ようこそのお運びで。
◎大阪城の梅たち(3月上旬 既に散りかけ)
夫婦梅枝垂
鶯宿(さながらインコの宿)
玉拳
古城
豊後
八重揚羽
武蔵野
お題
「のぼりぬる 煙はそれと 分かねども なべて雲居の あはれなるかな」(源氏物語・葵)六条御息所をめぐる歌④
葵の上は無事男児を出産した。六条御息所は安産の噂を聞いて、ますます心穏やかでない。正気を失うことがあり、衣には物の怪退散の護摩焚きに用いる芥子の香が染みこみ、着替えても取れない。我が身ながら疎ましく錯乱状態が募る。源氏が参内前に葵の上に挨拶すると、葵の上は源氏をいつになく見つめ、見送りをする。秋の司召しで左大臣も出かける。こうして左大臣邸がひっそりした頃、葵の上は突如苦しみ、絶命した。
八月二十余日の有明なれば、空のけしきもあはれ少なからぬに、大臣の
☆闇にくれまどひたまへるさまを
見たまふもことわりにいみじければ、
☆空のみながめられたまひて、
☆のぼりぬる 煙はそれと 分かねども なべて雲居の あはれなるかな
殿におはし着きて、つゆまどろまれたまはず、年ごろの御ありさまを思し出でつつ、などて、つひにはおのづから見なほしたまひてむとのどかに思ひて、なほざりのすさびにつけても、つらしとおぼえられたてまつりけん、世を経て疎く恥づかしきものに思ひて過ぎ果てたまひぬる、など悔しきこと多く思しつづけらるれど、かひなし。鈍める御衣奉れるも、夢の心地して、我先立たましかば、深くぞ染めたまはましと、思すさへ、
☆限りあれば 薄墨衣 あさけれど 涙ぞ袖を ふちとなしける
とて念誦したまへるさまいとどなまめかしさまさりて、経忍びやかに誦みたまひつつ、「法界三昧普賢大士」とうちのたまへる、行ひ馴れたる法師よりはけなり。若君を見たてまつりたまふにも、
☆「何に忍ぶの」
といとど露けけれど、かかる形見さへなからましかばと、思し慰む。
・・・八月二十日過ぎの有明の月の頃であるから、空の様子も情趣が少なくはない上に、左大臣(=葵の上の父)が
☆子を思う闇にくれ心乱れなさっている様子を
ご覧になるのももっともなことだとひどく悲しいので、
☆空ばかり自然とみつめられて、
☆のぼりぬる 煙はそれと 分かねども なべて雲居の あはれなるかな
左大臣邸に到着なさっても、源氏は少しも眠ることができず、長年の葵の上のご様子を思い出しなさり、どうして、いずれは自然と自分のことを見直してくださるだろうと悠長に構えて、いい加減な浮気事につけても、耐えがたいと思われ申し上げたのだろう、夫婦として過ごして嫌で気詰まりなものに思って一生を終えてしまいなさった、など悔やまれることを多く思い続けなさるけれども、甲斐のないことだ。鈍色の喪服をお召しになっているのも、夢のような気持ちがして、もし私が先だったなら、あの方は喪服を深い色に染めなさっただろうに、と思いなさることまでも、悲しく思われて、
☆限りあれば 薄墨衣 あさけれど 涙ぞ袖を ふちとなしける
と詠んで、念誦なさっている様子は、ますます優美さが増さって、経を静かによみなさりながら、「法界三昧普賢大士」とお唱えになっているさまは、仏道修行に慣れなさっている法師より尊い。若君(=夕霧)を見申し上げなさるのにつけても、
☆もし形見の子がなかったら、何によって故人を偲ぶよすがとしようか
と、ますます涙に暮れるが、このような形見だけでも、もしなかったならと考えて、心を慰めなさる。・・・
葵の上の葬儀は八月二十日過ぎの有明の頃だった。空があわれ深く、左大臣が子を思う有様もいたわしい。空を眺め、源氏は歌を詠む。左大臣邸に着いても、少しもまどろむことができず、長年に亘る葵の上との夫婦生活を色々と後悔するばかりだった。もし、自分が先立ったら、葵の上は濃い色の喪服を着たろうにと思い、歌を詠じる。若君を見て故人を偲ぶよすががあってよかったと源氏は心慰めた。
源氏物語六百仙
◎和歌と引き歌を取り出し、検討する。
☆闇にくれまどひたまへるさまを・・・以下の歌の引き歌
『後撰集』
「1102 人のおやの 心はやみに あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」
・・・人の親の心というものは闇というわけでもないのに、子を思う親心となると、まるで闇夜で道に迷うように、思い迷って分別をなくしてしまうことです。・・・
人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬる哉(かな) | 耳鳴り・脳鳴り・頭鳴り治療の『夜明け前』 (ameblo.jp)
☆空のみながめられたまひて・・・以下の歌の引き歌
『古今集』
「743 おほぞらは こひしき人の かたみかは 物思ふごとに ながめらるらむ」
・・・大空は恋しい人の形見なのだろうか。物思いに沈むたびに眺めずにいられないのは。・・・
☆のぼりぬる 煙はそれと 分かねども なべて雲居の あはれなるかな
・・・空に昇ってしまったあの人の火葬の煙は雲の中にあって、どれがそれだか区別できないけれど、雲全体をしみじみいとおしく思うことよ。・・・
・同発想の歌
『和泉式部集』
「273 はかなくて けぶりとなりし 人により 雲ゐの雲の むつましきかな」
『源氏物語』
「36 見し人の 煙を雲と ながむれば 夕べの空も むつましきかな」
・類似歌
『紫式部集』
「48 みし人の けぶりとなりし ゆふべより なぞむつましき しほがまのうら」
・当該歌の影響を受けた歌
『狭衣物語』
「88 亡き人の 煙はそれと 見えねども なべて雲井の なつかしきかな」
火葬の煙は雲と渾然一体となって判別できないが、雲全体をあの方の名残と思ってしみじみ愛情をもって眺めてしまうという歌。
☆限りあれば 薄墨衣 あさけれど 涙ぞ袖を ふちとなしける
・・・決まりがあるので、夫の私が着る喪服は薄墨衣で浅い色であるけれど、涙が溜まって袖を深い淵――深い藤色――にしてしまったことだ。・・・
①限りあれば・・・決まりがあるので。
『拾遺抄』
「558 かぎりあれば けふぬぎすてつ ふぢごろも はてなき物は なみだなりけり」
②薄墨衣・・・妻が死去した場合、夫は軽服(三ヶ月)で浅い薄墨色の喪服を着用。夫が死去した場合、妻は重服(一年)で濃い鈍色の喪服を着用。
③「ふち」・・・「淵」と「藤」との掛詞。
『後撰集』
「125 限なき 名におふふぢの 花なれば そこひもしらぬ 色のふかさか」
『拾遺集』
「87 手もふれで をしむかひなく 藤の花 そこにうつれば 浪ぞをりける」
・当該歌では「藤」は「藤衣」(喪服)の意。
妻の死後、夫の着る喪服は薄墨色という決まりがあって浅い色なのだが、涙がとめどなく流れて袖に溜まり、袖が深い淵になってしまう。その「淵」に「藤」を掛け、濃い藤色の喪服になると詠んでいる。
☆何に忍ぶの・・・以下の歌の引き歌
『後撰集』
「1187 結びおきし かたみのこだに なかりせば 何に忍の 草をつままし」
・・・残された子さえ無かったなら、何によってお偲びすることができたでしょうか。・・・
葵の上は物故したが、形見の子を彼女を偲ぶよすがにできることを慰めにしている。
おまけ
医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、
ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、
被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した論文
国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文
「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0067778
二報目
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0137291
sofashiroihana