真夏の方程式 Ⅹ
「ところで、いくらなんだ?」
俺は値札を確認した。
そして、また驚く。
「えっ……アンダー四千円?」
ジャケットと合わせても一万円以下。
決して安い買い物ではない。
だが、この機能と安全性を考えれば十分すぎるほど安い。
しかも上下とも総メッシュ仕様。
近年の酷暑を考えれば、夏用装備としても申し分ない。
「最近のワークマン、恐るべしだな……」
俺は思わずつぶやいた。
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真夏の方程式 Ⅸ
「ほら、ここ見て」
史が指差したのは、パンツの両膝の脇だった。
大きなファスナーが付いている。
「開口部がめちゃくちゃ広いのよ」
「なるほど」
「前の事故のとき、お父さんの膝を守ったやつ、あるでしょう?」
「ああ。硬質プラスチックのニーパッドな。確か、あれもワークマンで買ったやつだったな」
「そう。それを再利用するの」
「まさか、あの外付けのニーパッドが中に入るのか?」
「入りますとも」
史は胸を張った。
「ちゃんと寸法を測ったから。余裕で入るわ」
「なるほど……」
俺は思わず感心した。
「あれが入るなら鬼に金棒だな」
実際、あのニーパッドは前回の事故で見事に役目を果たしてくれた。
あばらは折れた。肘もやられた。
だが、膝だけは本当に無傷だった。
あれには感謝しかない。
「よし。パンツも決まりだな」
史は満足そうにパンツをカゴへ放り込んだ。
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真夏の方程式 Ⅷ
史はライディングジャケットを買い物カゴに入れると、今度は同じシリーズのライディングパンツを物色し始めた。
「残念。上着と同じ色は売り切れね。でも、ホワイトとブラックのツートンがあるから、これで合わせましょう」
そう言って、白黒のライディングパンツを俺に差し出した。
「膝パッドは最初から入ってるけど、あくまでもツーリング向けね。お父さんみたいな走り方には、少し心もとないかな」
「そうだな」
俺もパンツを手に取ってみる。
確かに硬質ゴムのパッドは入っている。
だが、転倒時の保護性能を最優先に考えるなら、もう一段上の装備が欲しいところだ。
「心配ご無用!」
史は得意げにそう言うと、膝部分を指差しながら説明を始めた。
右奥が付属のニーパット、手前が事故で役立ったニーパット
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真夏の方程式 Ⅵ
ほぼ全面がメッシュ素材だ。
手に取っただけで分かる。
これは本当に涼しそうだ。
だが、ただ涼しいだけではない。
肩と肘には、最初からしっかりとプロテクターパッドが入っていた。
肩と肘――。
そこは、まさに俺が事故でひどく痛めた場所でもある。
俺はジャケットを広げながら、さらに細かく見ていった。
「それに、オプションみたいだけど、背中にもプロテクターを入れられるようになってるな」
背面には、脊髄パッド用のポケットが縫い付けられていた。
「でしょ?」
史が少し得意げな顔をする。
「まあ、お値段以上なのは間違いないわね」
そう言われて、俺は値札を見た。
そして思わず声が出た。
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真夏の方程式 Ⅳ
「まずはグローブね。事故の時、かなりしっかりした革グローブしてたのに、拳やられたでしょ?」
「ああ。夏用の薄いやつだったら、もっと大変だったと思う」
「なら、今回は“涼しいけど守る”方向で」
そう言って史が手に取ったのは、通気性の良さそうな(手のひら側が)メッシュグローブだった。
「お、意外と握りやすいな」
ハンドルを握る真似をすると、ラバー製のガードが自然に拳へ沿った。
「親指と人差し指も補強されてるし、スマホ対応。どう?」
「かなりいい」
値札を見る。
「……え?」
「どうしたの?」
「これ、千円台なのか?」
史はニヤリと笑った。
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真夏の方程式 Ⅲ
「最近はバイク用ギアもかなり充実してるんだから。しかも、夏向けの快適ウェアも多いし」
「へぇ……」
「というわけで、行きましょう。現地調査です」
数学科らしい言い回しに苦笑しながら、俺は財布をポケットに突っ込んだ。
――こうして俺は、史の愛車「86」の助手席に乗り込み、近所のワークマン+へ向かうことになった。

日曜日の店内は思った以上に賑わっていた。
作業服姿の職人さんだけでなく、家族連れや若い女性客も多い。
「ほんとに“女子”がいるんだな……」
「だから言ったでしょ」
史は慣れた足取りで店内を進んでいく。
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真夏の方程式Ⅱ
「また“難問”に悩んでるんだ?」
振り返ると、次女の史(ふみ)が立っていた。
理工学部数学科に通う大学3年生で、家族の中ではいちばん理屈っぽい。
「夏用ライディングウェアのことだよ」
「なるほどねぇ。“涼しさ”と“安全性”と“価格”の三変数問題か」
「なんだ、その数学っぽい言い方は」
史は得意げに腕を組んだ。
「でも、その方程式。たぶん解けるよ」
「お前、バイク詳しかったか?」
すると史は、待ってましたと言わんばかりに胸を張った。
「見くびってもらっちゃ困るわね。こう見えても私、“ワークマン女子”ですから」
「ワークマン? あの作業着の?」
「今どき、作業着だけだと思ってるの、お父さん世代くらいよ」
ぐさりと刺さる。
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真夏の方程式Ⅰ
いよいよ6月である。
空を見上げれば、いつ梅雨入りしてもおかしくない雲行き。だが、アラ還ライダーにとって、この時期に本当に頭を悩ませるのは――夏のライディングウェアだった。
本音を言えば、TシャツにGパンで風を浴びながら走りたい。
だが、昨年11月の転倒事故で、こぶしのナックル、肘、肩を痛めた身としては、そうもいかない。
ちなみに膝だけは無傷だった。外付けのニーパッドを付けていたおかげである。
あの時ほど、「備えあれば憂いなし」という言葉を実感したことはない。

「夏でも涼しくて、ちゃんと守ってくれて、それでいて安い……。そんな都合のいいウェア、あるのかねぇ」
ソファでスマホを眺めながら、俺は独りごちた。
すると背後から、くすっと笑う声がした。
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