今日のコンディション
K-1にも春は来ている。
だが、まだ風は冷たい。
「昨日まで風が強かったからな。今日は路面コンディションが悪いぞ」
片山さんが声をかけてきた。
「なら、今日はスポーツ走行はなしですね」
「それが無難だな」
片山さんは頷いた。
「それにしても、片山さんのTZR250R、いつもピカピカですね」
「掃除が趣味なんだよ。2ストはオイル汚れがひどくてな」
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俺 - バイク
ヘルメットを脱ぐと、真っ先に声をかけてきたのはシータだった。
「ヘルメット、傷ないじゃないか。お前のはズタボロになってたはずだろ」
「これはスペアのガンヘルだよ。前のは廃棄した」

「……生きててよかったな」
シータがぽつりと言った。
「おかげさまで。こうしてK-1に戻ってこられたよ」
「奥さんと娘さんの許可は出たのか?」
「もちろん。今日も笑顔で送り出してくれた」
少し照れながら続ける。
「俺からバイクを取り上げたら、廃人同然だってさ」
「そりゃ、いい例えだ」
その場にいた仲間たちが、一斉に笑った。
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菜の花畑
K-1に入ると、やはり以前とは違う。
頭のどこかで、イノシシをはじめとする野生動物との遭遇がちらつく。
無意識にアクセルを戻しがちになる。
それでも走り続けるうち、視界がふっと開けた。
目の前に広がったのは、一面の菜の花畑だった。
「ああ……ここ、菜の花畑だったよな」
長年見てきたはずなのに、今、改めて気づかされた気がした。
下界より少し涼しいK-1にも、確かに春が来ていた。
今日は日曜日。
すれ違うバイクも多い。
ツーリンググループの何台かが、今どきでは少し懐かしいピースサインを向けてくれる。
俺も少し照れながら、メジャーリーグの大谷選手風にデコルテポーズを返した。
こんなのんびりしたツーリングも、悪くない。
そう思えた。
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老木と若木
今日は絶好のツーリング日和だ。
ただ、風が少し強い。
今咲いている桜の多くは「ソメイヨシノ」という品種だという。
だが、その大半が寿命を迎えつつあるらしい。
そもそも桜の木はもろく、全国で倒木のニュースも耳にする。
K-1へ向かう途中、いつもバイクを停める場所で、俺は一本の小さな桜の木に気づいた。
まだ植えられたばかりの、細い幹の若木だ。

…… 誰かが植えたのだろうか。
しばらくその木を眺める。
この桜も、十年後、二十年後には大きく育ち、
春になれば、美しい花を咲かせて人々を楽しませるのだろうか。
風に揺れる細い枝を見ながら、
俺はふと、自分のことを重ねていた。
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間に合ったよ、おかげさまで。
2026年4月6日、日曜日。天気は快晴。
桜は少しだけ散り始めている。
俺はCB650Rのセルスイッチをいつもの力で、いつもの右親指で押した。
軽やかにセルが回り、エンジンが力強く始動した。
直列4気筒のミドルバイク。お気に入りの E-clutchだ。
「そうそう、俺はこれに乗りたかったんだよな。」俺は新鮮な気持ちでバイクに跨った。
E-clutchのスタートは滑らかだ。俺はギアを上げながら、K-1へと続く道にバイクを進めた。
不思議なことに、バランス、乗り味、安心感は、事故前と全く変わらない。
頑丈な倒立サスペンションのおかげで、フロント周りはガッチリと安定している。
コーナリングも、全く素直なままだ。
いつもの、青い海が見えてきた。この道には、昔から桜の木がたくさん植えられている。
「どうにか、桜の花に間に合ったな。」
俺は、バイクを停め、桜の木を見上げた。
「今、俺はまちがいなく生きている。」そう一人でつぶやいた。
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レンゲの花の理由
振り返ると、これから干すのだろう洗濯物を抱えた妻の華が立っていた。
「レンゲの花、咲いてるな」
俺が声をかける。
「そうね」
華は穏やかに答えた。
「でも、きれいに咲いている田んぼと、そうでないところがあるな」
「そうなのよ。レンゲって、自然に生えてるわけじゃないらしいわよ」
「え、知らなかった。てっきり自然のものだと思ってた」
「田んぼに種をまくのよ。春に花が咲いたあと、そのまますき込むと、天然の肥料になるんだって」
「この歳になるまで知らなかったな……」
俺は妙に感心した。
しばらく、静かな時間が流れた。
やがて華が口を開いた。
「考えてたんでしょ。もう一度バイクに乗るかどうか」
「……図星だな」
「あなた、言ってたじゃない。『自分の特技はバイクで速く走れること』って」
「もう“速く”は走れないけどな……」
「それに、『バイクを取ったら何も残らない』とも言ってたわよね」
「それは……まあ、半分は本音だな」
華は少しだけ笑った。
「桜でも見てきたら? ただし、完璧な安全運転でね」

「イノシシが飛び出してきても、今度は必ず避けきるよ」
「そう願ってるわ」
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レンゲ畑
4月初旬の日曜日。
天気も良く、暖かい。
ふと家の前の田んぼを見ると、一面にレンゲ草が咲いている。

うちの実家はかなりの田舎で、通っていた小学校までは片道二キロほどあった。
小学校低学年の足では、片道四十分ほどかかる。
通学路の半分は田んぼ道で、新学期の頃になると、いつもレンゲ草が咲いていた。
思えば、もう五十年ほど前のことになる。
六年間、雨の日も風の日も、夏も冬も、自分の足で歩いて通った。
大きな病気もせずにここまで来られたのは、あの通学で鍛えられたからかもしれない。
人生初の大ケガと入院。
「俺も例外なく、還暦前の大病か……」
そうつぶやいたとき、背後に人の気配を感じた。
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新しい職場
病院の玄関を出ると、俺はこの春から勤める新しい職場へ電話をかけた。
「大阪経済同友会でございます」
「4月からそちらでお世話になります、山本と申します。廣瀬事務局長はいらっしゃいますか?」
「山本さん、お体は大丈夫ですか?」
「はい。今、ドクターからゴーサインが出ました」
「それは何よりです。少々お待ちください。局長におつなぎします」
やがて受話器の向こうから、明るい声が聞こえてきた。
「廣瀬です。お久しぶりですなあ、山本さん。ほんまにご本人ですか。幽霊やないでしょうね」
「またまた、きつい冗談をおっしゃいますね。4月から出勤できそうです」
「それはよかったですわ。こっちは猫の手も借りたいくらい忙しいんで、ほんま助かります。けど、無理したらあきませんよ。ほんまに」
「私は大阪弁が話せませんので、しばらくは妙な標準語でお願いします」
「了解です。ほな、お待ちしてます」
そうして、廣瀬事務局長との事務連絡は無事に終わった。
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