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Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<新年最初のSalson>

普段見ない人が沢山来られていて、初めての人、五人くらいと踊れた。皆さんお上手でした。多分、お正月休みで帰郷組? 


実質1時間半位でしたが足がガクガクになったので10時頃には終了。

 

天神の街は、それ程人出は多くなく、何時もの激安駐車場も余裕があり。今日はUターンのピークだとか。

 

今日で正月休みは終了。明日からまた頑張ろう!笑い泣き 毎日が日曜日の年金生活者の言う事か?キョロキョロてへぺろ


何故か今朝は、両脚共に筋肉痛? いつもと変わらないはずだが? 正月休みサボったから❓

 

 

 

 

<土曜のWorld Newsより>

イギリスBBC:英国ではインフルエンザが40年ぶりに大流行しているとか。やはりコロナ時代に感染予防習慣が根付いたからではないか? 日常的にある程度の感染が起こることが自然であり、免疫系を刺激しておくのが必要。そのために免疫系は進化の過程で獲得されたもの。

昔、動物実験学だったか、無菌動物は免疫能力が非常に弱体していて感染に極めて弱いことを学んだ。それが今、現実の世界でも起こっているのではないか?

  そう!免疫は進化の賜物!


アサド以後のシリアに独仏外相が歴史的訪問し、イスラム過激派指導者と会談。


フランスF2:フランスのアルジェリア人・インフルエンサー、テロ示唆で逮捕。


シンガポールCAN:中国、景気刺激策として2015年ぶりに公務員の給与増加


トルコTRT:大統領はトルコがイスラエルとの交易を全面停止した最初の国と主張。

 

国内ニュースより:

バイデン米大統領は日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収計画を阻止。同盟国にすることか? いや、これが米国の何時もの行動。日本は目を覚ますべき。再度、日米中の近代史を振り返り、米国追従の政策を見直すべき。

 

そして、インド外交を見習うべき。 

 

 

 

 

 

 

『阿片の中国史』4

アメリカは表立って阿片取引はしていなかったが、密かに英国の阿片を代わりに運ぶ程度だった。そしてアヘン戦争で英国が勝利して「南京条約」を結ぶと同じ待遇で条約を結んだとか。p133

 

そもそも米国は日本同様、遅れてアジアにやってきた。出遅れたというのが実際のところだろう。これについては以前、日米中関係史でまとめた。上に引用した通り。 


それと米国には英国のようにインドという阿片栽培地を持たない。p148

 

7章では「なぜ日本では阿片が蔓延しなかったか」が議論される。そこで当時の日本が強い危機感を持って「海国図志」などから学んだとする。p138 

 

明治政府が発足3年目で早々に阿片規制の法律を作った。p153 勿論、海外と通商条約には「阿片の持ち込み禁止」を明記した。こうしたことを著者は「日本は幸運だった」と表現する。p149

 

他にも、これは先にMDさんがしていたことだが、当時の日本に中国のような魅力的商品が無かったいうことが指摘されている。p145 


更に著者は当時の日本が貧乏で、阿片を買う余裕を持つ層が居なかったとも。p156

 

話は横道にそれるが、阿片の流通に潮州商人が関わる。p170 

 

この潮州商人、これまでにも何度も出てきて興味のあるところだが、潮州商人についても何時かちゃんと調べたい。

 

1920年にアメリカで「禁酒法」が敷かれ、同年中国でも「阿片禁止」の法律ができたが密輸に拍車がかかり却って大量の阿片が出回ったとも。p171

 

次に上海のフランス租界の話が出てくるところで、あの杜月笙(とげつしょう)の話が出てくる。


昔、初めて上海旅行に行った時、少しここらの話を勉強していたのでガイドブックを頼りに、彼の邸宅と思われる場所を探したが、それらしき場所にそれを示す掲示板は見つからなかった。今の中国としては暗い歴史をわざわざ表に出すことはないということだろうか? 暗い過去でもそれを振り返ることは必要。

 

ちなみにフランス租界での阿片取引による税収は財政の21%にも及んだとか。これには杜月笙が深く関わった。p177 

 

なかなかフランスもやりますね。

4日土曜の夜は、今年初のsalson爆笑ウインク



<剪定枝>

3日、去年から懸案事項の剪定済の小枝を焼却処分した。可燃物ゴミで出すのがどうしても納得できなかったプンプン 反エコ過ぎる。


大体5mm以上の枝は腐植土化出来なかったので一昨年の分、つまり一年以上乾燥させたもの。


簡単に焼却出来た。去年の分はまた次回。とりあえず何処からも文句言われず。キョロキョロてへぺろ 写真、奥の枝の山が無くなる。最後に庭に散水して終了。




<韓国情勢>

現職大統領が拘束されるというのは、前代未聞の出来事だと認識している。お隣の韓国は北朝鮮、中国、ロシアとの防御壁みたいな存在。他人事ではない。お隣の国の安全は日本の安全

 

それにしても韓国の歴史は繰り返す、多分これを理解するにはあの国の「恨」の歴史を知らないといけないような気がする。


 

 

 

 

<ロシア情勢>

ロシアはウクライナ戦争で経済的に困難な立場にあるという。その1つが貿易収支。原油輸出が最大の輸出品だが、主にインドルピーが使いづらいという。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/85594?page=2

 

輸出は確かにEU向けが激減し、その分インドと中国から原油を買い叩かわれていると聞く。

 

中国元は中国からの輸入にそのまま回せるとしても、問題は印ルピーのようだ。

 

『貿易収支は大の黒字でも、買えるものが無いと』言うが少なくとも赤字じゃないんだよね❗️ 

 

翻って、日本は貿易収支もサービス収支も大赤字。人の事を色々言える立場か❗️

 

 

…しかし今後、暗号通貨で取引できれば、どこでも使えるのではないか?

 

 

 

 

 

『阿片の中国史』3

京杭運河は沿海部で取れる塩を運ぶことで「塩の道」とも言われたとか。17世紀には大型船も運行が可能になった。p77

 

当時の清朝の人たちから見た西欧人は「阿片と宗教がコンビ」を組んで中国を蝕む姿を想像していたと著者は言う。p82

 

ならばなぜ、中国は阿片を禁止できなかったのか? ここであのサッスーン商会が出てくる。p85

 

上海のビルが有名。英国のユダヤ系名門でもとはバクダッドの豪商だが、1830年に総督がユダヤ人追放でペルシャに逃れた麻薬商。この一家の神戸の邸宅は異人館として保存されている。p86

 

陳舜臣の神戸の借家も確かこの家系の持ち主の可能性が高いが、まだ未確認。


 

彼らが設立した香港上海銀行は阿片で儲けた資金を安全かつ迅速に英国本土に送金するためのものだったとか。p88

 

彼ら貿易商は表向き絹や茶、陶磁器を仕入れ、木綿や香辛料を中国に売りさがいたが裏では殆ど阿片の密輸商人を兼ねていたという。p98

 

1835年段階で全中国の阿片中毒者の数は200万人以上とされている。清朝は再三禁令を出すが効果なかった。それにより大量の銀が国外に(英国に)流失した。p90

 

そして1839年、あの林則徐が出てくる。彼が没収した阿片は1,188トンに及んだという。p103 これがアヘン戦争を引き起こし、清朝は僅かな英国軍に敗れる。その間の事情は陳舜臣の『阿片戦争』に詳しい。あれは超絶に面白かった‼️



正月休み最終日。但しあすから週末爆笑爆笑爆笑

 

 

<素人が正月早々傲慢噛ませます!てへぺろ

今読んでいる『人口は未来を語る』に以下のようなことが書かれていた。

 

『急増する農民人口の都市への移動は。最初の人口転換の始まりとともに起こる… 出生率が高いまま死亡率が急速に低下する時である』p117

 

これは19世紀のイギリスや現代のナイジェリアの場合から来る著者の結論だと思う。一般化出来ないかも?

 

著名な学者の意見に対し素人が傲慢にも異論を唱えるようだが、これらは既に貨幣経済が当たり前となった時代の話で、貨幣経済が始まりつつあった清朝では逆ではないかと感じた。これは先の『人口の中国史』からの発想。

 

それまで農村社会であった清朝に貨幣経済が入り、農民が賃金労働者として都市に出ていけるようになった。すると、それまで農村社会で暗黙の内に機能していた人口調整機能(=間引き)の必要性が薄れてきた。

 

特に中国では女子がその対象になっていた。農村で過剰人口である男性が都市に出稼ぎに出て行けるようになる。すると、それまで「間引き」されていた女子が農村社会でも余裕が生じたことで産み、育てられ、女子の増加はさらに人口を増やす要因となる。

 

つまり、上記の著者の論理とは逆に、清朝では「貨幣経済の浸透が人口増加の原因」という可能性もあるように感じるが、どうだろう? 

 

素人が傲慢にも反する仮説を掲げる。 問題はこの仮説を検証出来る実験が出来ない事かなキョロキョロてへぺろ

 

 

 

 

<初詣で見つけたもの>

野良のお家

発泡スチロールで作られた家、近くには水と皿がおいてあるので近所の人が世話しているのだろう。大切にされているのだろう、近づいても逃げない。

 

災害記録碑

200年以上前の大洪水を後世に記憶を残すために建てられた石碑。再度、昭和48年に水害に見舞われて再建されたもの。災害が繰り返し起こる場所は多い。問題はそれが後世に記憶されないこと。

 

 

 

ボランティアでこうした記録されていない。災害記録碑のデーターベース構築というのもあっていい。今はスマホで3Dモデルが作られるらしいし、国土地理院のData Baseと連動して取り込めば、被害を最小限に抑えられるはず。

 

この災害記録碑の周りに新興住宅地が建つ不思議さ。

 

災害は予防できないが、被害は最小化可能。

 

 

 

<スマホBack Up>

毎月1日は恒例のiPhone2台のMacAirへのBackUp。今は毎日、自動でiCloudに必要最小限のデーターは保存されているが、それ以外のセキュリティー性の高い情報ファイルはこうして手動で安全にPC保存する必要がある。安全性と利便性の兼ね合いが微妙。

 

もっとも、世の中にはスマホのバックアップを全然取らない人もいる。というか、以前、ボランティアで立ち上げた「高齢者のスマホ学習会」で聴いたところ、全員その存在も、必要性も感じていなかった。

 

ま、私も仕事上、重要な(中には世界に唯一の爆笑ニヤリ)資料を保存(この場合は超低温保存=マイナス80度、あるいは液体窒素保存)するという立場になければ、そうしたコンセプトとも無縁だったろう。デジタル・バックアップはその延長キョロキョロ

 

 

 

 

『阿片の中国史』2

阿片を最初に持ち込んだのはポルトガル人で1514年だとか。貴重な輸入品っとして皇帝、貴族、それに裕福な商人*の嗜好品として。p43

 

17世紀には台湾で阿片喫煙の風習が定着したらしい。p46 既にこの頃から中毒としての問題が認識されていた。p47

 

阿片のインドにおける栽培は英国がインドネシア、フィリッピンあたりから持ち込み、産業革命的に大量栽培、精製された。p55 これは英国が中国からの茶の輸入で貿易赤字を抱えたことが原因とする。すなわち、

 

中国の陶磁器、絹、紅茶>英国の綿製品>インドの阿片>中国という三角貿易の成立だ。p55

 

ここは先日MDさんが指摘した通り。

 

英国は阿片の生産を厳格に管理した。それで生産や流通を管理し、これがインドで阿片が流行しなかった理由と著者はする。p57 さらに総量規制と品質管理で阿片の価格を高止まりさせたとも。p61

 

中国清朝でも阿片の持つ危険性を認識していて薬用以外の禁令を度々出した。p64 しかし、薬物と毒物の区別、管理は難しく。時の皇帝、雍正帝ですら明らかにグレーゾンの品物についても禁制品ではないと判断したとか。p66

 

最初は超高価な品物だったため、使用は初期にはごく一部にとどまったが、やがて広く流行するようになる。p68 それは別ルートで福建や広東の漁村から広がったと著者は言う。p68

 

これはもしかすると先に定着した対岸の台湾からの影響かも?

 

これには「ちー」さんが指摘したような、「タバコのように、社交的に勧められる」という伝統が影響したかもしれない。もともと高価な阿片、勧められた方も、害を知っていても喜んで嗜んだかも?

 

 

<データーベースとして>

*康熙帝〜乾隆帝時代には塩からの税収は国家財政の1/4となり、これを扱う豪商が輩出した。p41 彼らは裕福であり阿片を購入することができた。

『資源と刑事の世界地図』4

 

権力者だけが打撃を負う「スマート制裁」というものが考案されたらしい。p89

 

これは限定した項目だけに適応されるもの。例えば「重水炉を使用する研究炉を含むすべての重水炉計画」と言った表現。p91

 

しかし、実際には様々な「抜け道」があったらしい。

 

<デーt−ベストして>

イランの革命防衛隊は正規軍とは別に編成され革命体制の保護が優先使命で軍事組織でありながら建設業、製造業に影響力を持つ。p95

 

国連制裁の他に機能するのは「二次制裁」p101

 

例として保険会社の契約を上げる。EUは単独制裁で貨物せんだどの保険をイラン関連船舶について許可しない方針をEUは発令した。

 

 

 

<初詣>

いつも宇美神宮の駐車場は満杯なので、図書館(地図では町立住民福祉センター)前に駐車。


例年通り、そこから逆ルートで参詣。


人の少ない時間帯に、丘の上の宇美公園にある「奥の院=上宮」から、逆方向に下りながら進む。ここまで来る人は殆どいない。地元民だけの参詣スポット?

 

 

 

 

先に「奥の院」で仕事を済ませた宮司さん二人が見える。更にその先に宇美八幡宮の森が広がる。 

鴨が餌を探している宇美川を渡る。

 

八幡宮は列をなして参詣者でごった返してるので素通りして、


一路「井野公園」にある頓宮に向かう。


ここで参詣して同じ道を引き返す。 合計5km、6,496歩、6階分。殆どいつもの坂道散歩と変わらない。
 
途中で幾つか興味あるものを再発見。これはまた明日にでも。

*重要メモ: 
役場前の駐車場が参詣客に解放されていた。場所は黄色○。図書館前よりはるかに近い。次回からここにしょう❗️
 

 

 

 

<元旦のNHK-BS番組>

モンテネグロの渓谷に生まれる「白い大蛇」

 

 

 

「白い大蛇」が生まれる為の4つの条件。

(1)霧が出来る為の湿度

(2)川の冷たさと空気の温度差

(3)高気圧で谷に向かって下に空気が押されること

(4)風で空気が谷に沿って流されること

 

地元の人でも滅多に見ることができないそうだ。それを自宅で観れるのは、素晴らしい。受信料払ってOKの番組。

 

因みにモンテネグロは「ネグロ」は黒の意味。森林の色と関係ありそうだ。

 

 

 

 

 

<103万円の壁?>

正月休みは勉強もせず、読書三昧と言いたいところだが、意外とこれが上手くいかない、時間を持て余す。時間に余裕がありすぎると私の場合ダメみたいだ。現役時代も「寸時を惜しんで」の方が読書も進んだ気がする。それとも単に加齢による脳機能の低下か?

 

そんな、こんなで、暇を持て余したので、いつもは素通りのファミレスに寄ってランチ。適当に注文しながらスマホで遊んでいたら。店内でも注文がQRコードから出来ることに気がついた。

 

確かに広い店内にウエイトレスさんは一人しかいない。注文もスマホで出来てこのファミレスは料理も予め工場で準備、処理されたものを温めたり、揚げたりするだけだと聞いていたので効率いいだろう。そのうち、配膳もロボットになるかもしれない。


料理はあまり普段食べないフライ系を注文した。千円以下でこれだけ提供できるのは優秀だ。ここにも工夫が見られる。

 

今後、ドンドンこうした方式が広がるだろう。何しろ今や日本は人手不足。そう言えば大晦日のショッピングセンターで何時も利用しているカフェは閉店だった。年末でお客さんは凄く多いのに「何でかな〜?」と不思議に思ったが、もしかすると、これは「103万円の壁」の所為かもしれない。

 

玉木によれば、年度末になるとこの「壁」で主婦や学生さんの働き控えが増えて人手不足で困る飲食店とかが出てくるとか。

 

…しかしこれは必ずしもネガティブに捉える必要はない。人手不足はこうしたファミレスのようにスマホ注文・決済で、ロボット配膳で活路を開けば新たな道が拓けるはず。 


…少なくとも清朝末期の失業者の大群の時代よりはいいはず。<相変わらず頭の中は「清朝危機」びっくりガーン笑い泣き

 

人手不足を下手に外国人労働者に頼るよりも、DX化、ロボット化で日本は世界の先進国に復活できる可能性がある。

 

可能性はゼロではない


そんな事を正月早々考えたキョロキョロてへぺろ

 

 

 

 

『阿片の中国史』

TAN Romi著、新潮社133、 2005年初版。

 

先日『人口の中国史』を漸く読み上げたが、引き続き『阿片の中国史』という同じような題名の本を読み始めた。題名の類似、それだけではない。共に興味の中心が清朝にあるという点で共通点がある。

 

いつも新書を読むという方針をあえて今回は止めて、20年前の本を読む。理由は上に挙げた通り。清朝末期というのは、超大国がその表面的繁栄の裏に脆さを抱えた事例、今の日本にも参考になるはずえーん

 

当時の上海を描いた小説『阿片の今昔』1937年版によれば阿片窟は現地で「煙館」と呼ばれ、上海で最盛期1,700軒あったとか。p13

 

著者は国丸ごと「阿片漬け」にされたのは中国だけだという。p15

 

確かに日本で阿片は流行しなかったし、産地であるインドもそのようなことは聞かない。中国でも「禁止されていたにもかかわらず」である。しかも清は当時の超大国。何故なのか? これがこの本を読みきっかけ。

 

ケシが中国に伝わったのは7世紀の唐時代。「オウゾク」と呼ばれたとか。オウは古代の甕を示す。ケシの形状を示す。p19

 

以前、話題にした西域からのイスラム陶器の中にも香薬の他に、ケシが入っていたのかもしれない。

 

文宗時代(AD829〜840)の文献に出ているとか。ただし、この時点ではケシの「花」が愛でられた。p21〜22

 

宋朝時代に出た『本草図経』にも記載があるが、花としては最下位のランク、これは中国人の感性としては花に艶やかさがなかったからだろう。p24〜26

 

しかしやがて薬効が認められる。鎮痛、食欲不振に効くとされた。p27〜28 さらに1593年に出版された『本草綱目』でも記載があるが、同時に「アフヨウ」としての別の記載もあるとか。これがケシの花の液汁である事がようやく知られた。p31