ちゃけさん(たいちょ〜)の心のつぶやき

ちゃけさん(たいちょ〜)の心のつぶやき

『縁は、連結する』バス折返場訪問連載「折返場点描」、鉄道、音楽、演劇etc…興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。

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愚行は繰り返されている、のか?

11日に、先日レポートした東京メトロ千代田線6000系の特別運転がファイナルを迎えた。
この日はかねてより所用があって乗りには行かなかったが、懸念していた通りの大騒動となったようで。
ワイドショーでも取り上げられ始めたし、今後社会問題の一つとしてセンセーショナルに騒がれていくのは
日の目を見るより明らかな情勢になってきている。

このブログでも、かねてから一部鉄道趣味者の暴走行為に対しては幾度も警鐘を鳴らし続けてきた。
自分の中でこれまで一番酷いと感じたのは、2015年2月28日の京成電鉄3300形さよなら運転だったろうか。
この度の東京メトロ6000系ラストランに於いては、この時と同じような光景が繰り広げられていたばかりか
車内で乗客転倒事案で非常停止ボタンが扱われ、あと一歩で死亡事故につながりかねない事象となった。
元警備職従事者としては、かの明石花火大会歩道橋事故をも想起させる酷い状況に、強い戦慄を覚えた。

結局のところ、銀座線01系の時のような事前応募制の団臨運転になったら文句言うのはどこの誰だ?
それどころか、撮影も禁止になって何もイベントができなくなってから悲しみ、憤るのはどこの誰だ?

何でもかんでも混ぜていい加減なことを垂れ流しているコメンテーター氏の言うことに怒り心頭に発す前に
先ず自らの行動を振り返って反省し、言われない環境を一人一人が整えて行かなければならないだろう。
先に書いたコメンテーター氏の差別的発言は到底許せないが、一部自称鉄道趣味者の自分本位の暴走行為は
なお許せる次元のものではなく、一切フォローのしようもないものだとは改めて強く言明しておきたい。
そんなことをしているから、どうしようもない輩から感情論のひとつも吹っかけられるのだ、と。

…さて、こんなタイミングで、23年前のさよならイベントの写真を出そうかなと。
しょうがない、前々から書くつもりではいたからね(¬_¬)

自分が初めてさよならイベントなるものに参加したのは、1995年7月2日・日曜日。
前回に書いたJR中央線東京駅重層化を無事に見届け、次に行くのを決めていたのが都営浅草線だった。

この日、開業から約35年に渡って運行されてきた都営地下鉄浅草線5000形が全車引退した。
最後の一週間、1995年6月26日からは5097編成・5125編成で8両編成を組み、さよならヘッドマークを付け
平日は浅草線内運用に、7月1日は羽田〜千葉ニュータウン中央間を、最終日の7月2日には西馬込〜成田間を
定期列車の代走という形で往復して、乗り入れ社線を含めて最後の花道を走り抜けたのだった。

この日、中央線の撮影をした後に何故か京成高砂に行って撮影した写真が残っている。
それも、京成電鉄からリースされ千葉急行カラーとなって走っていた3050形3071編成の写真だ。
どうやら、京成高砂から西馬込まで最後の都営5000形さよなら列車に乗った

…らしい。

らしいというのは、乗ったことについて全く記憶にないからだ。
写真も、纏めたアルバム、選から漏れた余剰分、どちらを探しても運行中のものが1枚も無い。
そして、それに関わるメモも無い。
もしかしたら、あまりに混みすぎて撮れる状況に無く、結局先か後に西馬込まで動いたのか。
何せ23年も前のことだから、どこをどう記憶を辿ってももはや思い出すことができない。
当時は基本一人行動だったから(今も基本はそうだが)、その動きを知っている第三者もいない。
今手元にあるのは、馬込検車場に着いてからの写真ばかりである。

以下全て、馬込検車場(現・馬込車両検修場)にて

さて、どうにか馬込検車場に着いて、構内での撮影会に参加した。
入場にあたって少しは並んだはずだが、そんなに待つこともなかった気がする。
構内に入ると、最後まで運用された5097編成・5125編成の8両編成がベストポジションに据えられていた。

横には、この日運用が無かった5000形6次車こと5200形が2編成(当時は6両編成)並べられていた。
もともとが希少な上に、翌年に8両編成1本に纏められてから更に希少になってしまい、結局引退するまでは
撮ったり乗ったりすることがほぼ?できないまま終わってしまった。

5000形自体も、都営地下鉄浅草線内での乗車で明確に記録に残してあるのは1995年4月23日のみ。
1993年の9月にも中学の都内見学の折に利用している可能性もあるが、明確に手元に記録を残してあるのは
浅草橋駅で撮影した京急1000形のみだったので、結局その時は乗る機会は無かったかもしれない。

いずれにせよ、当時は浅草線はおろか都営地下鉄自体乗るようなことが少なかったからやむを得まい。
そんな程度の関わりだから、今みたいにさよなら運転区間を乗り回すなんてこともまるでしていなかった。
その割には、よく撮影会に行ったものだなぁと思うが。
確か「鉄道ファン」誌で情報を掴んで、計画を組み立てて行ったのだろう。

検車場の留置線の片隅にまとまっていた5000形休車群。
これだけ留置されていたのに、あまり執着して撮っていた様子もない。
その辺、まだまだドライだったようで。

さて、5000形は翌1996年の2月までは全て除籍されたようだ。
そして、旧馬込工場内に2両が保管されていたらしいが、工場の移転・取り壊しにより解体されたとの由。
現在は東京消防庁消防学校に、訓練教材として車体を短縮した5069号車が残るのみ。
一般公開されるのはごく稀で、それ以外は申し込んでも非公開とのことなので注意が必要。

…さて、この時のメモには撮影会の雰囲気とかに言及がないので、まだ穏やかだったのだろう。
その流れに変化があるのは、ここからおよそ2年半後の碓氷峠フィーバーになるようだ。
その頃くらいの心境については、またいずれ。

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今年7月から、旧国立駅舎の再築工事が始まっているJR国立駅南口。
せっかく地元に居て日々乗り降りしているのだから、その様子を時々不定期でリポートしてみます。

11月11日現在
再築工事着工から、はや4ヶ月。
基礎が打たれ、かつての駅舎の枠が僅かながら思い出されるくらいにはなりました。
上組はまだまだこれからですが、これだけでもかつて通勤通学に乗り降りしていた頃が懐かしい。

仮囲いに貼られたアピールも怠りなし。
これから少しずつ、懐かしい姿が戻ってくることになりそうです。

仮設迂回通路も、すっかり慣れました。
フェンスも一部が透明になり、工事進捗状況が覗けるようになりましたが…
個人的には1枚目の写真のように1番ホームから見下ろすほうが、全容は掴みやすいかなと。

12月1日に、一般公開があります。
但し全3回開催、定員は各回30名の事前応募制との由。
事前応募とかちまちましないで、もっと広く一般にフリーで公開してアピールすれば良いのに。
そういう部分、何故出し惜しみする必要があるのだろうと訝しく感じる。
国立特有の気難しい部分が見え隠れするのは気のせいなのか?

さらに、この再築工事を活かしてお祭りができるようになればなお良いのだが。
変に内側に固執せず、開かれた街を目指していけるように活用して欲しいのがいち市民の願いである。

…あ、事前応募出すの忘れた(*_*)ほらもー

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実に、1年7ヶ月ぶり。
今年はおろか、もう開催しないのではないかと思われていた立川バスのファン感謝イベント。
7月の福生営業所開設後のドタバタもようやく落ち着いたようで、今日第9回目が近年すっかり恒例になった
イオンモールむさし村山のB2駐車場を使って今日開催された。
立川バスファン感謝イベントとしては、初めての秋開催である。

今回は初めて、昭島駅北口〜イオンモール間でイベントに伴う直行臨時バスが初設定された。
1時間に1本、定期の各停を含めると1時間に2本の運行だった。
試しに昭島駅北口11:41発に乗ってみたが、昼前で告知期間も短かったせいか自分含めて乗客は4人のみ。
ただ、設定の仕様によってはイベントの有無にかかわらず伸びるかもと思わせるものがあった。

今回は、午前中に病院予約を組んでいたため12時過ぎに会場入り。
一通り挨拶を交わしつつ、見て回りました。

立川バスブースは、小田急ファミリー鉄道展に続いてLED表示器など部品の数々や、グッズ福袋も。

そして、立川バスの今回の目玉は、リラックマバスに新デザインが登場!

旧3号車を彷彿とさせるピンクベースで、イチゴをテーマにデザインされていた。
車両は上水営業所所属のJ823号車が抜擢。

今回のリラックマバスは新4号車となり、従来の4号車は近く一般色に戻される予定。
あの真夏の(関係者向け)お披露目会から、もう6年も経ってしまったのですね。

この他に展示されたのは、左から

イーグルバス(小江戸巡回バス)
日野自動車(サンプルカー)
立川バス2台挟んで、
西武バス(ゾウキリン×エンジェバス)
川崎市バス(キティ×ノルフィンバス)
西東京バス(にしちゅんバス)

が、武蔵村山に集い一堂に会しました。

中でも西武バス・川崎市バス・西東京バスは通常の営業エリアでは絶対に顔を合わせない並び。
これだけでもかなり胸熱モノ。

川崎市バスは立川バスファン感謝イベントに初登場。
てっきり過去の歴史経緯からかと思ったが、キャラクターバス運行にあたり相談を持ちかけていたらしい。

そして、キャラクターも集結。
一時的にゆるキャラコンテストみたいになっていたな(笑)

イオンモールロータリーでは、キャラクターバスが集まったりLED表示変換実演のおまけも。

今回は、どちらかというとファミリー向けの展示傾向。

朝は混んでいたようだが、到着時はすでに人の流れはすっかり落ち着いていた。

知り合いに会いつつ終始穏やかに過ごせた一方で、気持ちの中では少し寂しさも。

幅広い客層の好みをすべて網羅して惹きつけるのは難しいことけれども、それにしても…

作る人たちの傾向に左右されるのは致し方ないにせよ、地元愛ゆえなのかざわざわした気持ちのまま今回の

イベント参加を終えることになりました。

来年やるとしたら節目の10回、さてどうなりますやら。


もっとも、イオンモール自体も、というのもある。

土曜日にもかかわらず、前に来た時よりお客が少ないなと感じたのだ。

立川に大型店舗が増えて、分散しているのかもしれないけどね。

兎にも角にも、現地でお会いした皆様、居たのは気づいていたけど会えなかった皆様、お疲れ様でした!



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ずっと静岡鉄道のことを書いていて。
ふと、かつて静岡鉄道で走っていた「静鉄形電車」を昔撮っていたよなーと思っていた。

そんなところに、CD-Rが出てきた。

色々懐かしい、なんならそのまま封印しておきたい(笑)写真データの中に、それは間違いなくあった。
2003年7月、所用で京都に行った流れで福井に立ち寄っていたらしい。
それは実際に静岡鉄道に初訪問することから遡って、さらに約5年も前のことだった。

100形・300形・350形と続いたいわゆる「静鉄形電車」は、1961(昭和36)年から1967(昭和42)年に
かけて静岡鉄道長沼工場で自社製造されたグループを指すことが多い。
私鉄の自社製造となると一番有名なのは西武所沢工場だろうが、地方私鉄がイチから製造するのは当時でも
珍しい出来事として注目を集めていたようだ。
しかし、共通して通常メーカーよりも鋼板が薄いために軽量化には貢献したが、老朽化の進行は早く。
さらに旧型部品も多用していたため実際に静岡鉄道で活躍した期間は短く、以前取り上げた1000形の投入で
順次引退、長くても20年ほどという短命だったようだ。
しかし、そのクオリティから多数が譲渡され、大多数は1990年代中頃まで活躍した。

このうち福井鉄道には、静岡鉄道300形が譲渡されていた。
1966(昭和41)年から1967年にかけて製造された、静岡鉄道長沼工場製の電車では唯一の高性能車。
製造された全6両が福井に移っていて、訪問した2003年頃にはまだ運用に就いていた。
気がつけば、全国で最後の静鉄形電車になっていた。

福井駅前電停にて

この時は一部が運転再開したばかりのえちぜん鉄道を訪問してから、福井鉄道に寄ったらしい。
今は移転して消えた旧「福井駅前」電停から乗ったのも、また強いこだわりから。

福井鉄道は軌道線乗り入れのため、鉄道用電車に大きい折畳式ステップがあったのが最大の特徴。
電車が到着すると、バタバタと音を立てて開いていた。
それでも相当なバリアだったが、地元のお客さんはよいしょと慣れた手つきで登っていったものだ。

今も昔も、運転台は何故かよく撮影するアイテムだ。
カルダン駆動の高性能車だったが、ブレーキは旧式の自動空気ブレーキが使われていた。


場所不明
この頃は、1990年代のように細かなメモを取っていない。

ほとんどは、白地に赤帯・緑帯の福鉄カラーを纏い日々運用に就いていた。

武生新(現・越前武生)にて

元名古屋市交通局1200形の600形と肩を並べる場面も撮っていた。
この時は広告塗装の302編成が停車していて、辛うじて車内のセミクロスシートの様子も分かる。

車内のセミクロスシート化、冷房化など近代化を施して福井鉄道で急行を中心に活躍していた300形。
熊本電鉄や日立電鉄に移籍した車両より10年以上長く活躍したものの、他社と同じように薄い鋼板が災いし
老朽化の深刻度は年々増していたようで、2006年以降に名古屋鉄道から移籍してきた路面電車のシリーズが
投入されていくと、置き換え対象に含まれてしまい呆気に取られる暇もなく一気に引退してしまった。
そして結局、300形よりも古い200形が今もなお予備編成として残るという皮肉と矛盾を呈している。
この辺の事情は、請われて早々と移籍しつつも消えて行くのも早かった東急5000系の車歴に似ているか。
思い切った軽量化施策は地方私鉄では英断ではあったが、少しばかり気持ちが急ぎ過ぎたのかもしれない。

それにしても、あの頃に気にして撮影していて正解だったな。
あれから15年、公開せずに封印していたままだったが取っておくものである。
ここで満を持して写真を出して、今回の一連の静岡鉄道シリーズの区切りとしておきたい。

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1995年7月2日、日曜日。
この日は、東京圏の鉄道の歴史が動いた日だった。
いつもなら日曜日なんかは、唯一の高校が休みの日だったから大方ゆっくりと家で休んでいたはずだったが
この時ばかりはそうもいかず、いつもの時間に目を覚まして多めにフィルムを携えて家を出ていた。

まず最初に向かったのは…
というか、うちからどこかに向かうためには必ず乗らなきゃいけない、JR中央快速線。
この路線こそが、今回の第一目的。

この日、かねてから工事が進んでいた東京駅の中央線新ホームが一応完成となり、始発から午前11時頃まで
御茶ノ水〜東京間を区間運休して切り替え工事を行っていた。
事前に周到な告知は行われていたものの、いざ当日となってどんな運行をするのだろうか?
それが気になって、地元沿線、しかも通学エリアという条件の利から追って見ようと考えたようだ。
ということで、いざ国立駅に向かって御茶ノ水行きを待ってみると…

?!

201系、まさかの白幕で到着。
確か、国鉄時代の頃は御茶ノ水幕が入っていた記憶があったのだが…
後年の通勤快速各駅停車幕の設定の絡みで、とっくに消えてしまっていたらしい。
いずれにしても、この日の快速御茶ノ水行きは思い切ったオール白幕での運転だった。

立川にて

駅構内のLED行き先案内が、一番御茶ノ水行きであることをアピールしていた。
いつもなら快速 東京となっているところで、まず第一の違和感。

しかしこの工事絡みでは、全列車が御茶ノ水行きになったわけではなかった。
折返しは神田寄り1線(旧万世橋構内)のみを使用したため、線路容量の関係で一部の電車は新宿行きに。
土休日朝のホリデー快速送り込みの武蔵小金井始発臨時快速や、夜間の新宿発中央特快運用以外では珍しい
新宿行きが、この日は朝から数本見られたのだった。

国分寺にて

そして、御茶ノ水行きの中央特快はなんと「中央特快 東京」のままで運転!
前面種別幕を活かすための苦肉の策だったらしい。
当然、構内放送では御茶ノ水止まりである旨が繰り返し告知されていた記憶がある。
確か中央特快 新宿行きもあったはずで、その時は普段見られなかった方向幕を出していた気がするが。

三鷹にて

そして、この日のホリデー快速送り込み臨時快速は、全て中野折返しとして運転。
従ってホリデー快速おくたま・あきがわ号は中野始発となったのだった。

ホリデー快速おくたま・あきがわ1号と並ぶ快速御茶ノ水行き。
それにしてもこの頃の中央快速線、当たり前だが全ての電車が201系。
引退してからもすでに8年、23年も前の出来事だったなんて今更ながらに歳を痛感する。

新宿にて

そして、新宿で遭遇したT13編成による下り快速高尾行きの前面に

㊗️東京駅中央線新ホーム開業

のヘッドマークが。
折返し、運転再開後の一番祝賀電車になるようだ。
当時はネットで運用を追うことなぞできないので、この電車を目印に待とうと決めた。

神田にて

そして、工事進捗状況を見に神田に行ってみると…
なんと、前夜の終電で到着した各駅停車 神田行きの編成がそのまま留置されていた。

方向幕もすべてそのままで。

1995年7月1日まで約2年ほど、東京駅工事の間合い確保のために最終の各駅停車 東京行きが神田止まりに。
この時ご丁寧に方向幕も作り込まれていて、毎日終電でひっそりと運転されていたのは知っていた。
それが最後の最後に、こうして日の目をみる形になったのは意外なサプライズだった。
このH43編成が、  中央線新ホームに入線した一番最初の編成になった。

時間は9時半頃だったと思うが、すでに線路接続が完了し架線の最終調整に入っていた。

さて、御茶ノ水での折返しはどうやっていたのだろうか?
電車は通常通り4番ホームに到着。
客を降ろし、神田側に引き上げる。

…と、高尾方最後部がホームから離れる直前に一旦停止。
駅長事務室のところから、折返し電車の乗務員が乗り込んでいたのだった。
これを繰り返し、無事に区間運休を完遂したのだった。

そして、T13編成がやってきた。
さぁ、乗っていこう…と思ったら、白幕?!
残念ながらこの電車は御茶ノ水から試運転扱いで回送し、東京からの一番電車になったとの由。

しょうがないので、その1本後の正真正銘の一番電車で東京入りしました。
東京行き初営業編成はH34編成、こちらには装飾類は一切ありませんでした。

セレモニーが行われた高尾方は、すでに撤収真っ最中。

これだけを辛うじて収め、新しいホームの完成を祝いました。
もっとも、これから先も今に至るまで長く使っていくことになるのでそんなに居てもしょうがない。
と、妙な割り切りも発動したようです。

一方で、前日最終電車を持って役目を終えた旧1・2番ホーム。
それまでの喧騒が嘘のように、静まり返っていました。
そしてここから約2年間、東京駅は変化の波がさらに進んでいくことになるー。

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先月、二日連続で静岡に行ってきたわけですが。
あくまで主眼は鉄道とバス。
しかし静岡に行ったならば、やっぱり食べておきたいものがある。

さわやかのげんこつハンバーグ!

もう、至る所で説明されているだろうから細かいことを書くのは不要だろう。
静岡県下のみで32店舗(※今月「函南店」がオープン)を展開する地元密着ファミリーレストラン。
最初は喫茶店だったらしいが、いつのまにかげんこつハンバーグが定番商品に。
いまや静岡県民にとっては、鰻などの魚介類を差し置いて県民食と言っても言い過ぎではないだろう。

もっとも、近年はあまりに有名になり過ぎて県民が食べられない事態も多いようで。

自分が先日行った時は、ド平日なのに

あと64組99分待ち

という異常事態((((;゚Д゚)))))))
店員に聞くと静岡市近隣で幾つかコンサートがあったらしく、それで来店者が集中したらしい。
ちなみに通常の平日日中でも、だいたい40分待ちらしい。

それでも、いざ入ってげんこつハンバーグにありつけた時には格別なもので。
どう!この焼き!!

このセレモニーがないと、さわやかのハンバーグじゃない。
やっぱりソースはオニオンで。
ソースをかけるのはとりあえず半分だけ。

それは、最初に食べた時に浜松出身の方のレクチャーがあってからそうしている。
個人的には、塩だけでも旨い♪

このレア加減!

もう少し焼きたければ鉄板に押し付けてから食うべし。
これに塩だけで食べるって、ステーキ食べているかのようだよ。

満足!

さぁ、次に食べれるのはいつになるかな?
いっそこのまま静岡に住みたかったが(笑)


▼参考▼
げんこつハンバーグの炭焼きレストランさわやか



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第201回:ゆりのき台(ゆりのきだい)
所在地:東京都八王子市
担当:京王バス南(南大沢営業所寺田支所)
発着路線
[寺01]寺田東→医療センター(グリーンヒル寺田・和田・上館経由)平日朝1本のみ、寺田東行きは通過
[め82]めじろ台駅〜ゆりのき台(東京高専前・和田経由)
[め83]めじろ台駅→ゆりのき台(椚田北・和田経由)平日朝2本のみ

第206回、丘陵造成地の南端に。

まだ八王子市内は未取材地が残ってますよー。
そんな中で、とりあえず神奈中と京王バスはやっと周り尽くしたのかな。
あとは西東京バスが一度ボツになって再取材対象になった場所含めて12ヶ所ほど…(遠い目)

…とボヤきは置いておいて。
ゆりのき台は、第99回で紹介していたグリーンヒル寺田からも比較的近い位置にある折返場。
どれくらい近いのかというと、
これくらい。笑

前に来た時、なんで寄らなかったんだっけ?
法政大学もちゃんと行っているのにねぇ。

ゆりのき台は、八王子市南西部の丘陵地帯に造成された住宅群。
ゆりのき台団地とも称されますが、その南の外れにあくまでも折り返すためだけに設けられた格好。

周りには住宅も消え、鬱蒼とした木々に囲まれています。
住宅街に行くためには、また坂を登り直さなければなりません。

バスは全て北側から右折で入り、左折で出て行きます。
全てこの折返場内で乗降を完結するスタイルですが、それ故に変則運行も。

折返場自体はかなり昔からすでに存在していたらしい。
錆びついた折返場を示す看板を見ると「帝都」の文字が塞がれているのが…

バス停は、退色著しい準新型。
この面が真南を向いているから余計になのか…

殺風景な周りに、辛うじてここが折返場なんだと主張しているようです。

ここからは2方向にバスが運行。
但し寺田東行きは当バス停には停まりませんという無情な表示が。
場所が場所だけに、新たにバス停をもう一つ作るのも、折返場に入って停車するのも惜しかったらしい。

そんな医療センター行きは、平日朝7:24発のみ。
ちなみに医療センター発は平日12:45発のみなので、運用事情もあろうが完全に通院路線。
ただしここは通過するので注意。

めじろ台駅行きは、東京高専前経由のみ設定。
終日1時間2本程度なので、利用には注意。
まぁ、グリーンヒル寺田にも歩いていけるので、うまく使い分けたいものです。


路線データ
医療センターまで16分210円(IC206円)
めじろ台駅まで13分190円(IC186円)


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定期運用終了から3週間余り。
10月13日から11月11日まで土休日に限り、東京メトロ千代田線の6000系が特別運転を実施している。
毎回綾瀬〜霞ヶ関間を1往復するのみだが、一般利用も可能な臨時電車だ。
ということで、28日に西武鉄道の甲種輸送を撮影した後に墨田区役所を経由して乗りに行ってきた。

13:27頃、綾瀬駅。
狭いホームから溢れんばかりのギャラリーが待ち受ける中、ゆっくり入線してきた。
黄色い線からついついはみ出るのはどこでも同じで、駅員による再三の注意喚起の構内放送が響く。

今回充当されたのは6102編成。
定期運用終了時には見送るのみだったので、ようやくの乗車になる。
そして、それが最後の機会になるのだろうか。

停車時間はごく僅か。
13:29に発車する。

車内はラッシュのような大混雑。
特に最前部は御多分に洩れずすごい密度になっていた。
そして、停車駅での出入りも激しい。
そんな空気からか、半ば季節外れとも思える扇風機が稼働して、少しばかり身体の暑さは凌げる。

が、熱くなる気持ちまではコントロールし難いらしい。
この日は、大して見えない前面展望を求めて仕切窓を占拠する男が周りに悪態を吐く場面が見られた。
たしかに、強引に入り込んでくる人も悪いとも思うが、あんた方の指定スペースでもない筈。
またそれでなくても混んでいるんだから、多少なり押されてしまってもしょうがない部分もある。
それについてそんなに文句を言うんなら、自分が言うようにもう二度と乗りに来なければ良いだけの話だ。
まして子供を連れて来ていたが、親がそんな体たらくでは子供の教育にも影響を与えるのではないか。

さて、車内のプレート類は6102号車については一切が外されていた。
これも盗難対策か、それとも?

特別運転といえども一般臨時電車だから、一般客も大勢乗ってくる。

各駅で吐き出しては、また飲み込む。

これまでの約半世紀の日常となんら変わらないけれど、変わったのは周りからの注目度の高さ。
そんな中にも、知り合いの姿もちょいちょい見受けられる。

結局、霞ヶ関には3分ほど遅れての到着になった。

速やかに引き上げ線に…
と、6002号車の非常扉には懐かしい営団マークが!

そして、少しばかり小休止して14:16頃。
発車時間になってから、折り返し臨時綾瀬行きが入線してきた。

今度は営団マークの6002号車の先頭で入線。


往路同様、やはりギャラリーの動きは活発。

懐かしい営団マークと、45年以上も走り続けて疲弊の色は隠し難いアルミ車体のスポット溶接跡。

それでも、更新を繰り返しながら走り続けてきた。
ことに沿線住民の思い入れは強く、涙ながらに思い出を語る人もいた。

そして、14:44頃に綾瀬に到着。
これだけの賑わいながら、2分延で留められたのはなかなかの健闘ではあった。

しかし、先頭の密度はかなりのもの。
先に撮った人は交代してくれ!と思うのだが、いざ入り込んでみると後方の圧が凄く動きが取れない。
おかげで僅かながらも顔は押さえられたが、さて最終日はどうなってしまうのだろう。

そして、14:47頃。
綾瀬車両基地に向けて回送、この日の運用を終えた。
残り運行回数は4回、どうか無事故で終わりますように!

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10月28日。
26日に山口県下松市の日立製作所から出場した西武鉄道の新型特急電車の甲種輸送が、無事上京。
ダイヤは事前に公開されていませんでしたが、Twitterに逐一情報が上がるものだからそれをひたすら頼りに
状況を見極めて、車を走らせてこちらの撮影地にやって来ました。

武蔵野線北府中〜西国分寺間にある、泉町陸橋の上。
かつて何度もここで撮っているし、オフィスからも車で10分かからない馴染みある場所。
近くのコインパーキングに悠々と車を止めて、陸橋上へ。

ネタがネタだけに人が多いことを覚悟済みだったが、意外なことに自分含めて3人のみ。
それも、うち1人とあれこれ話をしながら待つ。
聞いてやはりと思ったが武蔵野線各駅は激パだったみたいで、ギリギリ回避して正解だったみたい。

そして、8:39頃。
その姿を、ついに現しました。
ブルーシートからもわかる、その頭の球面っぷり!
しかも牽引機関車は、国鉄特急色に戻されたEF65 2101が登場。


要所要所でサービス警笛(駅では本当、注意喚起なんだろうが…)を鳴らしながら通過していきました。

…これからおよそ1時間後、新秋津駅。
すでにEF65は切り離され、西武線内に入る準備が進んでいました。

新101系263Fもスタンバイ完了。

…改札を出て向かう間に、連結作業が終わっていました。

仮設の連結器が、やけにものものしい。

実運用時の連結器は、スカート収納になるのかな?
等々、そこにいた人達と会話が尽きぬ。

ここに愛称が描かれるのだろうということは、なんとなく想像ついていた。

池袋側になるほうに回り込んできました。

やはりブルーシートでぐるぐる巻きにされてはいるものの、その特徴的な前面はよくわかります。

そして、側窓の大きさも。 
JR東海のワイドビューシリーズよりも凄い。
そして、

レオがいた!

相鉄20000系の時と同様、代表キャラクターの車掌?役を得て長駆走ってきました。

できることなら、日本シリーズ進出を祝いつつ出迎えたかったよね。

そんないちライオンズファンの、複雑な気持ちを乗せながら。

さっきまで牽引してきたEF65 2101が帰っていくのを合図に、撮影を終えました。

…本当はせめて所沢までは見送りたかったのですが、この日は池袋線がダイヤが乱れていた関係だったのか
タイムリミットまでこの場所を動くことが無く、仕方なく撤収した次第でした。

さて、今日、報道発表がありましたが。

形式は001系
愛称は「Laview(ラビュー)」

と正式に明かされました。
正直な話、形式は意外な流れになりました。
周りが50000系と先走りで書いていたけど、違和感があってTwitterでは形式を書いてこなかった。

そして、昨夜の段階で「50000系はない」とも聞かされてはいた。

結果、初代レッドアローで××1系から脱却したと思いきや、今回まさかの回帰。
これからの100年を意識して付けられた、との由。
JR東日本のクルーズトレイン「四季島」も意識したのだろうか?

営業開始は来年3月。
レッドアローの世代交代完了からはや23年、その移り変わりをまた見る時が来た。
新たな魅力を加えた秩父路を駆け抜ける日が、今から待ち遠しい。

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次第に淘汰が進んでいる静岡鉄道1000形の中で、気を吐いている一編成がいる。
1011編成、ちびまる子ちゃんラッピング電車だ。

ピンクの濃淡カラーに全身を包み、静岡鉄道線を日々…と言いたかったが。

実は最初、15日に行った時には運転がなかった。

仕方ないからこの日は、長沼車庫に留置中の実車と駅に置いてあるパネルだけ眺め。

16日、御門台→新清水→新静岡と実乗してディテールを眺めました。

8月に原作のさくらももこ先生が亡くなり、しばらく追悼ヘッドマークが付いていた同編成。
四十九日に合わせたか14日で掲出が終わり、清水にあるちびまる子ちゃんランドのマークに戻された。

外観も車内も、さくらももこワールド全開。


日中は、まる子の声優を担当するTARAKOさんの脱力感たっぷりの車内アナウンスも聴ける。

吊革も遊び心たっぷり。


さくらももこ先生は亡くなられてしまったけど、先生が創られた作品の世界観は永遠。
キャラクター達に少しほっこりしながら、静岡の街を巡るのも悪くないものです。

ただし、この1000形も引退が進行中。
この1011編成も、いつまでの命か…?
ラッピング期間は数度延長されたままだが、ここ6年以内に動きがあるのは間違いなく。
後悔のないうちに、乗りに動くべし!

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