2023.12.30 波瀾続きの2023年〆は北関東・会津へ。ドタバタと初めてを濃縮した年末⑫ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

波瀾は続いたが、とりあえず一番の旅ミッションであった日本酒調達は終わった。

あとは、しっかり瓶を割らずに持って帰るだけ…


…え?波瀾って書くくらいだから落としちゃうんだろうって??


先に書いておきます。


それは無いです。笑


そこまで波瀾だったら、凹んで書けんわ🤣


臨時普通列車新藤原行き発車6分前。

改札を再度入ってホームに向かう途中に。

2023年は、国鉄会津線会津滝ノ原駅として開業してから70周年の節目であった。

長らく特定地方交通線として廃止対象に上がる盲腸線であったが…

野岩鉄道が1986(昭和61)年10月9日に開業してから、様相が変化。

かつて想定していた今市、日光への乗り入れがなくなった代わりに、東武鬼怒川線とも接続して

栃木・春日部・北千住そして浅草までが一本で結ばれるようになった。

1990(平成2)年10月12日には、会津鉄道となった会津線も会津高原〜会津田島間を電化。

かつては、東武鉄道8000系や5050・3070系といった吊り掛け車も臨時列車で走っていた。


しかし、前後して年間輸送実績が100万人を超えていたものが1990年代後半から減少一途に。

現在はピーク時のおよそ1/10程度に落ち込んでしまっている。


2023年12月30日。

この日の会津滝ノ原駅、改め会津高原駅、改め改めて会津高原尾瀬口駅は閑散としていた。

盲腸線の終着駅時代を知らないので一概には言えないが、厳しい状況なのは嫌でも分かる。

ここ7年、折々に降りていて一番寂しい滞在になってしまった。


感傷を引きずりながら、また6050系の旅を再開する。

そしてこの日最後の臨時列車ともなり、この後の定期列車はスカイツリートレインに変わる。


また来た道を、戻る。


静かな街に別れを告げて、15:50発車。


軽快でリズミカルな走行音に眠気を誘われる。


すっかり誰もいなくなった秘境駅も、淡々と通っていく。


そしてここで、会津高原尾瀬口駅憩の家で、ついでに買っておいた缶ビールを開ける。

ローカル線に乗りながら呑むお酒も、また格別。

普段滅多に酒を飲まないくせに、こうしたことをするのはまた好きだったりする。


…しかしそんな旅も、長くはない。


またまた川治湯元で下車。


性懲りもせずに、今度はここでスカイツリートレインによる定期普通列車を狙おうと考えた。

これは、次の川治温泉駅で交換するのがダイヤ上明らかだったためで、これまでの経緯・経験上

対面での乗り継ぎは困難になるだろう、と考えての動きであった。


…ところが、ここで異変が起こった。


スカイツリートレインが来ない!


所定発車時刻の15:23になっても、肝心の列車がやって来ない。

各車1扉になっているから乗降に時間が掛かっているのだな、とはすぐにわかりはしたのだけど

それにしても列車が来なさすぎて、焦り始める。

こういう時の1分って、どういうわけかやたらに長く感じる。


…そしてそれから6分。

やっと来たかなとカメラを向けたら…

…あれれれ…


なんかピントが上手く合わない!!


結構シミュレーションしていたはずなのに、肝心なところで微妙な出来に。

なんということ、ここまで来たというのに!


半ば失意の中、すっかり酔いが冷めてしまった身体を引きずり少し遠い乗車口へ。


これまでの閑散ぶりが嘘のように、多くの乗客が川治湯元駅に降りていく。

この利用客の多さが、遅延を招いた要因になっていたのだろうか。

これだったら川治温泉駅で交換を撮れたのでは、というのは後の祭りである。


さて午前は新藤原駅で撮ったが、この旅初、8ヶ月ぶりのスカイツリートレイン乗車。

当初は男鹿高原まで乗り、再び新藤原まで折り返し乗り通す計画でいたのだが…

ここから事態はまた、大きく意外な方向に動いていくのである。