正月休み最終日。但しあすから週末![]()
![]()
![]()
<素人が正月早々傲慢噛ませます!
>
今読んでいる『人口は未来を語る』に以下のようなことが書かれていた。
『急増する農民人口の都市への移動は。最初の人口転換の始まりとともに起こる… 出生率が高いまま死亡率が急速に低下する時である』p117
これは19世紀のイギリスや現代のナイジェリアの場合から来る著者の結論だと思う。一般化出来ないかも?
著名な学者の意見に対し素人が傲慢にも異論を唱えるようだが、これらは既に貨幣経済が当たり前となった時代の話で、貨幣経済が始まりつつあった清朝では逆ではないかと感じた。これは先の『人口の中国史』からの発想。
それまで農村社会であった清朝に貨幣経済が入り、農民が賃金労働者として都市に出ていけるようになった。すると、それまで農村社会で暗黙の内に機能していた人口調整機能(=間引き)の必要性が薄れてきた。
特に中国では女子がその対象になっていた。農村で過剰人口である男性が都市に出稼ぎに出て行けるようになる。すると、それまで「間引き」されていた女子が農村社会でも余裕が生じたことで産み、育てられ、女子の増加はさらに人口を増やす要因となる。
つまり、上記の著者の論理とは逆に、清朝では「貨幣経済の浸透が人口増加の原因」という可能性もあるように感じるが、どうだろう?
素人が傲慢にも反する仮説を掲げる。 問題はこの仮説を検証出来る実験が出来ない事かな![]()
![]()
<初詣で見つけたもの>
野良のお家:
発泡スチロールで作られた家、近くには水と皿がおいてあるので近所の人が世話しているのだろう。大切にされているのだろう、近づいても逃げない。
災害記録碑:
200年以上前の大洪水を後世に記憶を残すために建てられた石碑。再度、昭和48年に水害に見舞われて再建されたもの。災害が繰り返し起こる場所は多い。問題はそれが後世に記憶されないこと。
ボランティアでこうした記録されていない。災害記録碑のデーターベース構築というのもあっていい。今はスマホで3Dモデルが作られるらしいし、国土地理院のData Baseと連動して取り込めば、被害を最小限に抑えられるはず。
この災害記録碑の周りに新興住宅地が建つ不思議さ。
災害は予防できないが、被害は最小化可能。
<スマホBack Up>
毎月1日は恒例のiPhone2台のMacAirへのBackUp。今は毎日、自動でiCloudに必要最小限のデーターは保存されているが、それ以外のセキュリティー性の高い情報ファイルはこうして手動で安全にPC保存する必要がある。安全性と利便性の兼ね合いが微妙。
もっとも、世の中にはスマホのバックアップを全然取らない人もいる。というか、以前、ボランティアで立ち上げた「高齢者のスマホ学習会」で聴いたところ、全員その存在も、必要性も感じていなかった。
ま、私も仕事上、重要な(中には世界に唯一の![]()
)資料を保存(この場合は超低温保存=マイナス80度、あるいは液体窒素保存)するという立場になければ、そうしたコンセプトとも無縁だったろう。デジタル・バックアップはその延長![]()
『阿片の中国史』2
阿片を最初に持ち込んだのはポルトガル人で1514年だとか。貴重な輸入品っとして皇帝、貴族、それに裕福な商人*の嗜好品として。p43
17世紀には台湾で阿片喫煙の風習が定着したらしい。p46 既にこの頃から中毒としての問題が認識されていた。p47
阿片のインドにおける栽培は英国がインドネシア、フィリッピンあたりから持ち込み、産業革命的に大量栽培、精製された。p55 これは英国が中国からの茶の輸入で貿易赤字を抱えたことが原因とする。すなわち、
中国の陶磁器、絹、紅茶>英国の綿製品>インドの阿片>中国という三角貿易の成立だ。p55
ここは先日MDさんが指摘した通り。
英国は阿片の生産を厳格に管理した。それで生産や流通を管理し、これがインドで阿片が流行しなかった理由と著者はする。p57 さらに総量規制と品質管理で阿片の価格を高止まりさせたとも。p61
中国清朝でも阿片の持つ危険性を認識していて薬用以外の禁令を度々出した。p64 しかし、薬物と毒物の区別、管理は難しく。時の皇帝、雍正帝ですら明らかにグレーゾンの品物についても禁制品ではないと判断したとか。p66
最初は超高価な品物だったため、使用は初期にはごく一部にとどまったが、やがて広く流行するようになる。p68 それは別ルートで福建や広東の漁村から広がったと著者は言う。p68
これはもしかすると先に定着した対岸の台湾からの影響かも?
これには「ちー」さんが指摘したような、「タバコのように、社交的に勧められる」という伝統が影響したかもしれない。もともと高価な阿片、勧められた方も、害を知っていても喜んで嗜んだかも?
<データーベースとして>
*康熙帝〜乾隆帝時代には塩からの税収は国家財政の1/4となり、これを扱う豪商が輩出した。p41 彼らは裕福であり阿片を購入することができた。



