ようこそのお運びで。5月1日は夫の命日です。今年も大学時代の友人方が生花を贈ってくださるとのこと。夫のことを鮮明に覚えていてくださって、お花も頂戴し、感謝致します。

良かったね、ネンタ医師。もう七回忌だね。置いていかれた私は一人っきりで相変わらず頼りないです。

 

◎大雨の京都御苑(3月下旬)

近衛邸跡の白い糸桜と紅枝垂れ桜。

 

 

京都御所、左近の桜。庭園。

 

 

大雨の京都御苑の景、いろいろ。

 

 

 

 

 

 

◎二条城の桜たち(3月下旬)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お題

「亡き人も 思はざりけむ うちすてて 夕べのかすみ 君着たれとは」(源氏物語・柏木)夕霧をめぐる歌⑳

 

◎夕霧は、落葉の宮と御息所のもとへ弔問に訪れた、その足で、柏木の父の致仕の大臣(雲居の雁の父)のもとへも弔問に訪れる。長男を亡くした致仕の大臣は、端正な顔立ちが痩せおとろえ、髭の手入れもせず、やつれ果てている。夕霧は乱れ落ちそうな涙をぐっと堪える。致仕の大臣の方は、柏木と夕霧が親しかったものをと見て、涙を止めることができない。

 

一条宮に参でたりつるありさまなど聞こえたまふ。いとどしう春雨かと見ゆるまで、軒の雫に異ならず濡らし添へたまふ。畳紙に、かの「柳のめにぞ」とありつるを書いたまへる奉りたまへば、「目も見えずや」と、おし絞りつつ見たまふ。うちひそみつつぞ見たまふ御さま、例は心強うあざやかに誇りかなる御けしきなごりなう、人わろし。さるはことなることなかめれど、この「玉はぬく」とあるふしのげにと思さるるに心乱れて、久しうえためらひたまはず。「君の御母君の隠れたまへりし秋なむ、世に悲しきことの際にはおぼえはべりしを、女は限りありて、見る人少なう、とあることもかかることもあらはならねば、悲しびも隠ろへてなむありける。はかばかしからねど、朝廷も捨てたまはず、やうやう人となり、官位につけて、あひ頼む人々、おのづから次々に多うなりなどして、驚き口惜しがるも類に触れてあるべし。かう深き思ひは、そのおほかたの世のおぼえも、官位も思ほえず。ただことなることなかりしみづからのありさまのみこそ、堪へがたく恋しかりけれ。何ばかりのことにてかは思ひさますべからむ」と、空を仰ぎて眺めたまふ。夕暮の雲のけしき、鈍色に霞みて、花の散りたる梢どもをも、今日ぞ目とどめたまふ。この御畳紙に、

 ☆木の下の しづくにぬれて さかさまに かすみの衣 着たる春かな

大将の君、

 ☆亡き人も 思はざりけむ うちすてて 夕べのかすみ 君着たれとは

弁の君、

 ☆恨めしや かすみの衣 たれ着よと 春よりさきに 花の散りけむ

・・・(夕霧は致仕の大臣に)一条の宮に参上した時の様子などを申し上げなさる。(大臣は)ますます春雨かと見えるほど、軒の雫と変わらないくらい袖を濡らして、(涙を)加えなさっている。(夕霧が)畳紙に、あの御息所が「柳の芽に」とお詠みになったのをお書き留めになっていたのを差し上げなさると、「目も見えないですよ」と、涙を絞りながら御覧になる。泣き顔でご覧になるご様子は、いつもは気丈で華やかで自信にあふれているご様子が全て消えて、体裁の悪いことだ。実は、格別良いよいという歌ではないようだが、この「玉は貫く」とある箇所に本当にと思いなされずにはいられないのに心乱れて、長い間、気持ちを静めることがお出来にならない。「あなたの母君がお亡くなりになった秋は、実に悲しいことの極みに思われましたが、女性というものは限界があって、見る人も少なく、あれこれのことでと目立つこともないので、悲しみも内々だけのものでした。(息子は)
たいした者ではありませんでしたが、帝もお見捨てにならず、ようやく一人前になり、官位が上がるにつれて、頼りとする人々が、自然と次々に多くなったりして、(死去を)驚いたり残念に思う者も、いろいろな関係でいるに違いありません。が、私のこのように深い嘆きは、その世間一般の人望も、官位のことも思いの内にないのです。ただ格別のところもなかった本人の有様そのものだけが、堪え難く恋しいのです。どのようにしてこの悲しみが忘れられるでしょうか」と、空を仰いで物思いにふけっていらっしゃる。夕暮の雲の様子は、鈍色に霞んで、花の散った梢々にも、今日初めて目をとめなさる。さきほどの御畳紙に、
 ☆木の下の しづくにぬれて さかさまに かすみの衣 着たる春かな
 大将の君、
 ☆亡き人も 思はざりけむ うちすてて 夕べのかすみ 君着たれとは
 弁の君(=柏木の弟)、
 ☆恨めしや かすみの衣 たれ着よと 春よりさきに 花の散りけむ・・・

 

長男の柏木を亡くした致仕の大臣は、御息所の歌を見て、体裁を忘れるほど、涙に暮れている。夕霧の母の葵の上が他界した時も無限の悲しみを味わったが、男性である柏木の死は周囲に与える影響も大きい。しかし、世間の思惑や官位のことなどどうでもよい、柏木が亡くなったこと自体が耐えがたいと夕霧に語る。喪服の色のような鈍色の夕暮れの雲を見て、大臣・夕霧・弁の君が哀傷の歌を詠む。


鈍色の雲 フリー画像

 

 

◎歌を取り出し、検討する。

 

致仕の大臣の歌

☆木の下の しづくにぬれて さかさまに かすみの衣 着たる春かな

・・・子を失った悲しみの涙に濡れて、さかさまに親が子のために喪服を着ているこの春であるよ。・・・

①「木(こ)の下」・・・「木」に「子」を掛ける。

☆『後撰集』

「    すけのぶが母身まかりてのち、かの家に敦忠朝臣のまかりかよひけるに、さくらの花のちりけるをりにまかりて木のも  

     とに侍りければ、家の人のいひいだしける                 

105 今よりは 風にまかせむ 桜花 ちるこのもとに 君とまりけり」

☆『拾遺集』

「1284 時ならでははその紅葉ちりにけりいかにこのもとさびしかるらん」

②「木の下のしづくにぬれて」・・・裏に、亡き子のために涙を流すことを言う。

「しづく」は涙のこと。

☆『拾遺集』

「1303 思ひやる ここひのもりの しづくには よそなる人の 袖もぬれけり」

☆『古今和歌六帖』

「601

③「さかさまに」・・・子が親に先立つ逆縁のこと。

④「かすみの衣」・・・喪服。

「霞の衣」については、過去記事あり→「霞の衣」後編・木の下のしづくにぬれてさかさまにかすみの衣着たる春かな(源氏物語・柏木) | 耳鳴り・脳鳴り・頭鳴り治療の『夜明け前』 (ameblo.jp)

紫式部以前には、「霞の衣」は春の佐保姫の衣を想起させるものであった。

大将の君(夕霧)の歌

☆亡き人も 思はざりけむ うちすてて 夕べのかすみ 君着たれとは

・・・亡くなった方も、お思いにならなかったことでしょう。父君をお残しして、父君に夕方の霞のような喪服を着てくださいとは。・・・

①亡き人・・・柏木のこと。

②夕べのかすみ・・・鈍色なので、「喪服」を指す。

弁の君(柏木の弟)の歌

☆恨めしや かすみの衣 たれ着よと 春よりさきに 花の散りけむ

・・・恨めしいことです。喪服を誰に着てほしいと思って、春も過ぎないうちに、あなたは花のように散ってしまったのでしょう。・・・

①「花」・・・柏木を喩える。

 

春の夕暮れの「鈍色」の霞から喪服を連想し、「霞の衣」と表現する。この「霞の衣」を主軸として贈答が展開する。柏木の父の「致仕の大臣」は先立った子のために親が「霞の衣」を着る逆縁を嘆き、友人の「大将」は「霞の衣」を「夕べのかすみ」と置き換えて、親に着せることになるとは本人も予測していなかっただろうと早世を残念がり、弟の「弁の君」は親に「かすみの衣」を着せることを難じつつ、短命を悲しむのである。



 

 

 

おまけ

 

医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、

ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、

被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した論文

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文

「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0067778

 

二報目

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0137291

 

 

  sofashiroihana