ちゃけさん(たいちょ〜)の心のつぶやき

ちゃけさん(たいちょ〜)の心のつぶやき

『縁は、連結する』バス折返場訪問連載「折返場点描」、鉄道、音楽、演劇etc…興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。

毎度、当ブログをご覧いただきありがとうございます。

当ブログの写真の二次使用をしたい場合は、事前にお知らせください。

無断での使用はご遠慮願います


ペタは、廃止させていただきました。


テーマ:
伊豆箱根鉄道。
先刻の甲種輸送を含めて、久々にじっくり向き合って乗り、また撮ってきました。
今まで知らなかったことも多く、また魅力が深まった実質二日間の行脚でした。
せっかく撮り貯めた写真も含めて、少し書き残しておこうかと。
まずは大雄山線編。

5000系
在籍両数:21両

1984年から1997年にかけて、大雄山線用として3両7本21両が東急車輛製造で新製された。
第5編成までは、前面行先表示は「バイナリー・ヘッドマーク」と呼ばれる方式を採用したのが特色。
区間運転もない、小田原〜大雄山間の線内単純往復のみの同線に特化した方式。
旧型車置き換えのタイミングで新製されたため、編成ごとのバリエーションが多いのもまた特色。

5501編成は、駿豆線3000系に似た鋼製車体。
2016年より「オールドカラー復刻バージョン」となり、懐かしの赤電塗装で運用されている。

1986年製造の5502編成以降は、東急車輛お得意の軽量ステンレス車体に。

5501編成の前面には、かつて使用されていた前サボの復刻も。

先刻の甲種輸送では、小田原駅構内での入換作業にも大活躍!

最終編成の5507編成は、5506編成同様のLED行先表示と、連結器周りのスカートが異色。

スカートが付くと、まるで表情が変わる。

コデ165形
在籍両数:1両

コデ66の置き換え用として1997年に改造。
もとはモハ165として約20年間大雄山線で運用、その前は相模鉄道2000系として約16年間運用されていたが
元を辿れば鉄道省、国鉄のモハ30系で、車歴は実に90年の長きに及ぶオールドタイマーだ。

車籍上の変遷
①鉄道省モハ30166(1928年新製)
②国鉄クハ38108(1949年改番
③国鉄クハ16156(1953年改番)
④相模鉄道クハ2510(1960年譲渡)
⑤伊豆箱根鉄道モハ165(1976年譲渡。モハ2024と車体振替)
⑥伊豆箱根鉄道コデ165(1997年)

今年3月には、茶色塗装が復元され往時を偲べるようになった。
走行機会は限られるが、未だ現役なのは喜ばしい限り!

大雄山線はシンプルな輸送形態だが、魅力はかくも深い。
趣深い大雄山駅舎もまだ現役。
シンプル故にどうしても後回ししがちな路線だが、是非一度は足を運んでみて欲しい。

テーマ:
この土日は、東京ビッグサイト東展示棟1-6ホールで行われていた

ツーリズムEXPOジャパン

を見に行ってきました。
月末に向けてあんまり出歩いている暇もないんですが(笑)
ここんとこ仕事で心身疲弊していたし、会いたい人もたくさんいたからね。

二日間とも、根城は日本旅行ブースのトークショーでした。
長いことお馴染みな方々のトークに笑い転げ、膝を打つ時間。
気持ちを整えるためには、こういう時間も挟まないといけない。

それにしても、とてつもない規模のイベントでしたね。
昨日時間があったので少し回ったのですが、どこもすごい熱量で全然回る時間が足らなかった!
次にある時は、ゆっくり時間をかけて回りたいと改めて感じました。

そして今日は、同級生の誘いもあり久々に母校の文化祭へ。
卒業からはや20年半。
変わっているもの、変わっていないもの。
すでに記憶は曖昧だったり忘れていたりするものもあったけど。
不思議と駅を降りて、通学コースを歩いて、いざ母校の敷地に足を踏み入れると、いろんな思いが蘇る。

それには良かったものもあれば、苦い、苦しい、腹立たしい、悲しい思い出もあるのだけど。
それでもやはり、この学校に進学したからこその今の自分、今のつながりなのだと、それは嬉しく思う。
特に今日は、懐かしい仲間、先輩、そして恩師に出会えて、また推進力を得た一日になりました。

…世間狭っ!って出来事もまた、可笑し。

テーマ:

第200回:ひばりヶ丘(ひばりがおか)
所在地:静岡県熱海市
担当:伊豆東海バス(熱海事業所)
発着路線
[A31]熱海駅〜ひばりヶ丘(お宮の松・天神町・紅葉ヶ丘経由)
[A32]熱海駅〜ひばりヶ丘(咲見・天神町・紅葉ヶ丘経由)ひばりヶ丘発は平日朝のみ
[通学快速]ひばりヶ丘→熱海駅(紅葉ヶ丘・天神町・咲見町経由)
清水町→熱海駅間無停車。土日祝日と学休期(春・夏・冬)は運休
[A49]熱海駅→伊豆山神社先回り伊豆山循環→熱海駅→ひばりヶ丘(咲見町・天神町・紅葉ヶ丘経由)

2015年2月から始まった、バス折返場訪問記【折返場点描】も、積み重ねてついに200回!
一部のコアな方の支えもあって(笑)関東のあちらこちらに足を運んできました。

…はい、関東に。

稀に山梨県ということはありましたが、それは母方の実家がある関係もあって実現。
それ以外はどうしても行動範囲上、一度群馬県を訪れた以外なかなか東京・神奈川・埼玉から抜け出せず。
しかし今回、200回目の節目となることを踏まえて、どこかに行こうと考えた。

都内の未踏場所?
神奈川・埼玉の未踏場所?
千葉?茨城?栃木??

思いつくのは関東近県ばかり。
それも次第に、手詰まりになってきていた。
いや、あるにはあるのだけど…なんとなくインパクトに乏しい。

そんな時、伊豆箱根鉄道の甲種輸送を追っていた流れで久々に通った場所。

熱海

…それだ!

考えてみれば、熱海方面はほとんど家族とは車でしか来ていない上に、行く場所も限られている。
まだまだ未開拓で、意外なスポットがあるのではないか?
そんな考えから、甲種輸送撮影から約一週間後に再び熱海を訪ね、数年ぶりに熱海駅改札を出た。

もうほとんどぶっつけで、駅前の案内所で資料だけを収集し、思いつくままに東海バスに乗った。
あまりに思いつくままだったため、紅葉ヶ丘に営業所(伊豆東海バス熱海事業所)があるとは知らず。

ここ。
降りてみてガックリ_| ̄|○

それでも引き寄せられるものがあったのか、都会のような名の「ひばりヶ丘」行きに乗りさらに進む。
ただでさえ途中からひたすらに上り坂で、九十九折の急カーブをいくつも通過。
海のイメージの強い熱海から乖離していく様に面食らっていたら、

せ、せまっ!

終点一つ前の「団地上」を過ぎたら、急に行き違い不能な狭隘路に突入!

さらに驚きなのは、

制限法定速度が40kmのまま

…それが尽きるところで左折。

入ったら頭を突っ込み、バックで切り返してから客扱い。

その場所は、高台にある団地の一角の折返場でした。

熱海市営和田山団地、またの名をひばりヶ丘団地。
地図の朽ち方があまりに激しく全容は掴みきれませんが、それでも20棟ほどあるなかなか大規模な団地。

車とバス以外では到達不可能、今まで足を運んできた団地の中でも極めて特異な雰囲気。
周りを歩こうにも憚られてしまうくらい静かで、また坂も多くてしんどい。


そんな山を削った限られたスペースに、折返場が整備されている様には驚きました。
しかもかなり昔から乗り入れて、日常の生活の足を確保していたみたいです。

折返しスペースに、少ない土地を有効利用。
ゴミのパッカー車も乗り入れてくるような場所でバスは折り返します。

団地の日常生活に溶け込む、熱海のバス折返場。
ここまで来ると、海側でよく見るようなリゾート気分は微塵も感じることはできません。

バス停は、東海バスグループの標準仕様が鎮座。
年代物の公衆電話ボックスと並べて置かれています。

やはり生活路線らしく、それなりに本数もあります。
平日朝は平均10分間隔、6時台は通学快速と合わせてピーク1〜5分!
この折返場がバスで埋まる様を見てみたい気もしますが、こちらから到達するのは不可能に近い。


そんなバスの折返し風景を、200回を記念して初めて動画で公開!
極めて狭隘な道路をバスが駆け上がってくる時点で、かなりスリリングな場所のです。
ぶっつけでも、このような場所を探し当ててこれたのは運が良かった。
まだまだ続ける意味はあるかなぁと、勝手な解釈をしております(笑)

乗り入れてくるのは中型車がメインですが、大型車が入るパターンもあるらしい!
中型車だって、あの道は狭いですが( ゚д゚)

東海バスはすべて前扉から乗り、前扉から降りる方式を採用しています。
まだICカードもありませんので注意が必要。

路線データ
熱海駅まで約21〜23分330円


狭隘区間を降りていく動画も、せっかくだから公開しましょう♪


取材に際しまして、先週の更新は休止といたしました。
今後は、マイペースながら週1回を目指し更新を続けてまいります。
これからもよろしくお願い致します!

テーマ:
江ノ島電鉄。
言わずと知れた関東屈指の観光地である江ノ島・鎌倉を沿線に擁する私鉄路線、通称江ノ電。
藤沢〜鎌倉間全長わずか10kmながら、狭い軒先を抜けたり、併用軌道があったり、海が見えたり…等々と
目まぐるしくロケーションが変わるので、男女問わずファンが多く、いつ行っても飽きることがない。

自分も、本に載っていたのを読んでいたりしたから昔から存在は知っていた。
その時に見た写真は、腰越あたりの住宅街を抜けていくものだっただろうか?

実は、早ければ1991年春には江ノ電に乗れる可能性があった。
それは、うちが通っていた小学校の当時の6年の春の遠足が鎌倉方面だったからだ。
少なくとも、うちの前の年代まではそうだったはずだ。
その話を聞いていたから、鎌倉に行けることが、江ノ電が見れることが、もしかしたら乗れるかも?という
楽しみが、かなり前からずっとあったのだった。
俺らの時も遠足は絶対に鎌倉だ!と信じて疑わない、純粋な小学生だった。

ちなみに、お寺とか神社を見て回ることには一切興味は無かった。
うちのことをよく知る人は分かっていると思いますがね(笑)

《それまでの遠足歴》
1年 立川・昭和記念公園  武蔵野・井の頭公園
2年 武蔵野・野川公園  羽村・羽村動物公園
3年 八王子・高尾山 東京都檜原村
4年 青梅・御岳山 埼玉・武蔵野狭山林間コース(フィールドアスレチック)
5年 神奈川・藤野園芸ランド 五日市(現あきる野)・飯盒炊爨

もう、4年秋の遠足からは都県境を越えていたしね。
JRの切符代をケチるために、恋ヶ窪まで歩かされたという珍行程はあったが(笑)
問題はないものだと、この時は一点の曇りもなく思い込んでいた。

ところが。
いざ6年に進級して、春の遠足の行き先が発表された。

高尾→相模湖

…はい?
なんですかそりゃ?

山登りです。

ただ歩くだけ??

歩くだけ。



なんじゃそりゃーーーーーー!!!( *`ω´)

ただでさえ、この【90's DOOR】シリーズで書いてきた通り母の実家は山梨県上野原市(当時・上野原町)。
前年春だって、当時の神奈川県藤野町だった藤野園芸ランドなる場所。
自分からしたら、普段から行き来している馴染みのある場所に行ってもなんにも面白くなんかない!
※極論から言えば1年春の昭和記念公園もそうだが(父が西立川育ち)その時は純粋だったから…(笑)

しかもしかも、大嫌いな山登りなんて言うもんだから、不機嫌モードは増す一方。
ただでさえ約3ヶ月くらい後に日光への移動教室を控えていて、また尾瀬あたりを歩くというのに!!

冗談じゃねぇ!!(堀内孝雄ばりに)

…こんな精神状態だったから、実際の遠足がどうだったのかはもう全く記憶の片隅にすら残っていない。
(山登りだったからという理由では、高尾山やバス折返場取材で再訪した御岳山も同様)
後々まで残っているのは、結局鎌倉に行けなかった怨み、江ノ電を見れなかった哀しみばかり。

…という江ノ電をやっとこの目で直に見ることができたのは、さらにそこから2年半後。

日付は1993年10月3日、日曜日。天候は雨。
場所は七里ヶ浜〜稲村ヶ崎間、今の新車車両搬入場の所。

確かこの時は家族でドライブに繰り出して、側の駐車場で休憩していた時だったと思う。
折良く当時注目の最新車である2000形が、明治カール広告塗装の1000形1201編成を伴って通過した。
まさかこの時は、いま明治カールが関東で販売終了になるなんて全く想像できなかった。
当時はあって当たり前、食べれて当たり前の存在だったんだがね。

そして、実際に乗ったのはさらにここから約2年後。
1995年7月20日、木曜日。
この日が「海の日」という祝日になったのは翌1996年からなので、通常だとギリギリ学校があったはず。
夏休み前で学校(当時高校1年)が早く終わってから、気が向いて乗りに行ったのだろうか。
但しうちの学校は2期制で、終業式という体裁では無かったと思う。
朝に校長の講話だけあって下校だったはずだが、その時自分は講話中継のセッティング※1のため校長室に居て
校長先生にこんな会話を振られたのをよく覚えている。
※1-うちの高校はマンモス高校だったため、講話はマイクを通じて各教室に中継というスタイルだった

「夏休みはどこかに行くのかい?」

自分はこの時校長先生と初対面※2で、急な問いに緊張でガチガチになりながらもこう答えた。
※2-病気療養のため、自分が入学した時の入学式は欠席していた

「家族で山中湖に行く予定です」←当時、主に夏の長期休暇の時は我が家では恒例だった

すると、校長先生の返しがお見事だった。

「そうか、毒ガスには気をつけなさいよ」

この一言に、校長室内大爆笑、自分も釣られて爆笑。
1995年当時のかの時事ネタを絡めて、独特の緊張した空気をほぐしてくれたことが忘れられない。

兎にも角にも、そんなことがあってから初めて向かった江ノ電。
ただ、なんでこのタイミングで乗りに行こうとしたのかは、今となっては全く思い出せない。
京急とJR横須賀線を乗り継いで鎌倉まで行き、江ノ電ホームで初めて遭遇したのは旧500形502編成だった。
この鎌倉側の552号車は、廃車後に一部が東京都調布市内の中古車販売店に譲渡されている。
(昨年だったか、強盗に襲われて店主が怪我していたがどうなっただろうか…?)
また藤沢側の502号車の前頭部は、極楽寺検車区に保存されているらしい。←まだ見たことない

そして、藤沢方に連結されていたのは300形304編成。
1編成ごとに細かい形態差がある形式だったが、この頃には303〜305編成が残るのみだった。
この304編成は老朽化と塩害が深刻だったらしく、廃車後は前面を残して解体処分となったようだ。
その前面は、やはり極楽寺検車区に保存されているらしい←やっぱりまだ見たことない

稲村ヶ崎にて

この稲村ヶ崎では、2018年現在でも現役で残る305編成と交換していた。
1995年当時は、ビールの広告電車として走っていたらしい。
メモには、車両広告について「ハイネケン」なんて書いてあって、実に酒の銘柄に疎い…

…いや、高校生だから当たり前か。

高校生から酒に詳しかったら、倫理的にどうしようもないよな(笑)
なんたって、母方の祖父から飲酒を勧められても断るほどの真面目高校生だったから(笑)←自分で言うな💢

それにしてもハイネケンなんて、もうかれこれ10年くらい呑んでないかも。
かつてはライブハウスでよく呑んだものだが。
あ、その話はここではどうでもいいか。

それよりも改めて見て驚くのは、夏真っ盛りの日中なのに2両編成の運用があったということだ。
今、こんな運用したら超満員になってしまうのでは…?

峰ヶ原信号所にて

旧500形501編成と交換した写真も。
最初に写真で見たのがこの形式だったからなのか、旧500形は好きな形式だった。
構造上最後まで冷房改造できずに廃車されていったのは惜しかったが。

後ろは300形303編成。
この303号車の前頭部は今は江ノ島駅の待合室に展示保存されており、間近に見て触れることが可能。
それにしても、やはり真面目高校生だったのか?海に出て過ごした記憶もまるで皆無。
海水浴とか、海岸でナンパしようなんてことは誰か※3のようには微塵にも思わなかったらしい(笑)
※3-誰かって?それはここでは言えません(爆)

腰越にて

そんなことよりやっぱり見に行きたかったのは、江ノ島〜腰越間の併用軌道だったらしく。
少し降りて、沿線で撮影しに行っていたらしい。

江ノ島〜腰越間にて

やはり原型の2000形は、名車だったと思います。
バスでいうといすゞキュービックのような、惚れ惚れするような前面一枚窓を持った電車でした。
最近更新を受けてスタイルが崩れたのは、少しばかり寂しく感じますが。

そして、江ノ電に新風を吹き込んだ1000形。
登場からまもなく40年を迎えるが、更新を受けつつも未だに全車現役!
走り装置こそ吊り掛け駆動だが、スマートで軽快感が薄れない秀逸な電車だ。

腰越駅は狭いホームで、この頃にはすでに4両中1両のドアカットを行なっている。

江ノ島駅近くの江ノ電もなかで知られる「扇屋」には、すでに旧600形651号車の前頭部があった。
廃車後平成時代をほぼ此の地で過ごしてきたことになるが、未だにシンボルとして健在!

鵠沼にて

結局この日は、ずいぶん旧500形に遭遇していた。
今にして思えば、ホント撮り残しておくことは大事だ。

藤沢駅の江ノ電ホームのドーム型屋根は、今もさほど変わっていない。
なんかこれを書いていたら、久々にゆっくり江ノ電界隈に行きたくなってしまった。
一人でふらり巡るのも良いが、友達とツアー組むのもまだ良いかな?
此の歳になったから、視点も変わってまた新たな発見がありそうな気がする。

テーマ:
いずっぱこシリーズ
 はこちら
 はこちら
 もこちら
さらに  はこちら
もひとつおまけに  はこちら
そして最新  はこちら

さあ、ラストスパート。
およそ10年ぶり(確か)の伊豆箱根鉄道駿豆線へ…だったのだが。

三島から2駅、三島田町駅。
定期特急「踊り子114号」待避の関係もあり、秋空の下、終着目前で3番線に入り40分以上の大停車。
なので、ここで一度降りてまた編成を眺めることに。

駿豆線も、大雄山線と同じように日中の本数はそれなりにある。
加えて東京から特急が乗り入れて来るのだから、大雄山線のように電車を運休してでも…とはいかない。
そのため定期列車の合間を見計らって、慎重に輸送するスジが引かれている。

いまやこの凸型電機も、希少になってしまった。
動く機会も著しく限られてはいるものの、良好な状態で保たれているのは嬉しい。
じっくりその古豪を間近に見て、そして15:45発の電車で大場に先回り。

最後は、本社・工場付近の沿道から、走ってくる甲種輸送列車をキャッチ。
結構撮り鉄は居ましたが、わけなく穏やかに撮影成功!

一旦大場駅構内まで進行。
さてどうするのかと思いきや…

‼️

なんと、手旗合図を出しつつ徐行で推進入線!

なんと4人がかりで、前から緑の旗を出して中継しながら推進していくスタイル。

ゆっくりゆっくり、最徐行で。

こうして無事に、16:20頃に無事に大場工場に取り込み完了。
全行程約6時間に及ぶ輸送作戦は終わりました。
関係の皆様、お疲れ様でした!

かたや、この大雄山線の車両が出場するときの甲種輸送は1日がかりになります。
また輸送をやる時には、また撮りに行きたい。
そして、これ以外にもバラエティ溢れるいずっぱこ。
またの機会に、さまざまなネタを収めに…

いや、収めてきた(笑)

甲種輸送プロジェクトはひとまず終わりますが、またいずっぱこシリーズは中断挟んで書く予定!

テーマ:
いずっぱこシリーズ
 はこちら
 はこちら
 もこちら
さらに  はこちら
もひとつおまけに  はこちら

さて、ED33も到着し少しばかり活気付く三島駅の伊豆箱根鉄道駿豆線ホーム。
すぐにでも1番線に転線して連結に動くかと思われたが、結局40分ほど待つ羽目に。
最初のゲリラ豪雨は峠を超えたものの、時折雨はパラついていたので気を揉みながら待つ。

そんな折、9番線の先端で待っていて、ふと振り返って思わず

あっ

と声を上げた。

なんと、鉄道写真家の金盛正樹先生とバッタリ出会い、お互いにビックリ!
それも先月末に、都内での写真展でお会いしたばかりだったので余計に…

…と思ったら、金盛先生のほうが地元なんだった(笑)
それにしても、函南駅でのTOMOさんといい、やっぱり鉄道趣味界の世間は狭いというか。

そして、いよいよED33の入換作業を開始。

一旦本線に引き上げてから、ポイントを切り替えて転線していく。
普段踊り子号が往来する連絡線を通って、JR東海線路に乗り入れ。

ここでも慎重に近づき…無事に連結完了!

ここからまた、30分ほど停車時間が。
驚くほどのんびりな輸送。これが地域差なのだろうか?

ED33のサイドビューもたっぷり堪能できて、もうお腹いっぱい。
あとは連絡線を渡る発車シーンを収めようと思っていたら…

このタイミングで、9番線に電車が( ゚д゚)

ずっとED33がいたし、7・8番線で定期列車をやり繰りしていたからてっきり大丈夫だと思い込んでいた。
何事も思い込みはいかんねぇ(/ _ ; )

…でも、来た電車は3000系。
幸いにして、窓は上段が開く。

てことで。
15:22、駿豆線内に走り去る姿を見送り。

次に綺麗になって帰ってくるのは何ヶ月後だろうか。
その日をまた楽しみに…
って。

まだもう少し、続く!

テーマ:
いずっぱこシリーズ
 はこちら
 はこちら
 もこちら
さらに  はこちら


さて、函南で48分もの長時間停車。
まず構内で撮りながら一瞥してみると、どこかでお見かけした顔を発見。
なんと、よくイベントでお会いするTOMOさんだったので、お互いに顔を合わせて仰天してしまった。

しかしお会いするといっても、軽く会釈するくらいで深くお話をする機会がほとんど無かったので…
だがお互い家の近い同士がこの函南で出会うのだから、つくづく鉄道趣味の世界は狭い(*_*)
おかげで深い話もできたし、いろいろ御教示を受けながらしながら動くことができたのは大きかった。

さて、この函南で長時間停車をする理由。

「踊り子が来ますよ」

ほどなくして、轟音とともに上り「踊り子106号」が通過!
いよいよ終わりが見えて来た感が強い、185系。
それも5両編成の単独運行が日常見られるのは、JR東海区間の熱海〜三島間と伊豆箱根鉄道駿豆線だけ。

…実はこの時、かなり咄嗟に動いて撮影をしたもんだったから、後方で構えていた女子撮り鉄さんに邪魔を
した格好になってしまい、後々に指摘されて焦り、慌てて謝る一幕も(ノД`)
やはり撮り鉄というものは、周りを見えなくする行為なのだろうか。自戒。

その後も、JR東海の電車と並ぶ場面を撮影。
313系の乗降促進音を聞くと、あぁ東海エリアに来たんだなーとしみじみ思う関東民。
但し、最近の東海線内の通常発車メロディは東武鉄道のものと同じになったらしく、その音を聴いていると
北関東エリアあたりにいる違和感もかなりあるのだがヽ(´o`;

そして、続けて通過するのは修善寺行きの「踊り子115号」。

後述するが、三島駅での伊豆箱根鉄道駿豆線との連絡線は1番線にしかない。
この時間に相次いで定期の踊り子号が行き来するため、線路を空けておく必要があったのだった。
甲種輸送ひとつ取っても、見所満載、ドラマ満載である。

そしてそのドラマは、やすやすとは終わらなかった。

函南からTOMOさんと一本前の電車で三島駅へ。
かねてから雨雲の動きが気掛かりではあったのだが、到着するやいなや突然のゲリラ豪雨( ゚д゚)‼︎
とりあえず急いで伊豆箱根鉄道駿豆線のホームに移動。

7番線には、運良く前西武101系時代の塗装を復元した「イエローパラダイストレイン」1301編成が。
現在は伊豆箱根鉄道1300系となっているが、この静岡でこのカラーが見られるのは感慨深い。
それでも、かなりの豪雨に一時撮影も憚られるほど。
8番線にいるのは元軌道線カラーに復元された3000系3501編成も。

そんな豪雨の間隙をついて、13:52頃。
三島駅1番線に、甲種輸送列車は若干の早着となった。

すぐさま、貨車との解放準備に入る。

解放が終わると、EF65とコキはホーム前方へ。 

そんな合間に、続けて8番線には、1300系の伊豆箱根鉄道カラーが到着。
どういうわけか、西武多摩湖線にいるような錯覚に陥る(笑)
そして次々現れる駿豆線ネタに、なかなか撮影が忙しい(笑)

そして14:06頃、大場から駿豆線内の牽引を担当するED33が7番線に到着した。

大雄山線のコデ165には及ばないものの、懐かしい凸型のオールドタイマーに視線が集中。
入換開始までの数十分ほど、7番線に佇み出番を待っていた。
そんな中、後方からまた意外な出会いが…

テーマ:
さて、以前1990年代の鉄道写真を収めたアルバムを発掘したと、このブログに書いた。
そのコレクションは【90's DOOR】シリーズとして、慎重な検討を経て順次公開しているところだ。

実はその一斉発掘作業時に、見つかっていなかったアルバム群があった。
それが、高校進学前後の記録となるNo.6からNo.10までを収めた5冊組。
まとめて入れていた段ボール箱には無くて、捜索困難と見られていたが…
今日久々に捜索したところ無事発見。
どういうわけか全く別個に管理していたらしく、他の写真に混じって発見された(笑)

まぁしかし。
やはり撮影クオリティにはあまりこだわっていなかったらしい。
まず記録優先が第一。
それは今もそんな変わらないけども、改めて見るとずいぶん酷いものだ。
それもこれも、貴重なものであるには変わりないんだろうけど、さてどう料理しようか。

それとこのアルバム群でビックリだったのは、巻末に何故か小学校高学年の頃の遠足や日光への移動教室で
撮影していた集合写真が、7〜10まで2枚ずつ収められていたことだ。
ただ間に行ったはずのものがなかったり、かなりチグハグな状態ではあるが。
ただ一つわかることは

みんな、若かったな!

ということだな(笑)
中には全く変わっていない奴もいるけど(笑)

あと、在りし日の…と言わなければいけない奴が写っている悲しさもあるが。

発掘といえば、先日はこれも見つけ出した。

1995年に学研から発売されたTUBEのライブ写真集「FIGHT!」

後年アイドルの写真集は御多分に漏れず何冊も買ったが、写真集自体を買うのはこれが初。
それもたまたま本屋で見つけて即購入、いわゆるジャケ買いってやつだった。
それらも含めて再考証できるものも増えそうなので、減りつつある記憶をまた呼び戻してみたいと思う。

テーマ:
いずっぱこシリーズ
 はこちら
 はこちら
 もこちら
【おことわり】タイトルや本文における編成番号の表記を、多数で見られる「5502編成」に統一しました

さて、小田原駅から東海道線に乗り込み、しばし一息。
まだまだ残暑は厳しく、結構体力的にもヘビーな撮影行になってきていた。

そんな中でも、当の甲種輸送は思っていたよりたものんびりなダイヤで。

湯河原にて…


貨物待避線の先端で、1回目の時間調整停車をしているところに追いつく。
ここでは11:56から12:36まで40分の停車で、小田原から本数が減る東海道線でも到達は容易。

ただ、停止位置が旅客ホームでも熱海方のかなり先端で、後部を撮るのが精一杯。


それでも、撮れるだけまだ良いのだけど。
この辺りでも微妙な空模様だったけど、首都圏から離れていくとここまで穏やかになるのかとビックリ。
あ、天気じゃなくて撮影の雰囲気がね。

そして、待避中に見られる異質な出会い。
まぁ小田原でも一瞬並ぶタイミングはあるだろうけど、251系と隣り合わせに並ぶのはこの時ぐらいか。

車両には「甲種鉄道車輌」の諸元張り紙が。
換算両数が振れ幅があるのが気になるけど…

そして、先回りして、熱海へ。
定番の1番線で撮るのも良かったんだけど、やはり拠点駅でそれなりに撮り鉄がいたので2番線で。
まぁ、意図していた場所があまり良くなかったんでホーム中程にすぐ変更したのだけど(´・ω・)
12:45頃、通過するところを一瞬に活写!

通過していく姿を見て、そういえば駿豆線は一時期JR線への乗り入れを画策していたなと思い出す(笑)

もし乗り入れが実現していたら、伊豆急行線の電車とこうして並ぶシーンも日常だったのだろうか?
そう思いながら、後追いで。

そして、JR東海区間に入り、丹那トンネルを抜けて続けて降りるのは…

211系との並びを収めて…

函南!

20数年来、さんざん通過だけしておいて初下車。


三島を目前にして、ここでも12:56から13:44まで実に48分に及ぶ長時間停車。
さっさと行ってしまえば良いのにと思うが、理由は次回に続く…

テーマ:
いずっぱこシリーズ
 はこちら
 はこちら

無事にコキとの連結を終えた5502編成。

今度は押してくれた5501編成の解放を確認して、いよいよJR線内へ!

ゆっくりゆっくり引き出されて、無事東海道貨物線上へ。
それにしても、3社ともずいぶん多くの作業員に見守られての送り出しになった。
なんか研修でもあったのだろうか?

引き出しと押し込みの大役を果たした5501編成は、再び1番線に入線し営業運転に復帰。
所定では1本運休明けは11:12発のはずだが、数分遅れての発車になった。

5501Fから取り外された自動連結器アダプターは、作業員2名の手によりコデ165車内に速やかに運ばれた。

コデ165、先導役お疲れ様でした!

コデ165はこの後、11:36発のスジを利用して大雄山に帰っていく。
せっかくだから営業運転していけば良いのにと思うが、側扉は2ヶ所が埋められ、車内も手が加えられていて
詰め込みは相当に厳しい状況だろう。


そして、甲種編成は前進して出発信号手前まで移動。

コデ165も、停車位置を修正。

そして、11:35。
いよいよ、JR線内甲種輸送スタート!
ゆっくり、静かに走り去っていった。

そしてそこから、わずか1分。
吊り掛け駆動方式の高らかな走行音を残して、コデ165も走り去っていった。
大雄山線の甲種輸送プロジェクトも、これにて無事に終わり。
そしてこちらも、本体同様西を目指して駆けていくことになる。

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス