には著者の書いていた社会的・政治的な論考が、十分に理解できなかったし心底納得もできなかった。なにより、表現が複雑過ぎて、私の頭ではついてゆけなかったという記憶がある。
しかし、この本はあまりにも淡白な記述で、これが吉本隆明さんの著書か? と疑念を抱きかねないような代物である。無理もない。この本の出版時、著者は80歳である。すでに娘さんが大活躍している時代なのだから・・。
しかし、この本はあまりにも淡白な記述で、これが吉本隆明さんの著書か? と疑念を抱きかねないような代物である。無理もない。この本の出版時、著者は80歳である。すでに娘さんが大活躍している時代なのだから・・。
<了>