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 タイトルにつられて読んでみたら、逆に 「イタリアに住むなんて、私にはとても無理だわぁ」 って思う人が殆どなんじゃないだろうか。 著者の別の著作 の中に記述されていることもあるけれど、この本の中には、ぶっ飛んじゃうというか、閉口しちゃうどころか絶句しちゃうようなイタリアの側面が、重点的にいくつも記述されている。
 著者は、愛すべきイタリア人の国に住みながら、実生活上の様々な “憤懣やるかたない様々な事態” をここに書きつけることで、ガス抜きというか、憂さ晴らしをしたに違いない。

 

 

【イタリア郵便】
 「この前と違う。いくらなんだってあんまりだ。どうなってるのっ?」
 わめきかげんに言う私に、クールにも次のお言葉。
「いいの、今日はこの料金なの」
 なんですか? イタリアじゃ、局員によってのみならず、日によっても郵便料金が異なるってこと?(p.26)
 15キロ離れた隣の市に届くのまでに15日を要したり、日本までの郵便が20日もかかったり、そんなのはイタリア郵便業務においてはあたりまえ。そして他の業界においても、この程度のことはイタリアではありふれたことで、この本にその実例が幾つも書かれている。
 それにしても、この著作は、1998年3月初版だから、現在はインターネットが発達して、大勢の国民が、イタ郵のアホンダラ業務に業を煮やすこともだいぶ少なくなっていることだろう。

 

 

【イタリアで携帯電話が大流行した理由】
 つまり、私が言いたいことはこうだ。通話料金の高さにかかわらず、ケイタイがアッという間に大流行、ヨーロッパでいちばん使用者が多いと言われているのは、イタリア人の 「淋しがり屋」、そして 「見栄っ張り気質」 からきている、と思うのである。(p.56)
 空港の待合室などで聞いていると、
 実に他愛のない会話ばかりなのだ。本当は淋しい、淋しいイタリア人。誰かと話し、「僕はひとりじゃない。いつだって親しい友達がいっぱいいるんだ」 と確信し続けていないと生きていけません。加えて、生まれながらの見栄っ張り気質をしっかり発揮。「僕だってケイタイ、持ってるもんね!」 とばかりに、必要のあるなしにかかわらず使いたがる。(p.58)
 チャンちゃんは、社会人になって持たざるを得なかった時期もあるけれど、今は携帯をもっていない。学生時代にそんな流行の最中に置かれていたとしても、携帯など絶対に持たなかったのは確実である。高校を卒業して以来10年間もテレビの無い生活で平気だったのだから、携帯なんて100%いらないと思ったに違いないのである。
 イタリア人のように、「淋しい」 とか 「見栄」 とか、チャンちゃんには無関係である。下賤な者たちが群れをなして陥れようとする悪評に囲まれていてすら、チャンちゃんは平気である。
 チャンちゃんがイタリアに興味があるのは、現代のイタリアでない。日本と通底するかもしれないかつてのイタリアである。
   《参照》   『イタリアーニ』 小林元 (日経BP)
            【エルトルキス】

 

 

【マニュアル車】
 「オートマティックでは運転の楽しみがゼロ。つまらない運転では、まったくもって意味がない。手動でのドライブだと、レーサーになった気分がして爽快」。車に乗って手動ギアを使用したとたん、彼らは道路を公のものだと感じなくなる。「レースをしているんだ。さあ、突っ走れ」 とばかりに、不法追い越し、ストップサインの無視。たまりませんよ、これでは。(p.76)
 車の運転が好きな人は、国籍にかかわらず誰だってオートマ車はつまらないと思うに違いない。自らの意志がダイレクトに車に伝わる快感はオートマでは全然味わえない。イタリアの車の歴史と文化は抜きんでている。イタリアでは、今でも殆どがマニュアル車のはずである。
 ところで、卒業旅行でイタリアに行った時、観光バスの中から見てビックリしていたのは、路駐されていた車の多くが、洗車もされずしかも事故の傷すら修理せず、そのままの車がとても多かったこと。 「えぇ~~~」 って思ったのを覚えている。車間なく縦列駐車されたがために、前後に衝突しながらスペースを作って出ていくという、荒っぽい映画のシーンを思い出しながら、「それって冗談じゃないのかもしれない」、と思ったものである。
 イタリアでは、車の盗難など日常茶飯事的に起こっていることなので、ある程度の成功者でも、盗難抑止のために汚いボロ車に乗っている人も多いという。
 イタリア人のドロボーは、必ず新車を狙う。新車であれば、小型だってかまわない。 ・・・(中略)・・・ 。
 ベンツをトップに、大型車をドロボーするのはジプシーたちといわれている。何人のイタリア人が被害を受けていることか。ジプシーにとってのドロボーは 「産業」 などというレベルではなく、「生活そのもの」 だから始末が悪い。(p.87)

 

 

【これぞイタリア人】
 職業上のコントロールというのが、彼らにはきかないようだ。
 モデルと銀行員の様子を目にした私は、「あ、面白そう」 と興味が湧いた。あの銀行員、次の利用者にはどんな対応をするだろう。うーん、ラッキー。うしろにいるのは、美しいとはお世辞にも表現できない中年の女性。しかも、かなりのデブっちょさんだ。
  ・・・(中略)・・・ 。美しいモデルに僕(しもべ)のごとくかしずいていたその銀行員。握手までしてモデルと別れたその後の豹変ぶりといったら、いま思い出してもおかしくなるほど。あまりのギャップに、彼が別人に感じられた。(p.128)
 こういうのも、映画の中だけにある場面ではない。まさにイタリア。

 

 

【「マフィア」説 「能天気」説】
 ろくでもない中古車を売りつけたオヤジと著者のやりとりの一部。
 「なんだってぇ?! こんなことしておいて、まるでマフィアだ!!」
 ドアはすでに開けてある。店内にいた客たちにもしっかり聞こえ、皆、こちらを見つめだした。
 ヨタりきっていたオヤジは、急にシューン。
 ・・・(中略)・・・
 イタリア人が、「オマエはマフィアだ!」 と言われるのを妙に嫌うのも、日本人の私にはいまひとつ理解できない。(p.170-171)
   《参照》   『「チャーオ!」がいえたらイタリア人』 タカコ・H・メロジー (祥伝社)
              【強力な攻撃語】

 「感じ悪い」 に次いでイタリア人を消沈させるのは、「マフィアだ」 という言葉なのかもしれない。
 「みんな狡(ずる)くて要領ばかりいいイタリア人なんて、みんなマフィアじゃん」 という 「イタリア人マフィア説」 を採る日本人もいるけれど、著者の場合は、
 私? うーん、どちらかというと、「能天気」 説のほうだろうか。それも、可愛いアホ、という感じ。(p.171)

 

 

【日本人の質問】
 (イタリアの中で)どこがいちばん好きか?
 風景と料理の面で行くと、トスカーナ地方。歴史に圧倒されるのは、いつもローマ。小都市の快適さなら、ヴェローナとヴェネチアの中間に位置するヴィチェンツァ。ショッピングはミラノかな!? でも、ま、住めば都。我が田舎町バリアーノがいちばん、ということにしておこう。
 では、反対に、嫌いなところとなると、これはイージー。すぐ答えられる。フィレンツェ、なんですね。(p.201)
   《参照》   『「チャーオ!」がいえたらイタリア人』 タカコ・H・メロジー (祥伝社)
            【旅と生活の違い】
 「あ~ら、ヴェネチアもすごいわよー。フィレンツェより上かもしれない」
 そういう日本人もいる。 ・・・(中略)・・・ 
 ヴェネチアでは、こういった法外な料金を取る店、場所が多いらしく、この地ですれ違うアメリカ人がおきまりのごとくボヤいている。
 「ヴェネチアはドロボーだ」  (p.205)
 夏休みに、イタリア観光に行く程度なら、この付近を読むだけで良いけれど、本当にイタリアに住みたい人は、この本全部を読み、それ相応の覚悟をした上で判断するのがいいだろう。
 
 
<了>
 
 

  タカコ・H・メロジー著の読書記録

     『アモーレの国 イタリア』

     『「チャーオ!」がいえたらイタリア人』

     『イタリアですっごく暮らしたい』