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超多忙
により当面拝読御礼の「ナイスぽち」のみで失礼致しますが、ご容赦下さいませ。

今年の中秋の名月は、9月27日です。陰暦の8月15日に相当します。
今回は、8月15日に重要な意味を持たせた『源氏物語』のヒロインと『竹取物語』の「かぐや姫」との関連を記事と致します。なお、かぐや姫の拙写真は、京都の風俗博物館(井筒法衣店)で撮影しました。
1、「竹林」(大阪・万博公園)

・・・お題「中秋の名月」の日に昇天した「かぐや姫」「紫の上」・・・
2、「かぐや姫」(京都風俗博物館)


『源氏物語
』のヒロイン中のヒロイン、源氏の君が生涯の伴侶とした女性は・・・

「紫の上」ですよね。
「御法」(みのり)の巻には、「紫の上」の逝去のさまが描かれます。
萩に置く露が消えていくように、その人生を閉じました。
「御髪(みぐし)のただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて、つゆばかり乱れたるけしきもなう、つやつやとうつくしげなるさまぞ限りなき。」
・・・髪の毛がただ無造作に投げ出されたご様子が、ふさふさとして綺麗であって、全く毛筋が乱れている様子もなく、つややかで美しいさまは、これに優るものはない。・・・
「灯のいと明かきに、御色はいと白く光るやうにて」
・・・灯火が大変明るいので、お顔の色は、たいそう白く光るようであって・・・
臨終の時にも、投げ出された黒髪と、灯火に照らし出された色白のお顔が、無上の美を見せていたのです。
3、「昇天」

翌日、葬儀(火葬)が営まれます。
「十四日に亡せたまひて、これは十五日の暁なりけり。
日はいとはなやかにさし上がりて、野辺の露も隠れたる隈(くま)なくて」
・・・八月十四日にお亡くなりになって、このご葬送は十五日の明け方のことであった。
日はたいそうはなやかにさし上って、野辺に置く露も隠れるところなく照らし出されて・・・
「風の音、虫の声につけつつ涙落とさぬはなし」
・・・秋風の音、秋の虫の声を聞くにつけても、涙を落とさない人はいない。・・・
風情あるはずの秋の景物につけても、世の中の人は皆、紫の上の行き届いた人柄を偲び、涙します。
源氏の君は、袖の涙をぬぐう暇さえありませんでした。
源氏の君の歌。
「のぼりにし 雲居(くもゐ)ながらも かへり見よ われあきはてぬ 常ならぬ世に」
・・・煙となって昇ってしまわれた高い空から、私を振り返って見ておくれ。秋の果てとなった今、私は飽き果ててしまったことだ、この無常の世に。・・・
「あき」は「秋」と「飽き」との掛詞。
「のぼりにし」は「昇天した」ことを意味します。
紫の上は、八月十五日に、空高く昇天してしまった。生きる気力さえ失った源氏の君を地上に残したまま。この八月十五日の昇天の場面で想起されるのは、『竹取物語』の「かぐや姫の昇天」です。
4「かぐや姫を迎えに来た天女たち」

5、


『竹取物語
』より

「八月十五日ばかりの月にいでゐで、かぐや姫、いといたく泣きたまふ。・・・かぐや姫、泣く泣くいふ、
『・・・おのが身は、この国の人にもあらず。月の都の人なり。・・・今は、帰るべきになりにければ、この月の十五日に、かの元の国より、迎えに人々まうで来むず。…』・・・」
・・・八月十五日ころの月に向かって、縁側に出たかぐや姫は、たいそうひどく泣きなさる。・・・かぐや姫は、泣きながら言うことには、
『・・・私の身は、この人間世界の者ではありません。月の都の人なのです。・・・今は、帰る時になりましたので、この八月の十五日に、あの以前いた月の国から、迎えに人々がやってくるでしょう。…』・・・」
「絵:土佐広通、土佐広澄」

残された帝の歌。
「あふことも なみだにうかぶ 我が身には 死なぬ薬も 何にかはせむ」
・・・かぐや姫に会うことも無いので、涙が溢れている我が身には、不死の薬など何になろうか、いや、何の役にも立たない。・・・
「なみだ」=「涙」の一部分の「なみ」に「無み」(=無いので)を掛けています。
かぐや姫も、八月十五日に、月の世界へと昇天してしまった。不死の薬をも拒否した帝を地上に残したまま。
6、


『源氏物語
』「幻」の巻より

「久しゅうなりにける世のことと思すに、ただ今のやうなる墨つきなど、げに千年ちとせの形見にしつべかりけるを、見ずなりぬべきよと思せば、かひなくて、疎からぬ人々二三人ばかり、御前にて破らせたまふ。」
・・・遠い昔のこととお思いになるにつけ、たった今書いたような墨跡などが、本当に千年の形見にもできそうな位であったが、見ることもなくなってしまうものよとお思いになると、残す甲斐も無くて、気心の知れた女房、二、三人ほどに、ご自身の御前で破らせなさる。・・・
源氏の君の独泳歌。
「かきつめて 見るもかひなし 藻塩草(もしほぐさ) おなじ雲居(くもゐ)の 煙(けぶり)とをなれ」
・・・かき集めて見ても甲斐の無いことだ。この手紙も、亡き人と同じ高い空の煙となれ。・・・
「かきつめて」=かき集めて
「藻塩草」は、焼いて塩をとるのに用いる海藻。「かき集め」るものである為、「かき」に「書き」を掛けて、「書き集めたもの」=「手紙」の意でも用います。但し、塩焼きのイメージにより、「焼却目的の手紙」であって、「故人の思い出の手紙」「別れた恋人の手紙」を指す場合が多いと言えます。
ここでも亡き人である紫の上の手紙を指しています。
「煙」は「藻塩草」の縁語。
二度と会えない人への愛執を断ち切るために、源氏の君は、紫の上の手紙を焼くことを決意します。この行為も、『竹取物語』の、かぐや姫昇天後の帝の行為と共通します。
7、「天の羽衣を着せられるかぐや姫」

8、「天の羽衣を着ると、人間の感情が消える」


『竹取物語
』より

「駿河の国にあなる山の頂に持てつくべきよし仰せたまふ。峰にてすべきやう教へさせたまふ。御文、不死の薬ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。」
・・・(帝は)駿河の国にあるという山の頂に、(かぐや姫が帝に差し上げた不死の薬と手紙を)持って行く旨をお命じになる。その山頂でなすべきことをお教えになる。お手紙と不死の薬とを並べて、火をつけて燃やせという命令を出しなさった。・・・
帝も、二度と会えなくなったかぐや姫への愛執を断ち切る為に、最も天に近い富士山の山頂で、姫の手紙を燃やしています。
9、「悲しむ翁(お爺さん)」

10、「悲しむ媼(お婆さん)の白髪と、かぐや姫の後姿」


つまり、『源氏物語』の「紫の上」の死には、「かぐや姫」の昇天が意識して重ね合せられているのではないかということです。

このことに初めて言及されたのは、国文学者の川添房江氏と思われます。(「源氏物語の内なる竹取物語ー
御法と幻を起点としてー」『國語と國文學』1984・7)
紫の上の、八月十五日に執行された葬送は「竹取物語の翁や帝の永遠の喪失感覚というべきものを主題的に引き受けるものであった」と論じておられます。
12、「竹林」(大阪・万博公園)

お読み頂き、有難うございました。 ぺこり。

おまけ。
和歌山県立医科大学の研究チームによる「耳鳴り」研究の新論文2報目。国際科学雑誌に掲載。http://www.plosone.org/images/logo.png

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なお、1報目の同科学雑誌に掲載された論文は、その論文発表に至るまでの経緯の記述とともに、私のプロフィールにURLを貼ってあります。念のため、以下が1報目です。viewsが9500を超えています。
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