ようこそのお運びで。

◎京都・冷泉家の桜(3月30日)

 

◎京都御苑(3月30日)紫木蓮・白木蓮

 

 

 

 

 

◎京都・東寺(三月上旬)五重塔・不二桜の開花前・梅・河津桜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お題

「わきてこの 暮こそ袖は 露けけれ もの思ふ秋は あまたへぬれど」(源氏物語・葵)六条御息所をめぐる歌⑦

 

傷心の源氏は、朝顔の姫君(式部卿宮の姫君・式部卿の宮は桐壺帝の弟)にも手紙を贈る。姫君とは文通する仲で逢瀬はない。

 

なほいみじうつれづれなれば、朝顔の宮に、今日のあはれはさりとも見知りたまふらむと推しはからるる御心ばへなれば、暗きほどなれど聞こえたまふ。絶え間遠けれど、さのものとなりにたる御文なれば咎なくて御覧ぜさす。空の色したる唐の紙に、
 「☆わきてこの 暮こそ袖は 露けけれ もの思ふ秋は あまたへぬれど
  ☆いつも時雨は」
とあり。御手などの心とどめて書きたまへる、常よりも見どころありて、「過ぐしがたきほどなり」と人々も聞こえ、みづからも思されければ、
 「大内山を思ひやりきこえながら、えやは」とて、
 「☆秋霧に 立ちおくれぬと 聞きしより しぐるる空も いかがとぞ思ふ
とのみ、ほのかなる墨つきにて思ひなし心にくし。

・・・やはりたいそう所在ないので、朝顔の宮(=朝顔の姫君)に、今日の夕暮れの悲哀はそうはいってもお分かりになっているだろうと推し量られる宮のご性質であるので、もう暗い時間帯であるけれど、お便りを差し上げなさる。お便りの絶え間は長いけれど、そういうものと普通になっているお便りであるから、別に目も留めず、ご覧に入れる。薄墨色の空の色をした中国製の紙に、

 「☆わきてこの 暮こそ袖は 露けけれ もの思ふ秋は あまたへぬれど
  ☆いつも時雨は」

とある。ご筆跡などが入念に書きなさっていて、いつもより見所があって、「御返事なしに見過ごすことはできない場合です」と女房たちも申し上げ、宮ご自身もそう思いなさったので、

「服喪中でいらっしゃることを想像申し上げながら、当方からお便りを差し上げることはとてもできませんでした。」と仰って、

「☆秋霧に 立ちおくれぬと 聞きしより しぐるる空も いかがとぞ思ふ

とだけ、薄い墨の筆跡で書かれているのが、宮の手によるものと思うと、思いなし、奥ゆかしく感じられる。・・

 

源氏は朝顔の姫君ならこの夕暮れの悲哀を共有してくれるだろうと思い、手紙を贈る。姫君とは間遠に文通する仲だった。薄墨色の夕暮れの空の色の中国渡来の紙に、見所のある筆跡で歌が認められている。姫君は喪中の源氏を見舞いながら、薄墨色の筆跡の返歌をした。

 

 

 

☆わきてこの 暮こそ袖は 露けけれ もの思ふ秋は あまたへぬれ

・・・とりわけこの夕暮れは涙で袖が濡れています。もの思う季節と言われる秋は何度も経験したのですけれど。・・

①「わきてこの」・・・とりわけ、この。

『玉葉集』

「2406 わきてこの 秋はいかなる あきなれば 露そふ袖の またしぐるらむ」

②「もの思ふ秋」

『古今集』

「184 このまより もりくる月の 影見れば 心づくしの 秋はきにけり」

『伊勢集』

「52 もみぢばに いろみえわかず ちるものは 物おもふあきの なみだなりけり」

 

いつも時雨は・・・古注釈に拠れば以下の歌の引き歌

「神無月 いつも時雨は 降りしかど かく袖くたす をりはなかりき」

・・・十月にはいつも時雨は降っていたが、このように袖を朽ちらせる折はなかった。・・・

 

 

☆秋霧に 立ちおくれぬと 聞きしより しぐるる空も いかがとぞ思ふ

・・・秋、奥様に先立たれなさったと伺ってより、この頃の時雨する空もどんなにか涙を催されるかと存じます。・・・

①「立ちおくれぬ」・・・「立ち」に秋霧が「立ち」と掛ける。

類例

『古今集』

「235 人の見る 事やくるしき をみなへし 秋ぎりにのみ たちかくるらむ」

『敦忠集』

「43 あぶくまに あらぬものから あきぎりの たちかへりても こふるけさかな

 

もの思う秋は幾度も経験してきたが、今日の時雨の夕暮れはとりわけ涙に濡れるとする源氏に、朝顔の姫君は奥様に先立たれた特別悲しい秋だから、涙を誘う時雨はどんなに悲嘆を募らせることかと、源氏を思いやる返事を送ってきた。