たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。
その時限りも大事だけど、できる限り日常を大事に。

毎度、当ブログをご覧いただきありがとうございます。


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無断での使用はいっさいご遠慮願います


改めて、8500系の魅力に迫る。


車内は2007年度以降、リニューアルによって車椅子スペースの設置やシートモケットの交換を経たが

車内の基本的な意匠は、登場時とほとんど変わっていない。

優先席のシートは赤に変更され、車内でもライオンズカラーがしっかり展開されている。


運転台もほとんど変化はなく、イタズラ防止に運転機器全てを覆うカバーも健在。


そしてまた、復習のように記録を続けていく。


8500系で特徴的だったのが定速制御。

惰行と力行1ノッチの間に【定速】ノッチがあり、巧にハンドルを合わせて速度節制をしていた。


そして、東中峯信号場での列車交換。

こうしたシーンが恒常的に見れるのは西武鉄道らしさではあるが、それも次第に減ってきている。


多摩湖線回田信号場は実質複線区間走行中にという感じだし、秩父線の正丸トンネル信号場は一方が

高速通過の機会が多いから、双方が停止しつつ行き違いはここが最後の存在かもしれない。


さて、1年ぶりに西武園ゆうえんち駅に下車。


相変わらずゆうえんち来訪目的では降りたことがない。

それに、まだ3月春休み前ということもあってか利用客もそんなにいない。


自分みたいに撮影目的もほとんどいなかったから、穏やかに過ごせたのは良かったけどね。


やっぱりレジャー施設の側の駅なのだから、賑やかさが欲しい。

残念ながら、閑散期のローカルな雰囲気のほうが勝ってしまった。

なかなかうまくいかないものである。


ただ、車内はオープン戦に向かう観客で賑わい始めていたのである。


ひとまずここは、ほぼ利用客なく終了。


8521Fを見送って…

これまた久しぶりに、駅外に出て付近の散策に動き始めたのだが…

新たな視点を、探しに探して。


ライオンズカラーの誘惑に抗いながら、記録は続く。

1本落とすと、次に来るのは10分後。

多摩湖駅3番線は、約半分がトンネル内の特異な構造。


そんなホームに、ゆっくり進入してくる。


他の路線のように、自動運転ではない。

ここでは運転士の技量に大きく左右される、アナログ感覚のある新交通システムである。


方向幕も手動巻き取り。

野球ダイヤの際には、レオとライナのシルエットが描かれた特殊幕が使用される。


ありがとうポスターと8501Fの並び。


40年余、車体色こそ変えられど一貫して山口線で運用されてきた。

まぁ、一貫しかできないのだが。


野球開催となると、多摩湖線からの平面乗り換えの人の激しい流れを受け入れ、そして吐き出した。

自分も幾度となく、その流れに乗ってきた。

行きはウキウキと楽しげに行くが、帰りは試合結果に左右されたものだ。


そんな悲喜交々の思いが複雑に絡み合うのが、この山口線だった。

もっとも、自分がよく観戦に行っていた頃は、レオライナーなんて愛称は無かったけどね。


そんな複雑な歴史に、一つの大きな区切りを迎えることとなった。


ビジターの応援をする人にも、それぞれにいろいろな思い出があるだろう。


その思いは、L00系が受け継いでいく。


そして、4月以降は残り2編成。


それらも、来年度までの命。


みんなは、後悔なく記録できているか?

身近で手軽だからこそ、抜かりなく撮り続ける。

約2年という時間を、大切に。

1/3の純情な感情。


3月22日続き。

10:55、山口車両基地内で待機していたV3編成が動き始めた。

一瞬だけ、ハリーポッタートレインと並ぶ。


ベイファンに出迎えられw

ゆっくり本線を跨ぎ、8番線に入る。


実は去年と比べて、8番線側の旧第三球場との築堤が整備され、西武ライオンズのロゴが。


スッキリした築堤の横を、最徐行で入線。


ここで開扉し、野球ダイヤが全て開始となった。

時間的に、プレーボール約2時間前である。


野球ダイヤは10分間隔で、運転時間内は西武球場前駅7・8番線で交互発着。

各編成が13分ほど停車し、その間は編成をゆっくり見て回ることが可能である。

その事が後日、要らん下らないトラブルに遭遇することになるのだが…


題:ライオンズカラーとベイカラーw


そして、11:01にV1編成再入線。


何度もここで撮ってきているが、行く度についつい一回はカメラを向けてしまう。


この日のL00系は、ずっと検修庫内に籠ったままだった。


東中峯信号場は、野球ダイヤなど臨時ダイヤ設定時のみ列車交換が行われる。

ここでの交換が、自分にとっては野球観戦やイベントの時のひとつの楽しみであった。


そしてまた、多摩湖へ。

V1編成には申し訳なかったが、オリジナルのライオンズカラーの方がテンションが上がる。

個人的には、最後の最後にラッピングを剥がして欲しかったかなぁ、とか。


試合開始時間が近づくにつれての賑わいが増していくところを、友と共に見守った。


交代の過渡期には、西武鉄道お手製のポスターが山口線各駅に掲出。

車両外観へのヘッドマークなど装飾は無かったが、その代わりささやかながら外部からの盛り上げは

西武鉄道らしい温かなものに終始していた印象がある。


ただ、温かいと甘い、甘やかすというのは違う、というのは後々しみじみ実感することになるが。

甘いのだから何をしてもいい、という雰囲気が醸成されている部分は、そろそろ抜本的な改良修正を

折々に仕掛けていかないと、どんどん増長してしまう事を肝に銘じておかねばならないだろう。

2026年3月30日。
僅か3日間の“4本体制”の後、遂に西武山口線の歴史が動いた。

8500系8501F、運用離脱。

ちょうど1年前に、いよいよの気概を持って動き始めたが…

そうこうしている間に、L00系L11編成が搬入され、試運転が進んだ。
そして3月27日運行開始、という告知が出たところで、ようやく重い腰が上がった。
3月22日日曜日、ちょうどこの日ベルーナドームで埼玉西武ライオンズと横浜DeNAベイスターズの
オープン戦が開催されるとの話を聞き、事実上最後となりそうだった8500系3編成フル運用による
デーゲーム野球ダイヤを記録すべく、西武山口線に向かったのである。


10:32。

“幻のV4”モックアップが出迎える多摩湖駅で、最初に捉えた。


ここ1年、8501Fは8521Fで行われた西武園ゆうえんちラッピングをカラーのみ引き継いでいた。

そして、この装いのまま運用を終えることになってしまった。

個人的にはオリジナルのライオンズカラーを維持して欲しかったけど、これも美学なのかな。

昭和の一時期に西武電車で纏われた、所謂リバイバルカラーでもあるしね。


全長2.8km、大手私鉄のAGTの挑戦は第二ステージへ。

かつて構想されていた拡大はならなかったが、西武球場へのアクセスとしてはすっかり定着。

そして、新型車両の導入によりまだまだ維持していくという揺るぎない意志が明確になった。


西武園ゆうえんちのアトラクション的な要素も残しつつ、細々と奮走はこれからも続く。

ただ、路盤や軌道設備の老朽化は進んでいるようで、このあたりの整備はあるのかどうか?


そして、オリジナルカラーの活躍は8521Fによりもう少し残るのは気持ち強くなる要因に。


…さて、西武球場前駅に着くと、どこかで見た横浜DeNAベイスターズのユニフォームを纏う男が。

この日のオープン戦を観戦に来た友人に、偶然?遭遇したのである。

というか、観戦に赴いているのを捉えていたからこそ出向いたと言ってよい。

しかも、西武山口線に乗ったことがないとか言うものだから、ここから案内方々巡ることに。


まぁ、よくよく考えてみたら西武山口線は新宿・拝島線系統から来ないと乗りづらい路線である。

自分も、国分寺で多摩湖線に乗り換えてアプローチするからこそ延べ39年乗ってきたわけだし。


西武球場で野球観戦する時は、ほぼ例外なく山口線経由で行き来してきた。

たった一度だけ、試合終了が延びて終電を逃したことがあった程度である。

乗り鉄目的だと狭山線利用が激増するが、それはまた別の話。

あくまでも、西武ライオンズの思い出のほとんどに山口線と、赤電351系時代の多摩湖線がある。


ちなみにオープン戦開催日の11時前は、まだ駅構内に余裕がある。

まして、多摩湖行きは一転して空気輸送化。

このあたり、イベント輸送の気難しいところ。


立体的なレオヘッドマークは、ラッピング後も全編成健在だった。


新交通システム、いまはAGTと呼ぶが、それと地上信号機という唯一の組み合わせ。

ランニングコスト抑制の観点から、保安装置にATSを採用したのが西武鉄道式の特徴だった。


8511Fは、SDGs×Lions GREEN UP!プロジェクトトレインとして2020年9月から運行中。

こちらも、このラッピングのまま運用を終える可能性が高くなってきている。


狭山線を走ってきたハリーポッタートレインとの並びも、今のうちに。


選り好み、している場合じゃないのはなんとなく分かってる。


そうやって満遍なく記録できたのは、自分にとっては事実上この日が最後。

フル運用のラストチャンスを、友と語らいながら次々に復習のように収め続けていく。


…と、西武球場前駅では去年までと違うポイントを発見したりも。

誕生日は周りに言うor言わない

本日5月10日、誕生日。

毎年なんだかんだで書いているので、今年も書かないと整合性取れないんですけどね。


年々、歳の数を見る毎に思うことが増えてきています。

あの人は○○歳の時に倒れたなとか、死んじゃったなとか。

自分も100%健康体とは言い切れないしね。

あと、知人の大事な人がこの日が命日とか、訃報があったとか、外側で気になることもあるし。


今年は47歳。

母方の曽祖父、所謂ひいじいちゃんが亡くなった歳です。

亡くなったのが1940(昭和15)年の話で、写真でしか見たことない人ですけどね。

そういうのがいちいち気になっちゃう、嫌な年代だなぁという。


それでも、嫌なことばかりじゃないというのは今までの積み重ねあってこそですね。

47…昔、この背番号の選手に影響を受けて野球に本格的に打ち込んだなとか。

左利きに拘りを強くする余り、左投げもずいぶん練習したし。

さらにかつては、相方も左利きだったりとか(たまたま)


話は逸れましたが鉄道に限らず音楽、演劇等々、さまざまな場面に縁を紡ぎ続けてきました。

ただ近年はSNSのつながりややり取り、投稿頻度も減少一途ではありますが…

その分再び、実際に会ってやり取りすることの重要性が増しているような気がします。


それだけに、フットワークを軽くしていくというのは47歳に限らずここ数年継続のテーマ。

百聞は一見にしかず、という言葉がありますが、自分の場合はより深く


百聞はおろか、映像で見るよりも生で見るものが全てに勝る


という絶対的な信念があります。

それを「無理しなくても」とかで片付けてしまうのは、この先の縁を切る刃に等しい。

実際動けるかどうかは置いておいて、声を掛けてくるからにはそれに懸ける熱意を知りたい。

そこで無理するかどうかというのは、見るこちら側が決めること。

そのあたりは、遠慮なくぶつかってきてみたらどう?と思うのです。


なのでこちらは、できる限り門戸を広く開けて待っております。

ただ身体はひとつしかありませんから、どうにも無理な場合はごめんなさい。


いろいろ適度に“入れ換え”しながら、常に前を向いて進行…の気概で。

(今日午前・西武池袋線小手指駅)


今日昼過ぎから行ったのは国立代々木競技場。

前に行ったのは27年前、エキストラとして参加した映画のロケでした。

その時は体育館前で夏の暑さの中屋外撮影で、長い待ち時間で向こう3ヶ月体調を崩すきっかけに。

今日は第一・第二体育館内のイベントだったので、27年越しの初入館となりました。


目的は、友達が参加していたライブ。

生演奏とダンスが融合した、ものすごい濃密で感銘を受けた20分間でした。

隣り合わせになった子の熱意にも刺激され、より生で見ることへの拘りが増した次第。

つくづく3月にワンマンライブに行かなかったことを後悔したし、来年こそは行かなきゃね。

そうした“生き続けていくための目標”を設定するのも、これからの歳は大切なことだよなぁと。


夜は恒例、我が家族誕生日の会食。

年に3回、地元のお気に入りのお肉のお店で。

さっきまで飲んだビールで眠かったのはここだけの話w


はい、明日からまた頑張りますよ。

47歳の私、これからもよろしくね。

束の間ののんびりライフ、頭切り替えて次へ

3月14日最終章。

すんなり帰れるかなと思っていたら、なんと影森で11分もの停車時間が。

しかし、そんなに急いでもしょうがない。

こういう時は、鉄道会社から贈られたボーナスタイムだと思える気概を持ちたい。


改めて目を転ずると、秩父鉄道には昭和の香りがそこかしこに色濃く残っている。

車両に拘るのも楽しいが、駅や沿線風景はまた味わいのある場所がいくつもある。

影森駅も、こうした停車時間が無かったらみすみす見過ごすところだった。

割と近代的な地下連絡通路も、時を経て階段の躯体コンクリートが良い風合いを出している。


そんな駅を発着する、昭和の電車。

都営三田線時代は、限られた区間を往復するばかりで目立っていたとはいい難い。

それが秩父鉄道に移り、水を得た魚のように活き活きして走り続けている。


4編成が譲渡されたが、5004Fは2011(平成23)年に踏切事故で大破し事故廃車。

以来3編成で秩父路の日常の一翼を守り続けてきた。


そろそろ都営三田線時代の在籍期間を越える奮闘ぶりであるが、その走りは決して無限ではない。

今回のリバイバルがやがて来る終わりへのサインとして、早めの記録へ気づきを与えてくれた。


またしばらくしたら、全線に範囲を広げて乗りに行く口実が生まれた。

1000系リバイバルカラー復活、そして引退の頃もちょいちょい足を運んでいたが…

その頃よりもさらに深めに巡りたいと考えている今日この頃である。


半世紀超えの激闘を抜けて、さらに走り続ける5000系の活躍をこれからも可能な限り!


…そして、西武秩父駅を横目に見て


御花畑駅に到着。

この日はここで、秩父鉄道巡り終了。


見えなくなるまで見送って、区切りをつけた。


…ふと。

昼食探しに出向いたところで、デキ505牽引の貨物列車に遭遇。

この走りもまた秩父鉄道らしい姿、積極果敢に撮り進めたい。


…なお昼食は珍達そばの激混みなどあり不調。

いつも通り祭の湯で1時間ほど入浴休憩して、

帰りの西武秩父駅で、5001F迎撃!


オリジナルスタイルを今に残すが、都営時代に比べて帯の色が若干水色っぽいのは気のせい?


これでとりあえず撮り切って、あとは帰るだけだったのだが…


西武秩父線遅延抑止に巻き込まれる、の巻。


まさかの影森から折り返して帰ってきちゃったというw

このあと、さらに吾野で数十分抑止という苦いダイヤ改正初日となったのだった。

閑散とした三峰口駅に、唖然。

とにかく、恐ろしく静かだった3月14日土曜日、正午前後の三峰口駅。

いつも行った時は賑やかな時ばかりだったから、この先大丈夫か?と心配になったのは本音。

ただそれも悪いことばかりではなく、余計な動きや声が聞こえてこないのはプラスであった。


ずっとそれなりに人がいるところに居たせいか、開放感を全身に浴びながら撮れたのである。

これまでほとんどメインにならなかった不遇が一気に吹き飛ぶくらいの痛快事であった。


秩父路にもすっかり溶け込んだセミステンレス。

セミステンレスなんて言葉も近年すっかり聞かなくなり、その数は少なくなってきている。

オールステンレス車に比べ絶対的耐久性に劣ると言われているが、秩父鉄道ではオールステンレスの

2000系(元東急7000系)を輸送力適正化の観点もあって短期間で置き換え、約四半世紀超の長きに

運用し続けているのは、路線の環境につくづく相性が良かったのだろう。


それでも、老朽化の波は避けて通れない道。

その時に、どうなっていくのだろう?

少なくとも、ここ1〜2年でどうこうというわけでは無さそうだけど。


変に騒ぐ前に、動く。

これからもその前のめりを忘れずに。


独特なコルゲートの質感も、今のうちにたっぷり愛しておく。


昭和でしか見られなかった姿を、40年近く経った令和の今見られることに感謝して。

次は、半世紀以上前…自分が生まれる遥か前に消えた姿、赤帯の復元をどこかで見たい。

残念ながらこの日はタイミングが合わずだったが、しばらく機会を伺っておきたい。


乗客もほぼいない時に、車内も撮った。

記憶は朧げであるが、都営三田線時代とほとんど変化がないそうである。


変化があったのは、優先席付近の吊り革が取り換えられた程度。

シートモケットも都営時代のままらしい。


都営時代に、全車両車体更新を実施。

志村車両検修場で、京王重機の出張工事により冷房化とセットで施工されている。


しかしここで気掛かりなのは、このデハ5103のメーカープレートが一部欠損していた点である。

後から気づいたが、さらに上写真のデハ5003のほうは完全になくなっているように見える。

相変わらず、自宅鉄道博物館を作って悦に入りたい輩が居るようであり腹立たしい気持ちになる。


そんな怒りを持ちつつ、12:06に改めて電車が動き出した。

武州日野では、秩父駅で出会ったデキ102と交換。


そして影森に着くと、6000系が2編成と、7500系が2編成。


12:22に到着し、なんと11分も停車時間が。

実にのんびり、のどかな秩父鉄道である。


さらには、ホームのカーブのため扉が開くのは2・3扉のみ。

このあたりの取り扱いも秩父鉄道ならではの妙技である。


6000系は2編成縦列留置のため、並びは撮れなかったが…

意外に旧塗装は似合っているみたいである。


改めて、前面帯の撤去跡を眺めてみる。


38年くらい前から貼られていたせいか、間近に見ると結構な傷が…

撤去にはだいぶ手こずったと推察される。


しかしこれを撤去したことで、新たなイベント制作も弾みがついているらしい。

先日はインドネシア移籍後の姿を再現した団体臨時列車も運行されている。

三峰口駅では、インドネシアの現地言語による放送も再現されたそうだw

秩父鉄道公式による撮影会や運転体験も行われており、しばらくは5000系周りは賑やかである。

春、リスタートは秩父で。

ほとんど客もいない。

実に静か。

いや、閑散すぎて気持ちが揺らぐ。

こんなに人がいない秩父鉄道は初めてだった。


そんな静謐な駅で、5000系にカメラを向ける時間。

歴史が予定通り動いてたら、東武東上線を介して寄居まで乗り入れるこの車両を見ただろうか?


そして、現在の主力は元東急電鉄の8090系と8500系。

先頭車化改造もあって、そのバリエーションはなかなか面白い。

裏を返せば、それだけ需要と供給のアンバランスぶりが見えてくるのであるが。


6000形は、2000(平成12)年の都営地下鉄三田線の目黒延伸まで在籍することは叶わなかった。

またこれももしもだが、東急目黒線を介して両形式の出会いがあったのかどうか?

そのあたりの想像も、また面白やであるが。

時の巡り合わせというものは、不思議なものである。


11:42、少し遅れて発車。


とにかく、驚くほどの静けさを乗せて、電車は走っていった。


11:48、三峰口到着。


それにしても…


人がいない。


少しばかり改札を抜けていった後は、すっかり閑散としてしまった。

ここまで静かな三峰口駅を経験したことが、これまでに一度も無かったのである。


3月の半ばというのは、三峯神社の参拝などレジャーのシーズンからは悉く外れていた頃なのか?

SLも翌週からだったし、あまりの閑散ぶりにすっかり言葉を失くしてしまった。


ただ、誰もいないことが、5000系の記録にはプラスには働いた。


それは、今後しばらくは訪れないであろう、きわめて至福な独占の時間だった。


ちょうど検査も通った後だったみたいで、床下もほとんど美しい状態。


そんなタイミングに、往年の都営地下鉄時代の装いを再現する。

他社でも多く見かけるし、秩父鉄道も過去に1000系を101系リバイバルカラーにしたり、6000系に

旧急行色に塗ってみたりと、いろんなことをやるのが好きな会社であるのを今更思い出した。


言い換えれば、そろそろの何か、がここ何年かであるのかもしれない。

気がつけば、他に譲渡された熊本電鉄も風前の灯。

インドネシアも波瀾万丈に過ごし、散々手を入れられた挙句20年満たずで姿を消してしまった。

そんな心のざわめきが、早く早くと足を秩父路に引き寄せ始めたというところか。

それも、ほとんど誰もいない時期に穏やかに回れるようにとは、随分粋なことをするものである。

3月ダイヤ改正後。
記録するものがなくなって張り合いを失くすか、他の視点に移してさらに注力するか。
近年は後者のパターンが多く、割合に張り合いを維持した生活を送れている。
ただ、地震など外的要因のブレーキもあったり、なかなか気難しいこともあるけれどね。

3月14日土曜日。

JRグループダイヤ改正の当日、この日は秩父に向けて足を運んでいた。

西武鉄道4000系の動向もそろそろ気掛かりではあるが、この日はもう一つ気になっていたことが。

秩父鉄道5000系の、装飾変更記念乗車券。


1999(平成11)年に、都営地下鉄三田線6000形を14両譲受。

このうち12両が3両編成4本に組成して導入され、2000系(元東急電鉄7000系)を置き換え。

2011(平成23)年の踏切事故で5004Fが廃車され、現在3本が運用。

全車1972(昭和47)年製で、都営地下鉄在籍時に京王重機施工による車体更新を実施。

旧国鉄・JR101系の1000系廃車後は、秩父鉄道線内の電車で最古参に。

かつ、都営地下鉄時代の在籍期間に比例する在籍の長さになってきている。


それらのうち5002・5003Fが今回、前面装飾を外し都営地下鉄時代の姿が再現されたのである。

5002Fが開業当初の赤帯、5003Fが1972(昭和47)年ラインカラー選定時の青帯。

末期の装飾がそのまま残る5001Fと共に、3形態の様相となった。


その装飾変更の記念乗車券が出たので、買いに赴いたのである。

購入は西武秩父駅至近の御花畑駅でも良かったのだが、丁度横瀬駅で直通の長瀞行きに接続したため

そのまま秩父駅まで乗車し、秩父駅で無事に購入と相成ったのである。


ちなみに、記念乗車券は3月23日までに完売。

早めの判断を取って正解だった。

しかしこの日は、記念乗車券さえ買えればすぐに帰ってもいい態勢だった。

実際この日、西武鉄道の「秩父漫遊きっぷ」しか買っておらず、西武秩父駅祭の湯でたっぷり休養し

西武4000系を買い摘みながら早めに帰宅する算段だったのである。

とりあえず御花畑駅までと、帰りの電車を待っていたら…


なんと、そこに来たのが5003F!


これもあり、急遽三峰口まで乗る方向にシフトチェンジすることに。


運転台は、ATSや無線、ワンマン機器に手が入れられた以外は都営時代のままのようである。

もっとも、都営三田線は今に至るまで最も縁の薄い路線であり、撮影した写真はごく少数残るものの

実際に乗車したかは記憶になく、秩父鉄道時代の付き合いのほうが遥かに濃い。


側面車号プレート上には社紋を追加、形式は4000番台を飛ばして5000系となった。

付番は羽生方から5000-5100-5200となっている。


前面装飾の無い顔は写真でしか見たことが無く、今回が初の遭遇となった。


前面帯のある顔に慣れ切っていたせいか、無い姿は実にのっぺりした印象である。


この日、デキ102単行による貸切のフォトランが行われていたが…

この秩父駅で、両者の並びを撮ることができたのも高収穫。


車内も、優先席の吊り革の交換以外ほとんど手がつけられていない。

それらの状況は、後刻三峰口に着いた後にチェックしていくことになる。


秩父駅では列車交換の関係もあり、8分ほど停車したためゆっくり撮影ができた。

11:22、秩父駅発車。


11:24、御花畑駅。

この日はここで多くの下車があり、この先は相当に閑散とした状況に。

SL運転再開前のオフシーズンは初めての訪問だったが、ここまで空いているのかと愕然とした。


影森駅では貨物列車編成が停車中。

羽生〜寄居間の東武東上線車両甲種輸送と共に、貨物列車の本格記録にはまだ着手できていない。


武州中川駅では、6000系と交換。


もっともこちらは、回送列車だったらしい。

西武101系の譲渡事例で、最も最上位の急行型として改造された同車。

中扉を埋め、西武10000系から転用されたシートを装備し、まだまだ活躍を続けている。


車齢半世紀超えをものともせず快調に走り続けてきたが、警戒信号にググっと減速すると…

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いよいよ、旅は最終章へ。

4時間ぶりに帰ってきた花巻駅。

早着により少しだけ長めに得た撮影時間を、存分に堪能した。

定期列車としての急行形の最後は、この岩手県内であった。

今や平成レトロとも称される、平成初期の良き時代を偲ぶことができた。


しばらくは一部が波動用として残存。

早くも福島DCの一環で、磐越西線で平日に特急としてキハ111-1+キハ112-1の編成が走っている。

4月の訪問は諸事情により取りやめてしまい、6月末までの運転でどうにか乗りに行きたいものだが。


ただ、185系はそもそも特急形だったから快速からの再格上げも違和感は少なかったが、キハ110は

急行形だったゆえに特急への格上げは多少無理が見えるのではと感じる。

仙台エリアで金曜夜に「イブニングウェイ」なる臨時特急を走らせていても、だ。


ダイヤ改正前後の違和感に逡巡しつつ、まずは歴史の区切りをひたすらに見つめてきた。


そして16:11、いよいよ東北本線へ。

ここから進行方向が変わるのもあり、確保してあった指定席にようやく着席。

「はまゆり6号」は東北本線内も快速運転で、往年のままの健脚を存分に見せつけた。


変わらぬ変速ショックなど走りの硬さや、車内も蛍光灯カバーの変色が気になったが…

それ以外は今の時代にも十分通用する、気味のいい走りだったかなと思う。


最高速度は、およそ100km/h。

平成2年製の約36歳というベテランという事実を差し引いても、実に良い時間だった。


さんざん出会ってきたEH500形の貨物列車も、一応の見納めとなっただろう。


さて、東北本線内唯一の停車駅は、矢幅。


個人的には、何かしら縁のある“矢幅”という駅名には感慨が強かったのだが。


そして遥か遠くに、SL検車庫の姿を見て…


16:39。

定刻で盛岡に到着。

長い長い旅に、区切りがついた。


途中遅延もほとんどなく、今回の安定感と信頼度の高さは抜きん出ていた。

私的事情以外に目くじら立てるようなことも無く、実に平和な旅路だったのである。


また701系も、ちょっとは乗りたい。


そんなことを考えつつ、早々にキハ110系たちに別れを告げて新幹線ホームへ。


ここからは東北新幹線「はやぶさ・こまち50号」で帰路へ。


午前よりもさらに賑やかな連結場面を眺めて、早々と乗り込んだのである。


最近散見される指定席トラブルも無く、無事に着席。

懐かしいりんごジュースを飲みつつ、ほぼ満席の盛況もあって眠りながら帰路についていく。


そして今回は東北新幹線も遅延はなく、抜群の安定感で大宮まで走り切ってくれた。

少しの岩手界隈への未練こそあったが、実に気味よく走ってくれたことは大きい。


おかげで「むさしの号」にも乗り継げ、20時には自宅リビングに腰を下ろせたのであった。

 

【今回の旅程】

国立→中央線快速→西国分寺7:41→武蔵野線「むさしの号」→大宮8:15…21→東北新幹線「はやぶさ103号」→盛岡10:50…11:26→快速「はまゆり53号」→釜石13:57…14:19→ 快速「はまゆり6号」→盛岡16:39…50→ 東北新幹線「はやぶさ・こまち50号」 →大宮18:39…49→ 武蔵野線「むさしの号」→国立19:30

やはり計画行程通りこなしきれるのは、気持ちのスッキリっぷりは段違いに違う。

前日が割と行き当たりばったりだったから、その達成感はまた格別であった。


ひとまずキハ110系の区切りの走りを堪能できて、ただただ満足。

貴重なご助言を賜ったI氏に改めて感謝を贈り、この春旅を終わりとしたい。


また来年!